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こどもの教育コミュのとてもヘンだよ学校のテスト

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今、たまに勉強を見ている中学生の子どもがいます。
私の見る限り、もうそろそろ定期テストで60点くらい取っても良い実力を備えてきたはずなのに、英語で10点、20点の点数を取ってきます。
あんまりおかしいので、テスト問題を持ってきてもらってビックリ。
できるかい!こんな難問ばっかり!

どの問題も、
1.文法を理解している。
2.単語は教科書の試験範囲以外のものも全部憶えている。
3.応用問題を自在に解くことができる。
という能力を備えていないと答えることができないハイレベルなものばかりで、80点を取る実力のある子ども以外は、みな40点以下になってしまうようなテストです。
明らかに、どこかの参考書の引き写しでしょう、という問題ばかりが並び、教科書の内容と全然関係ありません。
聞いてみると案の定、70点、80点の子の山があって、50点、60点の子どもはほとんどおらず、30点以下の子どもの山があるという、正規分布になっていない状態。
これでは、30点の子が40点になり、がんばって50点になり、と、勉強が進むにつれて少しずつ点数が上がっていく喜びを感じることができません。
がんばってもがんばっても点数が伸びず、ある日突然点数が取れるようになるという、まるで「活性化エネルギー」が必要な状態。
 #理科系でない人、ごめんなさい。
活性化エネルギーを乗り越えられない子どもは、落ちこぼれ感を抱いたまま、勉強を投げ出してしまいます。

国語でも、50分のテスト時間で100問もあるような定期テストを出す先生がいます。
国語は考える教科なのに、1問20秒程度で解いていかないと間に合いません。

それまでできなかった子どもでも、やがて自信をつけ、学力が伸びていくテストとは何か?という思想を感じることができません。
これでは「学力の格差」がどんどんついてしまいます。
みなさん、あるべきテストの姿を明らかにしましょう!

コメント(95)

>私の見る限り、もうそろそろ定期テストで60点くらい取っても。。。
>国語でも、50分のテスト時間で100問もあるような定期テストを出す先生がいます。

  定期テストの話ですよね?
ちょっと自分は、学校の成績のつけかたを知らないんですが、実力テストも定期テストと同じように成績に反映されてるんでしょうか?

もし両方とも対等なら、今のように範囲なしのは実力テスト、範囲ありのは定期テスト、ってやれば良いですが、定期テストばかり成績に反映されてるなら、定期テストにも実力テスト的要素を混ぜないと効果は薄いかなと思うのですが。。
 私のような老人が、ここに書いて良いのかどうか迷うのですが、皆さんの真面目な論を拝見していて、どうしても一言書き述べたくなりました。

 ただ、別のトピックに書き込んだ時のように、私のような老人が書き込んだからといって、フリーズしないでほしいのです。

 多分、若い皆さんは、気付いておられるのでしょう。でも、遠慮して、口にも、態度にも、出されないのでしょうが、皆さんは、好むと好まざるとに関らず、大きな歴史の転換点に立たされているのだと考えます。そのことを無責任な老人として、ここに書かせてもらいます。若い方たちは、これからですからね、滅多なことは、口に出来ないでしょう、から…。

 別トピックでも自己紹介しましたが、42年もの長きに渉って子供に関ってきた老人です。但し、学校の教師ではありません。単なる個人的な恣意によってです。

 さて、昨年まで、私も、中学3年生の女の子の勉強を見ていた観点から、今の「テスト」について述べさせて頂こうと思います。

 私が中学生だったのは、もう50年も昔のことですから、まったく参考になるものではありませんが、当時のテストというのは、半紙1枚のもので、問題数も、ほんの僅かなものでした。しかし、その多くが考えさせられる問題で、丸をつけて済むようなものは、1問もありませんでした。(因みに、私の通っていた中学は、大阪では進学校として有名だった「天王寺中学」です。)

