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とにかく怖い話。コミュの(高梁と菊地) 高梁と菊地

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 物語で登場する人物名等はフィクションです。
 またかなり長い話であるため、最後までお付き合い頂けると幸いです。

見晴らしの良い田園地帯のド真ん中に中学校が建っている。

夏はよく分からない虫が出てきて生徒たちを騒がせたり、
日が沈む頃には蛙の鳴き声が耳障りな不協和音の合奏となり生徒たちの集中力を削ぐ。
冬は地形から風を遮るものが少なく、迂闊に窓を開けようものなら強風で雪が吹き込んできて、
教室内がどんでもないことになる。

小学生の頃は、何故あんな所に学校が建っているのか不思議に思ったものだが、
実は俺の通う中学校である。

初夏を過ぎ、徐々に暑さを増していく季節。
木々はすっかり青づいて風が吹くたびに木漏れ日が揺れる。
そんな爽やかな日曜日の午後だというのに、学校へ向かう生徒たちを疎らに見かけた。
きっと部活動や委員会の所用などで登校しているのだろう。
だが校門を出て逆走する1人の生徒がいる。
俺だった。

俺は特に部活動はやっていない。
委員会も交通安全委員という、たまに旗を持って通学路に立っている以外は、
活動内容が不明確なものに入っていたので、日曜に学校へ来ることなどまずはなかった。

今日はたまたま月曜までに提出しろと担任から課せられた
宿題のプリントを紛失してしまったために、学校まで取りに来たのだ。


学校と繋がる一般道沿いには木村書店と書かれた参考書を中心に取り扱う本屋があり、
その角に舗装されていない細い路地が続いている。
路地に入り向かって左手3軒目に加賀屋という駄菓子屋があるのだ。
1階建ての木造で、柱などは黒く変色し、香ばしい匂いが漂ってくるその築年数は、
おそらく俺よりずっと年上であろう建物だ。
俺は加賀屋の前に来ていた。


店内には子供が4〜5人も入ればスペースのなくなりそうな狭い空間に、
所狭しと様々な種類の駄菓子が並んでいる。
よく見ると白菜や卵といった菓子でない物も混じって売られていて、よくネタにしていた。
以前、昭和52年に賞味期限の切れたマヨネーズが店頭に置かれていたのを
見つけたときは、ネタの域を超えて感動してしまったことがある。

この駄菓子屋は、俺が小学校低学年の頃から利用しており、
ここは昔から小学生たちの溜まり場でもあった。

俺は中学に上がってからも馴染みのあるこの駄菓子屋を度々訪れている、
そういった同級生は俺以外にも結構いたりした。
その証拠に今も、ランドセルを背負った私服姿の子供たちに混ざり、
白いシャツと黒いズボンを履く、周囲の子供たちより少し背の高い中学生が店内に居る姿を見て取れる。

それは知った顔だった。クラスメイトの…。
ちっ 気づかれてもスルーしよう、そう心に決め店内に入った。

※コメントに続きます。

コメント(14)

※続きです。

「おや、いらっしゃい」

優しくゆっくりとした口調で話しかけてくるお婆さんがいる。
お婆さんは店の奥にあるレジの横へ、これまたゆっくりと移動し正座した。

このお婆さんは加賀屋を経営する店長だ。今年八十四になる。
小学校低学年から通っているので、すっかり顔馴染みだったが何故か誰も名前を知らない。
もちろん苗字は加賀というのだろうが…
みんな昔から、このお婆さんを「マスター」と呼んでいた。

「ヘイ!マスター今日も暑いね!腰は大丈夫か?」

マスターは皺で細くなった目を一層細くし、年齢に合わない高い声で笑う。
小学生の頃、腰を痛めているマスターの代わりに子供たち数人で、
棚卸しを手伝うというちょっとしたイベントがあった。
俺もその手伝いに参加していたからマスターの腰痛を知っていたのだ。

「あのときはありがとうね」

マスターは正座のまま、少し首を傾け微笑んだ。
最もマスターは元々の目つきや皺のせいもあって、常に笑っているような顔つきだから
いつ見ても笑って話しているようにしか見えないのだが。

このやり取りの中、マスターの会話で「あのときは─」のくだり、
上顎の入れ歯が外れてガタっと下にずれた瞬間を俺は見逃さなかったが、黙っていた。


「あれ?高梁(たかはし)じゃん」

少し鼻に掛かった高めの声で俺の名前を呼ぶやつがいる。
ちっ 名指しで声を掛けられたらスルーもできないじゃないか。

振り向くとドアップの顔が視界を埋めた。
肌が白く眉が細い、少し茶色がかった綺麗な瞳には俺の顔が写っているのを確認できる。
チークをしているかのように頬は薄っすらと赤みを帯び、薄い唇はピンク色をしている。
少しだけ汗を浮かべた首筋には数本の髪の毛が付着している…

仄かに桃のような金木犀のような心地の良い香りが漂ってきた。
おそらくシャンプーの匂いだろう。
こんなに間近で人を見るのは初めてで、俺はちょっとドキドキしていた。
断じてそっちの気はない。そう断じて。

よく見ると女子とも間違えそうな顔つきのそいつは先ほど店内にいたクラスメイトだ。
はっと我に返り思わずそいつを押し退けた。

距離を取って再度確認する。
茶色がかったサラサラの髪が顎のラインより長く、小柄で色白、今の季節には釣り合わない、
如何にも文系といった面持ちの美少年がそこに立っていた。

ああ間違いない、こいつはクラスメイトの菊地(きくち)だ。

菊地は中学1年の夏に転校してきたらしい。
2年に上がって、同じクラスになり半年ほど経つのに、今初めて会話をする。
何故なら今まで意図的に避けてきたからだ。俺は菊地が嫌いなのだ。

