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筆子・その愛 −天使のピアノ−コミュの『筆子その愛―天使のピアノ―』鑑賞記

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初めまして、先日この映画を鑑賞した時の感想を以下したためました。 
長文、かつ拙文ですがご覧頂ければ幸いです。

今月15日、年老いた母を引き連れ長崎C劇場で『筆子その愛―天使のピアノ―』という映画を鑑賞した。 
全国的な傾向だが数年前に市内にオープンしたシネマコンプレックスの影響でこのC劇場も風前の灯である。 1月末に既に閉鎖してあった1階の名画座も改装工事が始まっていた。 不動産関係の店舗が入るらしい。
しかして観客は私と母の二人だけであった・・・。

この映画は「はだしのゲン」などの社会派作品を数多く制作してきた“現代ぷろだくしょん”を主宰する山田火砂子が監督・製作総指揮を担当した。
2004年に制作した「石井のおとうさんありがとう」〜岡山孤児院 石井十次の生涯〜 に続いてメガホンをとった作品である。

この映画に描かれた石井筆子は大村藩士 渡邊清・ゲンの長女として1865(慶応元)年に生まれる。 
父親の清は幕末から明治維新にかけて活躍した志士として名を馳せ、明治政府となってからは福岡県令や元老院議官等の要職を歴任。 男爵に叙せられた。
筆子の叔父・渡邊昇も兄・清と同じく幕末の志士として坂本龍馬と親交を持ち、薩長同盟の功労者として活躍、子爵に叙せられている。(興味深い事にこの渡邊昇は鞍馬天狗のモデルとなったという説もある。) 
余談だが、私の會々祖父が同じ士族で大村藩の御典医であり、その娘の曾祖母は慶応の前の文久生まれだからひょっとしたら筆子との接点があったかも知れない。

そのような武士の良家の娘として育てられた筆子は東京女学校を卒業後、当時の皇后の命により津田塾大学の創設者津田梅子らと共にわが国で初めての女子海外留学生としてヨーロッパに留学した。 
帰国後は津田梅子と共に華族女学校(現在の学習院大学)で教鞭をとり、仏語の授業を担当した。 その時の教え子に昭和天皇の母である貞明皇后もいた。 

また、鹿鳴館の舞踏会にも度々参加し、その当時「日本の五大美女」としてあげられたほどの類まれなる美貌で社交界では「鹿鳴館の華」と称せられた。 
また筆子は3ヶ国語を自由に使いこなし、米国大統領グラント将軍来日の際は「日本で最も聡明な女性」と言われた才媛であった。

その後、筆子は静修女学校の校長に就任し近代女子教育にも心血を注いだ。(ちなみに静修女学校はその後津田梅子が1900年に創設した女子英学塾に引き継がれ、現在の津田塾大学となる。)

筆子は父・清、叔父・昇の勧めもあり、同郷の大村藩家老の子息で当時高級官史であった小鹿島 果と結婚した。 
そのような華々しい経歴の陰に私生活では様々の苦難に遭遇した。 幸福の絶頂にあるはずの筆子に数々の不幸が襲うのである。
まず、長女幸子が知的障碍を持って生まれた。 次女はわずか生後10ヶ月、三女は結核性脳膜炎で相次いで亡くなった。 
そして、遂には最愛の夫 果も当時不治の病であった肺結核に倒れ、弱冠35歳の若さで他界する。 

正に旧約聖書に登場するヨブのような様々な災禍に襲われた筆子であったが、そんな暗澹たる状況の彼女に一条の光が差し込んできた。
生涯の伴侶となる石井亮一との出会いである。 

石井は佐賀藩鍋島家の重臣であった石井家の三男として1867(慶応3)年に佐賀市で誕生。 その後ミッションスクールの立教女学院の教頭に弱冠24歳で就任。 
しかし、1891(明治24)年10月に起こった濃尾地震(岐阜県で起こったマグニチュード8.0の7千人以上の死者、全壊家屋14万戸を生じた巨大地震)で多くの孤児が出たが、その中で多数の少女が人身売買されていることを知った石井は立教女学院教頭の要職を投げ打ち、その少女たちを救うために奔走し遂には「聖三一孤女学院」を創設する。 

その生徒の中に知的障碍児がおり、当時一般社会から爪弾きにされていた彼らの教育を学ぶため二度に渡り渡米している。 
帰国後、「聖三一孤女学院」を現在の名称である「滝乃川学園」と命名。
わが国での知的障碍児教育の先駆者となった人物である。

その滝乃川学園に長女の幸子を預けたのがきっかけで筆子は同学園の支援を行うようになる。 そんな中、石井の崇高な人間性に惹かれた筆子は父・清らの猛烈な反対を押し切って彼と再婚した。 
そして、近代女子教育から転身し、石井亮一と共にその生涯を知的障碍児教育に捧げることとなった。