 昨年まで見ていた女の子の定期テストの国語の問題、用紙3枚に及ぶ百問テストです。50分の時間で消化するには、猛烈な特訓を受け、まるでスポーツをするようなスピードで解答していかないと時間が足りないもので、試しに私が解いてみたら、半分しかできませんでした。これでも「文章」を生業としているのですけれど…。

 どうして、こんな出題の仕方をするんでしょうか? 女の子には、言いました。「このテストは、50点満点やと思ってやればいいよ」って。作った本人が、この問題量で解けるのか、やってもらえば良いのです。やれるわけがない。

 このテストを見る限り、「狂気の沙汰」としか言いようがありません。しかし、教師が何をトチ狂っているのか、子供たちの自信を喪失させようと画策しているとしか考えられないのです。

 国語というのは、じっくり考えて答えを出してゆくもの。しかも、答えは単純に一つになるものではなく、その子、その子の捉え方を評価しなければならないもので、それだけに国語教師というのは力量を問われる立場にあるものと言えます。

 しかし、百問テストを実施する教師は、文部官僚の手先なのではないかと勘ぐりたくなるものがあります。何故なら、文部省の考えでは、7割の子供たちがオチコボレてくれなければ、この国が立ち行かないと考えているからです。

 多くの子供たちが、『俺は勉強が出来なかったから、キツイ、汚い、危険な仕事をしないとしょうがないんだ…』、と、思い込んでくれなければ、国が立ち行かないからです。その文部省の思いに追従して百問テストを出しているのではないか、と、勘ぐらざるをえないからです。

 若い方たちは、どのように考えておられるのか知りませんが、今の状況というのは、昭和13年体制(戦時下)のままです。戦時下に手に入れた権限を、国民にも、地域にも、地方にも、官僚機構は戻していません。

 国民は、政治的には「無能力者」状態に置かれています。何故、我が子の教育を他人の「官僚」に指図されなければならないのですか? 何故、自分たちの住む町をより良いものにするために為そうとする行為を、一々官僚にお伺いをたてなければならないのですか? 不思議に思われませんか…?

 ここでテストの内容について議論しているのでも、もし、私たちに教育権が真実あるのなら、地域の大人が寄り合って、「これはおかしい。あの先生に修正して頂く様にお願いしよう」と、話し合えば良いだけのことです。それが出来ないのは、私たちが政治的な「無能力者」状態に置かれている故のことです。

 考えてみてください。封建的と言われる江戸時代ですら、教育権は庶民の手にあったんですよ。それを、民主主義を標榜する現在、自分の子供の教育すらままならないというのは、どういうことなのでしょうか…?

 皆さんのマジメな議論を読めば読むほど哀しくなります。犬の遠吠えを聴くようで…。
58:
官僚が権限を渡さないのであれば、それでも本当に教育を変えたいのであれば、悲観なんてしてないで、いっそ自分自身が官僚になって国を変えれば良い、そう思います。

まぁ、そのためにはまず文科省に採用されないことには始まりませんが。


かく言う自分は、面接当時それほどちゃんとした考えを持っていないのを見透かされたのか、その割には従順でなかったからか、採用はされませんでしたが、今から就職しよう、と考えてる人たちが、教育を変えようとして文科省に行くのは有りだと思います。
というか、行ってほしい。


そういう人が増えてくれば、国の方針は変えられる、逆に、いくら現場から発案しても、文科省の内部にも同じ意見の人が増えないと変わることはないと思います。
にゃーさんの意見は、自分が民主主義の国に生きていることを自ら否定するものだと思います。
官僚は君主ではなく、本来、ただの役所の人間です。
国民の意思を遂行することだけを仕事とする人たちで、意志決定をしてはいけない人たちです。
「官僚にならなければ変えられない」というのは、この国が官僚という名の君主に支配された国家であることを自ら認めているということです。
そして、自らはその決定に唯々諾々と従う奴隷に過ぎないことを、認めているようなものです。
にゃーさん、ホンマにそれでいいんですか?

