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こどもの教育コミュの夢は叶わない

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「基本、夢なんか叶わへん」 そうやってテレビの大人が言うとかんと。社会なんてジャングルやから、サソリもおったら毒蛇もおる。ホテルもなければコンビニもない。 そういったところに送りこまないかん大人側が、ジャングル行く前の子供らに 「ジャングルめっちゃええとこやで〜。凄い快適やで〜」 って言ってたら、子供は何の準備もせんとパンツと靴下だけもって 「じゃあ行こか」 ってなんねん。
出典:アメトーーク!! 腹立つ芸人で小籔が語る「夢は叶わない」が正論すぎて話題 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/m/odai/2139558078819992401/2139558217821048403

コメント(39)

まさに正論ですね!この現実を知って夢見れない子どもたちは、仮に夢を持ってもいずれ挫折して夢叶わない子どもでしょう!

だったら先に知った方が良い。
僕の持論ですが、今の子どもたちが夢を見れないのは現実が厳しいからではなく、大人が夢を語らないからだと思います。

高度経済成長時には大人が夢を見れました。
そして見た夢が現実になって行ったんです。
テレビ・冷蔵庫・洗濯機・ビデオ・レストランでの外食・海外旅行・マイホーム・・・

今は国が夢をかなえてはくれません!
個人で頑張るしかない!そう思います。

僕の一番の持論は夢を追い、夢破れた時、夢追い人に何が残るのか?
夢を本気で追った人しか答えられません。
夢を追ってない人が言うんです、叶わない夢を追う事は無駄であると・・・

夢は叶えた時には次の夢が出てきているだけで、実は叶えた時ではなく追っている時が幸せなのだと本気で追った人は知っています。
小籔さんの言動には大変共感しました。
鵜呑みにしやすい子どもの目の前に、変なニンジンをぶら下げてそそのかすのはどうかと思いますね。
ネットでの小籔さんへの反論についても考えをまとめてみましたので、興味のある方に参考にしていただければ幸いです。
「打算で夢を語るな」
http://ameblo.jp/futaproject/entry-11844490476.html

また、家庭や学校で使い古されている「将来の夢」という言い回しも別の意味で子ども達を振り回していると思います。
小籔さんの発言をきっかけに、教育における「夢」問題についても考えてみました。
「夢の呪縛」
http://ameblo.jp/futaproject/entry-11845466033.html
元発言の引用文には、「夢の定義」が完璧に抜け落ちていますよね。
だから何が言いたいのかよくわかりません。

雰囲気だけで判断すると、この芸人さんが言う「社会」のイメージは私の経験とは正反対ですね。
社会が「ジャングル」だからこそ、そこには発見もあればチャンスもある。
冒険ができるからこそ夢がある。

でも実際の社会はジャングルなんかじゃないですよね。
とくに日本社会は。

むしろこれからの日本のほうが夢があるんじゃないですか。
最近、「夢」という言葉が、非常に低いレベルに引き下げられてしまった気がしています。

学校を初めとする大人が、「夢を持て」と子供に強要し、子供が苦し紛れに「夢」を語ると、それを無条件に称賛する。

「自分自身が夢を持っていない大人」だからこそ、そんないい加減な「教育」ができるのです。

「夢」というのは、各人の心の中にあって、他人には不可侵なものなのではないでしょうか?

「良い夢」も「悪い夢」もないし、「夢を持たない」からと言って、責められるような筋合いのものでもない。

むしろ、「どうでも良いような夢」を語る子供よりも、「大きすぎて一言では語れない夢(だから大人にそれを問われても語れない)」を持っている子供の方が、遥かに「夢がある」のではないでしょうか。

しかし、「こどもの夢」に対して、この国の小学校教育では、長いこと、「夢を語る=○、夢を語らない=×」という「教育」をしてきてしまった。
それが問題なんじゃないでしょうか?

だから、こういう「アンチテーゼ」が出てくる。ある意味当たり前のことです。


>社会なんてジャングルやから、サソリもおったら毒蛇もおる。ホテルもなければコンビニもない。

いやいやいや…、だからこそ「夢がある」んですよ。^_^;

>「ジャングルめっちゃええとこやで〜。凄い快適やで〜」 って言ってたら、子供は何の準備もせんと
>パンツと靴下だけもって 「じゃあ行こか」 ってなんねん。

これこそ、「夢がない」んですよ。^_^;


この元発言は、大きな勘違いをしています。

この人が書き並べてるような「問題点」の先にあるのは、「基本、夢なんか叶わへん」という結論ではなく、「何が起きるか分からなくて、ハラハラドキドキの連続。それが社会。だから夢がある」という結論なんじゃないですか?

