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小浜逸郎/人間学アカデミーコミュの異論・反論・争論

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・・・暫定管理人は氏について今のところ是も非もないので、知るための資料はとりあえず収集します。ここはファンサイトではありませんが、主に愛読者の方が参加されていると思います。従って、このトピックはトップページにリンクせずにおき、こそっと追記していきます。

コメント(9)

News23 シリーズ「争論」
2000年4月12日放送 「差別というタブー  〜弱者とは誰か?」
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http://www.tbs.co.jp/news23/library/kiseki/souron/souron.html

争論の第3回目は、評論家の小浜逸郎さんと近畿大学教授で部落解法同盟中央執行委員会の北口末広さんが、現代の弱者問題について議論を展開した。 小浜さんは部落差別撤廃運動に携わる人々が、運動を存続させるために差別事例を無理に発掘し、運動が自己目的化しているのではないか?と指摘、弱者自身による自己の特権化からの解法が差別撤廃には必要との見解を示した。

これに対し北口さんは、部落差別撤廃運動における運動体の役割を評価したが一方で、運動の自己目的化は、差別の自殺行為であり、被差別者にはそれが本当に社会的な背景を持つ差別事例なのかどうかの峻別が必要だと主張した。また、社会には常に相対的な弱者が存在し、これからの弱者問題とはその時々の弱者をどう見ていくのか?という視点が重要だと論じた。
Ben氏の部屋http://www2.odn.ne.jp/~cdg68090/index.html
2001年7月の「今週の一言」より。

◆「東京新聞」7月8日号で、ニューヨーク市立大学教授の霍見(つるみ)芳浩氏はインタビューに答えて、「21世紀は、IT化に対応する分析力が問われる時代だ。企業の体質を変え、日本人の精神構造を変える必要がある。教育まで踏み込まないと、こうした改革は進まない。日本国内では、教育と経済の改革が、別個のものと考えられているようだが、そうではない」と述べ、「土木費などへの投資を減らし、教育に振り向けて行くべき」で、そうして財源を確保しながら、「学校では、少人数での教育を行いたい」と提言している。また、『「教育改革」は改革か』(PHP研究所)の執筆者の一人小浜逸郎氏も、現代の教育システムの改革として、「当然考えられることは、まずクラスの人数を減らすことである。それによって、生徒に対する教師の個別対応の密度をより細やかなものにすることができる。そこに教えるものと教えられるものとのよい意味での緊張感が生まれる」と書いている。

 否定はしないが、少人数にすれば、ある雰囲気ができてしまうと、それに馴染めないものは緊張感というより、圧迫感を受けてしまうのではないか? あるいは、教師の熱心さを「ウザイ」と感じる生徒には、視線を逃げられなくしてしまわないか? 小浜さんは、「固定クラスの流動化」を同時に提案している(これは宮台真司氏と同意見だ)が、「流動化」などは、小中についてはともかく、高校生の場合勝手に自主的にやらせておけばいいのではないか? やはり互いに気に入らない人間の同居した、〈共同性〉のプラス・マイナスの経験を味わうこともよいであろう。多くは、評論家や大学教授になるわけではないのだから。

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サイト管理人は「週に三日ほど高校で授業を受け持ちながら、小説・エッセイを書いている(日本文芸家協会会員)渡辺勉」という方です。絶版ぽいですが、上のような本を出したり実際に教育現場にいる方の感想はこうなんだろうな、と思いました。
帯広畜産大学 杉田 聡 教授
(研究領域 哲学/専門 ジェンダー論、自動車論、民主主義論)
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/index.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E8%81%A1%2C%20%E6%9D%89%E7%94%B0/250-7287616-5651438