菊地は明るくて人懐っこく、誰とでも分け隔てをしない接し方をする。
また程よく勉強ができ、程よく不真面目で、立ち回りが上手い。
小学時代からの友人も数人クラスにいた俺と違って、
転校生だった菊地には周囲に知り合いなど居なかったはずだ。
それがこの半年で、あっという間にクラスの輪の中心となっていた。

もちろん俺にはないものを持つ菊地を僻んでいる部分はある、
だがそれ以前に人気者で目立つやつにはどこか胡散臭さを感じてしまうのだ。

しかし俺だって余計な波風は立てたくない、
だからなるべく関わらないようにしていたのに…。

駄菓子屋に入って菊地を見かけたとき、立ち去らなかったのは、
この店が昔から通い続けた俺のホームグラウンドだと思っていたから、
菊地のために遠慮するのが癪だったからだ。

そんなチンケな意地を張った結果がこの状況だ。
今俺の前に、俺を見ながらニコニコしている菊地がいる。
「おや彼女さんかい?」

マスターは正座したまま、俺の顔を覗き込むように尋ねてきた。

「マスター冗談きついぜ、こいつは男だ」

不覚にも先ほどドキドキした気持ちを拭い捨てるかのように強い口調で言い返す。
マスターは両手で口を覆い、おやまあ、と驚いた様子だった。
しかし驚いても笑っているように見える。

「そうか〜、お婆さんは僕を女の子だと思っていたのか、
 さっきから妙に話が噛み合わないと思っていたんだ」

菊地は頭を掻き少しはにかみながらもマスターに愛想良く笑って見せた。

これだ、俺はこれが嫌いだ。
もしこいつにスカートを履かせたとして、初対面の相手なら女子と見間違えても可笑しくはないだろう。
菊地は今までその外見をネタにバカにされたことがあったはずだ。

だけど、こいつは自分にとって不名誉、不利益なことがあっても怒らない。
マスターの勘違いだったにしろ少しぐらい怒ってもいい、
怒らないにしても、せめて不愉快だという意思ぐらい示してもいい場面だ。
多感なお年頃の俺たちは普通そうする。

今まで会話こそしてこなかったが、俺には分かっていた。
菊地にはそういった自己主張がないんだ。


「なんで菊地がここに居るんだよ
 下校中の買い食いは校則違反だって知っているだろう?
 …あ、マスターよっちゃんイカ1つね」

そう言って、よっちゃんイカを1つ取り出しマスターに40円を渡す。
菊地は眉を潜めながらも口元は笑っている。
おいおい、お前が言うな…とでも言いたげな表情だ。

「買い食いをしていたわけじゃないよ
 僕が昔住んでいた所には駄菓子屋がなかったから珍しくてね
 それに───」

菊地が言いかけとき、菊地の後ろからひょこっと顔を覗かせる2人の子供がいた。
ランドセルを背負っているから小学生だろう。

「なんだお前ー」
「お前ー」
「菊ねぇの友達かー?」
「友達かー?」

少し背の高い高学年であろう坊主刈りの男の子が先に話した言葉を
坊主より背の低い低学年であろうツインテの女の子が復唱している。

「駄菓子屋に顔を出すようになったら友達ができたんだ」

菊地は右頬を人差し指で掻きながら、気恥ずかしそうに言った。

「菊ねぇってお前ら、こいつは男だぞ」

俺は坊主の目線まで腰を屈め、菊池を指差して言う。

「そんなの知ってるぞー」
「知ってるぞー」
「でもうちの姉ちゃんより可愛いからいいんだ」
「姉ちゃんより女子力高いからいいんだ」

2人の子供は俺と同じように菊地を指差して言った。
今ツインテのほうが、さらっと高レベルな単語を言い放った気がするが、
意味を分かっているのだろうか。

菊地は両の掌を表に見せ、苦笑していた。

「兄の方が大輔くん、妹が恵ちゃん
 あともう1人いるんだが…」

菊地は2人を俺に紹介すると、後ろ振り向き確認する。
もう1人を探しているのだろう。

この2人は兄妹なのか。
兄の方は近い将来「だいすけべ」ってあだ名を付けられるな。
妹の方は親や兄の使う言葉を聞いて真似することで覚えているのだろう。
まるで九官鳥のように。

俺がよっちゃんイカを食べながら、
兄妹を繁々と観察していると菊地の声が聞こえてきた。

「こんな所に隠れていたのか」

店の入り口側にある店台の影から菊地に引っ張られて出てくる。

それを見て驚いた。一瞬俺の中の時間が止まった。
その驚き様といったら、プリントの入った鞄と
なけなしの金で買ったよっちゃんイカを同時に床へ落とすほどだ。

乳白色な肌とは対照的に黒い艶やかな髪が真っ直ぐ腰の辺りまで伸びていて、
少し細めの凛とした目元と真っ黒な瞳が印象的な美少女がそこにいた。

だが、俺が最も驚いたのはそこじゃない。

「梨絵ちゃんっていうんだ」

そう言うと、菊地が梨絵と呼ばれる少女の背中を軽く押す。
梨絵は上目遣いで、どこか恨めしそうに俺を見ていた。

「… … …梨絵です」

蚊の鳴くような声で名乗る。

俺が硬直していたのはものの数秒だったと思う。
止まっていた時間は動き出し、直ぐ様、だいすけべと九官鳥を見た。
2人は菊地を見ながらぽかんと口を開け、呆然としている。
差し詰めそれは2体の埴輪のようだった。