発言者である芸人さんこそが、「夢のない大人」なんです。

何かみんな騙されてませんか?^_^;
この人が言っている夢というのは、

"サッカーの本田が小学校のとき「セリエAで10番とるんだ」と作文で書いた。
あの人は死ぬほど努力して、死ぬほど周りの人に助けてもらって、いろんな人から勝ち上がって、それでやっと夢叶ってんねん。"

というところに凝縮されていると思って、僕は読んでいます。

引用文の出典: http://matome.naver.jp/odai/2139558078819992401

そして、簡単にはかなわないということも知りつつ夢を持ち続けるということの大切さを主張しているのだと読みました。

夢に向かって何かを自分でしないと叶わない。
その何かというのを真剣に考えないままでいるから、待っているだけで次々と夢(のようなこと)を誰かが実験してくれると思ってしまったりして、何の準備もせんとパンツと靴下だけもって 「じゃあ行こか」というような人間になってしまうということなのではないんでしょうか?
>>[4]

→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
>社会なんてジャングルやから、サソリもおったら毒蛇もおる。ホテルもなければコンビニもない。

いやいやいや…、だからこそ「夢がある」んですよ。^_^;
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←

まさにそのとおり、ジャングルだからこそ「夢がある」し、ちゃんとした準備と覚悟をして、しっかりとした手順で、そのジャングルの中で自分にしか見つけられない自分の夢を追って行くことが必要だと、このひとも言っているのだと、僕は読みました。
まったく読み方が逆になってしまったんですね。
[6]のミスタイプの訂正をさせてください。

夢(のようなこと)誰かが実験してくれる
   ↓
夢(のようなこと)誰かが実現してくれる

>>[2]

http://ameblo.jp/futaproject/entry-11844490476.html
を読ませてもらいました。
なるほどと思うところもいくつもありました。

しかし、このトピックという意見交換の場でのコメントは、できるだけポイントを絞った短い御意見を書いて頂けると有り難いです。
 (短い要点のコメントとともに、参考としてのリンクを貼ってもらうことは大歓迎です)

また、リンクを貼るだけですと、誰のどの御意見に、Mr.バチコーンさんが書かれている長い文章のどの部分が対応する御意見なのかというようなことが非常に読み取り難くもなりますので、できましたら、リンク先の文章からここという部分だけを抜き出して書いて頂けると有り難いです。

よろしくお願いします。
>>[5]

出典元を読みましたが、この人の言っていることは、ブレまくっているような気がします。^_^;

あんまり大きな声では言えませんけど、正直言うと、「芸人が小難しげなことを語るな、そんな知性もないくせに」という感じを受けます。^_^;

>せやからホンマに努力して、自分を鍛えて、勉強して、いろんな準備をしてから社会に行けよ」
>こう言ったら頑張る。

というのだけだと、Hiroさんの解釈も成り立つんじゃないかと思うんですよ、でも、

>夢なんかすぐ捨てろ!
>やりたくないことをやるのが社会!
>それがジャングルや!

というのと並べてしまうと、「ああやっぱりこいつの言ってるのは、『額に汗してマジメに働いて…』という、古典的な努力のことなんだな」としか思えません。
サッカーの本田選手を含めて、「小中学生の頃の作文」を持ち出してきて、

「成功する人たちは、やっぱり子供の頃から夢を持っていて、それを実現しているんだ」
         ↓
『だから』「夢を持つことは大切」
         ↓
「夢さえ持てば、成功できる」

みたいなおかしな論理を信じるのは、「子供」ではなく、「大人」だけだと思うんですよね。^_^;
子供はそんなにバカじゃない。(笑)

だからこの芸人さんが「言うとくぞ、子供」と呼びかけてるのも、どこかヘンです。^_^;
>>[1]

>高度経済成長時には大人が夢を見れました。

最近良く聞く話ですが、時代はそんなに変わったのでしょうか?

高度経済成長時代には、大人はホントに夢を持っていたんでしょうか?


>そして見た夢が現実になって行ったんです。
>テレビ・冷蔵庫・洗濯機・ビデオ・レストランでの外食・海外旅行・マイホーム・・・

この程度の「夢」ならば、今の時代だって次々に現実になっているじゃないですか。

いや、こういうものを「夢」と言うのならば、高度経済成長時代よりも、今の時代の方が遥かに「夢が現実になって行っている」と言えるんじゃないですか?

パソコンが各家庭に普及し、ブロードバンドが各家庭に引かれ、全世界とリアルタイムにつながっているっていうのは、まさに「夢の実現」ですよ。
「テレビ・冷蔵庫・洗濯機・ビデオ」なんてものを、遥かに凌駕しているじゃないですか。


>今は国が夢をかなえてはくれません!
>個人で頑張るしかない!そう思います。

これも同じです。
昔だって国が夢をかなえてくれたことなんかなかったし、個人が頑張るしかなかったんです。

むしろ、仰るところの「マイホーム」を「夢だ」と国民に感じさせることによって、政治家たちは巨万の富を築いたんじゃないでしょうか?

「国が夢をかなえてくれる」どころか、「夢で国民をだまして私欲を満たした」とも言えるんじゃないですか?