私も鬼道さんと同じく、この国の人々は政治的無能力者の立場におかれていると考えます。
これは、にゃーさんもお認めになってしまったとおりです。

>いくら現場から発案しても、文科省の内部にも同じ意見の人が増えないと変わることはないと思います。

ということは、国民の意向を無視する独裁者の壟断を、私たちは指をくわえてみているわけですね。
独裁者様がよきに計らってくれることに一縷の望みを繋ぐよりほかない、我々は無力者なのですね。
たまに選挙で投票するだけで政治的な行動を行ったかのように錯覚して喜んでいる、私たちは気のよい愚か者なのですね・・・。
60:
まず、自分は今の日本が民主主義社会であるだなんて思っていません。

建前上は民主主義だなんて言っても、実際問題官僚が実権を握っているのであれば、そんな世の中を変えるためには自分自身が官僚になってそのための権限を持つことだって必要だと思います。


そういう社会が良いとか悪いとかじゃなく、現実問題そういう社会なのだから、本当に変えたいのであれば、変えるための実権を持つ立場にならないことには難しい、そう言っているのです。


もちろん、政策決定のためには客観性を持たせるために各種統計などを使用するわけだから、現場の声、社会の声が大きくなれば変えられるかも知れません。


でも、統計資料なんて意図的にどうとでも変えられます。

まず結論ありきで、その結論を補強せざるを得ない統計の取り方なんていくらでもできます。


だったら、自分自身が官僚になって実権を握ることが、国を変えるためには一番良い方法なのではありませんか?


みんなの意見を反映できる社会にしたい。

なら、自分がその仕組みを作る立場にならなければ始まらない。

自分はそう思います。


現場の声がいらないわけではありません。

仕組みを変えられる立場になったとき、それを後押ししてくれる資料は不可欠なのですから。



世の中を変えられる立場と現場の声。

その両方がないことには世の中は変えられない、そう思います。
にゃーさん、あえて挑発的に書きます。

>建前上は民主主義だなんて言っても、実際問題官僚が実権を握っているのであれば、そんな世の中を変えるためには自分自身が官僚になってそのための権限を持つことだって必要だと思います。

ほほう。官僚になるしか世の中を変えることができない、と。

>仕組みを変えられる立場になったとき、それを後押ししてくれる資料は不可欠なのですから。
>世の中を変えられる立場と現場の声。

現場の声は、単なる資料でしかないと。
「民草」でしかないと。
62:
もちろん官僚になる以外にも方法はあるのかも知れません。

が、それではその方法とは何なのか?


本当の意味での民主主義社会にしたいのであれば、今の社会をぶっ壊して再構築するくらいの大改革が必要です。

そんなことをする方法がありますか?

どんな意見にも必ず反対意見はあり、しかもそれはそれなりに一理はあるものです。


つまり、これだけの大改革をするために必要不可欠なはずの、国民の総意を得られる手段がありますか、ということです。


どちらにせよ国民の総意を得る手段がないのであれば、今の枠組みの中で、できるだけ総意だと思われる資料(とそういう結果を得られる統計の取り方)を用意し、それを利用して国を変える立場になることが、一番現実的な方法なのではありませんか?
鬼道さん、

日本の現状を奇麗に説明して頂き難うございます。

>私たちが政治的な「無能力者」状態に置かれている故のことです。

そういう面があることが悔しいですね。


>皆さんのマジメな議論を読めば読むほど哀しくなります。犬の遠吠えを聴くようで…。

この最後の一文で何を言おうさされていたのか、もう
少し説明して頂けると嬉しいです。
現状は分析できた。
さて、これからどうしたらいいのか。
我々は何をして行けばいいのか。
そこのところを鬼道さんがどうお考えなのか、是非とも
お聞かせ下さい。
にゃーさんのご意見はとても赤裸々で、非常に重要なことを浮き彫りにしていると思います。さらに挑発的に、質問をぶつけます。

>本当の意味での民主主義社会にしたいのであれば、今の社会をぶっ壊して再構築するくらいの大改革が必要です。
>そんなことをする方法がありますか?

