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こどもの教育コミュのこどもの習い事について・・・・

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以前違うトピックにそれらしきこと(絵が云々〜)を書いていましたが、
改めて、こちらにトピックを作りました。皆様どうぞ宜しくお願い致します。

もちろん習い事には後の教育に繋がるのもありますが、そうでない場合もあります。

子供が習い事を始める理由として、英才教育までは行きませんが、脳の(?)臨界期がらみの、絶対音感や外国語(発音)習得のためや、珠算(暗算)など早期教育(?)の効果が謳われるのもありますが、これらの場合は子供本人の意志ではなく、中には子供本人の自発的なのもあると思いますが、ほとんどは、わけ判らないうちにやらされているという、親のエゴや理想・方針の押しつけが多いのではないでしょうか?あせあせとにかくやらせてみて子供の反応(楽しそうかどうか)をみるとか・・・・・(就学前の習い事の場合)

大人しく座って集中できる子(大人しい子?)と活発に動き回るのが好きな子(活発な子)など、幼い子供の場合は個性によってかなりのばらつきがあり、絵を描く(室内で)のは前者の方ですね〜習い事の内容での向き不向きもあると思います。

最近の習い事としては英語もしくは音楽リトミックや七○式知育というのがありますが、特に七○式知育
式は「波動〜」とか「トンデモ系」なニオイもしますが、もっとも、有名な幼児教育「シュタイナー教育」はもともとソッチ系なのは否めなせんが・・・・・あせあせ

とくに七○式知育は中流以上を対象としているようで、実際に見学してみますとそのように感じました。(数回見学だけで入会しませんでした)
ビジネスマンを対象とした速読術や右脳開発、記憶術等々巷にありますが、その早期潜在能力開発版なのでしょうか、そのような習い事に通わせている親御さんは、先手必勝(?)小もしくは中学受験を視野に入れているのかしら(?)とも感じました。あせあせ聞くところによると七○式知育→公文→中学受験塾だそうで・・・・なんだか違和感を感じたのですが・・・・勉強に有利になるならそれでよしという考え方もありますが・・・・・。

以上のオーソドックスな習い事からトンデモ系右脳開発など様々な、早期教育方の是非について、実際に学校や塾で子供の教育に携わっている先生方々のご意見を広くお伺いしたいです。








コメント(101)

お返事ありがとうございます。

ええと、携帯からなのでいろいろ引用できないですが…

まず
真理やなんかだとは私はひとことも言っていませんよ。

とりあえず自分の意見を述べる上で、誤解のないように自分で使う言葉を『定義』しただけです。

あと、おっしゃるところの『他の好きなこと(習い事)を見つける』という選択肢は、当然あるべきものと私も思っていますよ。

ええと、またのちほど書き込みします
(^o^;)
続き

丁寧に言葉を選んでいますし、何度も推敲の上、書き込みをしました。また一貫性もありますよ。自分の中で『考えていること、つまり言いたいこと』は一つで、変わらないからです。ピアニスト云々について、詳しくはまた書きますが…。

逆に『辞めてもまたしたくなったらいつでも…』のくだりは、初めから書いていらっしゃいましたか?それこそ後付けのようにポンと出てきた印象を受けました。その時点ですでに『辞めたいなら辞めればいい、ただそれだけだ』という意見とはまた一味違うもののように思います。だって条件付け足されてるじゃないですか!笑

ただ、ここで議論すべきはあくまで内容ですので、記述の仕方に関する揚げ足取りはあまり意味がないように思います
(^_^;)

ところで…、

おっしゃる『エゴ』は私の書いた意見の中にはありません。そう私は思います。なぜかというと、ピアノを(※ここでは一例としてピアノを挙げましたが、別になんの習い事でも良いです)『続けてほしい』とは『思っていない』からです(笑)

続けてほしい、続けさせたい、そう思っていないことが『エゴ』であるとは言えないと思うのですが、いかがですか?

逆にそれを『エゴ』とハッキリおっしゃる理由が、私にはわかりません…
(@_@;)
一言で私の主張をまとめると、

1『つまんないからやめたい。』
2『今はつまらないかも知れないけど、どんなことでも、上手になるには基礎練習って必要なんだよ。それをちょっと我慢して頑張ったら、上手になってもっと楽しくなるよ。』
3『うーん…でもやめる』
4『そっか、ならやめようか』

1と4だけではなく、間に2の提案をしてあげればいいんじゃないか?

ということですよ。(前の文章から、読み取れますよね?大筋はこうですよね。ピアニスト云々の件は大筋ではありません。後述しますが)

で、私の主観かも知れないので、いろんな方の意見をお聞きしたいところですが、

この2の提案ってエゴ(悪いこと)ですか?