『男権主義的セクシュアリティ−ポルノ・買売春擁護論批判』 青木書店、1999年
(内容:http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/Sexuality.htmlより)
ポルノ・買売春問題への誘い(上掲)
第1章 男権制と男権主義的セクシュアリティ
 1 男権主義的セクシュアリティとは何か
 2 男権主義的セクシュアリティの構造
 3 男権主義的セクシュアリティをつくるもの
第2章 ポルノ・買春と男権主義的セクシュアリティ
 1 ポルノ・買春・性暴力
 2 ポルノと男権主義的セクシュアリティ
 3 買春と男権主義的セクシュアリティ
第3章 ポルノ擁護論の批判
 1 ポルノ製作現場での性暴力〔バクシーシ山下および宮台真司批判〕
 2 ポルノが男の欲望を操作する〔小浜逸郎批判〕
 3 ポルノは性犯罪を学習させる〔福島 章批判〕
 4 ポルノはそれ自体が「体制」である〔リベラリスト・リバタリアン批判〕
 5 ポルノはセックスを貧しくする〔瀬土山角批判〕
 6 ポルノは絶えざる欲求不満を組織する〔上野千鶴子批判〕
第4章 ポルノ規制反対論の批判〔ストロッセン批判〕
 1 ポルノは言論・表現として保護されない
 2 ポルノ規制は検閲ではない
 3 ポルノ規制は平等の実現に資する
 4 ポルノ規制は批判力獲得のために不可欠
 5 ポルノの害は対抗表現や教育では防げない
 付論 ポルノ接触と性暴力との因果関係について
第5章 買春擁護論の批判
 1 買春の被害は女性全体に及ぶ〔橋爪大三郎・宮台真司批判〕
 2 売春組織は社会的抑圧を利用する〔鈴木水南子批判〕
 3 不適応者をつくったポルノの責任〔宮台真司批判〕
第6章 売春擁護論・合法化論の批判
 1 性的侵害を模したサービスは売買されてはならない〔セックス・ワーク論批判〕 
 2 性的自己決定権さえその行使は無制約ではない〔セックス・ワーク論批判〕
 3 <性=人格>原則こそ烙印をなくす〔上野千鶴子、セックス・ワーク論批判〕
 4 売春合法化は強制売春を大規模化する〔上野千鶴子、セックス・ワーク論批判〕
 結びに代えて――男権主義的セクシュアリティの変革可能性
 引用・言及論文一覧
5月から池袋ジュンク堂には上野千鶴子書店が開店していたのですね。

上野千鶴子&香山リカ トークショー終了後に通りかかり、サイン会でお二人を初めて目にしました。香山リカさんは失礼ながら記憶より大人の女性でした(伊達眼鏡なしだったからかもしれません)が、上野千鶴子氏が予想外にお美しく、感じよく、柔らかい話し方をされる方だったので驚きました。

ファッションも「ロングソバージュにカンカン帽」という昔の写真とは別人で(そもそも私の記憶が勘違いかも)、お洒落で清潔感のある、素敵な大人の女性でした。

「論破」「喧嘩」という言葉の雰囲気から想像していた方とは別人です。普段から押しの強い方かと勝手に想像していたのですが、生でみたら、ファンとのやり取りを聞いていたら、かなり好感を持ちました。お話の内容は、聞いていないのでわかりませんが・・・。

とりあえず店頭案内が可愛かったので、貼ってしまいます。
(こういう頭の悪い行動はどうなんでしょうと思いながら)
とく: 「戦争責任をどう負うべきか」小浜逸郎による高橋哲哉批判
http://tokuyama.dyndns.org/~tok/mt/archives/2004/08/29/post_53.php

という文章で、↑2冊を読み比べながらの読書感想が書かれているのをみつけました。。。。そう、氏にとっての「戦争」ってイコール「あの戦争」なんですよね。。。その他批判の言わんとするところは頷けてしまうものでした。だからといって管理人氏に共感したわけでもないのですが。この記事の最後は↓のように締めくくられているのですが、自分は氏の「べき」でもサイト管理人氏の結論でもないやりとりをしてしまったんですよね。。。どういうやりとりだったかは、ここには書きません。みなさんならどうお話しになるでしょう。

そんなこんなで残念ながら、状況や背景に加えて関係者のキャラクターも鑑みないと、「推測」と「事実」は乖離してしまうのね、という感想を今は持っています。もちろん世界の森羅万象を体験することは不可能なので「思索」というものが重要になるわけですが。でもできることなら「百聞は一見にしかず」だし、今大概の町ではやろうと思えばできます。皆さん、もしチャンスがあったら、今の状況と絡めてでも「あの戦争と日本の態度」についていろんな方と話してみてください。基本的に、来日したり口きいてくれたりする外国人は(話し方にもよりますが)はっきり主張はしますが聞く耳も持っていらっしゃるので、きちんと話せば討論してくれます。つけたすと、ニュースで目にする方たちと今目の前にいる人は、「層」が違うので、彼らの言う事がその国を代表する意見でもないわけですが。