なんかヘンです。
>>[12]

時代が違うからこそ、家電製品や旅行が夢として成り立っていたんですよ。
国が夢をかなえてくれたと言う部分に関して詳しい事を書くと長くなるので、簡単に言うと1ドル360円だったのが1ドル80円にまで円高になりました。

円高が経済に与える影響はさておき、日本の通貨が簡単に言うと4倍以上になったんです・・・
戦後の日本は物欲が大きかった事を考えれば国民にとっては歓迎している時期が長かったと言って良いと思います。

今はそんな大きな国家としての成長や変化は望めないと言う意味で書いたのですが・・・
いつも時代の個人が頑張らばないといけないのは、成人している大人なら誰でも知ってますよ。

ただ高度経済成長の時代はただ会社に長く務めているだけの人も暮らしに良い変化が次々に起こったと言う事です。
>>[13]

仰っていることが、ぐちゃぐちゃです。

私に教えを垂れる前に、まず自らがお勉強をして下さい。

高度経済成長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%BA%A6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7

円相場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%9B%B8%E5%A0%B4


さらに、上記引用には明示されていませんが、私は円の対ドル相場の変遷は、「日本国の力」ではなく、「アメリカの都合」だと理解しておりましたが、違うのでしょうか?

もし明確に違うと仰るのならば、「詳しいことを書くと長くなる」などと言わずに、是非きちんとご説明をお願いします。


私が気になったのは、あなたが仰っていることが、「最近の若者が口にする愚痴」と全く同じで、「時代のせい」「国のせい」にしている様子が感じられたからです。

私はそれが「間違いだ」とご指摘申し上げました。


それに対する、今回のあなたの「反論」は以下の2点かと思われます。

1>いつも時代の個人が頑張らばないといけないのは、成人している大人なら誰でも知っている(原文ママ)

「いつの時代も個人が頑張らないといけないのは、みんな知っている」

というご意見は、1番発言でのあなたのご意見である、

「今は国が夢をかなえてはくれません!個人で頑張るしかない!」

という意見と、真っ向から矛盾はしませんか?


2>高度経済成長の時代はただ会社に長く務めているだけの人も暮らしに良い変化が次々に起こった

これ、良い事なんですか?これがあなたの言う「夢」ですか?
むしろこれじゃ、「全く夢がない」んじゃないですか?^_^;


誤字の多さから見ても、相当急いで「反論」を書かれたのではないかと推測します。

慌てることはありませんから、「反射的な反論」ではなく、もっときっちりと筋の通った、「あなたの意見」を聞かせて下さい。

よろしくお願い致します。


ちなみに、私の意見は「時代のせい」でもなければ、「国のせい」でもない、というものです。

もう一歩進めて申し上げると、私は「夢」が矮小化したり、その逆に「壮大」に装飾され過ぎた結果、「夢に現実味が感じられない人が増えた」のは、「教育のせい」だと考えています。
周囲でご覧になっていらっしゃる方は、上記の2つのURLを詳しく見ることまではしないと思いますので、少し解説致します。

「高度経済成長」…日本の高度経済成長は上記URLには「1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月まで」と記されています。
「終わり」が明示されているのは、1973年秋に「オイルショック」が起こったからでしょう。

「3種の神器」…テレビ・洗濯機・冷蔵庫という3つの家電製品は「三種の神器」と呼ばれ、「日本人の生活向上のしるし」と言われましたが、これらの普及が進んだのは、1960年代です。

高度経済成長時代には、「東京オリンピック(1964年)」「大阪万博(1970年)」「札幌オリンピック(1972年)」といった経済成長を象徴するイベントがあり、それに合わせて「東海道新幹線開通(1964年)」「首都高速道路開通(1962年から順次)」といった交通網も整備され、日本のGDPが世界第二位になったのも1968年です。

しかし、日本経済の先行きに暗雲が見え始めた1973年の時点での、円・ドル為替レートは、最高でも「1ドル=260円」であり、オイルショック後には「1ドル=300円」に戻っています。

この後数年かけて、円高が進行し、「1ドル=200円未満」になりますが、これは「不況」が進んだためであって、KAZ1117さんが言うような「経済成長」のためではありません。

この円・ドルレートが現在のものに近い水準まで来るのは1985年頃で、一気に「1ドル=120円」まで円高になりました。
この現象は、当時は「円高不況」と呼ばれました。決して「夢のある話」ではなかったのです。

そしてKAZ1117さんが書かれた「1ドル=80円」というのは、「バブル崩壊」に伴う「大不況」の最中で起こったことです。とても「夢」だとかなんだとか言っている場合ではない状況でした。


このご説明で、私がKAZ1117さんの御意見の「何に問題を感じたのか」が、周囲のみなさんにもご理解頂けたでしょうか。
>>[10]

>夢なんかすぐ捨てろ!
>やりたくないことをやるのが社会!
>それがジャングルや!

