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こどもの教育コミュの<ゆとり教育>学力は「改善の方向」 文科省調査

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いつもバッシングされる「ゆとり教育」の最新の調査結果が出ました。

・・・面白い結果になりましたね。

ということで、皆様の見解をお聞かせください。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000079-mai-soci
<ゆとり教育>学力は「改善の方向」 文科省調査
4月13日20時3分配信 毎日新聞


 文部科学省は13日、「ゆとり教育」を掲げ学習内容を削減するなどした現行学習指導要領で学んだ全国の高校3年生約15万人を対象に、初めて行った教育課程実施状況調査(学力テスト)の結果を公表した。ゆとり教育導入前の旧指導要領で学んだ高校生を対象にした前回調査(02〜03年度)と同じ問題181問で正答率を比較すると、145問(80.1%)が前回並みで、26問(14.4%)が前回を上回った。学習意識のアンケートでは「勉強は大切」と答えた生徒の割合も増加。調査を行った国立教育政策研究所は「(学力は)改善の方向に向かっている」と分析している。
 学力低下の原因とも言われる現行指導要領下で学んだ小中学生の学力テスト(03年度)でも、旧指導要領で学んだ児童・生徒よりも正答率が向上傾向にあり、授業時間の増加などが盛り込まれる見通しの次期学習指導要領の改訂作業に影響しそうだ。
 テストは05年11月、全国の国公私立高校から無作為に抽出した約15万人(全体の約13%)を対象に、国語▽地理歴史▽公民▽数学▽理科▽外国語の6教科12科目で実施。同時に学習に対する意識などを問うアンケートも行った。
 全問題657問のうち、3割弱にあたる181問が前回調査と同じ問題で、前回よりも正答率が下回った問題は10問(5.5%)だった。科目別では、地理B、化学1など6科目で前回の正答率を上回る問題数が下回る問題数よりも多く、国語総合、生物1の2科目は前回の正答率を下回る問題数が多かった。日本史B、数学1など4科目は前回並みだった。
 学習内容では、国語総合の古典の正答率が低下し、英語1の「聞くこと」(リスニング)が向上した。
 各問題で正答するとみられる割合「想定正答率」(設定通過率)で比較すると、想定正答率を上回った問題数の割合は前回比4.6ポイント増の31.4%で、下回ったのは同8.7ポイント減の40.2%だった。前回調査で想定正答率よりも著しく低かった理数科目は、前回よりも改善したものの、想定正答率を下回る問題も多く、課題が残った。

 また、アンケートでは、「勉強は大切だと思う」との設問に、43.1%が「そう思う」とし、「どちらかといえばそう思う」も41.1%に達した。「そう思う」は03年度調査より3.6ポイント、02年度調査より5.2ポイント増え、学習に対する意識の向上傾向を示した。国立教育政策研究所教育課程研究センターの惣脇(そうわき)宏センター長は「現行学習指導要領は児童・生徒の学習意欲を引き出す狙いがある。意欲面も高まっており、指導要領の狙いが生きつつあるのではないか」と分析した。【高山純二】
 ◇文科相は慎重評価
 今回の調査について、伊吹文明文部科学相は13日、記者団に「『勉強したい』という人の比率が前よりも良くなっている。しかし、ゆとり教育的なものがあったから、意欲が向上したかどうかは分からない」と述べた。さらに「(学力も)プラス方向にいっているか、にわかに断定できない」と慎重な評価をし、指導要領改訂の方向性に変更点はないという見方を示した。
 ■ことば(ゆとり教育) 文部科学省(当時文部省)が詰め込み教育などへの批判を受け、70年代後半以降に進めてきた政策。小中学校は02年度から、高校は03年度から実施された現行の新学習指導要領では、週完全5日制に伴って学習内容が約3割削減され、新たに「総合的な学習の時間」が設けられた。だが、学力低下を招いたと批判され、政府の教育再生会議は1月の第1次報告で見直しを明記した。

コメント(140)

>『「計算すらできない子」は「少なくとも計算はできる子」
>になりましょう。』と言っておられると勝手に解釈し、

それでOKですよ。

数学というのはツールの一つですから、
使えなければいけないという側面もあります。
特に、理科や社会での計算を要する問題で、
計算さえ出来ないではお話になりませんから。
子どもすべてを数学者にするとでも言うのなら
話は別ですが、そんなこと学校がすべきことではありません。
>ここが佐藤氏のポイントで、
>単純な計算問題に多量の時間を注ぐことを弊害
>と指摘しているわけです。