まあ氏への感想から大分ずれましたが、「べき」って言葉は危険だなと思いました。だって1%でも違ったら「『べき』じゃないじゃん!」って思っちゃいますから。以下は上記サイトより引用。

"最後に小浜が「もしあなたが中国旅行などをして、中国人から『私の親兄弟はあなたの国の兵隊によって殺されたのだ』と言われたとき、「こう答えるべきである」としている部分を引用したい。

わたしは日本国家がかつてあなたがたに迷惑をかけたことを知っていますし、それについて国家としてしかるべき責任をとるべきだと思っています。もし私が国政の責任ある地位にいて、そのための公的な権能を行使できるなら、私は極力それを行うでしょう。しかし、旧日本国家のやったことに他する非難感情を、私が単に日本人からという理由で個人としての私に向けることは無意味です。私は、あなたがたに悪感情を持ったことも差別したことも、あなたがたの土地を侵略したこともありません。そしてあなたがたと、国家とか民族とかいった観念をなるべく介さずに、具体的な生活坑道を通じてこそ仲良くしたいと思っていますし、また仲良くなれると思います。

ぼくはとてもこのようには「恥ずかしくて」いえない。
家族を失ったひとたちの思いへのなんのレスポンスにもなっていない、傲慢な態度だと思う。

僕は、高橋や大江の態度に従いたい。"
タイトルどおり「ちびくろさんぼ」に関する掲示板で氏についての素朴な?やりとりがありました。愛読者の方ごめんなさい、とても普通の感想だなあと共感してしまいました^^;。「弱者とはだれか」とか復刻について話をしているので、1999年のものだと思います。アエラの10月4日号に小浜氏が寄稿している年ですが、バックナンバーの目次からは記事が見つけられませんでした。

元掲示板は途中で他の話題が入ったり(というか氏に関してが余談)とびとびになっているので、氏に関するやり取りだけ↓に抜き出してみました。こういうことには時間が割けるが、なかなか読めない暫定管理人です。。。


ちびくろサンボ掲示板ログ
http://www.asahi-net.or.jp/~be4h-oosm/ban023.htm
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▼ 慣れ 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月10日(日)20時53分57秒

>そういう意味で、小浜氏の文章の最後にあった(ですよね?^^;)「慣れ」の提起には
>賛同できます。それをなんにでも一般化してプロセス無視になりそうな部分が気になる、
>というだけです。

「慣れ」というのは以前、ドードーさんも言ってたことでしたよね?生活を長く共にすることで、両者の間の「差異」の感覚をやわらげる、ということかな。これについては私もその通りだと思ってます。

ただし、女性問題については「慣れ」では到底解消しないと思いますけど(笑)。
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▼ 小浜氏の文章 投稿者:三月ウサギ  投稿日:10月10日(日)17時54分34秒

>『諸君!』の小浜氏の文章を読みました。どこがどのように問題なのでしょうか?

あの文章じたいには、ぼくも問題はない、と言うか、積極的に賛同できるものだと思いました。

問題があるとすれば、前にも書いたんですけど、「黒人」でも「女性」でも「障害者」でもなんでも、いわゆる「弱者」として括ってからその聖域化を批判的に扱っているように見える、ということです。

書いていてマッチポンプのような気分になってきましたが(笑)「議論が大事、議論が大事」と「さんぼ容認派」も「否定派」も実際に言っているわけですが(あのラッセル氏も言ってるですね)それは、自分の目標を相手に受け入れさせるための「議論」のことのような気がします。

自分の意見を一般化・理論化したときに、置き忘れてしまう個別性とか一回性のプロセスとかの方が差別(意識)を解消するためには、本来重視すべきものなのではないかと思うのですが。

これは、個人レベルの「だから外国人は・・・」みたいな意識にも関係していそうですし、アメリカ人種主義を、日本の個別性や実感を伴ったプロセスを無視してそのまま適用しようとしたりする短絡性にも結びついている気がします。

そういう意味で、小浜氏の文章の最後にあった(ですよね?^^;)「慣れ」の提起には賛同できます。それをなんにでも一般化してプロセス無視になりそうな部分が気になる、というだけです。
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▼ 街の本屋で 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月10日(日)17時45分14秒