私、エゴじゃないかと突っ込みをいただくような主張は全くしていないつもりなんですよ
(^_^;)

それと、完全に余談なので申し訳ないのですが…

攻撃的にまくしたてるだけなら誰にでもできます。ぴーちゃんさんがご自分で気付いていないかも知れませんが、言葉の端々が少々攻撃的ですよ。多くの方に共感いただける自信があります。表現や印象を柔らかくするために、(笑)など使う手法を私は取っています。
上の書き込みを今見ました。

上記の私の書き込みも
『エゴ』のところを『傲慢さ』に置き換えてお読みください。

こどもが知らないことを提案することは、『傲慢さ』にすら当てはまらないように思いますが…
>65

定義云々について、ぴーちゃんさんのおっしゃっていることで、私の記述と相違ないですよ。

『基礎練習は辛い練習かも知れないが、基礎練習があってこそ楽しみが得られる』

というのは正しいです。(これに対してこどもが『間違えている』、ということではありません。こどもは『知らない』。)

※『続けるという判断』が『正しい』ではありません

『判断』という言葉が不適切なのかしら?『知識』なら適切でしょうか。
>65

後半への返信です。

『ぴーちゃんさんの案もあり』というのは、決して『後から出てきたこと』ではないですよ。そもそも違うタイミングの話です。

どういうことかと言うと、習い事についての話をタイミングごとに考えたときに、

1『つまんないからやめたい』
4『そっか、じゃあやめようか』

の間に、なにかしてあげられることがあるんじゃないか?(極端すぎないか?)というのが、そもそも私の主張の発端です。

4のあとにできることは、みなさんいろいろ書いてくださっていますし、私も『こっそりお休み扱いにする』などに賛成する記述をしたかと思います。そしてぴーちゃんさんのおっしゃる『いつでもまたしたくなったら…』というのも、4のあとにできることの1つですね。

私が言った『選択肢』は、1と4の間についてのものですので、4のあとの『選択肢』については、みなさんがいろいろ書いてくださっている案と同様に、ぴーちゃんさんの案に対しても、それもいいと思います、と賛成したまでですよ。後付けではなくて違うタイミングの話です。

これで66への回答にもなっているかと思います。

以下余談(余談多くてすみません…)

ちなみに私は今、ぴーちゃんさんに反論しているわけではありません。私が言いたいこと、主張が、正確に伝わっていないようなので、その修正を試みているだけです。

なんせ私自身、個人的には英才教育、親の過干渉、親の価値観の不必要な押し付けは、とても嫌いです
(^_^;)
(なので当然、ぴーちゃんさんのスタンスに反論するつもりはありません。)

それからぴーちゃんさんは、私の主張に対してのみに限らず、トピック全体の流れを見ても、言葉の使い方や記述の仕方に対して細かく突っ込みを入れていらっしゃるように感じました。ミクシィ上では、私やぴーちゃんさんご自身の文章を含め、完璧な記述などには滅多にお目にかかれませんから、できるだけ、相手が何を主張しようとしているのか、内容のほうを汲み取っていければいいのではないかと思います。

また、前回同じ土俵に上がってしまった私が悪いのですが、『揚げ足取り』とは、直前の私自身の記述を含めて差した言葉ですよ。こっちがされて迷惑だ、とか、屁理屈、とか、そういった記述はご自身の品格を下げかねないと思います。

生意気言って申し訳ないですが…。
>61

非常に興味深く読ませていただきました。

辛い基礎練習を押し付けられなければ嫌にならない、
そもそもピアニスト級を『親が』望まなければ辛い基礎練習など必要ない

これらはとても正しいと思います。

ただ、『辛い』という言葉に対してイメージしている辛さのレベルが、ぴーちゃんさんと私で大きく違うようだと感じました。

私の感覚↓
基礎練習って、別に押し付けられなくても、そこまで辛くなくても、退屈だし面白くないし楽しくない…
(・・;)
(私にはバイエル程度でもつまらなかった。)


『つまんないからやめたい』

こんなイメージで書きました
(^_^;)

でも例えばバイエルなどの練習をしなかったら、ショパンの一番簡単な曲すら弾けませんよね。(趣味で楽しむ域にすら達しない)

だから、『はいじゃあやめよう』の前に、
『そりゃあ基礎練習なんてつまんないもんだよ。でもちょっと我慢して頑張って練習したら、こんな曲も弾けるようになるよ』
など教えてあげられるのでは?
という考えに至ったわけです。

それでも、大人になってからでもできる、と言えばそれは全くその通りです。

ただやはり問題なのが、ピアノなどが、趣味で楽しむ程度の習得にすら、非常に時間を要するものだということです。逆に、早くに始めて少しずつでも続ければ、時間に比例して、深く楽しめる域に達していきます。

そういった事実、メリット・デメリットを子ども本人が知らずにやめたら、やっぱりやっておけば良かったと、大人になってから後悔するかも知れません。(大人になって、練習時間がなかなか取れなかったりすると尚更。)なのでそれらを承知の上で、子ども本人が、今続けるかどうかを選択できるのが一番望ましいと思うわけです。

※ここでも、あくまで親が選択するのではなく、親は事実、メリット・デメリットを教えるだけ。
>68 みていさん

>2『今はつまらないかも知れないけど、どんなことでも、上手になるには
>基礎練習って必要なんだよ。それをちょっと我慢して頑張ったら、上手になって
>もっと楽しくなるよ。』
>
>この2の提案ってエゴ(悪いこと)ですか?