つまり、官僚は現場を知らなくても平然と権力をふるう、独裁者のような愚か者の集団であり、
国民は現場を知っても権限を与えられず、ただ官僚に対してはいつくばるだけの無力の集団だと。
そして官僚は、その現状を改善する手段さえ、国民から奪っているのだと。

>つまり、これだけの大改革をするために必要不可欠なはずの、国民の総意を得られる手段がありますか、ということです。

つまり、この国は、国民が総意をまとめることができないような仕組みになっている、と。
国民が一人一人バラバラになり、官僚が自在に決裁できる、官僚にとって都合のよい仕組みで運営されているのだと。
61:にゃーさん、これも重要ですね・・・。

>もちろん、政策決定のためには客観性を持たせるために各種統計などを使用するわけだから、現場の声、社会の声が大きくなれば変えられるかも知れません。
>でも、統計資料なんて意図的にどうとでも変えられます。
>まず結論ありきで、その結論を補強せざるを得ない統計の取り方なんていくらでもできます。

タウンミーティングでのやらせで「国民の声」をねつ造しようとしたこともそうですが、「統計」という、官僚にとって都合のよい「事実」をねつ造して、この国を動かすのが官僚の常套手段だと言うことですね。
自分の都合のよい結論が出るような統計の取り方をし、それによって自分たちの意図する方向へ、国民を誘導しようとするのだと。
国民の声を聞くフリをするのが上手で、その実、国民の声を無視するのが常態化している、それが官僚である、と。

この国を変えるには、官僚になるしかない、しかし官僚になれば、組織の力に屈して、一緒に腐ったミカンになっていくのでしょうね。
そして、国民は腐ったミカンを取り除くことさえできない。
やがて、国全体が腐ったミカンになっていく。
「将軍様」に支配された国のように。
私たちは、他の国のことを笑えないのですね。
ただ私たちは、「パンとサーカス」の豊かさを与えられている点だけが違うと言うだけなのですね。
けれど、そのパンとサーカスさえ、財政悪化でもはや続かない。
腐ったミカンの腐臭は、この国全体に広がろうとしていると言うことですね。
官僚という点では、こんなことも。
<単位不足問題>教育長らに教員の厳正処分求める 文科省

 高校での単位不足問題で、文部科学省は22日、都道府県、政令指定都市の教育長らに対し、学習指導要領を順守していなかった教員らを法令に照らして厳正に処分するよう求める通知を出した。
 通知では「故意に法令に違反した」「過去に同様の処分を受けながら再度不適切な行為をした」場合などに厳正な処分を求めた。公平性を保つため、具体的な処分事例を示すことも検討したが「(文科省は)任命権者ではなく、法的根拠もない」(初等中等教育企画課)として見送った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061222-00000138-mai-soci

明らかにトカゲのしっぽキリですね。
責任は現場にだけ押しつけて、
自分たち官僚は、何にも責任をとらない。
官僚は、日本のガンですよ。
ならば、上の記事はいったい何なのでしょうか?
まっとうな会社なら、まずトップが責任をとるはずです。

やらせ、未履修、はたまたゆとり教育、学力低下問題で、
文科省の官僚の誰が責任をとってやめたでしょうか?
誰一人やめていませんね。

これ以上は言うまでもないでしょう。
官僚は悪い、自分たちは無力。


そんな不毛な話をしているわけじゃありません。


どう感じようと、制度を変えるためには変えるための立場にいなければならないし、それをやらないで現場から声を出すだけ、というのも無責任だと思います。

つまるところ、現場で何か起きれば政策決定者に責任をなすりつけて、自分たちは批判するだけ。


この態度は、官僚が無責任だというのと同じレベルで無責任なことだと思います。


今の官僚制度が悪い、と思うのであれば、自分が全責任を負ってその制度を変える必要があるでしょう。


そしてそのための現実的な手段が自ら官僚になることであれば、そうするべきでしょう。


外から言うだけで変わるほど、社会構造なんてやわじゃありません。


本気で変える気があるのなら、その腐敗現場に自ら乗り込み、毒をもって毒を制す、という信念がなければ、そんなのはただの戯れ言に過ぎないと思いますよ。
はむよめさん、ご不快に思われる気持ち、承知しているつもりです。けれども、
>でも、統計は、各学校が各市町村にあげて、それを県がまとめて、それを精査して現状分析をして、経済界の意向も反映させながら施策を決定する基本材料になりますよね。

