東日本大震災があった日の、前後の話だ。
寒い日だった。
ぼくの住む部屋はキッチンとの仕切りのドアがなく、吹きっさらしになっている。その為暖房の効きがとても悪く、コタツで寝てしまうことが度々あった。
その日も例外ではなく、ひとり缶チューハイをかっくらっていたぼくは、薄くまわった酔いの心地好さに負けて、敷いていたクッションを枕に眠り込んでしまった。
どすん。
「ぐへえ」
腹をだれかに踏まれて目が覚めた。
胃のあるところを思いきり踏まれたせいで、色んなものを吐き出しそうになった。
それに加えてやけに寒い。風邪でもひいてしまったのか。
落ち着いてから部屋中を見渡して小首を傾げた。
たしかに腹を踏まれたはずなのにだれもいない。それもそうだ。基本的に夜は鍵をかけるようにしている。
念のために玄関を確認しにいくと、やっぱり鍵はちゃんとかかっている。
酔ってたし、きっと気のせいだろう。ひょっとしたらもう忘れているだけで、腹を踏まれる夢を見ていたのかもしれない。
そう思って部屋に戻ると、違和感に気付く。
窓が開かれて、網戸だけが閉められている状態になっていた。どうりで寒いわけだ。
これはいくらなんでもおかしい。鍵はきっちりかけて、カーテンまで閉めていたはずだ。それに、コタツに入るほど寒い日になぜわざわざ窓を開けなければならないのか。
すぐに予想はついた。
同時に背筋が寒くなった。
人並み以上には霊感があり、そこそこ心霊体験をしてきたぼくをして、こんなことは初めてだった。勝手に窓を開けられるなんて。
物理的な法則に縛られないなにかが玄関から入ってきて、進路上で寝ていたぼくを踏みつけ、そのまま窓から出ていったというのか。
……いや、これもきっと気のせいだ。考えすぎだろう。覚えてないだけで、自分で窓を開けてしまったんだ。
そう強引に思い込み、ぼくは再び床についた。
その翌日に震災が起き、都内も強い揺れに襲われた。
そして震災から数日後の夜。
計画停電も終わり、いつもの通りにぼくはコタツに入って缶チューハイをかっくらっていた。
またも眠ってしまいそうになる直前、先日の腹を踏まれた時の記憶が頭を過り、はっと目を覚ました。
「今日はちゃんと布団で寝よう」
電気を消して、部屋の隅に敷いてあった布団に潜り込む。
「あれ」
布団を被って仰向けになった時、また、窓が開かれていて、網戸だけの状態になっているのに気付いた。
おかしい。開けた記憶はないはずだが。
閉めようと思って身体を起こそうとした瞬間、きた。
いつも感じるあれだ。金縛りの前にくる前兆。
たちまち身体が動かなくなり、ぼくはまたか、とパニックになりながらも考えていた。
ぺた。ぺた。
なにか、聞こえる。
足音？
ここからでは見えないが、玄関の方で、裸足のままフローリングを踏んだような足音がしている。
ここ最近はぜんぜんなにも無かったのに！
叫びたくなったけど、呻き声すらも上げられない。
ぺた。ぺた。
足音が部屋に入ってくる。瞬きもできずにぼくは天井を見上げている。視線すらも動かせない。
そのせいで部屋に入ってきたものの正体を目に納めることは出来なかったけど、その足音を聞いてるだけで気が狂いそうになる。
足音はひとりだけのものじゃない。
ひとり、またひとり、と足音が部屋の中に入ってきて……窓の方へと移動していく。
次から次に見えないなにかが部屋に入ってきては、窓から出ていっているようだった。
なんだこれは。なにが起きてるんだ。
まさか通り道に使われてる、とでもいうのか。
瞬きすら許されず、眼球が痛くなってきたころになって、ようやく足音が途切れた。
ぱちぱち、と何度も瞬きをする。涙が出てきた。
金縛りは解けたようだ。恐る恐る視線を天井から引き剥がして、窓の方へ向ける。なにもいない。
そっと身体を起こして立ち上がり、明かりをつけた。時計を見ると、なんと三時間もたっていた。外はまだ暗いけど、時刻的にはもう明け方だ。
今のはなんだったのか。
こんな体験は後にも先にもこれっきりで、震災となにか関係があるのだろうか、などと考えたりもした。
仮にぼくの部屋を通っていった彼らが"そう"だとするなら、一体どこへ向かっていったのだろう。
あんな、行列を為してまで。
ちゃんと、家に帰ることはできたのだろうか。
或いは。
帰る家も流されてしまって、さ迷っているだけなのかもしれない。
了
寒い日だった。