2の提案をすること自体がエゴだとまでは言いませんが、この視点に関して「大人は知っている。子どもは知らない。」と言い切るのは、問題ありだと思いますね。

スポーツにしろ何にしろ、色々な分野において「我慢しない方が伸びる」という事が立証されつつあるようで、仰るところの「最初は我慢が必要」というのは、「旧世代の固定観念」であることが明らかになりつつあるみたいです。

「大人は知っている」ということは、裏を返せば「大人は固定観念にとらわれるが、子どもは自由だ」ということでもあります。
そう考えれば、子どもの視点の方が上だと言うことになりますね。

>攻撃的にまくしたてるだけなら誰にでもできます。ぴーちゃんさんがご自分で
>気付いていないかも知れませんが、言葉の端々が少々攻撃的ですよ。多くの方に
>共感いただける自信があります。表現や印象を柔らかくするために、(笑)など
>使う手法を私は取っています。

これは残念ながら、全くそうは見えません。
みていさんの書き方は「非常に挑発的」に見えます。

例えば文章の最後に「理解していただけるかしら…」なんて余計な一言を付けるというのは、「普通」は挑発的目的で使われますよね。
しかも、それに対してぴーちゃんさんは正確に「それ、挑発ですか?」と言わぬばかりの反応をしているじゃないですか?

それを見た上で、なお、「挑発的なのはぴーちゃん、自分は柔らか・穏やか」だと御主張なされるというのは、客観的に見ておかしく感じられます。

あるいは、

>ぴーちゃんさんがご自分で気付いていないかも知れませんが

と書くだけで、「非常に多くの方」は、「上から目線」に感じたり、その結果「失礼な言い方だ」と感じたりするんじゃないでしょうか?

だって「あなたは気付いていない→私は気付いている→だから自分の方が上だ」と言っているわけですからね。

恐らくみていさんご自身がお気づきになっていないんだとは思いますが、こういう「上から目線の表現」をみていさんはあちこちで使われているように感じます。


もう一点ご指摘申し上げますが、文末に「(笑)」とか「(^_^;)」を付記すると、「無条件で『挑発的である』『失礼である』と判断する」のが、最近の若い世代では「当たり前」のようになっていると、ある教え子から聞きまして、私もつい先日びっくりしたところです。

「自分は正しいことを言っている、やっているのに、相手が違う受け止め方をするのは『おかしい』」という主張は、それ自体が「コミュニケーション放棄」であったり、「攻撃的」あるいは「反撃的」であると言えるのかも知れませんね。
イデムリンさん

なるほど、『基礎練習はつまらないと感じる人もいるが必要なもの』と思っていましたが、違う視点もあるのですね。

大変勉強になります。

確かにその部分が必ずしも正しい、と言えなければ、そもそも私の主張自体も見直す必要性は出てきますね。

ありがとうございます。


後半に関しては、

そういう感じ方(私のほうが挑発的だ)をされるということに、正直ビックリしました。そういうつもりが全くないので…
Σ(゜□゜;)
大変申し訳ないです。

(笑)に対して、笑ってる場合じゃない、という突っ込みをいただいたことに対して記述しました。それはいかがなものかと思ったからです。私の場合(笑)は相手をバカにするときや上から目線で語るときには使いませんので…
(((゜д゜;)))
というか、そんな使い方もあるのですね!?そちらの方が一般的なのですか?

ちなみに『理解いただけるかしら』というのは、同じコメントに前述の通り、自分の文章がつたないという意味でしかありません。

それに対してぴーちゃんさんは明らかに『迷惑』『屁理屈』など感情的、批判的以外の何ものでもない単語が見受けられたので、指摘させていただきました。

各個人の感じ方の問題ですか?
(?_?)
それとも世代の違いによる感じ方の違いでしょうか?