というのは、にゃーさんが指摘しているように、
>でも、統計資料なんて意図的にどうとでも変えられます。
>まず結論ありきで、その結論を補強せざるを得ない統計の取り方なんていくらでもできます。

という方が事実に近いのです。
自分の都合のよいように国を動かしたい場合、最初から都合のよい数字が出てきそうな統計の取り方をします。
数字をねつ造することは滅多にしませんが、印象が全く逆になるような統計の取り方というのは、実によく行われているものです。
統計の数字が出てからそれを精査して現状分析する、というのが、はむよめさんの仰るとおり「統計の正道」なのですが、
実際にはその逆に、あらかじめ都合のよいメッセージ性を付加できそうな数字をひねり出すため、都合のよい統計の取り方をし、もっともらしく体裁を整えるという「統計の邪道」を官僚が行っていることは、官僚の働く現場ではよくあることです。

私事ですが、私自身の経験でも、似たようなことがあります。
2002年に、「日本は何人養える?」というレポートを発表したことがあります。
 #現在は以下に掲載されています。
http://www.es-inc.jp/lib/archives/051017_164712.html
http://www.policyspace.com/archives/200604/post_495.php

このレポートは財務省や外務省など、多くの省庁で読まれました。

ところが、A11で紹介した農水省の98年シミュレートが、このレポートの発表後間もなくして農水省のホームページのもとあった場所から消え、奥まった場所に格納されてしまった上、改めて「数字の解釈」をし直し、別のシミュレート(H17版)に置き換えられてしまいました。
農水省にメールで問い合わせたところ、1ヶ月以上経ってから妙に鄭重な電話をもらい、「数字は解釈によって違いますから」という返事をもらいました。
私のレポートは、農水省にとって、とても戸惑わせるものだったようです。

官僚の仕事は、客観的な統計の数字から、事実をくみ取るというのではなく、「事実のような印象」をひねり出すために最初から統計の取り方も工夫したり、出てきた数字も取捨選択して都合のよい体裁を整える、と言った方がむしろ現実に近いように思います。
統計の数字は、世論を意識的に誘導するために発表しているくらいに思って、読んだ方がよいことが少なくないですね。
にゃーさん、

>どう感じようと、制度を変えるためには変えるための立場にいなければならないし、それをやらないで現場から声を出すだけ、というのも無責任だと思います。

つまり、官僚になることのできなかった99%以上の国民は、黙ってろ、ということですね。
74:
うーん。
どうしてそう短絡的に結論するのでしょう?

官僚にならなければ黙ってろ、ではなくて、今の制度上、現状ではみんなの意見をきちんと吸い上げられる仕組みにまだなっていないのです。

そして、その仕組みを変えられる可能性があるのは現時点では同じ官僚だけ。


だとすれば、おかしいとわかっているそのルールを逆手に取って、駄目な官僚に反論できない形で仕組みを変えるしかないでしょう。

となると、そこに出して彼らを説得するための下資料としての統計データは必要不可欠です。

今の官僚の統計の取り方がおかしいと証明するためには、正しい方法で取った統計データを示すしか方法はないのではありませんか?