は、僕が最初に引用した文の文頭にある

> 「基本、夢なんか叶わへん」 そうやってテレビの大人が言うとかんと。

に対応していて、へなへなした気持ちで(ただやりたいことだけを願望として)持っているような夢なら捨ててしまえ。そんな(ただの願望でしかない)夢を持ってジャングルに入ってくるなと言おうとされているのだろうと思います。

というわけで、僕にはこの人の言っていることがブレているとは思えませんでした。
 
>>[11]

> サッカーの本田選手を含めて、「小中学生の頃の作文」を持ち出
> してきて、
> 「成功する人たちは、やっぱり子供の頃から夢を持ってい
>   て、それを実現しているんだ」
>          ↓
> 『だから』「夢を持つことは大切」
>          ↓
> 「夢さえ持てば、成功できる」
> みたいなおかしな論理を信じるのは、「子供」ではなく、「大
> 人」だけだと思うんですよね。^_^;

この矢印の三番目にある「夢さえ持てば、成功できる」という主張は、この筆者はされていなかったように思いますが違いましたか?

むしろ、全体を読むと
  『だから』「夢を持つことは大切」
         ↓
  ただし、その夢は簡単なことでは実現しない
  そのほとんどは失敗に終わっている
         ↓
  ただやりたいことだけを願望として持っているような夢なら捨ててしまえ
と主張されているように僕には思えています。
 
>>[17]

>夢なんかすぐ捨てろ!
>やりたくないことをやるのが社会!
>それがジャングルや!

この人は、
「やりたくないことをやる場」=「社会」=「ジャングル」
と言っているのですよね。

そして、その「社会」というのは、

>「そういったところに送りこまないかん大人側」

と言っているわけですから、「わざわざ好き好んで探検に行く場」ではなく、「社会人になったら、誰もが入って行かなければいけない場」なわけですよ。

つまり、この人は「ジャングル」なんて大層な言い回しを使ってますけど、言っていることは、「そこらの説教オヤジ」と同じなわけです。

Hiroさんは拡大解釈して(あるいは好意的に見過ぎて)、「生半可な気持ちで夢など持つな」=「夢を持つなら覚悟を決めて持て」と言っていると解釈されているようですが、少なくともこの一連の発言の中では、本当に「夢なんか持つな。堅実にちまちまと働け」としか言っていないのですよ。
>>[18]

>> サッカーの本田選手を含めて、「小中学生の頃の作文」を持ち出
>> してきて、
>> 「成功する人たちは、やっぱり子供の頃から夢を持ってい
>>   て、それを実現しているんだ」
>>          ↓
>> 『だから』「夢を持つことは大切」
>>          ↓
>> 「夢さえ持てば、成功できる」
>> みたいなおかしな論理を信じるのは、「子供」ではなく、「大
>> 人」だけだと思うんですよね。^_^;
>
>この矢印の三番目にある「夢さえ持てば、成功できる」という主張は、この筆者はされていなかった
>ように思いますが違いましたか?

この発言中で、「みたいなおかしな論理」を言っているのが、この芸人さんだとは全く書いていません。


>「小中学生の頃の作文」を持ち出してきて…

というのは、先頃からサッカーの本田選手やらゴルフの石川遼選手やら、誰やら誰やらが「小中学校で書いた作文」を次々に紹介して、「やっぱり大成する人は子供の頃から違う」なんてコメントしているニュースが続々と報じられていましたよね。

あれのことを言っています。

この芸人さんは、このような発言をしたのも、それが背景にあるんじゃないかと推測したわけです。

この芸人さんは、そういう論理とか風潮を、批判している側です。


そして私が問題にしたのは、「言うとくぞ、『子供』」というところですよ。

これは、「言うとくぞ、マスコミ」とか、「言うとくぞ、甘ちゃんの親」とかじゃなきゃダメなんじゃないかと。
>>[20]

この話は、
  「夢さえ持てば、成功できる」みたいなおかしな論理を信じるのは誰か
     (子供か、若者か、大人か、老人か、・・・)
  「夢さえ持てば、成功できる」みたいなおかしな論理を言っているのは誰か
     (マスコミか、政治家か、親か、・・・)
  そういうことを批判する人は誰か
  そういうことを批判する人の矛先は誰か
ということを全て丁寧に整理して考えないといけないということですね。
 
>>[21]

その通りだと思います。

「子供に夢に関して語ったり説教したがったりする大人」の立ち位置が「数通り」に分類できて、この芸人さんは単に「その中の1つの立ち位置」に立っているに過ぎないような気がします。
↑「数通り」と書くと、「かずどおり」なのか「すうとおり」なのか、分かりませんね。^_^;

ここは「すうとおり」と読んで、「何通りかに分類できる」という意味です。
>>[20]
>この芸人さんは、そういう論理とか風潮を、批判している側です。

この前提に立つなら、「言うとくぞ、『子供』」などの部分は世間の安易な風潮に対して敢えて極端な逆風を演じることで、安易なことばかり言う人々に当て付けていると解釈することはできないでしょうか。

『夢という話題について「安易さ」を説く声と「難しさ」を説く声の双方があるとしたら、その声のバランスが「安易さ」側に傾いているから、ここは一発「厳しさ」側の意見もメディアに載せてバランスをとっておこう』