身近な知人に見せても、恐らくぴーちゃんさんが攻撃的、という意見をたくさんもらえそうな気がするのですが……

重ねて申し上げますが、
私は失礼な文章にならないように気をつけたつもりなのですが、失礼になっていたのならごめんなさい
m(_ _)m
>75 みていさん

正直申し上げて、私の立場からすると「他人事」なのですが、大きな誤解があるようですので、その点だけ指摘させて頂きます。

>そういう感じ方(私のほうが挑発的だ)をされるということに、正直ビックリ
>しました。そういうつもりが全くないので…

>私の場合(笑)は相手をバカにするときや上から目線で語るときには使いません
>ので…

>ちなみに『理解いただけるかしら』というのは、同じコメントに前述の通り、
>自分の文章がつたないという意味でしかありません。

という風に、「自分の言い方」に関しては、「自分にはそういうつもりはなかった」というだけで、「相手にどう見えていたか」という視点はないのにも関わらず、相手の書き方に関しては、

>それに対してぴーちゃんさんは明らかに『迷惑』『屁理屈』など感情的、批判的
>以外の何ものでもない単語が見受けられたので、指摘させていただきました。

と、【感情的】【〜以外の何者でもない】とまで仰るというのは、「客観的な視点から見て、不公平」な感じはしませんか?


この「ズレ」を生じた原因は、みていさんご自身が、

>身近な知人に見せても、恐らくぴーちゃんさんが攻撃的、という意見をたくさん
>もらえそうな気がするのですが……

と書いていらっしゃるところに、如実に現れています。

要するに、「相手の顔が見えない」から、「ちょっとしたことが悪意満々に見えてしまう」ということですよ。

「みていさんの知人」に見せれば、それはみていさんの肩を持つのは当たり前です。その方達にはみていさんの顔しか見えていないわけですから。

つまり、「身近な知人」の話が出てきた時点で、「ああ、みていさんはネット会話に慣れていない方なんだな」と感じる人が非常に多いだろうということです。


ネット上のような「顔の見えないコミュニケーション」では、「自分の日常生活から推測した【決めつけ】」(例:相手の表情が怒っているか笑っているかだとか、相手が意地悪なのか親切なのかだとか…)をせずに、「疑問があったら相手に問う」というやりとりが非常に大切だと思います。

相手の書き方に対して「むっとした」ら、イヤミを書いたり反撃したりする前に、むしろ「私、その書き方にむっとしたんですけど…」と正直に書いてしまった方が、いらぬ行き違いを生じなかったりもします。

この辺は、日常のコミュニケーションとは全く逆であるとも言えますね。


逆に、ぴーちゃんさんのように「際どい書き方」はバンバンするけれども「ギリギリの線で『一線』を踏み越えない」という書き方は、ネット世界独特の書き方ですね。(苦笑)

ぴーちゃんさんの書き方だと、私の目から(恐らく、ほとんどの方が同じだと思いますが)見ると、「挑発的」ではあるかも知れないけれども、決して「感情的」には見えません。いえ、「冷静」であるからこそ、「挑発的」なのではないでしょうか?(苦笑)

(注:この「苦笑」というのは、「決してぴーちゃんさんの肩を持つわけではないけれども…」というような意味の「苦笑」です。念のため。)
こんにちは。
 「広くご意見を伺いたい」というトピ立てでしたので、私の意見も聞いてくださいますか。もっとも、教育機関の立場ではなくて、保護者の立場からですが。

 有意義な話が続いていますので、引用させていただいたほうが、わかりやすいかなと思い、みていさんの例を使わせてくださいね。
 とてもわかりやすい例だったので。

こちら↓
1『つまんないからやめたい。』
2『今はつまらないかも知れないけど、どんなことでも、上手になるには基礎練習って必要なんだよ。それをちょっと我慢して頑張ったら、上手になってもっと楽しくなるよ。』
3『うーん…でもやめる』
4『そっか、ならやめようか』

 これらはトピ立てにある「早期教育」にもあてはまることなので、そのまま使っていいですよね。「習い事」にもあてはまりますよね。

 では、ここから私の意見です。
わたしの場合。

1 子『つまんないからやめたい。』
2 私『そっか、ならやめようか』
 で、終わります。続くとすれば、子どもが続けるから。
【パターン1】
3 子「でも、基礎練習しないと上手になれないよね」
4 私「なんで?」
5 子「だって先生がそう言ったから」
6 私「じゃ、なんでやるの?」
7 子「やれって言われたから」
8 私「じゃあ、どうする?」
9 子「やめる」で2に戻る。

【パターン2】
3 子「でも、○○は、できるようになりたい」
4 私「じゃあ、どうする?」
5 子「自分で やる」
6 私「なにか手伝うことある?」
7 子「あったら、言うから、その時お願い」

 そんな感じでしょうか。
 子どもの選択のパターンは、いろいろ考えられちゃいますね。

そして、子どもの説明能力云々には↓

【パターン3】
3 私「なにか、他に言っておきたいことある?」
3 子「先生が僕の話を聞いてくれないんだ!」
4 私「そっかぁ。どうしてかな?」
 ・・・あと、続く。
「やめたい」のがいいたいのではなくて、子どもの言いたいことの問題が別のところにある場合は、それについて話せばいいだけですしね。
 そんな話の後は「やめたい」の話は、「そんなこと言ったっけ?」って感じにすらなりえます。