そのとき、現場の99%の声がなかったならば、それがすなわち正しいデータなんだ、ということです。



現場からの声がないと国は変えられない。

だけど、その声をきちんと聞く人が政策決定組織の内部にもいないと意味がない。



黙ってても国は変わらないし、声を出すだけでも変わらない。


それだけです。
にゃーさんのことばを、あえて素直にとって見ました。

>現場からの声がないと国は変えられない。
>だけど、その声をきちんと聞く人が政策決定組織の内部にもいないと意味がない。

つまり、ここで議論されていることも意味がない、ということになりますね。
心ある官僚の人間がここを読んで、活動するのでない限り。
私たちは、ただおしゃべりを楽しんでいるだけなのですね。
「民草の声を官僚がお取り上げ下さる」のでなければ、何にも変わらないし、変えられないのですね。
はむよめさん、
>そういうことを承知の上であの表記には不快感を感じましたけど。

不快な思いをされたことと存じます。
ただ、もし現象がまずい状況になっている場合、表記も不快なものにした方がよいことがあると思うのです。
「ミカンがペクチン分解酵素により組織の自己融解を誘発し続ける」と表現したら不快感がありません。しかし、「ミカンが腐っていく」といえば、面倒なことが起きているということが伝わります。

「ミカンが腐る」という表現は不愉快かも知れませんが、実際に腐っていく現実を不快に感じることの方が大事なのではないか、と思うのです。
 #官僚の中にも心ある人がいます。しかし、自浄作用に期待できないのも事実。にゃーさんの意見を無茶に思うのも、そのためです。
77:
はっきり言って、ここで何を語ろうが、それだけで世の中が変わるだなんて思って語っている人はいないでしょう。
もしそう思っているなら期待し過ぎです。


大事なのは、ここでこういう話をしているのを、色んな人が見て感じて考えること。

その中から、少しずつでも国を良くしよう、と思う人間が出てくること。

国を良くしよう、と考える人が増えて、その人たちが教育現場や省庁に散らばること。



そうやって、内外両面から固めていかないと国の方針なんて変わりませんよ。



教育現場の声が役人には届かない。

国の方針を決めているのは官僚。

統計も意図的に歪められる。


そんな社会が今の日本です。



それに対し、ただ批判するのは簡単ですよ。

自分には何の責任も発生しないわけですからね。



だけど、本気で変えようと思うなら、批判するだけでは足りないのです。


自ら腐敗の現場に乗り込んで変えようとしない限り何も変わりません。


役人の自浄作用に期待できないのなら、なぜ自分がそこに行って浄化しようとしないのですか?

乗り込んで周りに潰される程度の思いなら、どこで何をしたって変えられませんよ。


腐ったみかんが沢山いる中に、少ししかきれいなみかんがいないから腐るんであって、それならきれいなみかんをもっと増やして送り込めば良い話でしょう。


それをやらないとか否定するとかいうのは、今の役人が教育現場を知らずに方策を決めているのと同様、施策決定の現場に行かずに文句だけ言っているという意味において、同レベルの無責任さだと思います。
ちょっと・・・素直にトピックに対して書き込みしようと思います
保育士していて、あんまり学校教育とはかけ離れている職種ではありますが、学校とコンタクトを取ったりもしているので。

殆どの先生は何だかんだ言っても人間なので、自分の教えた子はカワイイと思います。
テストは、ただどの位のレベルかを見るモノでしょう。
どの位の子が塾に行っているかとか見たいのもあると思います。
官僚というのはただ統計を出して指針を決める、そして現場に伝える機関であって、それに追従する必要はないと思います。
ちなみに保育関係では何人の子どもに何人の保育士。
しかしそれはお金と要望から統計を取って最低レベルを作っているにも関わらず、現場はそうしなくてはいけないと思い込む。
そうすると官僚も使い易いと思うでしょう。
お上感覚を現場が持っているので、それに反抗したら官僚もタジタジでしょう。
あんまり言葉を濁さず、ハッキリものを言う事が必要だと思います。
テストはテストでそれで将来が左右されるものではありません。
そう思い込んでいるより、こんなテストもある。
ただこういうトピックに出さないと、世の中が無関心になる。
公務員試験もそろそろなくなるべき制度です。
年齢制限もそもそも労働基準からは外れています。
官僚はただの統計とお金の流れを毎年しているおじさんおばさん達で立派とは思いません。。。。
にゃーさん、

>役人の自浄作用に期待できないのなら、なぜ自分がそこに行って浄化しようとしないのですか?

