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こどもの教育コミュの結局、競争で勝つことを最終目的とする大学受験で・・・

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こんな記事をみつけました。

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2012年10月12日金曜日
日本の産業が活性化しないのはナゼか?
日本の産業が活性化しないのは、結局、競争で勝つことを最終目的とする大学受験ですり込まれたひとが、会社幹部の中枢を占めるようになったからなのではなかろうか。。。

大学での教育ではなくて、入試競争でかつこと目的化しているように思う。
米国では、高校等にキャリアの相談担当がいたり、高給をはらってそういう相談をする専門家もいる。が、日本では、大学入試が出来れば良いので、入試のテクニックを教え、テストの偏差値を上げることが、目的関数化しているように思う。

それが、当たり前になった人が、会社を動かすので、以下のようなことがおきるのではなかろうか。(かなりシニカルに強調して書いており、特定の個人などを批判しているわけではありません。)

おきていること)
1) 事業を優位に進めるには、時には、流通系を変え、法律までかえるというルールの変更が必要だと思うが、競争の場合、ルールは従うものであり、変えるものではない。競争をしようとすると、ルールを変えて、自分に有利な世界に持ち込むという発想に至れない。

2) 競争なので、横並びで同じものを作って勝つことに意味がある。自社の利益を最大化するよりも、他者と同じ土俵で戦って勝つことが嬉しい。当然、寡頭競争になり、利益率を下げ、社員には短い開発期間・少ない開発コストという苦痛がかかる。また、製品数が絞り込めず、利益率もあがらない。

3) 社内でも競争を続ける。出世競争である。顧客指向の製品開発よりも、社内での評価が優先になり、内向きになっていく。お客さんや現場を訪問するよりも、社内で会議をしたり、報告をすることに時間を費やす。社内競争で勝てば、ご褒美がやってくる。

ご褒美として、社員が、観光客に混じってエコノミーで資料をつくりながら学会発表に望んでいるのに、お付き添いと称して、別に技術議論をするわけでも無いのに、自分はビジネスクラスで酒をのみつつご褒美出張ということを、やっても平気な感覚になっていく。

シリコンバレーとの違い)
米国のStanford大学が、産業を生み出す母体として機能しているのは、以下に書いた。

2012年10月12日金曜日: 大学の役割とは?

東大医学部は機能しているのか)
以下に書いた。
2012年10月12日金曜日: 東大医学部って何のためにあるの??

対策)
一番有効なのは、電子環境を利用して、東大でもどこでも、全員入学可能似してしまえば良いと思う。そして、web授業で採点して、成績が不足している学生をどんどん退学させればよい。(以下に書いた)

日本人のほとんどが、東大中退になれば、東大に入るというネームバリューもへり受験戦争も緩和されるのではなかろうか。。東大卒の看板で生きているひとは、猛反対するだろうが、本当に実力があれば、卒業すると言うことが、むしろ実力の証明になると思う。

実際、米国の州立大学は、SATという共通テストと、高校での内申(GPA)で入学させており、かなり定員より多めにとる。GPAは学校毎に付けているので、平均学力が低い学校なら良い点を取りやすい。そのため、1年生の最初には結構学生がいるが、2学期になると学力のたらない生徒とがやめたり転学して、ぐっと人数が減るようである。転校がしやすいのも、大学をネームバリューだけでなく、実質的な内容の伴うものにしていると思う。
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出典: http://iphonedays-satoshi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_4437.html

コメント(9)

東大なんて、別にそんなテクニックに走らなくたって受かると思うけれど…ウッシッシ

あそこは基礎基本をしっかりやっていれば、ほぼ例題だけしかやらなくても合格できる学校だから。

それに、法律やルールを変えようとしたときに一番抵抗するのは、むしろ末端にいる人たちであって、「競争」を勝ち抜いた人は逆に、おかしなルールなんざ変えてしまえ、という人が多いと感じるんですけどね。
実際のところ、「受験戦争」というものが存在するとしたら、それはいわゆる上位校ではなく中堅校以下で存在するのではないかなぁ?

このコミュでも似たような話は何度も出ていますが。


上位の子たちはむしろ伸び伸びと勉強を楽しんでいるし、自由な発想で色んな解法を編み出している。

ありもしないルールに縛られ、その手順をコピーすることが勉強だと思っている子たちは、結局、せいぜい中の上から上の下くらいにしかならないのでは。

既存のやり方をトレースしてばかりいる人は、結局、競争しても負けていると思うんですけどね。

現在の日本においても、「受験戦争に勝ってやる」とか言ってる時点で既に負け組の発想だなぁ…と思ってしまいます。

スタートの時点で既に周回遅れになっているなあと。

このへんの、そもそもの発想の違いが、「越えられない壁」というものと関係してるんじゃないかなとか。
>>[2]さん

> ありもしないルールに縛られ、その手順をコピーすることが勉強だと
> 思っている子たちは、結局、せいぜい中の上から上の下くらいにしか
> ならない

そういう子たちが「(多くの)会社幹部の中枢を占めるようになった」ということが起きているのかどうかを確かめる必要がありそうですね。
 
競争で勝つための教育のせいかどうかわかりませんが


「個人力の日本、団体力のイタリア?」
http://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/
〜非常に面白かったのはその中で、日本人ほど哲学とか倫理観とか教育レベルとかそういったことの個人の力が高い国というのは、僕は今まで経験したことがなかったのです。ところが、そういう人たちを5人以上集めると、幼稚園みたいなもんでまるでまとまらない。〜