 こうした対話ができる親子関係にあるかどうか、ですね。
子どもが本当に言いたいことに、耳を傾けられるのかということですね。

 それから、私の体験ですけれど。

 ピアノを習っていましたが、やはり定期的にレッスンに行くのが苦痛で行かなくなりました。

 だけど、「やめる、やめない」という話の場を親子で持たなかったので、月謝は払い続けれられ、そのことについては責められた覚えはありませんが、いよいよもって親から「どうするの!?」と言われてはじめて、「やめる」と言うことができました。
 そういう親子関係だったわけですね。
 
 管理されている子どもなので、親からの問いかけにしか、答えられない。
 自分の意見を出す場が、ない。
 そこで「どうして、やめるのよ!?」と聞かれたら、親が納得できるような答えを提示しなければいけない。
 運よく納得してくれたときだけ、自分の希望は叶えられるけれど、気持ちが尊重されたわけではないんです。むなしいです。

 「どうせ!親のロボットだし!」って、健全な親子関係なら反抗期もできたかもしれませんがね、できませんでした。

 話を戻します。

 数年後・・・弾きたい曲を思い通りに弾くために、上手く指が動かないので、単調に動かす練習をしました。バイエルが適当だと発見しました。
 思い通りに弾きたくて、楽譜の記号の意味を調べました。
 思い通りに弾きたくて、読みにくい音符にドレミ記号をふりました。
易しい曲から挑戦したら、音符もどんどん読めるようになることを発見しました。
 思い通りに弾けたので、誰に評価されなくても、気持ちよく弾けました。

 気持ちよく弾いているので、ピアノを弾けない両親も、いつも「楽しそうに弾いているね」と喜んでくれました。


 「やりたい」。
子どもはそう思ったときに、みずから発見し、学びます。
 ここでは自分でバイエルを使っていますが、大人の役目はこれだけだと思います。バイエルを用意する。
 
 こどもが必要とするものを提供する。

 その見極めが、大切でしょうね。
どれがヒットするかわかりませんから、ヒットするまで、探すしかないですね。

 

>76 イデムリンさん

お返事ありがとうございます。

『どういうつもりで書いたか』
『相手がどう感じたか』

実は、私はこの2つより、もっと重要なことがあると思っています。
(先のコメントでいいたかったのも、以下のことです)

『どんな捉え方をしても善意としか受け取れない言葉(言い回し?)は、白』
『捉え方によって悪意とも善意とも受け取れる言葉は、グレー』
『頑張っても善意とは受け取れないようなマイナスの言葉は、黒』

私自身がそんなつもりがなかったにせよ、私の発言について、イデムリンさんのように『上から目線』と捉えることも可能なので、私の発言はグレーです。

客観的に見て、屁理屈などの言葉は善意からは間違いなく出ないので、その言葉は黒です。

ということが言いたかったわけです…

で、ネット上の会話に慣れていないのではというご指摘は、まさにその通りで申し訳ないのですが…
(^_^;)

そしてここからは、ぜひこうであったらいいなということなのですが、

前にも書き込みしましたが、こんなところで白、白、白、…の会話が成り立つのは難しい。

でも、特にこのコミュは教育についてみんなで考えよう!というコミュでもあるので、読み手が相手の記述を『きっと善意からの言葉だろう』という姿勢で受け取れたらいいな、そう思うのです。

相手の記述に対して、悪意からではないか?と疑ってかかったら、もうどんな丁寧な言葉もイヤミに見えるし、攻撃に見えるし、キリがない…それに自分(読み手)も不快。それが、実は相手に悪意がなかったとしたら、不快になった損、と私は思ってしまいます。

以上で言いたいことは終わりです。

ところで、イデムリンさんのコメントの中に、『あなたは知らない、でも私は知っている、つまり上から目線』というような構図がありましたが、私はあまりそう思わないので付け加えておきます。

私とあなたの2人ではなく、私と私以外のたくさんの人、という話だと思うのですが、『自分のことだからこそ、自分では気付かないこと』というのは、誰にでもあると思います。

そして、周りの誰かに(1人でも複数でもいい)それを教えてもらうこと、気付かせてもらうことがあったとして、私はその人(たち)に対して『上から目線だなぁ』とは思いません。

それを指摘する人とされる人の間に、上下関係ってあるのでしょうか??お互い様、というか、対等な関係な気がします。
>ぴーちゃんさん

長いことお待たせしました!
後述すると言っていた、ピアニスト云々の話を追記します。

ぴーちゃんさんもおっしゃる通り、私は最初のコメントで、2つのことについて書きました。2については、判断という言葉が誤解を招いてしまったようですが、いろいろ考えた結果、『判断材料』という言葉がしっくりくるようです。