その指摘が全く的はずれなわけです。
「単純な計算問題」というのは
本人も認めていますが
例えば「百ます計算」のことを指しているのでしょう。

そして、彼曰く
「百ます計算で学力が低下した」
というエッセイを書いています。
(TIMSSやPISAの結果で判断したのでしょう)

これなど、
原資料をねじ曲げて読者に紹介しそれをもって結論を導いている
典型です。
彼の言っていることは全く支離滅裂というか、
要するに総合学習推進派の都合の良いこじつけですよ。
>具体的操作だけで終わらせてはいけませんが、
>具体的操作の経験がある程度なければ
>抽象段階には発展できないでしょ?


具体的操作の経験が必要ないとは言ってませんよ。
むしろ、十分すぎるぐらいあるでしょう。
いつまでも具体的な操作レベルにとどまっていても、
抽象的なレベルの問題が解けるようにはならないということです。
自転車で言えば、いつまでも補助輪つけているのといっしょです。

問題は、
その抽象段階への移行の仕方が明示されていない点です。
具体的な事象を扱えば、確か正答率は8割あったはずです。
8割で満足とは言いませんけど、
計算問題になったとたん、正答率が落ちると言うことは、
具体的操作はできるけど、抽象的操作はできない(子がいる)
ということです。ここで
なぜ正答率が落ちるのかに着目して、
どうしたら正答率が落ちないかを考えるべきなのです。

>岳陽中学の事例で、
>市内の教育課程実施調査では毎年最低ランクだったのが
>市内トップレベルになった、というのはダメですか?

ですから、一つの事例ではダメだと
再三申しておりますが。

>まさかこの人の発言と経済同友会の提言書だけが
>陰謀説の根拠なんですか?w

上では、一つの学校の事例だけを提示して一般化しようとしているのに、すくなくとも2つ以上の事例を紹介している人をつかまえて
「だけ」というのはないと思いますが?

ちなみに、ことの発端は中曽根内閣の臨時教育審議会からです。
このころから財界が教育に口を挟むようになりました。
「雇用形態と教育のあり方」については、
さんざんたくさんの提言書がでています。
それを「だけ」というのはいかがなものでしょうか。
にゃーさん、

御指摘のポイント
  > 塾や入試は別にして、普通に学校でやるテストは
  > 平均点が満点でも何ら問題はないと思います
もっともだと思います。

これだけで、一つトピックを立てたられたら、いかがで
しょうか?
このトピックで問題になっている
 学力は「改善の方向」
とか、そういうことを評価するためには、何年経っても
変わらない基準で、相対的な学力を調べることが必須で
すね。
しかも、学力が、もしどんどん上がっても、まだ測定可
能なように、100点に近いところに余裕を残した問題を
作ることが要求されているということになるんですね。
きっと。

でも、そんなことって、可能なのかなぁ? と、とても不
思議に思うのは、僕だけでしょうか?
>学力は「改善の方向」
>とか、そういうことを評価するためには、何年経っても
>変わらない基準で、相対的な学力を調べることが必須ですね。

同一問題の正答率の変化は
客観的な資料となりうるでしょう。
その点では、PISAよりTIMSSの方が
参考になると思います。

それよりも、今回の全国学力テストなんですが、
あまりにも問題が簡単すぎて、
文科省はいったい何を考えているんでしょうかね?
>教育政策・施策を語る際には、どの発言(考え)が
>どのような政策・施策に反映(還流)されたかを
>考えるべきでしょう。

ですから、それが「臨時教育審議会」なんです。

臨教審は、首相直属の法定諮問機関で、
内閣私設の諮問機関である教育再生会議のような井戸端会議とはわけがちがいます。

今の、総合的な学習の時間、教師の資質の問題、個性重視の教育、
私立と公立の格差etc、ほとんどが臨教審で提言されています。
教育界以外の人間が、このような提言をするのはきわめて異例で、
臨教審が当時の魁となっています。

