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「神霊問答」と天界の宴コミュの「天翔」

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まえがき 平成六(1994)年六月二十九年
まえがき2 平成七(1994)年十月十二日
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9368151&comm_id=1196324

31平成六(1994)年四月十九日午後十時〜十時三十分
大川隆法氏に事になっているのに、あまりへりくだるので人から見くびられるという話

32平成六(1994)年四月二十一日午後八時〜九時三十分
一転して、つても何もないので遭ってくれるはずがない、それでいいのだという話に。

GLAについて。父には合わないものだったようですが、守護霊様は、それぞれの宗教教団にそれぞれの働きがあると諭されます。女性の教主の時代。

今回の旅の目的は教団を廻る事ではなく、霊地を巡る事。

33平成六(1994)年四月二十二日午後八時〜十一時
日光にて。亡くなられた知り合いの長谷さんから「東京はご苦労様でした。人生の中で最も苦しい5年間の闘病生活から激変して、いきなり、毎日、一日中、コンクリートの上を、十数キロも徒歩で歩き廻って行かれるようになったわけですから」といったねぎらい。
一方、守護霊様からはお叱り。「勝道上人は二荒山神社の開山、二荒山神社は霊峰男体山(二荒山)を御神体山と仰ぐ神社である。(中略)
汝は上人を知らずとも、上人は汝を知るものである。汝が勝道上人に敬慕の念を持ち得なかったのは、汝の油断に原因があると思え。
戒めよ、心に遊山の気分あり。」

34平成六(1994)年四月二十三日午後八時〜九時半
奥日光のやさしく穏やかな林、湿原、川、残雪といった風景に心を奪われ、神事を忘れていたと長谷さんからも注意される。

35平成六(1994)年四月二十九日午後八時〜十時半
早朝に高山を後にし、京都へ。
白光真宏会の五井先生の前世である親鸞聖人の足跡(そくせき)を辿り西本願寺に立ち寄った際、信者の方に六角堂を勧められ、神霊の導きを感じて行く。(親鸞聖人が聖徳太子の夢のお告げを得た場所。)
守護霊様「汝の参拝の時、そこには聖徳太子を初め、往時の親鸞上人である五井先生〔空独尊昌久如来〕、そして、宗忠神、ククリヒメノミコトや、多数の神々と仏菩薩が参集されて、汝の天命のめでたさを讃えられたぞ。」(宗忠神社も参拝しているため)
宗忠大神「汝の書き取りくれたる歌は我が魂の歌なり。
君が行く道もあずまもこの里も祈る心は日月(ひと)つなるらん」
白山媛大神「わたくしは、ヒミコ様の時代に、白山の麓あたりに小さな女王国を治めておりました。それは、今の飛騨国府にあたるところです。」父の、日本の真の歴史を知りたいという望みに応じて、解き明かしてくださる白山媛大神様。「高山ヤマト国」に服属して岐阜、名古屋、京都、奈良と移住した話。

平安神宮で天照大御神様、桓武天皇が祝福されたという話。
(その割に、後の天界の宴に桓武天皇の話はないので、申し訳ないけれども百済系嫌いの私としては、あくまでこの時点での父の概念のような気もしなくはない。)

36平成六(1994)年四月三十日午後七時
(大本教の)『霊界物語』を学べ。『大本神諭』は学ぶ要なし。代わりに『日月神示』の原文を入手して学べよ。

37平成六(1994)年五月一日
大峯仙人「本日は汝を通して、天理教新柱殿にお願いの筋があるなり。」

38平成六(1994)年五月一日
白山媛大神が何故京都にいらっしゃるのか守護霊様に尋ねる。
神武東征の時、媛は奈良にあり、娘の一人は神武天皇の妃の一人となった。征服されたのではなく、互いに思し召しと尽くしの心あってのこと。天理の地にもゆかりあり、教祖中山ミキ様の指導霊でもあった。高山、京都、奈良の各地に白山神社があるのは、媛の足跡。

39平成六(1994)年五月一日午後八時〜
天理教の朝の勤おつとめに参加。
「あしきを払うて助け給え」の一節の瞬間に胸を熱くして、涙をこぼそうとした。大勢の人が集まって朝のつとめをする素晴らしさ。父の祈りに応じて宇宙大神様、天照大御神様、天地合気之大神様、大峯仙人、天理教の神々が揃って、一大光明を放って、世界人類の平和を祈念された。普段、世界の危機を救う響きがなかったのが当時惜しまれた。