つまり、やめるか続けるかの『判断』をするのは子ども。ただ、子どもがその『判断』をする際、子どもゆえに『判断材料』が乏しいので、大人がいくつか示してあげればいいのでは、という考えです。

で、問題の1ですが。
要約するとこうです。

『子どものうちからいろいろなものに触れる機会を作ってあげるのがベスト。』

で、なぜそう考えるのかという根拠として、

『例えばピアニストのように、大きくなってからでは遅いものもあるから。』

ということです。

確かにピアニストという言葉は出ていますが、ピアニストは根拠の一例に過ぎません。私が言いたいのがピアニスト云々ではない、ということが伝われば幸いです。

例えば、
『今日は天気が良かったので家族でピクニックに行きました。みんなで遊んで楽しかったです。』

という記述があったとして、じゃあこの人は天気云々の話がしたいのだろうか?というとノーですよね。

だって天気と書いてあるじゃないか!と言っても、一部だけではなく全体を見れば、なにが言いたいのかがわかると思います。

ぴーちゃんさんは一部を引用して、それについてコメントする手法を取られていて、もちろんそれが悪いと言いたいわけでは決してないのですが、ぜひ拙い文章から相手が結局なにを言いたいのかを『要約』してくださるとありがたいです。

ぴーちゃんさんから見れば

ピアニストと書いてあるのに、ピアニスト云々が言いたいわけではないだなんて、言ってることがコロコロ変わって一貫性がない!

というふうに感じたのかも知れませんが、

初めから、ピアニストは軸となる考えの『根拠の一例』でしかないので、そのあとに『ピアニスト云々を言いたいわけではない』と言っても、一貫性は保たれている、と私は主張しました。国語上の問題なので、主観的でもなく客観的な主張だと思うのですが、いかがでしょうか。

ぴーちゃんさんには、一番初期の段階でメッセージも送っていますが、善意は伝わっていますか?それすら挑発と受け取られてしまうと、お手上げですが…
>77 サラさん

つまるところは、親子の会話ですよね。
とても共感しました。

そういう意味で言うと、
1『つまんないからやめたい』
を言い出せないような子なら、
0『習い事はどう?』
など、ときどき聞いてあげるのもいいかも知れませんね。
>76 イデムリンさん

ひとつ書き忘れました!

知人なら味方して当然とのご指摘がありますが、それは当たり前ですよ
(>_<;)
そんな調査、なんの意味もありません

もちろん、名前をすべてA、B、C…として、しかも私が入っていることを伏せて、ということです。
>80

 そうですね!!
「習い事はどう?」って聞くことは《いつも気にかけているよ。見ているよ》というメッセージですね。

 見ててくれるって励みになりますものね!
 放っとかれたら、やめたくもなるかもあせあせ

 先日、英語教室の先生が「やっぱり親御さんが声をかけているお子さんの方が伸びがいいです。初めは同じレベルでも、すぐに差が開きます」というような話をされました。

 【継続は力なり】と言いますが、好きだからこそ継続できるのだろうと思いました。

 そりゃあイヤイヤでも継続すれば、イヤでも上手になったりもしますが。
 そのことがのちに「感謝できる」ことかといえば、イヤイヤやらされたうちのごくわずかな人たちでしかないんじゃないかと思うし。
 まぁ、役に立ったから結果オーライなだけであって、「やらされた」感はぬぐえないのではないかなと思いました。

 一方で、好きなことであってもくじけるときもある。
 そんな時に励ましの言葉が欲しいタイミングで厳しい言葉をかけられたなら「あの時、やめるなと言われてよかった」と思うかもしれないですよね。

 要は・・・本人の望む言葉をかけてあげられるかというところかなと思います。親も先生も。
 それは誰かとの比較ではできないことですね。

 ひとりひとりと向き合わなければ・・・。

 大変だけど、そういう姿勢を大人が示すことができたら、《お前は1・俺は5》みたいな競争で比較するようなことは忘れ、《昨日より今日これだけ成長できたね!》とお互い励ましあえる関係が作れるようになるんじゃないかって思います。

 競争より、切磋琢磨。
 そういうことを伝えたいなぁと思います。

 物事を習得させることより、習得しようとする気持ちを育てることの方に目を向けたいかなと思います。
>78 みていさん

恐らく、みていさんにも「なるほど!」と思って頂けるであろう書き方で言い直しますね。

>『どういうつもりで書いたか』
>『相手がどう感じたか』
>
>実は、私はこの2つより、もっと重要なことがあると思っています。

このような「言い回し」を、みていさんご自身は「普通の顔が見えている会話」では、恐らく決して使わないと思うのですよ。

普通の会話だと、

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
うん、確かに

「どういうつもりで書いたか」

よりも、

「相手がどう感じたか」

の方が、ずっと大事ですよね。
私もその通りだと思います。

でも、・・・

(と来て、その次に、)

