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大西巨人コミュの神聖喜劇を読んだきっかけ?

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すみません、書き込み失礼します。
このコミュ比較的堅そうで、あまりトピック立ちませんね。

皆さんが神聖喜劇を読まれたきっかけや理由など教えて頂ければ嬉しいです。
感想も大歓迎です!

ちなみに僕はまだ未読なんです。1巻の半分位まで行きましたが、まとまった時間がとれずその時は止めました。

次回読むきっかけにしたいので、書き込み宜しくお願いします!

コメント(30)

「リテレール」の渡部直己さんの紹介を読んで知りました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c0%c0%bb%b4%ee%b7%e0?kid=8142
スガ秀実の批評を読んだのがきっかけです。
大学時代の恩師に紹介されて読み始めました。
初めて『神聖喜劇』に接したのは2002年ですね。当時、光文社から毎月一巻ずつ発売されていて、次の巻が出るのを心待ちにし、最終巻が出版され読了した時にはなんとも言えない感動を覚えました。
一度目に通して読んだときは、作品の筋を追うので精一杯でしたので無限に出てくる引用文献などは、まったくといって良いほど理解できていませんでした。もちろん、今でも理解と言うには程遠いですが、それ故に何回も何回も読み返して新しい発見、疑問に出会うことができます。一生読み続けるのではないか思います。
森さん、あのオトナさん

書き込みありがとうございました!
出来れば感想なども宜しくお願い致します。

赤レンジャーさん

丁寧な書き込みどうも!
読みたくなってきますね!
『深淵』『縮図・インコ道理教』も読んでね☆
皆様、書き込み誠にありがとうございます!

段々読みたくなって参りました。

しかし大量に読書予定の本を抱えておりまして、一体いつになることやら・・・・。

多くの方が一生読み続けたいとコメントされていますね!
かなり勇気づけられます!

埴谷雄高が嫉妬するほどの小説ですから、やはり物凄いのでしょうね(笑)
『神聖喜劇』を読んだきっかけ・・・。
それは私の場合、行きつけの古書店の店主に薦められて、です。
もう7、8年も前のことですね。文春文庫版の紙が酸化して黒ずみかけた全5冊をその店で買って読みました。
それからかれこれ5回ほど読み返しました。
読むたびに考えさせられ、自分のあり方を反省させられますね。
こんにちは。私の祖父が新採教員の時に大西氏の担任になり、小学4年から6年に飛び級させようとし、結果は5年になった、とか祖父らしい人が出る場面があるらしい、と聞いてます。
小学生の頃から、読んでますが、ーー。
初めて読み始めたのは1970年ごろだったでしょうか。 カッパブックスの物で3冊ぐらいだったでしょうか。 その後1980年代になって5巻を読み終え、今に至ります。

川端がノーベル賞を取った時には大江があるのにと思い、大江が取った時には今は大西でなければと、ノーベル賞のよたよた後追いのあほらしさを再確認した次第。 ちゃんと翻訳できる人がいないんでしょうね。

このような戦争文学を残せないノーベル文学賞など無くても良いと思ってます。
何かの雑誌で紹介されていた記憶があって全巻買い揃えました。
記憶をたどってみて手持ちの雑誌を見たんですが、『神聖喜劇』についての記述はありませんでした。
では、あの記憶は何だったんだろう? 記憶は嘘をつくというしな・・・藤堂君のような超人的な記憶力もないし・・・
もし、手持ちの本を処分することになって、残すべき本のリストを作り上げるとしたら、必ずリストアップしますね。
そういう本です。また何かのおりに読むつもりでいます。
はじめまして。
大岡昇平氏の『成城だより』で谷崎賞辞退の件が触れられていて
作品と大西氏ご自身の人柄に興味をもったのがきっかけです。
読み始めてひと月、ようやく三冊読破(ちくま文庫、全五冊)。
おもしろすぎる。