その後すぐにマスターを見た。
正座をしたまま、細い目は閉じられ頭をこくりこくりと上下に揺らしている。
どうやら寝ているようだった。
マスターは寝ていても笑っているように見える。

そして菊地を見た。
菊地はニコニコしている。
その横にいる梨絵と名乗る少女。

「菊地…お前」

その少女は生きた人間じゃない。
中学2年に上がった俺は、人並みに厨二病を煩っていた。
アニメを見ては自分の設定を考えたり、イマジネーション(妄想)に耽ったり、
時には黒いロングコート、髑髏が装飾された指輪、勇者の剣なるものを通販で買って、
自室に篭っては人知れず悪の根源と戦ったりしたこともある。

だが1つだけ厨二病とは違う本物の特異体質があった。
それは霊が見えること。

中学に上がる以前、おそらく生まれたときから見えていたと思う。
始めは家族や友人などに俺が見えるものを必死で伝えようとしていたが、
誰も信じてくれず、あげく親には病気の疑いまで掛けられたことがある。

体裁なども考えて、いつしかこのことを口に出さなくなっていたが、
俺は一度も自分を病気だと思ったことはない。
霊を見て、会話をして、触れられる。
あいつらの存在を認識できるその感覚全てが病気だと思えるほど、
俺は思い切りのいい性格ではないからだ。

俺自身のコミュニティが狭いということもあると思うが、
残念ながらこれまで俺の日常を共有できる人には会えたことはない。
仮に居たとしても、そいつはその体質を誰かに明かしたりはしないだろう。
何故なら俺たちは嘘つきなのだから。

だが、菊地、お前にはその少女が見えるんだろう?

「ちょっと来い」

俺は乱暴に叫んで、菊地の腕を掴み店を後にした。


加賀屋のある路地を突っ切ると国道に出る。
国道と言っても一車線の割りと狭い道だったが、
小中学生の通学路ということもあり、歩道はそれなりに広い。
道なりの真っ直ぐ100メートルほど進むとバス停が見えてくる。
その向かい側に建っているファミレスに俺たちは居た。

店に入って窓側の一番奥の席に、俺と菊地は向かい合って座っている。
俺はドリングバーを注文し、菊地はパフェを注文した。
本当に女子みたいなやつだな。

梨絵というあの少女の姿は確認できない。
どうやら菊地に憑いているわけではないようだ。

改めて俺は菊地を見る。
さて、どこから話したものか。

「君が僕をファミレスに連れてくるなんて嬉しいよ」

菊地はニッコリ笑った後、店内を見回しながら、
「この店入ったの始めてかも」などと独り言を言っている。
お前が俺に霊を紹介しなければ、こんなことにはなってねーよ。

俺は少し前屈みになり腕を組んで先ほどの菊地のやり取りを整理した。

霊を霊と認識していれば、もっと騒いていても可笑しくない。
まして友達を紹介するかのように霊を紹介するなど普通じゃない。

マスターは寝ていたから当てにならないが、あの埴輪兄妹は菊地を見て呆然としていた。
何もない空間を指し示して梨絵を紹介しているように見えていたはずだからだ。
対して菊地は梨絵が見えていたどころか、触れてすらいる。
これは菊地にも霊が知覚できていると考えて間違いないだろう。
だが先の件があったにも関わらす、当人のこの能天気ぶり。
これはもしかして…

菊地は霊が見える。
しかしそれが霊だと気づいていない…ということか。

俺は理論というよりは直感というべき仮説を組み立てた。
上体を起こし菊地をガン見する。

「高梁さっきから面白い顔しているね」

菊地は右手を口に添えクスっと笑った。
考え込んでいる俺の顔は菊地にとって、面白かったらしい。
俺はムッとする。結構失礼なやつだな。

俺は色黒で筋肉質だし菊地と全くタイプは違うが、
それなりに整った顔立ちの男前であることを自覚している。
全てにおいて平均の域を脱しない自分に対し唯一満足しているものでもあった。

「俺はイケメンだから面白い顔なんて出来ねーよ」
「自分でいうなよー」

菊地は再びクスっと笑う。
なんかこいつに言われると無償に腹が立つ。
俺は頭を掻きながら深呼吸して気を取り直した。

さて、菊地に対する俺の考えはまとまった。
次はその検証方法だが、それは単純かつシンプルだ。
実際俺が見えているものを菊地にも同じように見えのるか確認してみればいい。

以前見たことのある雑誌に書いてあった話だ。
霊が見えると言ってもその見え方や、
見える見えないの差異など色々あるそうだ。

テレビやラジオには様々なチャンネルがあり、
視聴者側がチャンネルを合わせることで放送を見聞きすることが出来る。
それを踏まえ人間と霊の交信について例えていた。
この場合、視聴者は人間であり、配信元は霊である。
つまり、チャンネルを合わせることが出来れば、
霊を確認することが出来るという話だ。

オカルト系のゴシップ雑誌だったから、胡散臭いことこの上ない。
だが、表現としては的を得ているように思えた。
ここからは雑誌に書かれていた話に基づいて、
俺の立てた仮説になる。

元々全てチャンネルは人間に対し向けられているのだ。
しかし脳が生きていく上で必要なチャンネルを選別し、不要なものを弾いている。
いわばPCでいうファイアウォールのような役割だ。

だが本来無意識下で行われるはずの選別を意識的に開放する、
または、情報量に処理が追いつかなくなってファイアウォールをすり抜けてしまった場合、
見えるはずのないものが見えてしまう。
これが見える見えないの自論だ。