以後、順次、臨教審の提言が、
指導要領の改訂に盛り込まれるようになりました。

>陰謀説はレベルの低いただの憶測にすぎません。
きちんと歴史を見てから言ってください。
ちょっと前にリテラシーとかおっしゃっていたのは
ご自身だったはずですが。
>>学力は「改善の方向」
>>とか、そういうことを評価するためには、何年経っても
>>変わらない基準で、相対的な学力を調べることが必須ですね。
>
>同一問題の正答率の変化は
>客観的な資料となりうるでしょう。

   申し訳ないんですが、
   僕は「学力」は「記憶する力」ではないと考えて
   いるので、その考え方は全く受け入れられません。
 
111:
異なる母集団間の差を見るためには、同じ物差しを用意するのが理想的…ということだと思うのですが。。


例えば、今年の小4と来年の小4との学力差を見るためには、両方に対して同一の問題を出題すべきだ、ということかなと。

今年の小4に出した問題を、来年彼らが小5になったときに、その小5に対してもう一度出題する、というわけではないでしょうから。
> 異なる母集団間の差を見るためには、同じ物差しを用意
> するのが理想的…ということだと思うのですが。。

おっしゃるとおりです。
その「同じ物差し」を作ることの難しさを、107で
言ったつもりです。

111で言いたかったことは、次のようなことです。
同じ問題を使うと決めたら、「理解」とか「自分の
頭で考える」という「学力」ではなくて、ただただ
「記憶」だけで受験するように指導するやり方が、
今よりも、もっとひどくなるでしょう。
そうすると、「学力」と言いながら、何を計ってい
るのかわからなくなるのではありませんか?
 
107番で、
 > でも、そんなことって、可能なのかなぁ? と、とても不
 > 思議に思うのは、僕だけでしょうか?
と書いたのは、言葉足らずでした。

学力を国同士で比較したり、過去と現在で比較するため
には、言語の違いなどに左右されず、しかも何年経って
も変わらない基準で、相対的な学力を調べることが必須
で、しかも、学力が、もしどんどん上がっても、まだ測
定可能なように、100点に近いところに余裕を残した問
題を作ることが要求されるはずなのに、そういうふうに
きちんと出題されているかどうかということについて、
世の中でちゃんと議論されていないのが不思議という意
味でした。
 
113:
同じ問題でもって学力を測定する、と決めてしまえば、その問題を作ること自体は簡単だと思います。
基本から発展応用、難問奇問まで、だいたいそれで全て、と思われる難易度の問題を散りばめれば良いだけですから。


しかしそうすると、問題点が2つ。


1つは、hiroさんのご指摘のように、出題問題を丸ごと覚えさせたもの勝ち、みたいな風潮になってしまうこと。

これは、試験の目的を履き違えて、
「学区や全国の中で、うちの学校はこれくらい、という『順位付けをする』のが試験の目的。」
だなんて考える人が多いのがまず問題の根本でしょう。

保護者たちにそういう意識があれば、当然学校側も見栄を張ろうとするから、結果、意味のない暗記教育に走ることになります。

したがって、まず
「そもそもこの試験の目的は、同年度における各学校の相対評価をみるものではない。あくまで、年度ごとに、全国的な学力の推移を調べることが目的である。」
ということを明確にして、その全体の分布だけを公表するようにすべきだと思います。

で、個別の評価には、また別途それ用の試験を用意すべき。

1つの試験で色んなことを見ようと欲張るから問題が起きるんだと思います。
115の続き。

2つめの問題点は、ひとつの試験で幅広い学力層をみようとすると、必然的に問題数が多くなり、学力というよりも、いかにはやく解けるか、っていうスピード勝負になってしまうこと。


この対策としては、試験ごとに対象とする問題レベルを設定し、それぞれ違う日程で試験を実施することが1つあるかなと思います。

それか、試験を何回かに分けるのは同じですが、出題問題のストックの中から、全日程を合わせてストックを全部使い切るように、各回にレベルは関係なしに問題を振り分けて、試験を実施する、というのもありかなと。

こんな感じで、小分けにした複数の試験を総合することで、全体の傾向を見るようにすれば、スピード勝負にはならないのかな、と思います。
>117 にゃーさん
>保護者たちにそういう意識があれば、当然学校側も見栄を張ろうとするから、
>結果、意味のない暗記教育に走ることになります。
>
>したがって、まず「そもそもこの試験の目的は、同年度における各学校の
>相対評価をみるものではない。あくまで、年度ごとに、全国的な学力の
>推移を調べることが目的である。」ということを明確にして、
>その全体の分布だけを公表するようにすべきだと思います。

