Aslan Maskhadov の大統領時代、チェチェンの国際的外交面での実績は特筆すべきであった。Sadulaevの統治では、しかしながら、外交的な効果に陰りが見え、現在Umarovの時代は、外交活動はまったくの休止状態になった。海外で活動する唯一目立った人物は、情報大臣であるAhmed Zakaevだ。彼は、ロシア当局によってなされる根拠の無い非難によって自由にヨーロッパを移動出来ず、彼の義務を果たせないでいる。チェチェンの抵抗運動に関する人物で国際舞台で活動しているものは、他には誰もいない。Movladi Udugovは、以前の影響力を失っている。“Kavkazcenter” のwebsiteに全てを傾注させており、彼は彼の焦点を北コーカサスから、より広範囲のイスラム世界に影響を及ぼすニュースの報道に移行している。このことは読者を失うことに繋がっている。なぜならUdugovの視聴者は、世界の出来事に関する情報よりも、コーカサスからのニュースにより興味があるからだ。この変化は、一部にチェチェンの戦後に対する統一されたビジョンが不足していることからくる。特に、現在のUmarov大統領は、Udugovの考えよりもZakaevが表明した考えに賛同する傾向にあるからだ。
Aslan Maskhaovが大統領の時に形作られたチェチェンの国会(第2次戦争の間の2005年にモスクワによって選ばれた国会と混乱しないように)は、理論上は今日でも機能している。そして、議長であるLema Saraliapov と現在ストラスブルクやフランスに住む何人かの役人が代表を務めている。しかしながら、これらの人々でさえ、記念日を祝うのに必要な時だけ活動するような傾向で、海外に住んでいて効果的に活動するような機関も戦術も持ち合わせていない。
2006年には、チェチェンは共和国内での人権問題に対して向けられた関心を、より頻繁に利用するようになった。“チェチェン−ロシア友好協会Society for Chechen-Russian Friendship (“Obshestvo Chechno-rossiiskoi druzhby)”による全ての活動と、著名な人権活動家Ruslan Badalov による“チェチェン救国協議会Chechen Committee of National Salvation” (“Chchenskii Komitet Natsionalnogo Spasenia”)に対する訴訟活動に対する裁判所の停止命令は、人権の仕事はすぐに地下活動になってしまうであろうということを意味する (www.grani.ru, October 13, 2006)。絶え間の無い圧力、脅迫そして誘拐が、今でもチェチェンに住む決意でいる人々の日常の生活になってしまった(www.kavkazmemo.ru, October 13, 2006)。モスクワでのAnna Politkovskayaの殺人、そして、ロンドンでのAleksandr Litvinenkoの殺人は、報道陣のチェチェンへの訪問の禁止とあいまって、FSBが関係する限り、北コーカサスでの出来事を報道することが命をかけるに値するかどうか考えさせることになったに違いない。しかしながら、外国のジャーナリスト達が密かにチェチェンに入国し出来事を報道しているということも書かなければならない。最近の例で言えば、the “German Wave”ラジオ局からのドイツ人リポーターがいる (www.newsru.com, December 15, 2006)。
共和国に住むチェチェン人による報告により、ロシア政府はいまだ軍用機が高原地帯で使用され、“平和なチェチェン”というイメージとは正反対な何かがロシア政府によって進められていることを認めざるを得なかった。同様に、一般市民の報告が村々が戦車で砲撃され、しばしばヘリコプターによる機銃掃射で軍隊が不意打ちを受けるということを伝えている(Kavkazky Uzel, December 28, 2006; www.strana.ru, December 21, 2006)。これらのことにもかかわらず、毎年毎年、モスクワは抵抗運動など無く、共和国内の犯罪行為だけ取り締まらなければならないのだと宣伝しようとして来た。ロシア政府は、もう既にチェチェンにおける国際テロリストと戦っていると宣言することの効果が薄くなったことを知っており、今日では、クレムリンは北コーカサス全域の状況が、平和で安定していると描き上げることに関心を持っている。事実は、しかしながら、反対であることを示している。Ramzan Kadyrovが、「ほんの4・50人の共和国を渡り歩くゲリラ」が山の中に残っているだけだといまだに主張しているが、北コーカサス統一部隊the Unified Military Corpsの司令官−Evgenii Barayev将軍−は、もっと多い700人という数字を示している(ITAR-TASS, December 5, 2007; www.kavkazmemo.ru, December 1, 2006)。Ramzan Kadyrov が、7千人のゲリラを市民生活に戻したと自慢していたのも興味深い。これは、面白い数字で、一つはそれが以前公式には発表されていなかった数字だということと、一方で、誰もが、どれだけの人数が今の状況に単純に甘んじていると決心したのだろうかと不思議に思うからだ。
チェチェンからの撤退に関しては制服組の意見が聞こえてこない。共和国の現在の親ロシア指導者は、彼らの現在の戦力(警察1万7千人、“Yug”と”Sever”の大隊、ロシア防衛省からの2部隊、そして“Argun”グループからの3千人の国境警備隊)で、で状況を処理できるであろうと主張している。しかし、ロシア内務省の高官は、残ったゲリラの主要戦力を破壊して始めてこの話題について検討できると確信している (Radio Freedom – Northern Caucasus, August 10, 2006; Interfax – Yug, December 19, 2006)。このことは、内務省の指導者が、抵抗運動の‘主要戦力’がいまだ存在し、多くの有名な司令官たちの死にも係わらず機能しているということを認めたということだ。とりわけ、この地域の親ロシア為政者達(A. Alkhanov, M. Aliev, M. Batdyev, S. Khazret, etc.)の誰一人としてPutin大統領に任命されていない。これは、この駒に対するモスクワの姿勢を現している(Yuzhnyi Reporter #87, December 25, 2006)。