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日本語の乱れが気になる会コミュの身内に対する敬語・丁寧語

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ここ数年、メディアだけではなく、周囲で気になっているのが身内に
対する敬語・丁寧語です。幾つか例をあげるならば

「私のお友達がね・・・」
「明日はお仕事お休みなの」
「お家に帰ったら電話するからね」
「弟に買ってきてとお願いしました」
「さっき子どもにご飯をあげていたのだけれど・・・」

のようなものが挙げられるかと思います。私が受けてきた教育の中では
全て不適切に思われますが、どうも最近ではこれらが市民権を得ている
ような気がします。

また、育児サイトの掲示板を見ていると、

「出産の時は実家にお世話になりました」
「義母にお食事に連れて行っていただきました」

などの書き方が多く目立ち、気になります。

確かに実家を「出て」他家に嫁に「入った」人間と言う観点から見れば、
一つ目の例文のように実家に対して敬語、丁寧語を使うことは間違って
いないのでしょうが、第三者を前にして使用することには抵抗があります。

また、同様の観点から議論するならば二つ目の例文は間違っている
と思うのですが、この様な事例については線引きが難しいのではないかとも
思うようになりました。

更に芸能人などの交際・婚約・結婚などでも

「○○△△さんはとても頼りになる方です」

のような発言があった場合、如何なる状況であろうとも私の勝手な視点から
見れば不適切なのです。しかし異なる視点に立ってみた際、もしかしたら
交際、婚約、或いは結婚などの状況によって敬語などの使用が線引きされる
べきなのかもしれない、と言う考えも浮かびました。

大変曖昧なテーマで具体的な例を挙げていくときりがないとは思いますが、
どこでどのように線引きされるものか、してはならないのか、皆様のお考えを
お聞かせいただければと思います。

よろしくお願いいたします。

コメント(14)

>>「○○△△さんはとても頼りになる方です」

「方」がダメなんでしょうか?
私は問題ないように思いますが。
>Tataさん

孝より忠が優先された近世近代が、現代に残した傷跡かもしれません。
尊敬する気持ちがあるのに、それを表現しないように指導するのは、
日本語の広がりを阻害するものかもしれません。

客先に電話をかけたときに、
「○○さんは、ちょっといません。」と言われた時、
もうちょっと勉強しろよ、と言いたくなる一方、
ほのぼのとしたものを感じてしまいました。


口語の場合、かなり規制が緩くても良いと思いますが、
公的なものを読み上げる時には、そぐわしくないように思います。
テレビで喋っているタレントは、我々を友達だと思っているのかもしれません。

個別に見ると
「私のお友達がね・・・」
  友人のほうが自分より身分が上の場合、つけても差し支えないかもしれません。
  (現代でそういうことは少なくなっていると思いますが。)
  余談ですが、「お友達たち」ということばを聞いて、
  ひっくり返ったことがあります。
「明日はお仕事お休みなの」
  助詞を省いた全くの口語で、良いお家に育ったお嬢さんを想像します。
「お家に帰ったら電話するからね」
  「身内に敬語」に類するもので、格好が良くない。
  「お家に帰ったらお電話いたしますね。」であれば、
   キャラクターの整合性が取れている。
「弟に買ってきてとお願いしました」
  「買ってきて。お願〜い。」と、
   姉が女の武器を行使する練習をしたかもしれません。
「さっき子どもにご飯をあげていたのだけれど・・・」
   昨今、犬猫にもご飯をあげる時代ですから、子供にもあげることはありえます。
   現代では珍しいでしょうが、親より子供の方が身分が高かった場合、
   差し上げることはおかしくありませんが、子供と呼ぶほうに違和感を感じます。

   
>4kaz.....zzz さん
「かた」だと問題ないですね。

>5ゆりさん
「お医者様」という存在を、
そのお母さんは非常に高い位置に置いてらっしゃるのですよ、たぶん。
「王様」より偉い人はあまり居ませんから、
それくらい高い位置に「お医者様」を置いているのでしょう。ワハハハ。
0の例文は自分は違和感を感じません。
「お友達」「お仕事」「お休み」これらは尊敬語ではなく丁寧語ですよね? 身内とか他人とかあまり関係ないような気がします。
調べず書き込んでいますが…

「○○さんはとても頼りになる方です」は、まだ嫁入り前なら「他人に他人を紹介する」ような感じなので、微妙ですが間違いでもないような…

「お医者様」は自分は「医者」を皮肉ったような印象を受けました。 どのような状況での言葉かわからないのでなんとも言えませんが…
一般的に言葉の覚え方は、誰かが使っているのを耳にする、学校や年長者などから教育される、そして本や雑誌、新聞などの活字から見て覚える、というようなパターンがあるように思いますが、わざわざ教育されない限り、現在正統とされている文法的正しさをもって輸入されることは少ないのではないかと思います。

だから、もしその用法がおかしいのであれば、それは教育の問題ではないかと。
たとえば読み方で「相殺」⇒「そうさい」 これは学校で教えられたでしょうか?私には記憶がありません。
私はしかし小学生の時、「そうさつ」と言って父に「それはソウサイと読むのだ」と直されたことを記憶しています。
慣用的には「そうさつ」と使われることもあるようです(広辞苑より)が私には違和感があります。

