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伊井直行コミュの書評、伊井直行の著作以外のお話など。

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ネットにアップされているものだし、おそらく検索をすれば今でも出てくると思われますので、ここに転載してみます。

オンライン書店のBK1での柴田元幸さんの書評です。

さしさわりがありそうであれば、すぐに削除いたしますので、しばしおめこぼし願います。

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 白状すると、僕は、伊井直行の小説のどこが面白いのか、さっぱりわからない。
 どこが面白いのかはわからないのだが、にもかかわらず、伊井直行の小説は、ほとんど例外なく面白い。今年出た『服部さんの幸福な日』(新潮社)、『濁った激流にかかる橋』(講談社)なんて、どっちもものすごく面白い。

 最新刊の『濁った激流にかかる橋』は、連作短篇である。「改良工事」を重ねに重ねた巨大で複雑な橋によって二分された「町」に生きる人々をめぐる九つの物語である。「泥水の激流の右岸に住むさいづち頭の子孫」「霧のかかる騒がしい橋からのひそやかな墜落」「橋の上で赤い銅貨のような光を浴びる女」……等々、こんなにカッコいいタイトルをつけて、つまらなかったらどう責任とるんだろう、と他人事ながら心配になるくらい魅力的なタイトルが並んでいる。そしてその心配は、杞憂である。

 登場人物たちのキャラクターが魅力的だということは、たしかにあるだろう。「左岸のいい家のお嬢様」でありながら「橋梁改善奉仕団」なる団体をたった一人で組織し、毎日橋に立って「お気をつけあそばせ。ここには大きな穴が開いてございます」と人々に呼びかける女性。ろくでもない物件を口先三寸で客に押しつけ、美人の幽霊に出会っても怖がるどころか「死んでもいいから一発やらせてくれ」と襲いかかる不動産屋の老人。猫のウニャ(またの名をニャン吉)をほぼ唯一の私的意志疎通相手とし、生活面では廃人同様でありながら、政治家としての勘は異様に鋭いままの市長……等々、時に類型を巧みに利用しつつ、最終的には決して類型に回収されない印象的な人物を何人も生み出している。でもそれが伊井直行の「売り」かというと、そうではない気がする。

 あるいは、社会とか政治とかいったものがおそろしくいい加減な経緯で成り立っていることが、きわめて具体的に示されているという点でも、『濁った激流にかかる橋』はきわだっていると言えるだろう。『湯微島訪問記』などでもそう思ったが、一見もっともらしいものが、実は一部の人間の中途半端な思惑や、成り行きの慣性的力などによって全然もっともらしくなく動いていることを示すのが、伊井直行は実に巧い。もちろん伊井直行は、そういういい加減さに憤っているのではない。少なくとも、いい加減さを糾弾することが彼の小説のポイントでないことは間違いない。理想的な正義と、現実における正義の不足、といった二分法は、伊井小説には(「いい小説には」でもいいのだが)存在しない。むろん、理想的な正義の空しさを嗤(わら)い、正義の不足こそ現実だと「直視」を迫るわけでもない。「直視」を迫っても、二分法自体は強化されかねない。むしろそういう二分法の虚構性を、伊井小説はさりげなく批判していると見るべきだろう。

 でも、それがそのまま、伊井小説の面白さにつながる十分条件じゃないよなあ……。

 さらにまた、今回の作品についていえば、連作短篇ということで、さっき出てきた人物がまた別の形で別の作品に出てきて、作品と作品とが有機的につながっていき、全体として一個の豊かな小宇宙が現出する、ということはもちろんある。特に、最後の短篇「伝令、激流にかかる橋を征服する」で、それこそ激流がまさに堰(せき)を切ったように物語がすさまじい勢いを得るのは、それまでの八つの作品に出てきた人物たちが、かなり意外な形で再登場を果たすという事実によるところが大きい。でもそういう、目に見える形での構成力が、伊井小説の魅力なのかというと……

 と、「……」ばっかりで書評者失格で申し訳ないのですが、とにかく『濁った激流にかかる橋』、ぐいぐい引き込まれて読みました。本当に面白かった。

一月に出た『服部さんの幸福な日』も同じくらいいい小説だと思うが、こちらは、少なくとも前半は、「面白い」という言葉が、もう少し使いづらい。もちろん「つまらない」のではない。自分の身にこういうことが起きたら嫌だなあと日ごろ思っているようなことが、大いに共感できる主人公の身につぎつぎと起こり、その消耗感がほとんど生理的に伝わってくるので、それが読んでいてつらいのである。

 平凡なサラリーマン服部さんが飛行機事故に遭い、もう一人の男とともに、奇跡的に生き残る。マスコミに騒がれ、自分に対する無根拠な悪意や見当外れの善意が、自分の知らないところでどんどん増殖していく。ある意味で、事故を境に服部さんはまったく別の生を生きていると言ってよく、ほとんど来世を生きているような非現実感もそこにはあるのだが、と同時に、服部さんに浴びせられる無責任な悪意や鬱陶しい善意はものすごくリアルなのだ(しかも語り手は、視点を服部さんに限定せず、随時必要に応じて全知の視点から語るので、服部さんの知らない悪意も読者には知らされる。これがまた切ない)。

 それと、これはさっきの、現実における正義の不足の話ともつながるのだが、いわゆる「しがないサラリーマン」として服部さんは、正義や正論とは関係のないところで物事が動く世界を生きることを(『さして重要でない一日』の主人公をはじめとする、伊井文学におけるほかの多くのサラリーマンたちと同様に)強いられる。僕は幸運にも、先生先生とおだてられ、そういう現実とあまりかかわらずに日々を生きているので、服部さんがそうした目に遭うのを読むのが、すごくしんどい。

 しかし! そうしたしんどさを感じつつも、服部さんの運命がどうなるのか知りたくて、我々は読み進まずにはいられない。そして読み進んで終盤までたどり着くと、そこにはものすごくスリリングな展開が待っている。服部さんの人生を破壊しようとする人々の家に彼が単身乗り込んでからの数十ページは、ハラハラドキドキ、本当に「手に汗握る」という常套句が相応しい展開である。「それで? 次はどうなる?」というもっとも基本的な物語的欲求がストレートに喚起され、それが存分に、だが定型的でない形で満たされる。『濁った激流にかかる橋』の最終短篇もすごかったが、こっちの終わりもすごい。まずどちらの一冊を推すか、書いているうちに見えてくるかと思ったのだが、がっぷり四つに組んだまま両者一歩も譲らず……。

柴田元幸

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