たまたま今朝の朝日新聞書評欄に、小浜氏の『「弱者」とはだれか』がとりあげられてました。とりあげてたのが、これまた私は大嫌いな「コラムニスト」中野翠だったんですが、「そーか。あの頭の悪い翠さんでもよくわかる本なんだね」と感じた程度の書評でしたので、まあ、別に紹介するほどでもありません。

今日は久しぶりに街の書店に行きまして「諸君」の立ち読みをしてきました。内容的には既知のことだったんで、特に言うべきこともありません。しかし、なんですね、小浜氏が書いてる雑誌って、「諸君」とか「正論」とか知る人ぞ知る右翼っぽいのばっかりじゃないですか。書き手も、渡部昇一、曾野綾子、いつものメンバー。「正論」では櫻田潤(?)とかいう方と障害者問題について座談してました。時間がなかったんできちんと読めなかったけど。「正論」なんかは小林よしのりの擁護論なんか掲載しているし、なんですか、いつの間にやら右寄りの方々がデカイ面をさらすようになってきているではありませんか。

すみません。ここの掲示板とはあんまり関係ないですね。ただ、サンボ問題も思想的にけっこう微妙なところに立たせようと思えば立たせることができるんだよな、とか思っただけなんです。
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▼ こりゃ、 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月09日(土)23時51分43秒

明日はどうしても街に出て、本屋に行かねば。

『孤独について』と、「諸君」の立ち読み(笑)。もっとも、小浜氏のサンボ論は『弱者とはだれか』の中で少しだけ触れてるんで大体わかります。筒井の断筆問題と合わせて書いてました。

前にも書いたんですが、私はこの人はどっか高みから見下ろすような断定的な論調を感じて、気にくわないのです。曾野綾子@スカートはいたオヤジ@の「正論」に感じるのも同じような感想です。部分的には確かに正しいこと言ってるのに、心から納得できない。
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▼ 素晴らしいページですね>玲奈さん 投稿者:ドードー鳥  投稿日:10月09日(土)22時56分27秒

(略)#アエラ10.4号

先日書きかけたやつですが、その「ライフスタイル」のところで、「ネガポジ人生論」について書かれてます。つまりネガティブな属性をポジティブに評価する考えです。コピーしました(公費コピー顔文字)「ネガポジ人生論」に挙げられているのは、『五体不満足』とか『老人力』とか。それに対し、かの小浜氏は、(ネガポジ人生論について)「社会から脱落したという負い目をごまかすものにしかならないのではないか」云々と、好きではないそうです。

で、その小浜氏が高く評価したと言う、「弱者性に立脚した論じ手」が中島義道@電気通信大(ドイツ哲学)の『孤独について』(文春新書)書店で立ち読みしようと思いましたけど、何と言うか、目次を見て引いてしまいました(汗)偏見かも知らんですけど(笑)読むなら、気力・体力・そして暇のあるときですかね(謎)
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▼ いえね。 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月09日(土)11時58分54秒

>『諸君!』の小浜氏の文章を読みました。どこがどのように問題なのでしょうか?

私はまだこれは読んでないです。この記事についてではなくて、要は小浜氏の平生の批評活動についてちょっと疑問点があるのでね。だから、気にせずに流して下さい(笑)。
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▼ いくつかのおねがいとおしらせ 投稿者:玲奈  投稿日:10月09日(土)10時49分41秒

(略)『諸君!』の小浜氏の文章を読みました。どこがどのように問題なのでしょうか?(略)
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▼ えーっ 投稿者:かおりん  投稿日:10月07日(木)06時47分38秒

小浜氏とPHPはどうやっても結びつかないぞお(笑)。 本当は陰で「人を傷つけてしまう言葉、心に残る言葉」とかさー愛読してないでよね(笑)。絶対にキャラじゃないよ、小浜さん。
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▼ とりあえず、 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月06日(水)23時38分49秒