ということが確かにあるのかもしれません。
>>[4]

とても素晴らしいページのご紹介ありがとうございます。
引用してもらった文章の続きに書かれている
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イタリアの方がよっぽどまとまる、アメリカの方がよっぽどまとまるという現実に気がつきまして、ひょっとして日本って団体力ないんじゃないの?っていうことになり、僕の今までの仮説が逆転しました。皆さん何となく思い当たる節があるんじゃないかと。飲み屋に行くとすごいこと言うんです。仕事終わるとすごいこと言うんです。仕事の最中は黙って何も言わないですね。黙って何も言わないくせに何も考えてないかっていうと、当てると皆さんすばらしいこと言うんです。僕はそれは卑怯だと思いまして、自分が考えていることを、その場で決められた時間の中で他の人とシェアしないのはプロとして犯罪に近いと考えています。イタリアでそれをやると二度と会議に呼ばれません。ところが日本はそれをやって、黙っている方が会議に呼ばれるという、これは悪しき慣習だと思います。

面白いのは日本の議論の仕方っていうのが、何かと個人攻撃になってしまうこと。これは日本の言葉の作りっていうものがどうしても目上とか目下とか、男性とか女性とか、自分の相手に対する相対的な位置を示す感情を表す言葉があるのに対して、英語とかイタリア語っていうのは非常に少ない言葉で情報の内容を的確に相手に伝える言語の作りなんです。だから、誰が何を言うかってことは重要なじゃなくて、その話の内容の方が重要だって順序になってる。だから日本語で、実は個人攻撃にならない議論の仕方というのは非常に高度な議論力が要るというふうに思います。僕はこれを小学校で教えられなかったので、社会人になって必死の思いでイタリアで勉強しました、議論の仕方というのを。この「議論の仕方」をひとつの技術として、僕らは学ばなくちゃいけないんだなってつくづく思いました。
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についても、なるほどなぁと思いました。
僕もアメリカに四年ほどいましたし、その後も海外の学会の委員会などに参加しており、そんな中で日本との差を歴然と感じています。
 
このトピックの冒頭で紹介した文章を書いたひとも
http://www.blogger.com/profile/16749032270352376966
を見ればわかりますが、今アメリカのシリコンバレーで仕事をしている方なんですね。
そういう経験からの言葉だと思います。
  
ところで・・・
 
この5番のコメントで引用した文章の中に書かれている

  > 僕はこれを小学校で教えられなかったので、社会人になって必死の
  > 思いでイタリアで勉強しました、議論の仕方というのを。
  > この「議論の仕方」をひとつの技術として、僕らは学ばなくちゃい
  > けないんだなってつくづく思いました。

ということ、大事なポイントだと思いました。

これからの時代を考えると、やはり日本人が「議論の仕方」をどう身につけるか、こども時代の教育から真剣に取り組まないといけないことなんだと思います。
 
  
日本では小さいこども時代に、難しい事を先生から教えられ、何故?と言う発言に応えてもらえません。

保育園では
0歳こども三人に一人の保育士
1歳・2歳こども六人に一人の保育士
3歳こども20人に一人の保育士
4歳・5歳こども30人一人の保育士

各年齢に一割まで増やしても可能。
障がい児は認定をもらうまで、加配保育士を配置出来ない。障がいによっても異なるが加配保育士は10時〜16時の間のお金しかおりてこない。

つまり、こどもの声を聞くより、いかにこどもを同じ方向に持って行き、統一感を持たないと、クラスの崩壊が生じるという状況である。

幼稚園は保育園より教諭一人に対してこどもの人数は少なく、小学校も低学年は少なかったと記憶しています。

アメリカやイギリスでは、約倍の保育士や教諭が付きます。
行事も日本の様にはありません。

最近、保護者から公共交通機関を使った遠足を求められます。ルールを教えて欲しい云々・・・

家庭で教えるべきものが全て幼児教育機関に委ねられます。

自分の意見を言う環境は残念ながら芽を摘まれている状況です。

言うこどもは、少し浮いています。残念ですが。
いわゆる「良い子」ではなくて「言うことをきかない子」を目指そうwバンザイ
>にゃーさん

「大人にとって都合がよい子」ではなく「自分で判断し、行動できる子」を目指そうという意味でなら賛成です。

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