このような波乱万丈の筆子の生涯を描いたのがこの映画『筆子その愛―天使のピアノ―』である。 
主役の筆子役を常盤貴子が演じた。 デビュー14年目のまだ若い中堅女優だが、容姿端麗にして演技力もしっかりとしており筆子を演じるのには申し分なかった。 
主役の筆子役は正にこの映画の成否を決定付ける重要な鍵を握る役どころであったが、常盤貴子は実に見事に演じきっていたと思う。
 
そして、次に重要な役の石井亮一役に歌舞伎界の女形として人気上昇中の市川笑也(えみや)が演じる。 
映画初出演とは思えない堂々とした演技で石井の誠実で実直な人柄を髣髴とさせる好演を見せた。 

この映画の中で最も好印象を受けたのがこの市川笑也である。 
特に二人が結婚する前のエピソードで、ある日滝乃川学園に乗り込んできたヤクザとの衝突のシークエンスは非常に印象に残った。 
同学園に匿われていた少女が借金の肩代わりとして身売りしなければならず、ヤクザ2人が土足で荒々しく踏み込んできた。
このチンピラ役をかつてのベビーフェイス、現在既にベテラン俳優となった小倉一郎が演じる。 
余りの恐ろしさにとっさに同席していた筆子の背後に身を隠す少女。 
刃物まで出して執拗に身柄を引き渡すようにと脅迫する小倉に対して石井役の市川笑也は踵を返すこともなく、敢然として立ち向かう。 
そして、殴りかかる暴徒を蹴散らし撃退してしまった。 正当防衛とはいえはからずも手を出してしまったことに対して丁寧な詫びを述べる石井。 
筆子はこの出来事を通して自分の信念のためには決してひるむ事のない勇敢にして誠実な石井の姿に心を打たれ、彼と手を携えて障碍児教育に一生涯を捧げる決意を固めたという。

この二人の脇を名のある実力派俳優が固める。 
まず、筆子の父・清役に日本映画・演劇界の重鎮 加藤剛、89年のNHKの連続テレビ小説「和っこの金メダル」の主演でデビューした渡辺梓、ナレーションには数々の賞に輝く女優市原悦子が担当。  夫々にベテランならではの味のある演技を披露し、映画に厚みをつけていた。 
それにこの映画には随所にチョイ役で有名な俳優を投入している。 
知っている俳優だけでも石濱朗、山田隆夫(元「ずうとるび」メンバーといっても分からない方が多いであろう)、自ら重度障碍児を持った経験のある石井めぐみ、「どですかでん」をはじめ黒澤明監督の5作品に出演した頭師佳孝、クリスチャン俳優 和泉ちぬなど。 
変わったところではパンフレットを見て気が付いたのだが、何とシドニーオリンピック400m個人メドレーで銀メダルを獲得し「めっちゃ悔しぃ〜 金がいいですぅ〜!」というアドリブで一躍有名となった田島寧子が筆子をいびる憎まれ役で登場していた。 

その中でもとりわけ異色なのがアーサー・ホーランドであろう。 
彼は「不良牧師」という本も書いているが、正真正銘の牧師である。 
映画の中ではアメリカから連れてきた日本人の孤児を石井夫妻に対面させるシーンで不良の荒くれ船員ロバートの役をそれこそ“地”で演じている。 彼が喋る台詞は全て英語。 バイリンガルな日米ハーフの彼にとってはお手の物であろう。 

また、山田火砂子監督本人も行商のおばさん役で登場した。 確か前作でも俳優として出演している。 監督自身が映画の中に出演するので有名なのは何といってもサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックであろう。 ある映画では“シルエット”だけ出演している。 あのお腹の突き出した特異な体格からシルエットだけでも瞬時に彼と分かる。
そういえばこの山田監督もどことなくヒッチコックに似ているような気もする。

このように出演者を目ざとくマークしながら観るのも映画鑑賞の妙味であろう。 
その点ではこの映画には隠された秘宝のように有名な俳優が随所に散りばめられており、別な観点から面白い作品であった。

そして、この作品では他の映画には見られない大きな特徴がある。 
それは知的障碍者福祉の創始者である石井夫妻の生涯をたどっていく中でどうしても描く必要のある知的ハンディキャップを持った方が出演されているということだ。 
実は山田監督には重度の知的障碍を持った娘さんがおられる。 山田監督はこの作品にご自分の娘も含めて実際に障碍を持った児童を数多く出演させることにした。 

それは映画にリアリティを持たせるという事の他に、知的障碍を持っている方でもこれだけの可能性があるということを世間一般の方々にも理解して欲しいという気持ちもあったと思う。 小さい子から成人した方まで様々な障碍を持った方がこの映画の中には登場する。 
また、健常者で障碍を持った方を演じる子役も交じっている。 特に筆子の長女幸子役の子役の演技などは本当に障碍を持っているのではと思わせるほどの迫真の演技であった。 
パンフレットにあった監督の撮影日記の中に障碍者と健常者の児童が一緒になって撮影を進めていく中で、お互いに仲良くなり健常者の俳優の中に障碍児童に対する思いやりが育っていったようだと述べられていた。

