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左右の視点コミュのイラク問題考察

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「大量破壊兵器」をイラクが保持してるという理由の元に、「民族自決」「内政不干渉」の国際法の原則を無視し、国連の決議を待たずに「「差し迫った脅威」と位置づけ「予防的先制攻撃」を行いました。
日本も日米同盟の元イラクに人道的援助を名目に派兵いたしました。
(日本だけではなく、イギリス、オランダ、イタリア、スペイン、韓国、オーストラリア等々のアメリカ遊軍と友に)
アメリカのイラク問題はすでに想定済みの物だったと真贋は別に前財務大臣のオニール氏がCBSで暴露して騒がれもしました。

2001年9月11日 この日を境にアメリカはテロとの戦争に突入しま
           すがそれ以前にイラク・フセイン大統領を排除し
           ようと言う方向が既定路線であったという物で
           す。

           動機に挙げられる物が、ネオコンの「中東民主化
           ドミノ理論」イスラエル政策、石油利権、軍需産
           業等々

2001年10月7日 に米軍がアフガン タリバン政権にたいし空爆開
           始

2002年1月29日 ブッシュ大統領の演説でイラン・イラク。北朝鮮
           を指し、「悪の枢軸」国家と言われ、この演説で
           「大量破壊兵器」保有の示唆が行われました。

2002年7月8日  ブッシュがフセイン政権の排除を宣言

2002年7月17日 フセインアメリカに対し非難

2002年9月12日 ブッシュは国連総会でイラクがVX・マスタード
           などの化学兵器を備蓄、維持している。
           そして化学兵器などを生産できる施設を再建拡張
           している。
           フセインは大量破壊兵器を開発・所持している。
           イラク政権の振る舞いは、国連の権威に対する脅
           威であり、平和に対する脅威である。

2002年9月17日 フセイン査察団受け入れ表明しかし条件が整わな
           いとアメリカが拒否。

2002年10月11日アメリカ議会は「イラクの脅威から米国の安全を
           守る」武力行使の権限をブッシュ大統領に付与す
           る決議を採択。

           改めて「イラクが改めて国連決議を護らなければ
           武力攻撃も辞さない」と強調。
2002年10月15日フセイン大統領の信任投票が行われ投票率100
           %信任100%の結果。

20002年11月8日譲歩の姿勢を見せるイラクに対し国連安保理は
           「決議1411」理事国15ヶ国満場一致で採
           択。

2002年11月11日国連決議1441にイラク国内は激しく反発。
          イラク国会はこの日にフセインの判決を待たずに「
          国連決議を拒否することを決議

2002年11月13日フセインが遺憾の意を表明するも国連決議を受諾

2002年11月27日ブリックス委員長以下の査察団が戦争回避の元
           「即時・無妨害・無条件・無制限」の査察が緊張
           の元に開始。

2002年12月7日 イラクが提出した「申告書」は1万3000ペー
           ジにたっし、パウエルが「時間稼ぎだ」と公式非
           に非難

           (2週間後には、アメリカが内容が不誠実、不的
            確、不完全で国連決議に違反すると糾弾)

2003年1月9日  現場視察団がイラク側に配慮を示し査察は順調、
           中間報告を出す。
           中間報告では大量破壊兵器保有の確証はない。と
           しめされた。


           ブリックス委員長は最終報告書提出日1月27日
           から認められる範囲の3月末までに査察をのばす
           ことを示唆
           アメリカが反発1月末での査察打ち切りを示唆

2002年1月25日 フランス ロシア ドイツが査察継続を支持
           ドウジニラムズフェルド談話が発表される。

          「フランスドイツは古いヨーロッパの国であり、新
           しいヨーロッパに属する国々はアメリカサイドに
           付いている。」

           ロシア、フランス、ドイツがこの発言に強く反発

2003年1月27日 視察団の最終報告書発表
           「決定的な証拠はなかった」

2002年1月28日 ブッシュは一般教書演説でイラクの拷問や人道問
           題、破壊兵器を挙げ再びフセイン政権を非難す
           る。

2003年2月5日  パウエルは国連安保理で「イラクの脅威」を訴え
           「新証拠」ヲ提出(内容は傍信テープと偵察衛星
           写真)

2003年2月10日 フランスドイツが査察継続を求める共同声明を行
           う。

2003年2月14日 査察継続か、打ち切り科の国連安保理が行われ
           る。パウエル・アメリカの工作も虚しく「イラク
           に協力改善の姿勢有り」「査察の継続と強化を」
           とフランスドイツのロビー活動が勝利する。

           シリア外相シャラの「決議1441に賛成したの
           は平和的解決のためであってイラク攻撃の口実の
           ためではない。」で大きく流れが変わる。

           賛成したのはイギリス、スペイン、アメリカだけ
           理事国でなかった日本は3日後に小泉首相がアメ
           リカ支持イラク非難を。

           このときの失敗によりパウエル後退、主導権が国
           務省から国防省へ、ラムズフェルドの強引な路線
           に。

2003年3月1日  親米同盟国でアメリカがイラク攻撃の崔に拠点基
           地にするはずだったトルコが国内の米軍逗留を拒
           否する国会決議を可決。

           これによりアメリカは全面的に作戦を見直し

2003年3月6日  「イラクに対する軍事行動は国連決議に縛られな
            い。」ブッシュ大統領単独行動でも戦争を実行
           する事を明言