具体例として、気が沈んでいる、または疲れているときに霊が憑きやすくなるといった話は、
脳が疲弊し、ファイアウォールとしての機能が低下することにより、
チャンネルのすり抜けが起こる現象を示唆しているのではないだろうか。

この自論に準えると、俺はファイアウォールが壊れていて、
全てのチャンネルを受信できてしまうという状態にあることになる。
もしかしたら、俺にも見えないものがあるのかも知れないが、
そもそも俺以外の見える人を知らないし、こんな話を他人にしたことがないから分からない。

次に見え方の自論についてだが、
ファイアウォールをすり抜けたチャンネルは、脳の視覚、聴覚、記憶、言語といった部分を使って、
チャンネルから伝達される情報を元に姿を形成していく。
だが、本来持つ情報が上手く伝達出来なかったなどの不備があった場合、
過去の記憶や、そのときの心理、感情を元に足りない情報を補って、本来の姿に近い仮の姿を形成する。
だから人によっては見え方に差異が出るのだ。

菊地が紹介したあの梨絵と言う少女。
確かに美少女だったが、俺にはどこか禍々しさを感じた。
しかし菊地はそんなものを微塵も感じていなかったのだと思う。
そこには菊地が霊を霊として認識していない勘違いが原因の1つとしてあり、
また俺と菊地とでは、情報の伝達に何らか差異があって、
梨絵に対しての感じ方が違っていたのではないだろうか。


霊は交信相手である人間の脳を使って、視覚化、言語化しているというのが自論のまとめだ。
もちろんこれだけでは説明の付かないことも沢山あるのだが。


「お待たせしました」

フリルの付いた可愛らしいエプロンを身に着けた、
あまり可愛くないウェイトレスが菊地の注文したパフェを持ってきた。
菊地は手を少し広げて目を輝かせている。本当に女子みたいだ。

「まぁ食べながらでいいから聞いてくれ」

そう言って俺は窓の外を親指で指差した。

「あのバス停の前にいる人の特徴を言ってみ」

菊地はスプーンを口に加えて、少し怪訝そうな顔をしながら、
窓の外に目を向ける。

「んー、時刻表の前に立っている人だよね
 茶色の鞄、紺のスーツ、中肉中背、年齢は二十代か三十代かな?」

次に俺は店内にあるレジに向かって右側のトイレ入り口を指差した。

「トイレ前に居る、あいつの特徴は?」

菊地はトイレに背を向けた席に座っていたため、
背もたれに腕を掛けて後ろを振り向く。

「誰も居ないね、もうトイレに入っちゃったのかな?」

そう言うと座りなおして再びパフェを食べ始めた。
次に俺は左斜め前の席に座る2人の主婦らしき中年女性に顎を向ける。

「茶髪でパーマを掛けたほうのおばちゃん見てみ」

菊池は再び振り返り、左斜め前の席に座る2人の主婦を確認した。
俺も意識を2人の主婦に傾けた。
どうやら丸一の卵はお一人様1パックらしい。

菊池は俺を見て言う。

「丸一の卵はお一人様1パックだってさ」

…なんで同じこと考えているんだよ。

「いったいなんだい?」

菊池は眉を潜め不思議そうに俺を見た。

俺は再び前屈みになって腕を組み考える。

左斜め前のパーマおばちゃんの右肩には生霊が憑いている。
だが菊地には見えていないようだった。

レジ右側のトイレ入り口前には学生服であろうブレザーを着た女子高生が立っている。
これも菊地には見えていないようだった。

しかし、窓から確認できるバス停前に立っているスーツ姿の男性会社員、
これは菊地にも見えているらしい。
特徴も俺が確認できているそれと大体同じだ。

俺は菊地に再度窓の外に見えるスーツ姿の男性会社員を見るように言った。

「何かこう違和感のようなものを感じないか?」
「何それ?心理テスト?」

菊地は笑って答える。
それはまるで、そこに居るのが当たり前のような物言いだった。
俺と菊地が同じものを見ても明らかに違っている点、
あのスーツ姿の男性会社員から禍々しいものを感じているか否かということだ。

俺的に霊には大きく2種類ある。
生霊と死霊だ。

その見分け方は単純だった。
生霊は鮮明なカラーに見え、死霊は白黒のような煤けた色に見える。

そして更に死霊にも大きく2種類ある、悪霊かそうでないかだ。
その見分け方も単純で、霊を見たときの直感と、視覚的な基調色、
悪霊は黒基調、それ以外は白基調という差だ。

今の3つの検証でわかったこと。
菊地は霊を霊として認識していないだけではない。
おそらく見える霊は死霊で悪霊が主で、そしてそれが危険なものであるという意識がないのだ。

そしてもう1つ。
菊地は悪霊に対し、俺以上の感度を持っているのではないか。
煤けた色にしか見えない俺には、スーツの色など青っぽい何かにしか見えないし鞄など黒く見える。
しかし菊地は、スーツの色はおろか、鞄の色まで表現していることから、
おそらく俺が見えているよりずっと鮮明に見えるのだろう。
それが返って、霊を霊として認識する邪魔をしていたのかも知れない。

ここで俺は更に考え込む。

俺は自分を病気だと思ったことはないが、この体質を快く思ってなどいない。
家族や友人に嘘つき呼ばわりされ傷ついたこともあったし、
体質を理解されない孤独感もあった。

ある程度菊地対しに確信を持てた今、
もしかしたら俺の日常を共有できる存在になるかも知れないという希望があった。
しかし菊地にとって結果的に、このことを伝える方が危険なのか、伝えない方が危険なのか。
俺には判断出来ないでいた。