ぼくの住む部屋はキッチンとの仕切りのドアがなく、吹きっさらしになっている。その為暖房の効きがとても悪く、コタツで寝てしまうことが度々あった。
その日も例外ではなく、ひとり缶チューハイをかっくらっていたぼくは、薄くまわった酔いの心地好さに負けて、敷いていたクッションを枕に眠り込んでしまった。
どすん。
「ぐへえ」
腹をだれかに踏まれて目が覚めた。
胃のあるところを思いきり踏まれたせいで、色んなものを吐き出しそうになった。
それに加えてやけに寒い。風邪でもひいてしまったのか。
落ち着いてから部屋中を見渡して小首を傾げた。
たしかに腹を踏まれたはずなのにだれもいない。それもそうだ。基本的に夜は鍵をかけるようにしている。
念のために玄関を確認しにいくと、やっぱり鍵はちゃんとかかっている。
酔ってたし、きっと気のせいだろう。ひょっとしたらもう忘れているだけで、腹を踏まれる夢を見ていたのかもしれない。
そう思って部屋に戻ると、違和感に気付く。
窓が開かれて、網戸だけが閉められている状態になっていた。どうりで寒いわけだ。
これはいくらなんでもおかしい。鍵はきっちりかけて、カーテンまで閉めていたはずだ。それに、コタツに入るほど寒い日になぜわざわざ窓を開けなければならないのか。
すぐに予想はついた。
同時に背筋が寒くなった。
人並み以上には霊感があり、そこそこ心霊体験をしてきたぼくをして、こんなことは初めてだった。勝手に窓を開けられるなんて。
物理的な法則に縛られないなにかが玄関から入ってきて、進路上で寝ていたぼくを踏みつけ、そのまま窓から出ていったというのか。
……いや、これもきっと気のせいだ。考えすぎだろう。覚えてないだけで、自分で窓を開けてしまったんだ。
そう強引に思い込み、ぼくは再び床についた。
その翌日に震災が起き、都内も強い揺れに襲われた。
そして震災から数日後の夜。
計画停電も終わり、いつもの通りにぼくはコタツに入って缶チューハイをかっくらっていた。
またも眠ってしまいそうになる直前、先日の腹を踏まれた時の記憶が頭を過り、はっと目を覚ました。
「今日はちゃんと布団で寝よう」
電気を消して、部屋の隅に敷いてあった布団に潜り込む。
「あれ」
布団を被って仰向けになった時、また、窓が開かれていて、網戸だけの状態になっているのに気付いた。
おかしい。開けた記憶はないはずだが。
閉めようと思って身体を起こそうとした瞬間、きた。
いつも感じるあれだ。金縛りの前にくる前兆。
たちまち身体が動かなくなり、ぼくはまたか、とパニックになりながらも考えていた。
ぺた。ぺた。
なにか、聞こえる。
足音？
ここからでは見えないが、玄関の方で、裸足のままフローリングを踏んだような足音がしている。
ここ最近はぜんぜんなにも無かったのに！
叫びたくなったけど、呻き声すらも上げられない。
ぺた。ぺた。
足音が部屋に入ってくる。瞬きもできずにぼくは天井を見上げている。視線すらも動かせない。
そのせいで部屋に入ってきたものの正体を目に納めることは出来なかったけど、その足音を聞いてるだけで気が狂いそうになる。
足音はひとりだけのものじゃない。
ひとり、またひとり、と足音が部屋の中に入ってきて……窓の方へと移動していく。
次から次に見えないなにかが部屋に入ってきては、窓から出ていっているようだった。
なんだこれは。なにが起きてるんだ。
まさか通り道に使われてる、とでもいうのか。
瞬きすら許されず、眼球が痛くなってきたころになって、ようやく足音が途切れた。
ぱちぱち、と何度も瞬きをする。涙が出てきた。
金縛りは解けたようだ。恐る恐る視線を天井から引き剥がして、窓の方へ向ける。なにもいない。
そっと身体を起こして立ち上がり、明かりをつけた。時計を見ると、なんと三時間もたっていた。外はまだ暗いけど、時刻的にはもう明け方だ。
今のはなんだったのか。
こんな体験は後にも先にもこれっきりで、震災となにか関係があるのだろうか、などと考えたりもした。
仮にぼくの部屋を通っていった彼らが"そう"だとするなら、一体どこへ向かっていったのだろう。
あんな、行列を為してまで。
ちゃんと、家に帰ることはできたのだろうか。
或いは。
帰る家も流されてしまって、さ迷っているだけなのかもしれない。
了
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