にゃーさんは国交省関連のご職業のようですが、私のことをご存じありませんか(笑)?
別に国交省の方でなくてもいいですが、改革派を自負している若手官僚がいたら、どこの省庁の人でもいいから、私のことを聞いてみてください。
賛否両論、いろんな意見が出るかも知れませんが(苦笑)。
にゃーさんが、官僚批判を批判するのは納得しませんが、気構えの強さは嬉しいです。
その調子でこの先もお願いします。
 
Shin さんと、にゃーさんの議論ですが、
二人の言い分を足して2で割れば、

  現場にいて言いたいことがある人は遠慮せず言う
  現場の声を吸い上げたいと真に思う人が官僚になる

という、あるべき姿が実現するのではないんでしょうか?
 
 
Shin さんが、いみじくも言われてますが、
批判と批判の批判をやりあっていても前に
は進まないので、このあたりで少し、前を
向いた話に切り替えて行きませんか?
 
 
鬼道さん、
御説明ありがとうございました。そのとおりだと思います。
これからも、もっと色々な人の話を聞いて、広い視野から、こ
の「こどもの教育」という重要な問題について深く考える機会
を持ち続けたいと思います。

鬼道さんのまとめの言葉にあります『一人ひとりの国民が「権
限を我々に戻してほしい!」と、声を限りに叫び始めることが
重要だ』ということは、このコミュニティでも、なんども話し
あってきました。

ここに参加しておられる方々は、多かれ少なかれ、鬼道さんと
同じ感覚を持っておられると思いますが、問題なのは、鬼道さ
んの言われる『事実に、ほとんどの国民が無自覚』ということ
ですね。

残念なことに、この数十年の間に、その「無自覚、無関心」と
いう人達を、教育が大量生産してしまいました。
このような話し合いの場に参加しようとは考えない親達、つま
り、何が一番いいことなのかは全部お上がやってくれること、
自分たちに直接被害がおよびそうな時には、目の前にいる一番
文句を言い易い人に文句を言えばいいのだ(駄々をこねるような
ことしかできない)というような人達が、極端に増えてしまって
います。
そのことがまた教師をスポイルしてきたとも思います。

受験勉強一辺倒、与えられたものを鵜呑みにして、「偏差値」
さえ上げる努力をすれば、いい大学に入れて、いい会社に入れ
ると子どもの頃に思い込まされて、脇目も振らずに大人になっ
てしまった。しかも、これに加えて、大学に入っ時点で「さぁ、
何もかも忘れて遊びなさい」とそそのかされて大人になってし
まった。そこに問題の根源があったように、僕は思います。
 
鬼道さんがおっしゃる「権限を我々に戻してほしい!」という
言葉が何を意味するのかを理解できるような人を育てるという
教育を取り戻すことを並行して進めていかないと、それを叫ん
でも受け止める人がほとんどいないというところにまで、事態
は悪化しているように僕は思います。

そういう意味で、「権限を我々に戻してほしい!」という声を
上げることの他に何ができるのか? 一体何から手を付けて行け
ばいいのかということを議論しているつもりです。

先に、鬼道さんは「皆さんのマジメな議論を読めば読むほど哀
しくなります。犬の遠吠えを聴くようで…。」と書かれました
が、みんなもっと真剣に考えておいでなんだと思います。

いかがでしょう?
 
 
 
鬼道さんが言われている『住民同士が、今一度、手を繋ぎ直す』こと
このコミュニティはまさにそれの一つの取り組みだと思います。

でも、一度壊滅状態にされてしまった、
 >住民自らが集い、自分たちの地域の子供たちをどのように
 >育てるか、喧々諤々議論し、方針を立て、希望する教師を
 >招聘し、自分たちが望む教育を委嘱するような、戦前に存
 >在していた形式
を復活させるのは、とてもエネルギーのいることなんだと思います。

だからこそ、あちこちで熱い議論になるんでしょうね。
 
 
鬼道さん、

お気持ちよく分かりました。
また、これまでやって来られた活動についても、頭が
下がる思いです。

犬の遠吠えでも沢山あちこちから聞こえてくれば、そ
れなりに、みんなが耳を傾けて、それが吠えているの
ではなくて、ちゃんと言葉を伝えようとしているのだ
と気が付くようになると思います。
 
> Hiroさんは、どのように考えておられるのでしょうか?