疑問が確信へと変わると、再び疑問が沸いてきて行き詰まる。
テーブルに肘をつき、掌に顎を乗せながら窓の外を見た。

少し日が翳り始め、俺の視界に入る景色は少しオレンジ色に染まっていた。
もう夕方か…

再び菊地を見る。

俺は菊地が嫌いだ。会話だって今日初めてまともにしたぐらいだ。
しかし俺以外にも霊が見える人間が居るという事実は何より嬉しかった。
だからといってこれまで一方的に嫌悪してきた俺が、
これを切欠に菊地の友人になろうなど、虫の良い話だろう。

だが誰だって孤独は嫌なものだ。
果たして俺と菊地はいつか日常を共有出来る友人になれるのだろうか。

不安と迷いの中に少しだけ希望を持ったその第一歩。
俺は意を決して口を開いた。


「そろそろ帰ろうぜ… その… 一緒によ」

俺は気恥ずかしさで、菊地から目を背け再び窓の外を見る。

「ああ、帰ろうか」

菊地はニッコリ笑って、快く承諾した。
青々と茂る田園地帯のド真ん中に建つ中学校から、
授業の終了を知らせるチャイムが響く。

あるいは部活動に、あるいは帰宅するために、生徒たちが活気良く雑踏する中、
少し出遅れて鞄に教科書を詰め込む俺がいた。

窓側後ろから2番目が俺の席だ。
俺はそこから2列隣の真ん中の席を見ている。
それは菊地の席だった。

菊地はこの2日ほど休んでいる。
担任からは怪我のため休んでいるのだと聞かされていた。

帰りに学校近くにある、駄菓子屋へ一緒に行こうと思っていたのだが残念だ。
そんなことを思いながら、教科書を詰め込んだ鞄を肩に背負う。


「おい高梁」

担任の鈴木が声を掛けてきた。
教室に入り、机を縫って俺の席まで駆け寄ってくる。
手には数枚重ねられたプリントを持っていた。

「お前の家は菊地の家と近かったな
 プリントを届けてくれないか?」

そう言って、持っていたプリントを俺の机の上に置く。

菊地んちって俺んちから近かったのか…

だが、俺は菊地の住所も知らないし、電話番号も知らない。
そもそも菊地という人物そのものをよく分かってない。
それというのも最近まで菊地とは話もしたことがなかったからだ。

「俺、菊地の家知らないん…」

俺が話を終える前に鈴木は話し始めた。

「なら連絡網が掲示板に張ってあるだろう
 宜しくなー」

一方的に会話を終えると鈴木はそそくさと教室から出て行った。
教師というのは忙しいのだろう…そんなことを思いながら俺は鈴木を見送った。

全く面倒な話だ。
だが俺は部活動をやっているわけでもなければ、この後大事な用事があるわけでもない。
それに預かったプリントを届けないというわけにもいかないだろう。
仕方がないので黒板の横に設置された掲示板を覗く。

今月の目標、時間割、文化委員会からのお知らせなどに埋もれ、
連絡網が無造作に張られている。
そこには菊地の名前、住所、電話番号などが載っていた。
俺は菊地の欄から3つ下を見る。

百山秋乃(ももやまあきの)と書かれた名前と個人情報が載っている。
記載されている電話番号が自宅のものだというのが悔やまれた。

百山秋乃とは自クラスのみならず、他クラスの男子からも人気の高い女子だ。
俺も普通に可愛いと思う。

なんだ百山も俺んちから近いじゃん。


「こら、高梁!」

甲高い声で俺の名前を叫ぶ声が聞こえる。
振り向くと、教室の入り口で、腰に手を当て仁王立ちしている女子がいた。

癖のあるショートヘアの七三に分けた前髪を黄色いヘアクリップで留め、
顔のサイズに不釣合いな大きさの黒縁眼鏡を掛けた、如何にも委員長っぽいやつだ。
最も本当にクラス委員長なのだが。

こいつは中学1年からのクラスメイトで、俺がまともに会話をする数少ない女子の1人だ。

「なんだ最上(もがみ)か」

俺は視線を連絡網へと戻し、鞄からメモ帳代わりにルーズリーフを1枚取った。

「なんだとは何よ
 高梁もまさか秋ちゃんの連絡先をメモる気じゃないわよね!?」

最上は腰に手を当てたまま、前屈みで俺に近寄り口早に話す。
俺は体勢を最上の方へ向け、少し身を引いて両の掌を表に向けて苦笑した。

"も"ということは、俺以外にもいるのか。

「いや、菊地の連絡先を調べていたんだよ
 プリント届けるにも住所を知らないし」

慌ててそう言い返し最上を見たときに気が付く、最上の後ろに百山もいた。
まじか、今のやり取りを聞かれていたのか。

百山は俺と目線を合わせず、少し斜め下を見ていた。

細く小さな右手を薄いピンク色の口元に添え綺麗な瞳を潤々とさせている。
廊下の開かれた窓から微かに流れ込む風が、百山の肩下まである柔らかい髪を撫でる。

普通はそういった仕草が好きだという男子は多いのだろう。
だが俺は何となくイラっとした、おそらく菊地を連想させたからだと思う。

「そう、でも秋ちゃんの住所や電話番号を勝手にメモろうとしたらダメだよ」

最上は少し安心したのか、スクっと上体を起こして言った。
上体を起こした瞬間、最上の胸が少し揺れたのを俺は見逃さなかったが、怖いので黙っていた。

確かに最上の言うことには一理ある。
いくら連絡網とはいえ、住所や電話番号などの個人を特定出来る情報を
不特定多数の人間が閲覧できるような場所に張って置くなど危険だ。