このハンディキャップを持った子供たちの演技は決して上手いものではない。  しかし、ハンディキャップを負っているだけに、一つの台詞を覚えるのにも大変な苦労だっただろう。 
また、それらの演技を統括し映画の一つのシーンとして成り立たせるために監督を含め撮影スタッフがいかに試行錯誤を繰り返したかがその画面から十分にうかがい知れる。 
この子供たちを含めた知的ハンディキャップを負った方々の精一杯の演技がこの映画の中では光っていたように思う。

こうして石井亮一の妻となった筆子は夫婦揃って滝乃川学園を支えていくことになる。
明治時代はまだ福祉という概念もなく、富国強兵の時代に非生産的な知的障碍児は「白痴」などと蔑称され、生きるに値しないとされていた。 映画の中でも障碍児が柱にくくり付けられたり、座敷牢に監禁されている場面が描かれていたが、社会の中で邪魔者扱いされていた時代であった。 
勿論、国からの支援もなく同じ時代に生きた孤児3000人を育てた石井十次もそうであったように、その施設を運営する資金繰りに奔走する毎日であったようだ。 
幸い筆子は教育界、皇族、経済畑などに多くの知り合いを持ち、日本経済界の父と呼ばれる渋沢栄一の娘 歌子と親交もあり、映画の中では当時超大物であった渋沢に援助を求めて直談判するシーンも登場した。  後で知ったことだが、1920(大正9)年には滝乃川学園の初代理事長として渋沢栄一が就任している。

そのような必死の経営努力の中、数々の災禍が石井夫妻を襲う。 
ある時、明治期にかつて法定伝染病として恐れられていたジフテリアが学園内で集団発生した。 知的障碍児に対する偏見も相俟ってあたかも薄汚い病原菌の巣窟であるかのごとき疑いをかけられ、周囲からの妨害によって食糧の調達もままならない事態も生じた。 

そして、学園内の児童の火遊びで生じた火災で入所者の児童6名が犠牲者になるなど次々と苦難が石井夫妻に降りかかった。 
そんな失意のどん底の中、ふと気付くと筆子の姿がいなくなっていた。 
滝乃川学園には聖三一礼拝堂という立派なチャペルが今でも現存する。 
そのチャペルにひっそりとたたずみ、一心に主に祈り続ける筆子の姿が映し出されていた。

こうして篤い信仰によって幾多の試練を乗り越えてきた石井夫妻だったが、亮一は1937(昭和12)年70歳で死去。 長女幸子にも先に旅立たれた筆子は76歳の高齢で学園長に就任した。 
晩年は脳溢血で倒れ、半身不随となりながらも最後まで忠実に職務を全うし、敗戦の色濃い1944(昭和19)年学園内の隅にある小さな一室で82歳の生涯に幕を閉じた。

最後、半身不随となって杖をつきながら施設の廊下を足を引きずりながらトボトボと歩く筆子の姿。 
そして遂には廊下の向こうに進みながら眩しい光の中に包まれ消えてなくなった。

そして、場面は現在に戻る。 
滝乃川学園のチャペルにある筆子愛用のピアノを拝見するために若い女学生が訪ねてくる。 このピアノは筆子の最初の結婚の時に父渡邊清がお祝いとしてプレゼントしたものである。 日本最古の輸入ピアノで左右前面に洒落た燭台が取り付けられ、中央に羽を付けた天使のレリーフ像がかたどってある美しいアップライトピアノである。
「天使のピアノ」と名付けられ、筆子が愛用していた。
このピアノについては写真も含め、次のサイトに詳しい。
http://takinogawagakuen.cocolog-nifty.com/homepage/2005/01/post_3.html

誰もいないはずの鍵のかかったチャペルのドアを開けてその女学生はハッと息を呑む。 
何とそこにはその「天使のピアノ」を中心に石井亮一、長女幸子そしてかつての園児たちが取り囲む中、若き日の丸髷を結った筆子が伴奏しながら楽しそうにある賛美歌を歌っていた。
筆子の愛唱歌の讃美歌294番「みめぐみゆたけき」である。(同じ曲で歌詞を口語体にした聖歌651「主がわたしの手を」の方が歌詞の内容が分かりやすい。) 
http://promises.cool.ne.jp/He_leadth_me.html
この美しいメロディーがその印象的なシーンと共にいつまでも心に残った。

筆子の生涯は正に波乱万丈の生涯であった。 
良家の娘として生まれ、美貌と才能に恵まれた申し分のない生い立ちであったが、主はそんな筆子を決して順風満帆の人生へとは導かなかった。 
まさに苦難に満ちたいばらの人生である。 
しかし、そのような道だったからこそ筆子の人生はさらに輝きを増したのかも知れない。

滝乃川学園に始まったわが国の知的障碍者の施設は現在、全国で4533施設あるという。
正に石井夫妻が蒔いた一粒の麦が豊かな実を結んだのである。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ,それは一つのままです。
しかし,もし死ねば,豊かな実を結びます。(ヨハネの福音書 12章24節)

最後に筆子が残した歌を紹介する。

いばら路と知りて捧げし身にあれば いかで撓(たわ)まん撓むべきかは
                                 石井 筆子

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