いや「競争意識」は「保護者からの突き上げ」によるものではなくて、そもそも「教師自身」「校長自身」に内在するものですから、全体の分布だけを公表してもダメだと思います。

「世間一般には全体の分布だけを公表しているが、上の内部では絶対に学校ごとに比較しているはずだ」と思いますもの。

あの「学校ナショナリズムみたいなもの」を何とかしないと、競争は止まりませんよ。^_^;
>117 イデムリンさん

なるほど。

自分は、その上層部による個々の比較について、学校単位でいえば、管理職が教員を評価するときに気にするのが、保護者からの突き上げへの対応であり、したがって、元を正せば問題の原因は保護者側の意識にあるのかな、と思っていたのです。

でも、確かにおっしゃるように、そういう上層部、さらには試験を取りまとめている省庁…まぁ文科省でしょうが、そこに、「個々を特定できる情報」があることにより、それをもって国は地域や学校を、学校の管理職は教員を、それぞれ評価できてしまうのも問題の1つですね。


ということは。


まず、学校内に、試験の個別の結果に関する情報を残さない仕組みが必要。

具体的には、試験にあたっては試験監督員をその学校の教員以外(派遣会社職員とかバイトとか)から選び、学校関係者の手には一切触れさせない。
試験問題は試験開始時に試験官が持参し、試験終了後には問題用紙、回答用紙、メモ用紙をすべて回収する。


こんな感じで、まず学校内から試験に関する情報を排除する工夫が必要。


また、文科省とかに個別の情報が渡るのを防ぐ必要もあります。

文科省に渡すべきなのは、試験の回答状況データのみであり、学校名や地域名がわかるようなデータは排除しなければなりません。

そのためには、回答用紙やそれを回収する封筒・袋なんかに、名前や学年、学校名等を記入する欄を設けないことは当然として、最終的にこれを文科省に渡す前に、例えば郵便局の集配所でいったん全部袋から出して混ぜ合わせ、試験官や試験日の情報も排除してから渡すとかいった工夫が必要かなと。


とにかく、学力分布の推移をみることが目的なので、それ以外のデータは排除しないといけない、と思います。
118: ひでさん
そういえば、車の免許取ったときの筆記試験は、そんな感じの形式だったことを思い出しました。

個々人の能力を図ることは目的じゃないのだから、確かに全生徒に全く同じ問題をやらせる必要はなく、問題ストック群が変わらなければそれで良いわけですね。
トピックとずれた愚痴を書いたので119は削除しました。

>>「世間一般には全体の分布だけを公表しているが、上の内部では絶対に学校ごとに比較しているはずだ」と思いますもの。

良い指摘ですね。
統計上平均から大きく離れたデータが出ていなくても,一番になった学校は,教育庁の偉い人達が押しかけて「公開授業」などをやらされたりします。校長が表彰されたり。

そもそも教育関係者で,まともに統計を扱える人はほとんどいません。(大学も含めて)
あっ,これは苅谷氏も指摘していましたね。
得られた結果を、自分に都合のいいように解釈できる
ような出題をして、都合のいいように解釈しているこ
とになっていないかという自戒が、常にないとダメで
すよねぇ。

受験産業という言葉が出て来た頃から、官も民も、ど
んどんおかしくなってると思います。
 
>例えば、ある問題の正答率が高かった、
>または低かったかが分かるだけでなく、
>なぜそうなのかを推察できるような質問も
>同時に組み込まれた調査です。

「特定の課題に関する調査」は
その点では、良かったのではないかと思います。
かけ算のひっ算でも、2けたと3けたを出題していたり、
同一の計算でも、
ただの計算問題と、具体的な場面を想定した問題を出題したり、
学年比較ができるように、同一問題を異学年出題していたり。

こう考えると、
「教育課程実施状況調査」や
今回の全国学力テストは
「お粗末」としか言いようがありません。
>既に昭和の終わりに「計算が早く正確にできるだけの子」の
>居場所は今後どんどんなくなる、
>「日本が21世紀にも世界で輝きつづける」ためには
>知識の量ではなく、自ら主体的に知識を得て、
>それを活用できる子を育てなくてはいけない

その見通しにはかなり誤解があります。
別に「計算が早く正確にできるだけの子」の
居場所は無くならないし、
そもそも私は、
「最低でも授業についていけるだけの計算スキルは必要」
と思っているだけで、
計算だけが早く正確にできるだけ子を育てろとは
一言も言っておりません。