理不尽に言い切りすぎている部分については、このように解釈すれば役割演技の一環としてとらえることも可能です。

そもそもお笑い番組の中で「腹立つ芸人」として呼ばれた小籔さんには「怒ってみせる」という役割が芸として期待されていましたし、言葉が極端すぎて突っ込みどころが満載な部分があるのもそれこそ「芸の内」ではないかと思います。

論理的一貫性というのは数ある言葉の役割のうちの一部分にすぎませんから、言い過ぎている部分があってもその指標だけで目くじらを立てようとは思いませんでした。

ここで発揮されたのは、主に芸人としての「怒り芸」の部分ですし、世間に向けての訴えかけという部分は「ついで」で乗せたプラスアルファの要素でしょう。

お笑い番組の流れの中で「ついで」で起こった発言にしては効果的な指摘だったと私は共感しました。

実際ネット上にも(このトピックを含め)賛否両論が起きましたし、世間の人がこうしたことを考え直す良いきっかけになっていますよね。
>>[24]

>解釈することはできないでしょうか。

解釈することができるかどうか、それは既に私がご説明した通りです。

細かいところまで良く読むと、そういう解釈は成り立たないということは、既に書きました。


「人の言うことを良く読まない、良く聞かないで、「雰囲気」で読んだり聞いたりしてしまう姿勢も、あなたが言う「安易な姿勢」なのではないでしょうか?


>論理的一貫性というのは数ある言葉の役割のうちの一部分にすぎません

全く違いますね。

「論理的一貫性」は、「言葉の役割」ではありませんよ。

「1人の人間としての信用に関わる、重要な問題」です。

単に「言葉が足りない」というのとは、全く意味が違います。
>>[25]
これまでの書き込みを見ても私の見解は変わりませんが、このやりとりを通じてそちらのお立場は理解しました。
それぞれの立場で己の思うように生きていきましょう。
具体的な指摘をしてなかったので一つだけ。

>Hiroさんは拡大解釈して(あるいは好意的に見過ぎて)、「生半可な気持ちで夢など持つな」=「夢を持つなら覚悟を決めて持て」と言っていると解釈されているようですが 、少なくともこの一連の発言の中では、本当に「夢なんか持つな。堅実にちまちまと働け」としか言っていないのですよ。

とありましたが、私の見解はここで拡大解釈として挙げられているものに近いです。

私は、こうした解釈の違いが「本当は〜」という風に片側のみに断じきれるものとは思いません。
世の中には双方の解釈が混在しており、誰かの権限でその解釈を一意的に限定していくことはできないものだと考えます。

どちらの解釈にシンパシーを覚えるかは人それぞれ立場によって違うでしょうから、よって立つ立場の多様性さえ確認できれば、それだけでもこのトピックは十分に意義があったのではないかと思われます。
>>[26][27] Mr.バチコーンさん

うーん。^_^;

>それぞれの立場で己の思うように生きていきましょう。(26)

と書かれた直後に、

>具体的な指摘をしてなかったので一つだけ。
(中略)
>私の見解はここで拡大解釈として挙げられているものに近いです。(27)

って書いちゃうというのは、「いい加減すぎる」と思うのですが…。(汗)

こういうことを書きながら、

>これまでの書き込みを見ても私の見解は変わりませんが(26)

と書かれても、「ホントにちゃんと今までの書き込みを見たのかな?」という疑問は晴れませんよ。^_^;


そもそも、最初のバチコーンさんのご発言(2)からして、私の目から見ると「不思議なこと」の連続でした。

「打算で夢を語るな」 「夢の呪縛」

この2つは、外部のブログに誘導するURLが付記されていましたが、私は「外部のブログに誘導する」やり方には乗りません。そういう方は、他にも多いんじゃないでしょうか?

「エサをぶら下げて、アフィリエイトの収入に誘導する」という手合いは、掃いて捨てるほどいますからね。

しかし、その後バチコーンさんのMixiアカウントを見ると、全く同じタイトルの「日記」が上げられているじゃないですか。(笑)
なんで初めからそっちのURLを付記しないのですか?

そこで、「夢の呪縛」という日記を拝見すると、

>眠っているときに見る「夢」という言葉が「いつか実現したい理想」や「将来の願望」などを
>意味するようになったのは、「dream」の訳語として「夢」が当てはめられた明治以降のこと。

と書かれていました。

これには私も感心しまして、「ふーん、この人は博学だなぁ…」と一瞬感心したのですが、「出典は何だろう?」と思って、wikipediaを見てみると、

>wikipedia「夢」
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2

>夢という語は、将来実現させたいと思っていることも指す。 日本語のこのような意味で「夢」を表す
>のは比較的新しく、明治時代に「Dream」の訳語として出てきたのが広義の願望などといった例にも
>適用された表現である[要出典]。

いやいやいや…、wikipediaにも「要出典」って書いてあるじゃないですか。^_^;

wikipediaでも出典を探しているような知識に関して、バチコーンさんはその出典をご存じなんですか?