後で担任の鈴木に相談してみようと思ったが、すぐに諦めた。
鈴木は自分が便利だからという理由で掲示板に連絡網を張るような教師だ。
まともに取り合ってくれるはずがない。

しかしだ、それなら最上は俺の心配もするべきだ。
連絡網には俺の住所や電話番号も載っているんだから。
何で百山だけなんだよ。
俺は溜息をついた後、菊地の連絡先をメモる。
そのとき今まで沈黙していた百山が、か細い声で話しかけてきた。

「あの高梁くん…
 私も一緒に行っていいかな?」

その顔は夕日に佇んでいると溶け込んでしまうのではないかと思うほど、真っ赤に染まっている。
それを見た俺は何となく察した。

「ああ、そういうこと」

今まで菊地のことなどスルーしてきたから、気にも留めていなかったけど、
あの美形は確かにモテそうだ。たぶん男からも。

俺は徐(おもむろ)にポケットから携帯端末を取り出し、メモを見ながら菊地の自宅に電話する。
しばらく続いたコール音の後に、鼻に掛かった少し高めの声の持ち主が出た。

「はい菊地です」

おそらく本人の声だろうと思い話を進める。

「ああ、菊地か
 これからプリント届けに行くから茶でも入れて待ってろ
 それとクラスの百山がお前の家に押し掛けたいって言って───」
「わああああああーーー!」

叫び声と同時に携帯端末が床に落ちる。

携帯端末を持っていた俺の右腕を左手で掴み、シャツの胸座を右手で掴み、
目に沢山の涙を浮かべて、先ほどより更に顔を赤く染めた百山の顔が目の前にあった。

「な…なんでそういうこと言っちゃうかなー!」

さっきのか細い声が嘘のような大声で百山は文句を言う。
百山ってこんな大声が出せるのかと驚いたが、
一番驚いたのは、俺の右手とシャツを掴む握力の強さだった。

その取り乱しっぷりを見て、俺の中の百山像が音を立てて崩れる。

俺は最上をチラ見した。
助け舟を求めるつもりだったが、最上は小声で「バカ」と言ってソッポ向く。

「どうするのよ!
 高梁くんの用事に便乗しようとした嫌らしい女だと思われたら、どうするのよ!
 自宅に押し掛けるとかウザいなんて思われたら、どうするのよ!
 どうやって責任取るのよ!」

百山は俺の胸座を両手で掴んで前後に激しく揺らしながら、唇を震わせて捲し立てる。

「待て…ちょっと待て」

少し強めの口調で言い、百山の手を掴んで胸座から外した。
そして俺は床に落ちた携帯端末を指差して言う。

「まだ繋がっている」

百山は青ざめた表情へと変わり、両手で口を覆った。

クラスメイトの用事に便乗して、意中の男子の家に押し掛けるような、
嫌らしくてウザい女だと俺には思われてもいいのかよ…

俺は頭を掻きながら携帯端末を拾い上げ、耳に押し当てた。
電話の向こうでは菊地の笑い声が聞こえてくる。

「百山さんって面白いね」

どうやら菊地は今の俺と百山のやり取りをバッチリ聞いていたらしい。
確かに変に気取って自分を作っているよりかは、
先ほどの百山の方が自然体でずっと良いと思うが。

俺は百山を見た。
百山は先ほどのまま両手で口を覆い、俺を見ている。
その横で最上が心配そうな顔で百山の肩を掴んでいた。

「ただ───」

菊地はそう切り出し、用件を伝えてきた。
2〜3分菊地と会話をした後、電話を切る。
携帯端末をポケットに突っ込み、
菊地の住所と電話番号が書かれたメモを鞄に閉まって、背負い直した。

俺を見ている百山と最上に向かって、右腕を肩と水平に突き立てて言う。

「じゃ、俺はこれで」

軽く挨拶をして教室から出ようとしたその瞬間、
俺は強い力で後ろに引っ張られた。

「ちょっと待ちなさいよ!」

最上が俺の肩を掴み勢いよく引き寄せたため、バランスを崩して後ろに転ぶ。
鞄が宙に浮き俺の頭上斜め上で、凄い音を立てて床に落ちた。
転んだ拍子に携帯端末がポケットの中から飛び出して、数センチ向こうまで滑る。

俺の頭上に立ってた最上はしゃがみ込み、
俺の眉間に人差し指を突き立てて、凄い剣幕で言った。

「菊地くん何か言ってなかった?教えなさい!」

顔を横に傾けると、まだ教室に残っている数人のクラスメイトたちが、
何事かと俺たち3人の様子を伺っている姿が見て取れた。

再び最上に顔を向ける。

「分かった…言うから」

そう言って、最上の人差し指を左手で跳ね除け、起き上がる。

実は最上がしゃがんだ瞬間、最上のスカートの中のデルタゾーンに食い込んだ、
水色のハートがペイントされている柄物のパンツを俺は見逃さなかったが、怖いので黙っていた。