肝心なのは次の部分で
「自ら主体的に知識を得て、それを活用できる子」
だれも国民すべてをそういう子に育てようとは
一言も言っていないという点です。
これがさすところは要するに「エリートの育成」なのです。
(日本型の受験エリートではなく)

経済調査協議会というところが
「二十一世紀に向けて教育を考える」
という報告書で
「天才」「能才」「異才」
という3つのタイプの人間を提唱しています。
これまでの教育では、このような人材を育成できない。
だから、「自ら主体的に知識を得て、それを活用できる子」
という発想が出てきているわけで、
決して国民全体を
そのようなクリエイティブな人間に育てようとは
これっぽっちも思っていないでしょう。

日本経営者団体連盟は
「新時代の日本的経営」の中で、
これからの雇用関係を
・一握りのエリート
・少しのプロフェッショナル
・いつでも切り捨てられる大多数の労働者
という3三種に分けて教育すべきだと提唱しています。

そこで、三浦朱門がうっかり口を滑らせてしまった、
「非才、凡才には云々」
というあのエピソードです。

これは今問題になっている、
派遣社員や業務請負の問題とは全く無関係ではありません。
業務請負なのに、実際には派遣社員扱いだったり、
健康保険に加入できない(させてもらえない)派遣社員だったり。
(最近になってやっと、正社員への登用が始まりつつありますが)

ゆとり教育で、
一握りのエリートや少しのプロフェッショナルの
学力が低下したら問題視するでしょうが、
「いつでも切り捨てられる大多数の労働者」
の学力が低下しようが
知ったこっちゃないと思っているのが
これまで教育改革に携わってきた者のホンネでしょう。

>計算が早く正確にできる「だけ」の子の多くは
>事務職を希望するでしょうけど今の雇用の実態からみて、
>当時の推測は当たっているわけです。

だとしたら、計算さえもできない子は、
事務職にさえも困難になるということです。

ある人が面白いことを言っていました。
社会というのはどこかに食い込まないといけない。
社会からはじかれてそのままという人が若い人でも意外に多い。
社会は人をはじく。と。

最近では、
就職しても3年に何に辞めていく新入社員が
3割いるともいわれています。
「自ら主体的に知識を得て、それを活用できる子」
もっともらしい理念ですけど、
これでご飯が食べていけるのは一握りの層です。
既にひでさんが書かれているように、対話になっていないような気がします。

対立している点は、要するに「基本である計算力を叩き込む事が大切」だと言っているグラスパンダさんと、「そうではない」と思っている方々の意見の相違なんじゃないでしょうか?

「一部のエリートだけを大切にして、後は切り捨てて良い」なんて、グラスパンダさんだけじゃなくて、誰もがそう思っていません。

いえ、三浦朱門さんだってそう言ったわけじゃないでしょう。
彼に限らず、曾野綾子、遠藤周作辺りの口癖が「自分は凡才、愚才である」だったことは、彼らの随筆を見れば一目瞭然です。
三浦朱門が東大卒だからと言って、「エリートの立場からの驕った発言」だと考えるのは早計に過ぎます。

実際は全く逆で「これを全てこなせれば優秀な人間になれるよ」という「エリート教育用のカリキュラム」では、凡才達は伸ばせないという事でしょう。言いたかったのは。

教育に於いては、大は小を兼ねないのです。

グラスパンダさん:「基本を叩き込む事が大切」
他の人:「叩き込み教育は応用力を奪い、使い物にならない人間を育てる」

ここが意見が対立している部分ではないのですか?
>ひでさん

多分ですね、「エリート」=「富裕層」=「塾に通うお金がある層」=「学校教育が低下してもダメージを受けない層」という図式を思い描いているのでしょうね。

でも、グラスパンダさんご自身が塾を経営なさっておいでなのですよね。^_^;

でも実際には、学校教育の低下によって、その「富裕層」のお子さん達だってダメージは受けているわけですよ。

ホントのところを言えば、グラスパンダさんが言うように「昔風の教育」に戻せば、それこそ「多数の下働きの上に、ごく一部のエリートが発生する」ような教育スタイルになるんですよね。
だって、明治時代にはまさにそうだったのだもの。