もしご存じならば、是非wikipediaに教えてあげて下さいよ。

もし出典をご存じないのならば、「明治時代以降のこと」なんて偉そうに断言しちゃダメです。^_^;


2番発言の冒頭で、バチコーンさんはこう書かれています。

>小籔さんの言動には大変共感しました。

この時点では、はっきりと「共感した」のですよね。

ところが、それが24番発言では、

>解釈することはできないでしょうか。

と、「良く読みもしないで、勝手に解釈した」と、大幅に後退している。

しかしそれに対して私が25番発言で、

>細かいところまで良く読むと、そういう解釈は成り立たない

と「反論」したことに対して、バチコーンさんは26番発言では、

>これまでの書き込みを見ても私の見解は変わりません

と書かれました。


こうやって時系列に沿ってバチコーンさんの御発言を並べてみると、この「これまでの書き込みを見ても」と仰っているのが、どう見ても「信じられ」ません。

本当に、私が「なぜそういう解釈が成り立たないのか」を説明した文章を、よくお読みになって「反論」されたのでしょうか?

そして、この「疑問」は、27番発言で「確信」に変わります。

>私の見解はここで拡大解釈として挙げられているものに近いです。

これって要するに、「本文をきちんと読まないで、あとがきだけ読んで読書感想文を書く」というのに、近いんじゃないですか?^_^;

(続く)
>私は、こうした解釈の違いが「本当は〜」という風に片側のみに断じきれるものとは思いません。

バチコーンさんは「解釈の違いだ」というところに落とし込もうとしていらっしゃるようですが、「あとがきだけしか読まない人」が、「細かいところまでよく読み込んでいる人」と、「解釈の違い」を論じ合っても良いものなのでしょうか?


私が4番発言で書いた、「何かみんな騙されているんじゃないか」というのは、まさにバチコーンさんにも当てはまるかと思います。


人が言っていることを「斜め読み」して、「なんとなく」でそれを受け止める。

そしてその内容を、「相手が言おうとしていること」ではなく、「自分の固定観念に落とし込む」ことによって「理解」(本当は誤解)しようとする。

そういう人が増えてきているから、この芸人さんのように、「なんとなく正論っぽいこと」を口にしてごまかすやり方が横行するのですよ。

この芸人さんが言っていることが「ブレまくっている」ということが、私の「解説」を読んでも理解できないという人は、ぴーちゃんさんの「もっと詳しい解説」を良く読んで下さい。^_^;

長いけど。(笑)
なぜ「みんな騙されている」と思うのか、それをちょっとまとめてみたいと思います。

まず、この芸人さんの「夢がかなう」とか「成功」という言葉の「定義」ですが、それはここに表れていると考えられます。

>テレビ出とるスター、大金持ち、みんな夢叶っとるから言うとんねん。
>稀やこんなん。

>NSC7期、殆ど売れてない。屍だらけ。
>ということは、夢なんて叶わない。

要するに、この芸人さんの言う、「成功」とか「夢がかなう」というのは、「金に象徴されるもの」なんですよ。

私は、この時点で既に「矮小だ」と感じてしまうのですが、みなさんはどう思われますか?


この芸人さんが言うことは、この直後からいきなり矛盾し始めます。

>あの人は死ぬほど努力して、死ぬほど周りの人に助けてもらって、いろんな人から勝ち上がって、
>それでやっと夢叶ってんねん。

さっきは、

>夢なんか、言うとくぞ子供。絶ッッ対叶わんからな。

と言っていたわけです。さっきは「絶ッッ対かなわない」と言っていたのが、その舌の根も乾かないうちに、「死ぬほど努力して、死ぬほど周囲の応援が得られて、勝ち上がることができれば、夢はかなう」と、正反対のことを言う。

良いんですか?これで?^_^;

(続く)
>社会なんてジャングルやから

私は、「ジャングルだから楽しいんじゃないか」と書きました。

しかし、この芸人さんが言う「ジャングル」は、私が考えるような「冒険に行くようなところ」という意味ではなく、「生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの、コワイ世界」という程度の意味のようです。^_^;

>「ジャングルめっちゃええとこやで〜。凄い快適やで〜」って言ってたら、
>子供は何の準備もせんとパンツと靴下だけもって「じゃあ行こか」ってなんねん。

そうはなりませんよ。^_^;
だって、どんなに快適だって言われても、「ジャングル」に変わりはないんだもん。^_^;

この芸人さんが、どれだけ「言葉というものをいい加減に使っているか」の現れだと思います。

ここで使っている「ジャングル」という言葉は、もちろん「比喩」です。
文章の中で「比喩」を使う場合は、「自分はどういうイメージをその言葉に込めているのか」を、明確にしなければなりません。そうでなければ、「比喩」は成り立たないのです。

しかし、この芸人さんは、自分から言い出した「比喩」の「定義」を、コロコロと変える。^_^;


>ホンマに努力して、自分を鍛えて、勉強して、いろんな準備をしてから社会に行けよ

この文で「騙された」人も多いようです。

この文だけを採りあげて見ると、「努力、鍛練、勉強、準備」によって、「夢はかなう」と言っているかのように見える。

しかし、「雰囲気で読む」のは危険です。

だって、この文の直後に、この芸人さんは再びこう言っています。

>それをアホみたいに「夢は叶う」って……アホか!