俺は床に勢い良くぶつけた後頭部を摩りながら、
菊地との会話の要点だけを掻い摘んで話した。

「今日はちょっと用があるから家には来ないで欲しいそうだ、
 プリントは俺がポストに入れておくよ
 それと───」

俺は百山を見る。
百山はまだ両手で口を覆っていた。

「次の土日にでも一緒にご飯食べに行こうだって」

その瞬間、百山の表情がみるみる変わっていくのが分かった。
目を大きく見開き瞳を輝かせ、口元は徐々に吊り上っていく。

そして再び俺の胸座を両手で掴んで言った。

「おんどう!?」

嬉しさのあまり、言葉を噛んだのか、痰を喉を詰まらせたのか。
たぶん"本当"と言いたかったのだろう。
俺は引きつった作り笑いをして頷いてみせた。

しかし今日はよく胸座を掴まれる日だ。
そうそうないぞ、1日で、同じ人に、しかも女子に胸座を3度も掴まれることは。

最上が俺の胸座を掴む百山の両手を外し、そのまま手を握って言った。

「良かったね!」

俺は皺くちゃになった胸元と襟元を直しながら百山を見ると、
きゃっきゃっ言いながらと小さく飛び跳ねている。
そのまま小躍りしそうな勢いだった。


「じゃ、俺はこれで」

改めて軽く挨拶して、床に落ちている鞄と携帯端末を拾い教室を出ようとしたとき、
再び最上に呼び止められた。

「ちょっと待って」

俺は立ち止まり、まだ何かあるのかと振り返える。
最上は自分の机から鞄を持ち出し、駆け寄ってきた。

「校門までだけど、一緒に帰ろう」
玄関で靴を履き替え、俺と最上は校門へ向かう。

空はすっかりオレンジ色に染まり、遠くで烏が鳴く声が聞こえてくる。
初夏を過ぎたとはいえ、夕方ともなると少し涼しい風が吹きつけ、
校庭に植えられた木々が静かに揺れて、俺の少し前を抜け落ちた木の葉が舞い落ちた。

別に嫌なわけではないのだが、女子と一緒に帰るなど何だか恥ずかしい。
小学生の頃はさして意識もしていなかったのに。

それが例え、最上のようなやつであっても…
俺は最上を見る。

あれ?最上ってこんなに背が低かったか?

中1の頃は同じぐらいだと思ったが、俺の目線から最上の髪の分け目が見えた。
そう言えば癖毛のショートヘアだから気が付かなかったけど、最上は意外に綺麗な髪をしている。
視線を落とすと頬の輪郭がふっくらと丸みを帯び、仄かに赤く染まっているのが分かる。
思わずつつきたくなる衝動に駆られた。

「何を見ているのよ」

最上が上目遣いで睨むように俺を見上げる。
ここでようやく、俺の背が伸びたのだと気づいた。

「どうせ一緒に帰るなら秋ちゃんの方が良かったーとか思っているんでしょう」

最上は仏頂面のまま、プイっと俺とは反対側へ首を向ける。

そう言えばあの後、百山は教室で別れたな。
確か部活動をやっているんだった、書道部だか手芸部だか。

俺は百山に関する曖昧な記憶を探りながら答えた。

「確かに可愛いとは思うけど、別に好きなわけじゃねーしな」

最上は振り返り俺を見て、目を丸くし驚いたような表情へと変わる。
俺は進む先にある校門を眺めながら会話を続けた。

元々俺がまともに会話をする女子は最上ぐらいだし、
ほとんど百山とは絡む機会もなかったから、好きになる切欠もない。
だから一緒に帰りたいなんて思ったことがない。
最も今日は百山の意外な一面が見れて面白かったが───

などと話していたら校門に着いていた。
再び最上を見ると先ほどまでの驚いた表情は消え、いつの間にか優しい笑みを浮かべていた。

そのとき俺の胸と頭に波打つような小さな衝撃が走り、
徐々に熱を帯びてくるのが伝わってくる。
最上の笑顔を見ながら俺は両手で目を擦った。

何てことだ、少し最上が可愛く見える… 視力が悪くなったのか?


「じゃあ明日ね」

そう言って、最上は手を小さく振る。

俺の帰り道とは反対方向へ最上が歩き出したとき、
小声で「良かった」と呟いたのを俺は聞き漏らさなかった。

本当は最上を呼び止めて、どういう意味なのかを聞きたかったが、
振り上げた手を下ろして小さくなっていく最上の背中を見送る。

夕空の中、最上の進む道とは反対方向へと俺は歩き出した。
田園地帯に広がる無数の水路を辿ると全て1つの大きな川に繋がっている。
俺の家と俺の通う中学校はその川を挟んでいた。

土手へ足を運ぶとそこには様々な人の姿を伺える。
ランニングをするジャージ姿の高校生。
バーベキューをしながら騒いでいる大学生たち。
フリスビーを楽しむ家族たち。
犬の散歩をする老夫婦。

ここには多目的に使われる自由な空間が広がいっていた。

そんな活気に水を差すようだが俺はここが嫌いだ。
水場には色々なものが流れ着く、それは決してご機嫌なものばかりではない。

今、俺の目の前にいる男の娘に呼び出しを食らわなければ、
自分から来ようとは思わない場所だった。


「呼び出してごめんね」

菊地は申し訳なさそうに言う。

俺は菊地と土手を歩いている。
実は先ほど学校で菊地との電話の内容を百山と最上に説明した際、俺は1つ嘘ついていた。

「プリントは俺がポストに入れておく─」のではなく直接手渡した。
何故なら、家ではく外で会いたい旨と、出来れば俺1人で来て欲しい旨を
菊地本人から聞かされていたからだ。

初めは何故そんな回りくどいことをするのか疑問に感じたが、
それは菊地の顔を見て理解できた。

菊地の左頬には大きな痣がある。
もちろん2日前に登校したときにはなかった痣だ。

俺はプリントを持っている菊地の手を確認した。
初夏を過ぎても長袖のシャツを着ている菊地の腕からもいくつかの痣が、
シャツの袖先から見え隠れしている。
おそらく服の下にも痣があるのだろう。