三浦朱門なんかは、「それでも構わんじゃないか。昔に戻せよ。」と言いたいんだと思うのですよ。
それを批判するグラスパンダさんも、結論は「昔に戻せ」では、いったい何が言いたいのか分からない。^_^;

「叩き込み教育」に関しても、グラスパンダさんの言っている事を読んでいると、まさに「叩き込み」なのですが、ご本人は「いや違う」と仰る。

私が実際にあるコミュで「叩き込み主義によってグラスパンダさんご自身の頭も固くなっている」事を立証して見せたのに、それでも認めないんです。^_^;

要するに、人の意見は聞かない人みたいですよ。^_^;
>どう考えてもエリートの育成を狙いとした施策は
>大学への飛び入学制度しかないように思えますが。

表向きはそうですが、
公教育不信から中学受験は実際に増えているわけです。
少子化→私学経営危機→公教育不信→私学人気
結果的に、ゆとり教育がカンフル剤になったのは事実でしょう。

>「ゆとり教育の見直し」は歴代文科大臣や多くの政治家も
>唱えていましたけどね。

文科省としの公式見解ではないです。

>最近正社員の雇用が増えているのはなぜですか?
非正規社員の雇用だって増えていますよ。
正規社員と非正規社員の構成はどうでしょうか?
最近の正規社員の雇用増加は、
団塊世代との入れかえのためです。
問題にすべきは、正規社員と非正規社員との内訳のはずです。

>切り捨てていい労働力を確保するなら海外進出や
>外国人労働者を確保するのが企業のやり方。
それはどうでしょうか?
ちょっと前までは、労働市場は中国があるから
と言われていましたが、今は以前ほど中国といいません。
まあ、理由はあえて申しませんが、
工場が海外へ行くのかな?と思ったら、
工場の国内回帰も始まっています。
理由は、労働者の質です。
この辺は、財界も計算違いをしていたのでしょう。
実際には安かろう悪かろうだったんですから。
>今の教育制度が「いつでも切り捨てられる大多数の労働者」
> を育てるため。という主張であればまだわかるのですが、
>「エリート教育」にはどの点がどう結びつくのかが
>全くわかりません。

ここは、まだ詳しく説明していないところですが、
エリートというのは
経済面や政治面で国を引っ張っていく「リーダー」
という意味です。
(何やら学歴コンプレックスをお持ちの方が
 まるでとんちんかんな解説をしているようですが 
 まったくもって誤りである上に、
 このような印象操作は大変遺憾です)

「いつでも切り捨てられる大多数の労働者」
を育てつつ、
「いずれリーダーとなるべきエリート(リーダー)」
を育てようと言うのが、
今の教育のコンセプトなんです。
実際、文科省は公立の学校にゆとり教育を導入した
裏側で何をやっていましたか?
海陽学園を作っていたんですよ。
要するに公立・私立で
ダブルスタンダードを作るのがねらいだったんです。
ねらいとまでは言えなくても、実際そうなったのは事実です。
「公立は教えてはいけない」
でも
「私立は今まで通りで結構」
というのがゆとり教育のねらいなんです。
(実際には、相次ぐ批判で歯止め規定を撤廃したわけですが、
 文科省はしたたかで、法令改正を待ってから、
 発展的記述を教科書に載せることを認めています)

この「いつでも切り捨てられる大多数の労働者」は公立、
「いずれリーダーとなるべきエリート(リーダー)」は私立
という構図を作りたかったということです。

しかし、これが必ずしも国益にならないのは事実です。
ここに問題のややこしさがあります。
工場の国内回帰も始まっているのは、
少なくとも経済面では、日本の経済を陰で支えていたのは、
質のいい労働者と、質の高い職人だということに、
財界もやっと気づきだしてきたからでしょう。

>「自ら主体的に知識を得られなくて、
>得た知識すら活用できない子」
>は社会のどこに居場所があるのでしょうか?

