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尖閣諸島問題コミュの尖閣「無主地」江戸時代(1616年)に確認

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 1616年、当時の徳川政権が明国(中国)に対し、尖閣諸島がどこの国にも属さない「無主地」であることを確認していたことが16日までに、明国側の漢文史料で明らかになった。日本政府は明治28年(1895年)に尖閣が無主地であることを確認して領土に編入したが、漢文史料を発掘した長崎純心大の石井望准教授は「この史料で日本側の確認の年代が280年繰り上がる」と指摘。尖閣を「日本が盗んだ」と非難する中国政府の主張が成立しないことを示す有力な証拠になりそうだ。

 石井准教授が新事実を発見した史料は、明国の「湘西紀行(しょうせいきこう)」「東西洋考(とうせいようこう)」「盟鴎堂集(めいおうどうしゅう)」の3種。

 それによると、元和二年(1616年)、日本から台湾征討のため派遣された使者明石道友(あかしどうゆう)が漂流し、福建沿岸の東湧島(とうゆうとう)(今の馬祖列島東端)に停泊した。

 その際、明国の偵察員に対し「大明の境界に入らず」(明国の領土には立ち入っていない)と述べた。明石は出航前にも、長崎代官から「天朝(てんちょう)の一草一粒(いっそういちりゅう)をも犯すを許さず」(明国の領土に立ち入るな)と厳命されていた。

 石井准教授は「明国の領土を犯さないように、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したことを史料は示している。当時の尖閣航路は季節風を利用する帆船の一本道。その西の出入口に東湧が位置するため、尖閣航路全体を無主地として日本側が確認していたことが分かる」と分析した。

 1895年に日本政府が尖閣を領土に編入したことについて「明治の確認は決して一夜づけでなかったことが明らかになった。中国側の『盗んだ』などの主張は全く成り立たない」と強調した。

 石井准教授は、2月4日に開かれたキャノン・グローバル戦略研究所の研究会で今回の研究成果を発表。「島嶼(とうしょ)研究ジャーナル」(島嶼資料センター)4月最新刊にも掲載する。

http://www.yaeyama-nippo.com/

コメント(7)

中国にとって、そんなことはどうでもよいと言うことで、
認めないでしょう。

韓国も同じです。
国民に教え込む。
敵視政策の一つです。

でも、日本のマスコミは日本人にもっと報せなければならない。
中国人は理屈じゃないんですよね。
「歴史的に中国のものと習った」から「中国のもの」なんですよね。

ぼちぼち「沖縄は中国のもの」を言い出していますから、
十数年後には中国人が「沖縄は中国のもの」と口をそろえて言い出す日が来るでしょうね。
韓国は対馬は韓国領と言うグループが増えている。
日本憎しで、なんでもありありてす。
4〜500年前から尖閣列島から
日本列島は中華大陸に所属するのかね?だねえー、皆さん。
彼らは金の為なら、なんでもやらかす。

実際、このコュニティにも、国際法に問題があるので、
海上保安庁は尖閣諸島から手を引けと書き込みする人間がいる。
島嶼研究ジャーナルの創刊号と第2巻1号をamazonで買いました。
残念ながらこれら2冊には石井准教授の論文は載っていませんでしたが、連休中にこれを読んで尖閣諸島問題への理解を深めようと思います。

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