実は、私はこの2つより、もっと重要なことがあると思っています。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この方が、ずっと自然ですよね。

「友人の軍配は、必ず自分の側に挙がる」と断言なさるみていさんならば、この程度の「気遣い」は、普段の会話の中で当然行っているはずですね。

ところが、ネット上で「文章だけの会話、顔の見えない会話」になると、

>『どういうつもりで書いたか』
>『相手がどう感じたか』
>
>実は、私はこの2つより、もっと重要なことがあると思っています。

と、まるで「相手の言うことは全否定、自分の言いたいことだけが善」みたいな書き方になってしまう。

見比べてみると、確かにそう見えますよね。ご理解頂けましたか?

「自分はこう書いたつもり」と、「相手がどう読むか」の違いが、これで本当にご理解頂けたでしょうか?


「自分の公の気持ち」ではなく、「自分の内面の気持ち」が出やすいのが、「文章だけの会話」なんです。

相手は「文章に現れた本音」を受け止める。
書いたみていさんは、「そんなはずはない。私はそういうつもりで書いたんじゃない。」と思う。

これが「行き違い」を生むんじゃないかと思うのですね。


この「ずれ」を修正するために大事なのは、「時間を置いて気持ちを静めること」ではないと思いますよ。

すいません。みていさんの努力を全否定するつもりはありませんが、私の言いたいのはそういう事じゃなくて、相手はあなたの書いた「文章だけ」を見ているということです。

大事なのは、「同じ言葉を見て、違うイメージを頭に思い浮かべる人がいるかも知れない」という想像力を働かせること、想像力が及ばないところに関しては、物怖じせずに積極的に質問すること、「最小限の言葉で書こう」などとは思わずに、できる限り言葉を尽くすことだと思いますよ。
>91 イデムリンさん

ありがとうございます。
イデムリンさんがおっしゃりたいことがよくわかりました。

普通の会話では、全否定から自分の意見を言い始めないでしょう?

っていうこともよくわかりました。
後者の例のほうが受ける感じは良いですね。

今後はより良い書き方を探すようにしたいと思います…勉強になります。

ただやはりその受け止め方は、読み手が『書き手に悪意がある』というメガネで見ている感も否めません。なぜかというと、『○○よりも□□が大事』という日本語は、『○○も大事』という内容を暗に示してはいませんか?○○を『全否定』したいのであれば、『○○は大事ではなく、□□が大事』となります。

『全否定』は言い過ぎでは…。

付け足すと、
『どういうつもりで書いたか』、『どう受け止めたか』、これは『主観』ではないかと思うのです。

『客観的』に『一線を超えたかどうか』を判定するには、(その単語に対してもつ個々人の印象があるから完璧ではないにせよ)やはり『“悪い意味でしか使われない単語”を使うかどうか』かな、と思う次第なのです。

ちなみに、イデムリンさんの私のコメントへのご返信の中には、今まで一切、“悪い意味でしか使われない単語”はありませんでした。なのですごくありがたいです。(地位も何もない20代の小娘なんか、相手にしなくて正解です。笑)

あ、『友人からの評が』というところは、書き忘れた、と付け足した記述があるのでそちらをご参照ください
m(_ _)m
追記

イデムリンさんへ

『時間を置いて気持ちを鎮めること』
が突然出てきたように感じたのですが、これの意味を教えていただけますか?
>82 サラさん
>ぴーちゃんさん

サラさんの記述の中に、
それだ!と非常にスッキリしたものがありました。

『好きだけどくじけるとき』。

私が
1つらいからやめたい
2じゃあやめようか

本当にそれだけでいいのかな?

と疑問に思ったのは、まさにそういうときがあるからなんだな、と腑に落ちました。

もちろん、『また時間を置いてやりたくなったら、習い事に戻ってくる』という選択肢も可能です。どちらがいいかという話ではなく、どちらもいい気がします。

サラさんありがとうございます
(*^_^*)
>83 ぴーちゃんさん

うーん…………

『善意』という言葉がいけなかったですか?