このことを考察すると、誰にも指摘されずに誤用し続け、かつその誤用頻度が多く、また多くの人に同じ誤用されるならば、その誤用は市民権を得て誤用ではなくなるということではないでしょうか。
たとえば「固執」⇒「こしゅう」などもそうです。
ということで6番の鼓腹さんの書き込みにもあるように、言葉はその文化的背景を色濃く表すのだと考えております。
今でも儒教的観念の強い朝鮮では、他人に対して身内のことを話す際でも、年長者ならば「私のお父様がこうおっしゃいました」などと平気で言うようです。彼の国ではこれが当たり前のようで、私の知り合いの朝鮮人もそのような言葉遣いをしておりました。
皆様からの書き込みをいただきながら、なかなかお返事ができなくて
申し訳ございません。明日やっと仕事が休みなので、明日ゆっくり
お返事したいと思います。
長くなってしまい申し訳ないのですが・・・

>1 ゆりさん、

>自分の身内を相手に話す時に「お姑さん・旦那さん・旦那様」と言うことです。

これについて確か以前に議論になっていたのを拝見した気がします。私も
これらの呼称は使わないようにはしていますが、その議論を読んだ時に
「旦那(さん、様)」という言い方は厳密に言えばどのような場面で使うのが
相応しいものなのだろうかということをふと疑問に思いました。

「旦那」は元々サンスクリット語の「スポンサー」の様な意味が転化し、
「檀家」などの意味として使用されていたと聞きます。更に江戸時代には
商人言葉になり、所謂「若旦那」などとして使われています。それと対に
なるのはもう使われませんが「新造」、付け加えて言うならば「殿」と対に
なるのが「奥」です。これらの呼称がセットで残ることなく、中途半端な形で
残っていってしまったその経緯も興味深い点であると思います。

>3 花水木さん、

以前にとある掲示板に義母が人前で自分のことを呼び捨てにする
というのが腹立たしいと書かれていた方がいらっしゃいました。世代も
変われば感じ方も変わる、まさにその現実を突きつけられた気がしました。

>4 kaz.....zzzさん、

>「○○△△さんはとても頼りになる方です」

恋人である場合、「方」が使えるか否か、これは非常に難しい判断だと
思います。しかし、公や第三者に対して紹介する場合、少なくとも婚約者、
或いは夫/妻は「身内」になるわけですから、ゆりさんが書かれているように
おかしいのではないかと思います。

また、蜜 月さんが書かれたように一番「微妙な」例だと思います。

>6 鼓腹さん、

>孝より忠が優先された近世近代が、現代に残した傷跡かもしれません。

確かにそうかもしれません。また、上に記した「呼び方」と同様、中途半端に
引き継がれている分ややこしい状況になっているのではないかと思います。

>「私のお友達がね・・・」
>友人のほうが自分より身分が上の場合、つけても差し支えないかもしれません。

敬語・丁寧語などは「自分から見て」、が根本にある原則だと思っています。
従って、例えば「私」が「A」という人に自分の友人である「B」という人の話をする場合、
「B」は「私」の友人である以上「私」と同じ側、同等の立場にいることになります。
従って、「B」に対して「私のお友達が〜」と発言することによって厳密に言うと「私」は
「A」よりも立場が高いというニュアンスになってしまうのではないのでしょうか。

「お家」にしても相手を敬うためのものであって、自分の家を「お家」としてしまうと
自分への敬いになってしまう感覚を受けます。ただ「お家」は子どもの使う言葉を
連想させるという点では議論するのには相応しくない例だったかもしれませんね。
   
>9 蜜 月さん、

>「お友達」「お仕事」「お休み」これらは尊敬語ではなく丁寧語ですよね?

丁寧語か尊敬語かと言われれば判断が難しいかと思います。
ただ、「お(御)」には尊敬を表す用法と言葉を丁寧に表現しようとする
用法とがあるので、ここで挙げている例については後者の「お茶」や
「お米」の「お」とは一線を画するべきものだと考えています。

「お仕事」は「私」から見た場合の「相手の仕事」について、「お休み」も
同じように「相手の休み」について述べるものだと考えています。
やはり「お」をつけることによって相手を敬う意味を持たせているものでは
ないのでしょうか。従って自分のことを言う場合は「友達」、「仕事」、
「休み」となると思います。

但し、「お仕事をいただきました」や「お休みを頂戴しました」は
相手から「貰っているもの」なので「お」を使うことが妥当ではないかと
思います。

>10 琥珀さん、

>このことを考察すると、誰にも指摘されずに誤用し続け、かつその誤用頻度が多く、また多くの人に >同じ誤用されるならば、その誤用は市民権を得て誤用ではなくなるということではないでしょうか。

同感です。私自身の話で恐縮なのですが、特殊な環境で育ったために
どちらかというと「古い日本語」教育を受けてきました。だからこそ色々
引っかかってしまうのだと思います(・・・とは言っても実際に丁寧な日本語を
実際に使えているか否かは別ですが)。

誤用がどの程度市民権を得ているのか、或いはどの程度まで許容されているのかを
見極めるのはとても難しく思えます。
「お友達」は、自分の友達を相手も敬うことを強要していると感じます。従って、友達が○○宮で、相手は一般国民の場合は、自然に思えます。

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