別の作家の方の作品ですが、作中に引用された作品を
すべて読破しようというコミュニティが立ってますね。
さすがに『神聖喜劇』ではムリかな。
野間宏の『真空地帯』を読んでいて、あの戦争中には、抵抗するのは不可能だった、という言説に対して、抵抗した人間がいたのだ、と知って読み始めたのでしたでしょうか。
 それが、『神聖喜劇』でした。
はじめまして。最近全五巻(光文社文庫版)読了しました。
読んだきっかけは、昨年『人間の條件』を読んで、こういう作品をもっと読んでみようと漠然と思っていたところ、漫画『人間喜劇』の宣伝を見て、次はこの作品を読んでみようと思い立ちました。しかし、漫画を読む前に原作の小説を読んでからでないと、漫画を評価できないと思って、まず小説から読むことにしました。
光文社文庫第一巻の末尾に様々な作家による評が掲載されており、その中で瀬戸内寂聴が「この作者から女には読ませないぞと突き放されているような気がする」と書いていますが、私はそういうふうに感じることなく、恋愛を描いた箇所以外も、とても面白く読めました。
特に、3巻末から5巻にかけては、東堂自身がシャーロック・ホームズを引き合いに出していますが、まるで推理小説のように謎が解けていく様にとても興味をそそられ、短い間に一気に読んでしまいました。
筋立ての面白さだけでなく、主人公はもちろんのこと、個々の人間像がとても豊かに描かれており、大前田軍曹や吉原のような人物にも人間的な側面があることを描いている点、深く感銘を受けました。
東堂と冬木は別格として、それ以外の人々の中では、私は生源寺さんがとても気に入っています。
 いわゆる戦後文学の人気投票(?)で、一位が『死霊』で二位が『神聖喜劇』だった。
 書店で光文社文庫を見つけて帯の『不滅の文学』という宣伝文句には、まあ、あまりセンサーが働かなかったが、第一巻の巻末でいろんな作家や批評家が賛辞を送ってたので、どうやら本物らしいと思い読んでみた。
 間違いなく、『読みやすい』小説ではないと思う。ただ、あのペースになれて、大前田や村上の人物像がつかめてくると、とにかく面白い。絶品。
>すずなさん
 寂聴は、もちろん作家としての腕がどの程度で、どれほどの批評性を持ってるのか、といったところはわからないけど、あの『神聖喜劇』への評を読む限りあまり大した物書きではなさそう。
 そもそも、文章からして女を受け付けていないように思えるって、ねえ??フェミニストと言わないまでも、もう少し考え改めなきゃいけないんじゃないかと思った。寂聴の評はいらないですね。
 現在、5巻を読んでいます。読み始めたきっかけということなので、読んでいる途中ででも許されるかなと思いまして。
 僕がこの本を読み始めたきっかけは、まさにMixiで『神聖喜劇』について紹介されてあったからでした。
  