私がメッセージによって伝えたかった
『コメントをいただいて感謝しています』
『あなたを敵と思っているわけでも、敵になりたいわけでもありません』
『どうぞよろしくお願いします』

という気持ちが、まっすぐ伝わったかどうかをお聞きしています………
ぴーちゃんさん

悪い印象をばらまいたつもりはありません。

私がぴーちゃんさんをなんと言おうが、ぴーちゃんさんの印象をどうもつかは、ここを読む個々人にゆだねられていると思います。

逆に、ぴーちゃんさんがおっしゃるように、ぴーちゃんさんが筋の通った指摘をしていて、私がそれに『逆切れ』(逆切れって……切れてないですけど
(^o^;))しているのであれば、それがそのまま、ここを読む個々人の印象になりますので、大丈夫だと思います。

でも、ぴーちゃんさんが『悪い印象をばらまかれた』と感じられたなら、そのような書き方をしたことをお詫びします
m(_ _)m
ぴーちゃんさん

よろしければ、そろそろ話を本題に戻せるとありがたいのですが…

習い事に関する私の主張が、『たいしたことを何も言っていない』とわかっていただけたでしょうか。

ぴーちゃんさんが『それはエゴではないか』『親の傲慢さではないか』と引っかかるような『キーワード』こそ使っていたかも知れませんが、要約してみれば、何もそんなたいしたことは言っていません…
 横槍なようで、気が引けるのですが・・・これまでのやりとりを読ませていただいた中で感じたことです。

 シャア専用ぴーちゃんさんには
「自分の言葉には、最初から最後まで責任を持つ」という生き方が感じられますし、また「自分の意見を、他に押し付けない」という生き方も伺えます。

「自分自身を見つめる」という姿も・・・。
 それを人にもそうなって欲しいというお気持ちは、責めているどころか、こうなって成長してほしいという愛さえ感じることができます。

 それは、私がそういう生き方が必要だと考えているから、愛だと感じるのですが。

 みていさんには
「自分の内の疑問を外に発しながら、意見を求め、聞き、修正・成長していく、まさにその途中」という生き方が感じられます。

 それぞれ、私にとっては、どちらのお話も受け入れられるお話です。
 
 みていさんは、かつてのシャア専用ぴーちゃんさんの姿であろうと思いますし、シャア専用ぴーちゃんさんは、いつかのみていさんの姿であろうと思います。

 今、同じレールにはいないものが、同じレールにお互い乗ろうとしても無理ですし、同じレールであっても、違う駅にいる者が、同時に同じ駅にたどり着くには時間が必要な気がします。

 なんだか抽象的な物言いで申し訳ありませんが、どの意見も「そういう意見もあるか」というぐらいに受け止めて本題に戻してくださると、トピックの行方を気にしている者としてはありがたいです。

 ご不快に思われたらすみません。
よろしくお願いします。
>97 みていさん

>ぴーちゃんさん
>
>よろしければ、そろそろ話を本題に戻せるとありがたいのですが…

え…とですね。
正直申し上げて、このご意見はいささか失礼な言い方だと思います。

と言うのは、これは「あなたが話しているのは本題ではない」と言外に言っているわけですよね?
余計な話をするなと。

ところがですね。
「本題かどうか」は、会話の流れが決めることであって、あらかじめ「絶対にこの範囲から逸脱してはいけない」と「決まっている」ものでもないし、ましてやどちらか一方が勝手に「決めていい」ものでもないですよね。

相手の言っていることが「本題からかけ離れている」ように見えた場合、「正しい対応」というのは、「あなたが言っていることは本題からずれている」と決めつけることではなく、「ひょっとして自分には相手の言いたいことが読めていないのではないか?」と、謙虚に考えることです。

「あなたの言っていることは本題からずれている」と「決めつける」ことこそ、「上から目線」なのですよ。



私の目から見ると、実はぴーちゃんさんが主張されていることこそ、「本題」なんじゃないかという風に見えるんです。

>習い事に関する私の主張が、『たいしたことを何も言っていない』とわかって
>いただけたでしょうか。

「わかっていない」のは、ぴーちゃんさんではなく、実はあなたの方なのではないか?

なぜならば、親の口から出た言葉、子どもに対して何の気なしに発せられた言葉、親のちょっとしたしぐさ、等々を、「どういう意味に受け止めるか」は「子どもが決めること」であって、親の側が「私はこういうつもりで言ったんだから、そういう意味に受け止めろ」なんて子どもに命令してみたところで、「後の祭り」なんですよ。

私は中学受験生を教えるのが仕事(最近は先生の先生になってきつつありますが)ですが、今まで数え切れないほどの回数、「私はそういうつもりで言ったんじゃないのに…」という言葉を、お母さん達から聞かされてきました。

お母さん達がそういう言葉を言うときは、たいていの場合、子どもは既に「すっかりつぶれて」います。
気が付くのが遅すぎた…というケースが多いのです。


>ぴーちゃんさんが『それはエゴではないか』『親の傲慢さではないか』と引っか
>かるような『キーワード』こそ使っていたかも知れませんが、要約してみれば、
>何もそんなたいしたことは言っていません…

ですから、「何もたいしたことは言っていない」という地点からスタートしてものを考えるのではなく、「ひょっとしたら、子どもはたいしたことに受け止めていたのかも知れない」と考えてみることこそ、「エゴ」とか「傲慢」ではない姿勢なんです。

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