得た知識が活用できない子ばかりとは思えませんが、
居場所はありますよ。ただそれを知らないだけだと思います。
例えば、旋盤工を仕事としている人と数学。
一見無関係だと思われるかもしれませんが、とんでもないですよ。
中心に穴をあけようと思ったら、重心を調べなければいけません。
数学の知識ってこういうところで役に立つんです。
「二次方程式なんて役に立たない」
と思っている人が後を絶たないわけですが、
そんなことはありません。
効率よく製品を作るのに、
最小限の材料と、最大限の製品を計算するのに使います。
「こころのどこかでは、数学なんて役に立たない」
と思っていることが間違いの始まりなんです。

アメリカのように、資源も軍事力も持っている国は、
一部のエリートと大多数の労働者という構図でも
国が成り立つでしょう。
しかし、日本のような資源が人材だけという
国ではそうはいかないのです。
この辺は、財界は目測を見誤っている(いた)と思います。
韓国、台湾、シンガポール、オランダ、フィンランド・・・、
資源に乏しい人材だけが取り柄の国には、
その国にあった教育があるのです。
こういう根本的なことを無視して教育を語るのは危険です。

私の教育観を、従来の詰め込み教育への回帰と
勝手に決め込んでいる人がいますが、
それはとんでもない勘違いです。
従来の知識や技能を偏重する教育、
楽しさやおもしろさ(だけ)を追求する教育、
どちらが大切なのではなく、
この2つを両立できる教育を目指すべきでしょう。
例えば、京都の堀川高校がその典型例です。
堀川高校の話題は、もう耳にした方もいるでしょう。
この高校が、ゆとり教育の典型校のように思われていますが、
その堀川高校も高い偏差値に支えられているからということを
忘れてはいけません。
目に見える学力と、目に見えない学力の両立、
そういう方向へ、議論が進まなければいけないのに、
どうも、水を差す方ばかりで。
今年の学力調査の結果が出ました。やはりかねてから懸念されているように
・基礎問題よりも応用問題が弱い
・学力の二極化傾向
・基礎学力の学校間格差
・地域格差とその固定化傾向(といってもまだ2年しかやっていませんが)
・公立と国私立の格差
という結果が出ました。
学力問題について、一時期楽観論が出ていましたが、
この結果を見る限り、真剣に考えなければいけないことがよくわかります。

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<学力テスト>正答率40〜50%台の学校が3割 中3数学
(毎日新聞 - 08月29日 17:41)

「全国学力テスト」開始前に担任教諭の説明を聞く児童たち=東京都内の小学校で2008年4月22日午前8時45分、丸山博撮影
 文部科学省は29日、小学6年生と中学3年生を対象に今年4月に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表した。基礎知識をみる問題の平均正答率は、中学数学で参加校の約2割が70%以上を確保した一方、40〜50%台の学校が約3割もあるなど、学校間格差が鮮明に浮かんだ。知識の活用力をみる問題の正答率は小中とも5〜6割で、43年ぶりに実施した昨年度に引き続き課題が見られた。

 全国の小6と中3のほぼ全員にあたる約224万人が参加。国語と算数・数学それぞれについて、基礎を問う「知識」(A)と、応用力をみる「活用」(B)の2分類を出題した。生活習慣や学習環境の調査も実施した。

 中学数学Aは平均正答率が63.9%だったが、学校ごとにみると▽70%台1749校(参加校の16.5%)▽60%台4921校(同46.6%)▽50%台2763校(同26.1%)▽40%台501校(同4.7%)−−とばらついた。小学国語A(平均正答率65.6%)でも、正答率70%台の学校が22.4%ある一方、50%台の学校も19.1%で、基礎学力に学校間で大きな格差があることが分かった。

 分類別の正答率は、小学算数Aが72.3%で、中学国語Aは74.1%。A問題4分類の正答率は昨年度より8.1〜16.1ポイント下がった。B問題4分類は50.0〜61.5%で、10.5〜12.3ポイント低下。文科省は「過去の調査で課題が見られた内容を多く出題したため、昨年度より難しくなっている。昨年の正答率と単純には比較できない」としている。

 平均正答率の都道府県間格差(公立校)は、最大の中学数学Aで22.5ポイントあり、最小の中学国語Aでも10.8ポイント。8分類中5分類で昨年度より差が拡大した。秋田が5分類でトップで、福井、富山も多くの分類で上位。沖縄は全分類最下位で、大阪や北海道、高知などが多くの分類で下位だった。上位層と下位層の顔ぶれは昨年度とほぼ同じだった。

 昨年度と同様、就学援助を受ける児童生徒の割合が高い学校は、正答率が低い傾向が見られた。学習環境などの調査では、国数や総合学習を「役に立つと思う」と答えた児童生徒の割合が減った。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=592299&media_id=2

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