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公正で持続可能な社会コミュの(進歩)今目覚めずしていつ救われるか(戦艦大和乗組員辞世の言葉)

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(進歩)今目覚めずしていつ救われるか(戦艦大和乗組員辞世の言葉)

 いまだに世界では、テロ、紛争、戦争が繰り返され、兵器が造られ使用され続けている。かつて世界最強と言われた戦艦が日本に存在した。「戦艦大和」日本人だけでなく、第2次世界大戦を知る者は、その大きさ、容貌を知らない者はないと思います。

 しかし最後は、航空機の護衛も無く、行き道だけの燃料を積み、戦闘下の沖縄へ向けた特別攻撃の途中、察知した米軍空母12隻、艦載機800機が迎撃した。米軍機は、12時32分から戦闘機が、レーダーを使い雲の中から急降下爆撃。さらに魚雷攻撃機で大和の左舷を集中的に攻撃、約2時間死力を尽くし戦ったが、10本を越える魚雷が左舷に命中し、14時23分に左に横転、大爆発を起こし沈没した。それから63年、大和は三千名を越える乗組員とともに、九州の南の海に今も眠っています。

 冒頭の言葉は、大和の最後の攻撃が「特攻」であることを知り、乗組員が死ぬ事を覚悟して語った言葉です。

 戦艦「大和」、当時の国家予算の3%(1億4千万円)を使い、昭和12年から建造(昭和17年完成)が始まりました。その間、日中戦争が戦火を広げ、日米の関係が悪化して行きました。昭和16年4月から始まった和平交渉でしたが、山本五十六連合艦隊司令官の願いと逆に、陸軍は南方へ進出を始めます。

 山本司令官は、真珠湾攻撃の計画を練りつつも、和平の道が最上と考え、同僚の野村代表からの連絡を待ち続けました。しかし、その願いはむなしくも打ち砕かれ、国際連盟脱退、昭和16年12月1日に御前会議で、米英との開戦が決定され、東南アジア全域が戦地となった太平洋戦争となりました。

 山本司令官が、機動部隊の作戦計画中に、戦争を前に高揚する機動部隊の幹部たちに、「(作戦中)ワシントンで行われている平和交渉が妥結したら、ただちに反転し帰投せよ」と訓示した。すると部下は、「一旦でかけた小便は止められません」と反論。それに激怒した山本長官の名言が、「もしこの命令を受けて帰れないと思うなら即刻辞表を出せ。百年兵を養うは、ただ平和を護るためである」と訓示したと言います。
*名言の一つ「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである」

 日本が初めて行った真珠湾攻撃は、ハーバード大で学んだ山本司令官が立案、それまでの戦艦中心の海戦では無く、航空機を中心とする世界初の機動部隊でした。鹿児島湾で訓練し、戦艦、航空母艦を魚雷で撃沈する戦法でした。当時の海軍内に、この作戦には多くの反対があったそうです。

 この第2次大戦の拡大に、色々な国の思惑もあったと歴史の検証から出て来ています。日本は、世界恐慌の後一早く、経済再生が進んだと聞いたことがあります。しかし米英は、なかなかダメージが大きく、色々な政策がうまく働かず、経済はどん底にあったと言います。しかし第2次世界大戦は、その不況下の社会を一変させる出来事になりました。
 ヒットラー、ムッソリーニが、ヨーロッパ・アフリカに戦火を広げ、日本が東南アジア一帯に広げりました。実は私の叔父(父の兄)は、ソロモン海戦で戦死しました。

 話を戻しましが、以前レーダー発明のことを日記に書きましたが、当時の陸軍、海軍は、伝統や規範を尊重して行動、作戦をしていました。その理念には「神州」「武士道」「神風」等、新技術や情報収集、ネットワーク型作戦計画などの発想が無かったと本で読みました。
 例えば、「今日は何の記念日」。実は、機動部隊出動の日も何かの記念日だったと本で読んだことがあります。大和の艦砲射撃は、最後まで目測で対空砲火をやったとありました。(詳しくは、識者の教示をお願します)
*レーダー発想は、昭和9年東北大学の八木秀次氏の研究室から

 世界初の空母中心の機動部隊計画は、山本五十六長官が辞表をかけて決断を迫ったと知りました。その山本氏は、昭和18年陣頭指揮を取るとラバウル基地出向き、その作戦中に撃墜され亡くなりました。その後も日本軍は、戦前の作戦計画(マニュアル)を尊重しつつ、講和を早期に望んだ山本長官の思いとは違い、戦争は長期化します。

 戦艦大和を襲撃した米軍の戦法は、日本が真珠湾だ使った航空機と魚雷攻撃でした。大和の乗組員の真意は定かではありませんが、冒頭の言葉の全文が次の一節です。

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」

 太平洋戦争で亡くなった先人たちが、今の日本を見て何を思うのでしょうか?

 子が親を殺す、親が幼児を虐待、老人を大事にしない社会、切り捨てられる労働者、「本当に、日本は本当に進歩したのでしょうか・・・」。
 色々ご意見を頂ければ幸いです。

*レーダー発想は、昭和9年東北大学の八木秀次氏の研究室から
 「日本人は、精神に電池を入れなおせ」(対談)司馬遼太郎VS西澤潤一
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1013173822&owner_id=2182841(ミクシィ)
http://blogs.yahoo.co.jp/echq96/archive/2008/12/04(Yahoo)
http://noguchi.otemo-yan.net/e133753.html(コモンズ・くまもと)

*参考資料:NHK「その時歴史は動いた」心に響く名言集


<以前の日記>
・(増税より育成)公的固定費を切詰め、失業者で新たな産業育成を
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1030014348&owner_id=2182841

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