確かにこんな有様を百山には見せられないな。


俺たちはしばらく黙って土手を歩いてが、
いい加減その痣について聞こう口を開いたとき、菊地の方から切り出してきた。

まるで箇条書きを読み上げるように、菊地はぽつりぽつりと話し始める。
俺は菊地の横顔を見ながら黙って話を聞いていた。


菊地の父親は菊地が4歳のときに死別したのだそうだ。
以来、母親が必死に働いて、菊地を育ててくれた。

高校進学も目前に迫り、進学のための資金にもある程度の目処が立った頃、
再婚を考えた母親は男と交際を始めた。
取引先の大手企業に勤める総務部の部長だそうだ。

男と菊地は性格的に反りが合わず、なかなか馴染めないでいた。
始めは程よい距離を保ち、それなりの折り合いを付けてきたのだが、
そのうち徐々に暴力を振るうようになってきたのだとか。


話が終わると、再び俺たちを沈黙が包む。

そのとき遠くで子供の泣き声が聞こえた。
土手の向こうで母親が転んだ子供を起こしている姿が俺の目に映る。

俺は親子の様子を見ながら問いかけた。

「母親はそのことを知っているのか?」

菊地は少し困ったような顔で微笑み、間を置いて答えた。

「母さんに暴力を振るうことはないから、僕が我慢すればいい」

母親は知らないし、知らせたくない、ということなんだろう。

菊地は俺とはまた違った問題を抱えていた。
確かに大小なりとも、誰だって何かしらの問題を抱えているものだが、
中学2年生が抱えるにはちょっと大き過ぎる問題だ。
胸糞悪い話だった。

菊地は今まで相当苦しんできたに違いない。
現にこうやって打ち明けることすらも。

母親の苦労を見て育った菊地は、親を慕う以上に恩義を感じているのだろう。
そんな母親が自分の人生を顧みたとき、それ否定しないでおくことが、
菊地にとって今出来る精一杯の恩返しなのだ。

だがな菊地。
母親はお前にそんなことは望んではいない───

「くそっ」

俺は悪態を付き口を噤んだ、その言葉は無責任というものだ。

もやもやとした気持ちが俺の心を埋める。
ポケットに入れた手は拳を握り締め、小刻みに震えていた。

ふいに菊地は足を止る。

「このことは誰にも言わないで欲しい」

俺を向いて両の掌を合わせ、懇願する菊地は笑っていた。
そのいつもの笑顔が俺には痛々しく見える。

俺は菊地が嫌いだ。

学校で嫌なことがあっても、外見をバカにされても、怒らず反抗せずいつも笑っている。
何故なのか俺には理解できなくて、どこか胡散臭く感じていた。
しかしそれは、母子家庭や転校といった今までの環境下で菊地が適応してきた結果なのだろう。
それなら俺は菊地のそういう部分を認めてやる。

だが今身の上に起きている自分の人生観にも影響するような理不尽まで、
お前は笑って済ますのかよ。


「お前ふざけるなよ」

俺は睨み付けて、ポケットから手を出し菊地に掴み掛かる。

「何で言わねーんだよ、何で僕だけこんな辛い目に遭うんだって!
 いつも不愉快なことがあっても笑って許容しやがって!
 俺はお前のそういうところが大嫌いなんだよ!
 辛くて辛くて仕方ねーなら、せめて学校では、せめて俺の前では、みっともなく取り乱せよ!
 そんなことで俺がお前から離れていくとでも思ってんのか!」

俺は滅茶苦茶な理論を捲し立てた。

地平線すれすれまで沈んだ夕日は、周囲を薄暗く照らし出す。
冷えた強めの風が俺を菊地を吹き付け、菊地の長い髪をさらさらと靡(なび)かせる。
綺麗な曲線を描く輪郭を見て取れたが、表情はぼやけて見えなかった。

菊地は掴みかかった俺の手をゆっくりと襟元から外す。
俺は外された手を下ろし菊地からの反論を覚悟する。

しかし、菊地の第一声は俺の予想とかなり違っていた。

「どうして高梁が泣いているのさ…」

菊地の言葉で初めて気づく。
俺の口内に何かしょっぱい液体が流れ込んでくることを。
それは更に顎を伝って、足元に滴り落ちた。

両手で目を擦る、俺は泣いていた。
ここでようやく菊地がぼやけて見えたのは涙のせいだと分かる。

菊地は優しい目をしながら言った。

「君は僕を罵倒するには、優しすぎる」

菊地はポケットからハンカチを取り出し、俺に差し伸べる。
俺は気色悪くて、それを跳ね除けた。
菊地はまた笑いながらハンカチをポケットに閉まった。


俺は空を見上げ、疎らに見える星に向かって溜息を付く。

菊地は優しすぎると俺に言ったが、何故泣いていたか分からなかった。
それは怒りだったのかも知れないし、哀れみだったのかも知れない。
でもこれだけは言える。

俺は菊地が嫌いじゃない。

そんなことを思っていると、菊地が不意に口を開く。

「ありがとう、気が楽になった」

振り向くと、菊地の顔からいつも笑顔が消えいた。
口を小さく萎め、凛とした目線で俺を真っ直ぐ見ている。
普段からは見たことのない顔に俺は驚いた。

俺は恥ずかしくて頭を掻きながら、視線を逸らし菊地に言う。

「黙っておいてやるよ」


こうして俺は菊地の事情を1つ知り、秘密を共有する仲となった。
だが俺は菊地すらも気づいていない菊地の秘密を知っている。
それをいつか共有する日が来るのだろうか。
そのとき俺たちは心から友人だと言えるのだろうか。

不安と迷いの中に少しだけ希望を持って、
俺と菊地の付き合いは続く。

※終わり。
お話が多くなってきたので下記にまとめました〜

お話 まとめ
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