この芸人さんの言う通りだとすれば、やっぱり「夢はかなわない」のです。^_^;
そして、この芸人さんの「結論」は、こうなります。

>夢なんかすぐ捨てろ!
>やりたくないことをやるのが社会!
>それがジャングルや!

文末に「まとめ」として、「結論」が来るのは、ごく当たり前の文章表現です。
ましてや「文章」ではなく「会話」なのですから、「倒置法」だのなんだのという「技巧」は、通常は使われていないと考えるものです。

ですから、この場合は、これが「結論」だと判断するのが妥当でしょう。

この「結論」で、この芸人さんは、先ほどから自分が使っている「ジャングル」という言葉は、イコール「社会」であること、「ジャングル=社会」というのは「やりたくないことをやるもの」だということを、断言しているのです。

これはまさに、「説教好きの、万年平社員の、リーマンオヤジ」の、「居酒屋でのグチまじりの説教」そのものじゃないですか。(笑)

「大それた夢なんか持つな」
「余計なことは考えずに、額に汗して、せっせと働け」
「やりたくないことを、我慢してやるのが社会人」
「上の人間の言うことには逆らうな」

そういうのと、同じでしょう?^_^;

そういうのって、たいていは「説教」の形を借りた、「自分自身への言い聞かせ」であり、「自分自身のグチ」に他ならないですよね?^_^;

そういう「説教オヤジ」に、みなさんは「夢」を感じますか?

この芸人さんも、要するに「説教オヤジ」なんですよ。^_^;
売れたい、でも売れない、グチの一つも言いたくなる。それなんですよ。^_^;
「説教」のふりして、実は自分自身に言っている、自分自身のグチなんです。

つまり、この芸人さん自身に、「夢がない」のです。
これは、この芸人さん自身の「夢」や「成功」の定義が「要するに金」であることから考えても、そうとしか考えられないのではないでしょうか?

「夢がない人」が、みなさんが「勝手に解釈した」ように、「逆説的な言い方で、子供に夢というものを語っている」と考えるのは、果たして妥当でしょうか?

私の目から見ると、その解釈は「固定観念をもとにした、単なる妄想」だとしか思えません。


「芸としてそう見せているのだ」という意見もありましたが、「芸」というのは「観客に伝わってこそ意味があるもの」です。

この芸人さんは、冒頭から「夢=金」という視点を見せています。

ですから、この芸人さんが言っていることがもし「芸」だとしたら、それが伝わる観客というのは、「そうだ、その通りだ。夢=金だ」と考えている人だけだということになります。

また、その結果伝わるべき「芸」というのは、まさに私が上に書いた通り、「説教オヤジのグチ」として受け止めるということなんじゃないでしょうか?
これが「芸」だとしたら、この芸人さんは「説教オヤジを演じている」ってことになるんですから。


みなさんは、ホントに「夢=金」だとお考えなのですか?
私には「夢=金」という考え方こそ、「夢がない」としか思えないのですが…。

この芸人に同調するということは、このように「自分も『夢=金』だと考えてます」と言っているのと同じことになっちゃうんじゃないでしょうか?
良いんですか?それで?^_^;
>>[35]
会話の中では、話している途中に他のことを思い付いたり、勢いで話している中で複数の意図が混在してしまうこと(つまりブレ)は、むしろ日常で自然に起きている現象かと思います。

つじつまの合わない言葉の中からは、好意的に受けとめられる解釈と、そうでない解釈とが両方引き出せる場合があります。

私自身は、会話の中でのつじつまなんてそんなものだと感じていますので、建設的なものとして活かすことができる解釈の方をわざと選ぶこともあります。

ですが、同じ文面にどんな価値観を投影するかは人それぞれですので、「字面通りの意図しか認めない」「会話においてもつじつまのあった言葉づかいをすべき」という方が 「この言い方だとあなたの意図はこういうことになる」と解釈されることについては原理的に止めようがありません 。

この小籔さんの言葉に共感された方は、「おやじの説教」や「夢=金」という価値観に同意したとみなされる可能性を覚悟する必要があるでしょう。

私はそのリスクをとった上で「共感します」とコメントしました。

つまり、それでいいんです。
>>[37]

>会話の中では、話している途中に他のことを思い付いたり、勢いで話している中で複数の意図が
>混在してしまうこと(つまりブレ)は、むしろ日常で自然に起きている現象かと思います。

もちろんその通りです。

しかし、その「ブレ」に対して「姿勢を正して質問が出た場合」に、きちんとした返答を返さずに、「それで良いんです」という一言で返すというのは、「はなはだしく不誠実な対応」であると言わざるを得ません。

いったい、あなた達が良く口にする「建設的」というのは、どういう意味なのでしょうか?