2003年3月10日 アナン事務総長が警告「安保理の商人がない攻撃
           は国際法への侮辱であり、国連憲章に合致しない


           フランスシラク大統領が拒否権発動

2003年3月11日 安保理中間派の6ヶ国は最終期限を30日から    
           45日に延長することを提出。

           アメリカは拒否

2003年3月11日 アメリカ外交交渉打ち切り宣言ブッシュ大統領
           「イラクは大量破壊兵器は基を求める国連決議に
           違反した」イラク政権がもっとも恐ろしい平気を
           保持し、隠しているのは疑いがない。

           フセインとその息子達は48時間以内に国を離れ
           なければならない。と演説した。
           同日最後まで残っていた査察団が撤退。

2003年3月18日 フセインは亡命を拒否し「侵略と闘い敵を撃退す
           る。」と表明

2003年3月20日 米・英軍、イラク攻撃開始



追って出された小泉談話
「我が国は一貫し低落の大量破壊兵器問題について、国際協調の元、平和的解決を目指してきた。
しかしイラクは平和的解決の機会を生かそうとせず、最後の最後まで国際社会の努力に応えようとしなかった。
このような認識の元、この度のイラクに対する武力行使を支持する。


前査察団ブリックス氏談話
アメリカから圧力をかけられていたことを話ながら、「本当はイラク政府はほとんどの大量破壊兵器を廃棄していたのではないか?」

アメリカ前調査団デービットケイ氏談話
開戦時にイラクに大量破壊兵器の備蓄は先ず無かった。

パウエル前国防長官談話
いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう。

米英独立調査団談話
開戦前のアメリカ情報機関の判断はほとんど誤りであった。



          


    












コメント(6)

とりあえず時系列をおいました。
簡素に書いてあるので大雑把なところはご容赦をw

さて日本は日米同盟にあり核の傘に護られている国。
日本はどのような立場で何ができたのか?
今回の判断は正しかったのか謝っていたのか?
それによってもたらされる今後の展開は?
等々
異論反論お願いします。
トピずれだが、アメリカは強引だよなぁ、、、
日本もこのようにハルノートを突きつけられて開戦したのかと想像してしまう。。
> 2: デソさん

イラクもイラクで、付け入られる隙があったのですよね。
ハルノートも、そこだけ抜き出せばたしかに「突きつけられた」のだけれど、その前の流れを見ていると「必然」だと思います。
3ますたーあじあさん
さらなるトピずれになるのですが笑

今回のイラクを見てれば確かに隙だらけなんですよ。
でも無理矢理開戦するに至る根拠も理由もどうなのよ。。。という気持も半分あります。
これはハルノートを受け取る前の日本にも言えた事というのは反論の余地もなくその通りだと思いますが、まだ当時の帝国主義とも違い、今の時代にアメリカが踏んだ手順というのも狡猾かつ強引な物だと。。
イラク攻撃反対というわけではないが、もう少し時間をかけれたのではないか?その方が終焉も収拾も早かったのではないか?
またポスト冷戦時代に突入する時間を遅らせることができたのではない
か?

などなど疑問があるわけっすよw

その急ぎすぎた結果、陰謀論がながれアメリカ自体分断されブッシュの影響力にもアメリカの国力や倫理観も足踏みすんじゃーねーの?

と浅はかな俺は思ってしまう次第でやんす。
>4: デソさん

>でも無理矢理開戦するに至る根拠も理由もどうなのよ。。。という気持も半分あります。

激しく同意ではあります。
そもそも、中東に置ける外交失敗のツケを全部イラクでごまかそうと見えますねぇ・・・陰謀論風に言うと。

>まだ当時の帝国主義とも違い、今の時代にアメリカが踏んだ手順というのも狡猾かつ強引な物だと。

日米交渉に関しても、アメリカの言い分も傲慢かつ、無理解だったと私も思っています。
あの戦争は、どっちが悪いではなく「両方似たようなもんだよな」と言うのが、浅学ではありますが、日米交渉を勉強した私の結論です。

結果から見て、あの当時のアメリカと今のアメリカに、そう差異はないのではないかと見ています。

まぁ、イラク戦争はロクでもない戦争だと思いますが、起こってしまった以上、どれだけそれを利用しようか?

と言う話になりそうですね・・・。
この戦争の批判というのは現在マスコミでも行われているが、そのマスコミの取り上げ方がとんでも過ぎてなかなか信憑性のある意見を拾うのに苦労しています。
そのためには時系列を追い、事実の中からの矛盾点、賛同できないところを語るのが今は良いのかなぁとも思っています。
こと、この事件で話題になり、本質から目がそれてしまいそうになる「陰謀論」などは今は排除していかないと、収拾がつかなくなると考えています。
といいつつ、、
主観で話すことをお許しください。w
この戦争の前に日本が非常に利用されました。
「かつての敵国、今の親友」「米軍による解放は日本に自由と富を見いだした。」「日本でうまくいったことがイラクでもうまくいく」
このような主旨の発言が多々あったように記憶しています。
確かに日本はアジアのショーウィンドウとして冷戦期の西側諸国の良い宣伝になり、冷戦を終わらすに至った一つの要因ともなったでしょう。
その成果は想像を超え、超えた部分がジャパンバッシングとなり、それさえも越えその部分が今回日米同盟の強固な再編に繋がり、新たなポスト冷戦にも繋がってしまった。
と考えなくもないです。
ますたーあじあさんの仰る、中東のつけをイラクでというのが此処にあるのかなぁ、、とも思います。
しかしイスラエルを支持するアメリカに論や根拠の正当性をイスラムサイドに納得させれるのか?
そこにはよほどの利害が一致しない限り難しいのではないかと思います。

思うままに草々に書き殴ってみました。

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