 戦争中の教育兵として徴集していたわずか3ヶ月間のことについてであったに関わらず、このボリューム。前半のうんざりする程の古今東西を問わず書籍の引用(乱用?)、話が先に進まないもどかしさがあり、辟易する所も多々ありましたが、後半から比較的話がスムーズに進み(あるいは単に文体に慣れてきたためかもしれませんが)、ある種の面白さを感じつつ読んでいます。
>じろうさん
 同感です。彼女以外に女性の評が掲載されていないので、よけいにそう感じました。女は色恋沙汰を描いた小説しか関心がないとでも言いたいんでしょうか。「女」と書かずに「私」と書いてあれば、特に異論はなかったのですが。
>すずなさん
 でしょうね。彼女はおそらく自分の感受性が、いわば市民権を得たある程度の多数派と重なると思っているんでしょう。フェミニズムを濫用する輩にも辟易するけど、だからといってああいった手合いにも要注意でしょう。
 そもそも『神聖喜劇』というか、大西巨人という作家は、たえずそう言った、ややもすればタブーとして口を閉ざしがちな問題に対して慎重に、ストイックに接近していくというスタンスでしょう。それによせる評としては、寂聴のそれはなんとも不釣り合いだな。
 僕としては、第二巻、第三巻の阿部和重、保坂和志の解説が示唆的だったと思います。
>じろうさん
 第二巻の解説に、ここから先は「ネタバレ」になると書いてあったので、読むのを控えていましたが、全部読み終わったので、心置きなく読んでみました。
 阿部和重氏の解説で、『神聖喜劇』の特徴をなす数多くの引用が、「声の多重化」という意義を持っているという指摘、この物語の「最高度のエモーショナルな瞬間」において、東堂の内面においてだけでなく、「物語上の出来事の中で実際に声の多重化が生ずる」という指摘が、特に印象的でした。
 また、保坂和志氏の「この小説はとても論理的に作られているけれど、その論理的な構えの底を貫いているのは強いエモーションなのだ」という指摘もなるほどと思いました。期せずしてどちらにも「エモーション」という言葉が入りましたが、小説において「エモーション」というのはそれを創りだす側にとっても鑑賞する側にとっても欠くべからざる要素だと思います。
 ついでながら、この時代の男性はどんな人でもけっこう男尊女卑的な傾向があるものだと思いますが、東堂の「見送る側が男であっても、女であっても」という言葉、そして、実際に東堂が見送る側に立つことになる場面からは、そういう思想・観点は微塵も感じられません。
>すずなさん
 そう、あの阿部の解説は良かったし、『教育』という一語でうまいこと(?)まとめてた。保坂の評も良いですね。『二十一世紀前夜祭』を探してはいるんですけどなかなか見つからない。
 あのクライマックスは泣きそうになりますね。冬木は東堂にとって、そうそう都合の良い脇役ではありえない。それは大前田や村上に関しても言えるけど。
 漱石の『文学論』(岩波文庫で最近上巻が刊行)でも同じ事を言ってますよ。長々した引用は、それだけ強烈に、なにか正しい答えの為の道程なのでしょうね。
 男尊女卑に関しては、大西先生自身、『五里霧』の中でもそれに焦点を当てた短編を書いてますから、やはり重大な関心事なのでしょうね。ついでにだめ押しで寂聴をくさしておけば、あの『彼女』との逢い引きの場面ですら、東堂の『我流虚無主義』の重要な要素・段階にあたってるわけで、その意味でも寂聴の評は当たらない、と思います。
大好きな、大西さん、大西巨人の「神聖喜劇」全五巻読破!(昭和59年夏〜昭和60年冬・因みに自分は、昭和30年生まれです。現在59歳年男であります。)なくして、それこそ、その後の「神聖喜劇的な」、サラリーマン生活を、乗り切る事は(昨年末、59歳にして、自営として独立し、「神聖喜劇的内務班そのものであった」サラリーマン人生に、一応の区切りを、つけ、退職した者であります。29歳で、上京(九州福岡から)して、バブル期の波にのって、即、入営、ではなく、入社しました。「神聖喜劇」読了による効果は、計り知れず、ノーブレス・オブリージの無い、プリンシプルの育たない、この島国根性まみれの小国に、その構成しているマジョリティに対し、30歳前後の若造であった自分の、理論武装の橋頭堡であったのが、大西巨人であり、「神聖喜劇」そのものでありました。与野のご自宅に、とある知り合いの文芸評論家からの紹介状を手にして、無理やり、大西さんに応接してもらいました。昭和62年初夏でした。大西さん、70歳、自分32歳の夏の宵でした。大西さん夫妻が、昭和28年ころ、お知り合いの、福岡県山田市の長谷川紳士服店(テーラー長谷川)の離れ、四畳半の狭い部屋で、共産党から離党し、ひっそりと、息を潜めるやうに、住んでおられた1年間、自分の父親の経営するパチンコ店が、長谷川テーラーの対面にあり、その事実を、大西さんに告げた処から、打解けて頂き、博多弁で「そげんやったんねー」と、言われ、手土産に食パンとママレモン(液体状洗剤)しか、出してないのに、メロンが出てきた(笑い)。謹厳実直、石部金吉みたいな文章からは、かけ離れた、やさしい叔父さんみたいな(恐れ多いですが)、方でした。「神聖喜劇」を読むきっかけですか?大分県日田市居住していた自分は、昭和59年夏に、日田市立淡窓図書館1階の開架式図書室で、偶然、立ち読みしたのが、きっかけです。

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