「議論をより深めるために、お互いの立ち位置を明確にするための質問」に対して、全く返答を返さないという姿勢は、私の目から見ると「最も非建設的な姿勢」に見えるのですが…。^_^;
いわゆる「言いっぱなし」にしか見えません。^_^;


バチコーンさんは、

・自分は「夢=金」だと考えていると思われても仕方ない

と、はっきりと明言されたわけですが、今までのやり取りを総合して見ると、これは「そう受け止められても仕方がない」というよりも、「確かに自分は『夢=金』だと考えています」と宣言しているに等しいように見受けられます。


そう受け止めた上で、反論します。

(続く)
(続き)

バチコーンさんが、ご自身の日記で書かれていることは、全くの「自己矛盾」です。

日記でのバチコーンさんの論理展開は、以下の通りです。

1>「あきらめなければ夢はきっと叶う」といった甘いメッセージが、影響を受けやすい子ども達に
 >向けてあまりにも無造作に垂れ流されている現状が、問題であると、この芸人は言っている。

2>「絶対叶わなん」「基本、夢なんか叶わん」などと極端な言い方を選んだのは、「夢は叶う」と
 >安易に言い過ぎる世の中の軽々しい風潮に敢えて逆らってバランスを取るためだ。

3>言葉尻をとらえて「その言い方は正しくない」などとあら探しに終始するだけの言語観は、
 >○か×かをジャッジすることでしか世界をとらえられない子どもの見方と言えます。

4>そもそも言葉の役割とは、物事を正しく言い表すことなんかではなく、人の心を説得することだ。
 >「正しいか正しくないか」ではなく「子ども達をどう説得していくべきか」という視点で考えるべきだ。


3において、バチコーンさんは「子供達は○、×でとらえるものだ」と明言されています。

ということは、2で言っている「バランスをとる」というのは、どういう意味になりますか?

「ある子供は○だと思い、ある子供は×だと思う」という結果になりますよね?

しかしそれでは、当然のことながら、「子供にバランスのとれた考え方を教える」という当初の目的は達成されず、その逆に「○派と×派の両極端の子供に二分される」という結果にしかなりません。
こういう状態を、通常は逆に、「アンバランスになった」と言うのではないでしょうか?

それではダメでしょう。^_^;
「ほとんど全ての(あるいは、多くの)子供が、両極端に行かない」という結果にならなければ、「バランスがとれた」とは言えない。^_^;

つまり、1の問題に対する対処法として、2を選んだ時点で、この芸人さんは「子供のことが分かってない」のです。^_^;

それはなぜかというと、私が既に申し上げた通り、この芸人さんは「子供の視線など、初めから全く考えておらず、大人受けだけを狙っている」からです。

そう考えれば、「ええか、子供!」という呼びかけが何を意図したものかも、自ずから分かってくるでしょう。

そうです。「大人からの反発」を避けるために、わざと対象を「子供」にして見せただけなのです。
これは「フェイク」なのですよ。たぶん。^_^;

「素人さん達」が、このフェイクにだまされたとしても、そこに罪はないでしょう。
しかし、「教育のプロ」であるバチコーンさんが、しかも「子供は○×で物事をとらえるものだ」ということまで熟知されたバチコーンさんまでもが、あっさりだまされるということは、どうなんでしょうか?^_^;


4でバチコーンさんご自身が言っているように、「人の心を説得する」ためには、まず最初に「対象がどういう受け止め方をするか」を調べなければいけない。
この点において、現状の「公立学校の教育」は全て「外している」のです。

だって、「大人だけで集まって、不毛な話し合いを繰り返している」のですもの。^_^;
「子供の、大人による、大人のための教育」になっちゃっているわけです。^_^;

この芸人さんの発言は、こういう姿勢を正確にトレースしているのですよ。^_^;
それはなぜか?
この芸人さんは別に「教師になる訓練を受けた」わけではない。
しかし、結果的に「教師が良く口にするような屁理屈」を、この素人さんが平然と口にしているわけです。

これは、「負の教育効果」だとは考えられませんか?

・本質的な高度な知識は持っていない。
・しかし、表向き「一丁前」なことは語りたがる。
・その間違いを指摘されたときの、「逃げ口上」だけは、恐ろしく鮮やか。(に見える)^_^;
・しかし、ちょっとつつかれると、すぐにボロが出る。

こういう「最近の若者達の姿勢」(若者と言っても、40代前半まで分布している)を、この芸人さんは公共の電波を通じて、見事に見せてくれたわけです。
そして、それを支持した人達も、また然り。^_^;

これらは、全て「公立学校の教育」を通じて、、教師によって「お手本」が示された結果だと思っています。

この「公立学校の教育の姿勢」を、バチコーンさんのご発言を見て、再確認させて頂きました。

バチコーンさんは、「子供のものの見方、とらえ方」を熟知しているのに、でも結論は「大人による、大人のための教育」に持って行っちゃうのですからね。^_^;

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