小浜氏のプロフィールはこんなんです。

1947年生まれ。横浜国立大工学部卒。
家族論、教育論、思想、哲学など、あれこれと批評活動を展開。
主著:『オウムと全共闘』(草思社) 『無意識はどこにあるのか』(洋泉社)
『吉本隆明』(筑摩書房)、その他PHPから多数(笑)出てます。
PHP好みだってのが、なんともね・・・
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▼ 多分先週号のアエラに 投稿者:ドードー鳥  投稿日:10月06日(水)21時53分51秒

弱者とか弱者が聖域になるとかちょっとくらい書かれてたっす。(手元無)
それが「弱者とは誰か」の人のことだったかしらん。他にもいたんだが。
なんだかドイツ文学者だかドイツ哲学者だかが載ってたぞ。う〜む。
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▼ あの方の 投稿者:かおりん  投稿日:10月06日(水)20時31分26秒

本職は何なのでしょう。アグネス論争の時に随分ご活躍でしたね。『男が読むアグネス論争』だったかな、面白かったです。確かにあの時も、彼の上野千鶴子評や落合恵美子評はさんざんだった。時としてエッと思うようなことを言うので、何を考えてるんだ?と思うんだけど、アグネス問題の時は結構良かったなあという印象。
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▼ そうそうそう 投稿者:三月うさぎ  投稿日:10月06日(水)18時12分53秒

そのシトです。<小浜逸郎
なんか有名なシトですか? 全然知らないのですが(汗)
本職は何ざましょ? ミスコン審査員さん?
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▼ 小浜さんて 投稿者:かおりん  投稿日:10月06日(水)17時50分42秒

小浜逸郎氏のことですか(名前間違ってたらごめんなさい)?
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▼ 諸君、 投稿者:チェシャ猫(猫玉)  投稿日:10月06日(水)06時48分39秒

というから、ちょっと「?}と警戒してたんですけど、やっぱり小浜さんでしょうか(笑)。

あの方、フェミニズムの問題論じても、首ひねっちゃうようなところがあります。「ミスコン」擁護の弁がなんとも古めかしかったり、「男というものは、いい女を見れば頭の中で裸にしてみるものなんである。」というような(「男はどこへ行くのか」)およそ下世話なところからフェミニズム批判を始めたりして、その後、お得意の現代思潮を繰り広げてみせたりして。この方は確か上野千鶴子と公開討論かなんかして、メタメタにやられたんじゃなかったかしら。

この人は教育問題なんかにもとてもエラそうに、いささか鷹派的批評をしておられるようですが、一体現場をどのくらい御存知なんでしょうといつも「これぞ正論」と言わんばかりの弁に「?」と思ってます。

本屋行くヒマない(涙)。
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▼ 「諸君」 投稿者:三月うさぎ  投稿日:10月06日(水)00時05分50秒

って雑誌(文芸春秋発行)に「ちびくろさんぼ」復刻に絡めて評論が載ってましたね。立ち読みしてきたっす(汗)

概ね賛同できるものではあるのですが、この著者、たしかチェシャ猫さんが「うさんくさい」と評していた「弱者とは誰か」とかって本のシトではないかしら。

どこかちょっと、と首を捻るのは、「弱者」として「黒人」も「女性」も「朝鮮人」も「非差別部落出身者」も「障害者」も、なんもかんも同じに論じられるふうな感じのとこ。

うーん。
でも、以前ドードーさんがおっしゃってた「慣れ」ってことにも触れていて、バリアフリーにして個人レベルでどんどん慣れることが必要だろうって書いてあったのでちっと頷いちゃったんですが、チェシャ猫さんはいかがでしたですかですか?

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余談。さんぼの顛末参考サイトです↓。インド人だったんですね。
『ちびくろサンボ』の廃刊と再刊に思う
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/Sambo.htm
あ、そうそう、だから「正しい評価」ではなく「普通の感想だなあ」と。

氏については、センエツですが、「話し方で損してるなあ」と思うところがありまして。「そうそうあるある!」と心情的に入り込める人と、生理的に(内容でないところで)受け入れられない人といるような気がしています。そしていい方悪い方どちらでも、その人の思い込みで受け取れそうな気も(精読しない場合)。なんというか、わかる人には凄くわかりやすい書き方なのですが、わからない人には結構読みにくい文章だと思います。で、そういうのってなんなんだろうと思っていて、別トピックに挙げた「ボトムアップ」という話の組み上げ方からなのかなあと合点しました。だからどうだというのはなにもないんですけれど(笑)。

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