この問いには、次のような答えが、今の僕が考えてい
ることです。

僕は 30年、企業の研究所にいました。
何人もの新入社員を教育してきました。
学会でも若い研究者を叱咤激励してきました。

今、大学で若者を指導しています。
この後何年かは、それを続けることになります。
その中でやれることは、世界に出しても恥ずかしくない
エンジニア、研究者を育てることが第一の仕事だと思う
のですが、同時に、僕がかかわることになる若い人達に
は、人生には何が大事なのかということを考えてもらい
たい、そして、その先では、自分の子どもをどう育てた
いかということを真剣に考えてもらえるようになって欲
しいなと思っています。そういうことを大事にしながら
学生さんたちと付き合って行こうと考えています。
 
 少し配慮が足りなかったようです。私の書いたものは、すべて消去させて頂きました。
他のコミュでの話を持ち込んでしまうことになりますが、答えを得られず、もやもやした気持ちがあり、このトピを見つけたので、カキコします。

前々から中学生の相手をしているときに学校の定期テスト等を見てきましたが、このトピにも挙がってるテストのように、問題の性質が、授業中に行ったことを素早くトレースする能力が問われるものがほとんどで、なおかつ、問題数が多く、ノンストップで反応しないと終わらないものばかりという感じで見てきました。

なので、中学の先生コミュで
なぜこういうタイプのテストを出すのか?
問題数を少なくするとどういったデメリットが生ずるのか?
等を聞いてみましたが、レスをもらえませんでした。

テストが変われば、勉強の仕方も変わるので、
考える力を育てるという目標があるのなら、今のままでは、いけないと思います。

レスしてもらえなかったのは、自分の聞き方が下手だったこともあるとは思いますが、今までのテストの形式のままでいいと思っているから、レスがないのか?それ以外の形式でテストすると都合が悪い何かがあるのか?

もやもやした気持ちを、八つ当たり的に書きこんでしまいました。すみません。
沖縄の学校がまさにそうなっています。
単に、試験を受ける立場を考えられなくなっているだけだと思います。

こういった現象も教員の質の低下の証拠の一つと思います。
大学生の上の子が下の子の英語のテストを見て一言。 『難しい』問題数は少なくて簡単そうに見えるけどトラッブがいっぱいで混乱するそうです。
因みに上は私立の中高一貫に進学に高二からは特別進学クラスに行き。大学は英語系です。学校のワークは基礎だけどテストの問題は全て応用。公立中学校の試験何てこんなもんです。優しい問題出してみんなが高い点数取っても意味ないですよ。レベルの高い高校に行く為には問題もハイレベルにならないとダメなんですよ。
基礎キチンと勉強したからと試験で高い点数が取れるわけじゃあないです。
札幌の場合は私立の中高一貫校の方が基礎をキチンと教えている事も有るのです。
変な話しだけどだから高校になると基礎だけをしっかり習った中高一貫の生徒の方が公立中の卒業生よりレベルが低い何て事も起こり得る。基礎だけをしっかりやっても学力は上がらないのです
りーさーさん:
愚痴につきあっていただき、ありがとうございます。
せっかくの機会だったのに、上手に話を聞くことができずに終わってしまい、自分の文章力のなさに凹みました。

自分自身が、小学校と高校で勤務して、中学の経験がないので、なぜ、中学では、40〜50問が標準(これは、自分の周りの学校だけの話かもしれませんが)となっているのか、ずっと疑問でした。

年度が変わったことをきっかけに、聞いてみようと思ったわけですが失敗に終わりました。

もし、このコミュに中学の先生がいらっしゃいましたら、どういった事情から、問題数が40〜50問のテストを作っているのか教えていただけると嬉しいです。

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