40平成六(1994)年五月二日午後五時〜七時
日月神示は烏人仙人の指導による自動書記、真光の『御聖言』は大峯仙人ので、二つは兄弟であり、須佐之男大神様の七つの御使いの働き。
ある時の「天」と「地」の話し合いにより、黒住、金光、大本と教えを民間庶民に息吹かせて、日の元ツ国の霊界を清め、天地双方の教えを様々に織り成して、各地の火山と滝のように「火吹き」「水吹き」させたもの。
すべての始まりは黒住にあって、これは天地一体の教え。大本はそれを受けて人類世界の「文明ユキヅマリ」と「大ミソギハライ」と「神聖政治の御代ヒラキ」の雛形を演じさせたもの。

大峯仙人「お主も学んだものよ。一月の頃を思い出して見よ。この大峯をその辺の人間どもの守護霊界の者の、感心せぬ企みなどと思い、人にも語りなどしありし者が、よくよく思案を替え、立て直し、そこまでになったものよ。」

後日(六月一日未明)の中将姫様のみ教えでは、烏人仙人の御本体は、国武彦命(国常立之大神、又の名を大国治立尊の代理神)であり、文体の癖・調子は烏人仙人のものであるという。

予定にいれてなかったが切符も名古屋までしか買ってなかったのと高山に行くのまで時間があったので、急に思い立って熱田神宮に行き、天皇の元にあると思っていた草薙の剣があるのに父は驚いたという。
平安神宮の時にもまして、天空では神々が神集いに集われて、父の二つの仕事の成就を祈念された。
伊勢、出雲につぐ由緒ある神社だと父の亡くなられた知人たちは守護霊様から聞いたらしい。

41平成六(1994)年五月二日午後八時二十分〜九時
飛騨神岡・古川(国府)は聖地。白山神社に参拝せよ。

42平成六(1994)年五月三日午前七時半
守護霊様「今朝は問答は不要。しばらく瞑想せよ。」

43平成六(1994)年五月三日午後七時半〜九時
天理教について。
守護霊様「身ぶり手ぶり、踊りで教えれば、庶民の隅々まで体感できる教えとなる。霊の元ツ国、日本の百姓を救うことができる教えが生まれたのは、ミキ殿のお生まれ、お育ち、家に使仕え、夫に尽くし、子を産み育てるという身をもってのご苦労の結晶である。」
(中略)
「では、五月一日の御教えを新柱様にお見せするというのは?(中略)新柱様を初めとする各教会長など、幹部の人々と信者の人々が、日に日に新たな、人間とは何か?世界一列甘露台の教えは一体何を意味するのか?親様の心はどこにあったか?などの問題意識、別の言葉で言うなら、自己と教団の向上心を持てよということでしょうか?」
守護霊様「その通り。」

44平成六(1994)年五月五日午午前五時〜五時半
「大和朝廷の成立順路は?」
守護霊様「まず、高山政権は、高山から岐阜、名古屋、伊勢、熊野、和歌山から河内の順で、しかし、ほとんど同時に統一した。
 男王の指揮する軍事力による統一であり、王朝の成立であった。それが河内地方に王朝を形成した。
 大和政権は、まず、和歌山・紀伊付近で戦いを繰り返し、やがて朝日の昇る方向から攻めて、高山王朝を屈伏せしめ、河内の地に大和王朝を成立させた。やがて、王朝は大和葛城地方に移り、大和(大和神社〜石上神宮付近)へ移って大和朝廷となり、全国統一を成し遂げたものである。さらに、幾つかの時代を越して、推古天皇の時代には斑鳩の地に移ったのである。これは太子の政務の影響で、朝廷の建築物は飛鳥にあり、のちの時代は飛鳥が朝廷の都となる。
 今回の旅では、太子と古代王朝(大和朝廷)ゆかりの地を巡ることも、大事な目的である。」








「暁鐘」のあとがき1 平成七(1995)年十月十二日
「暁鐘」のあとがき2 平成六(1994)年六月二十九日
「暁鐘」のあとがき3 平成七(1995)年十月七日

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