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心のデボーションコミュの9月の皆川先生の心のデボーション

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 私は死人のように、人の心から忘れられ、こわれた器のようになりました。
詩篇 31:12

        こわれた器

 「こわれた器」はもう役に立たないものとして道に捨てる以外にないでしょ
うか。使い道のないものは価値がないでしょうか。利用できないものは忘れて
もよいでしょうか。
 神が祈りを聞かれるのは、私が「こわれた器」だからではなかったでしょう
か。
 イエスは「忘れられた人」を、尊きもののように訪ねて旅をされたのではな
かったでしょうか。
 それなのに、いつの間にか私はある人を忘れているのです。
 「こわれた器」の尊さを忘れたのです。
皆川誠著「心のデボーション」
---


 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。
イザヤ41:14

        虫けらのヤコブ

 退けられたり、否定されると気がふさぎます。自分が「虫けら」のように小
さくて意味もなく思えるのです。
 しかし、どんなに小さくても人にはそれぞれのいのちがあり、慰めがありま
す。
 「虫けらのヤコブ」の耳だけが、「恐れるな、わたしはあなたを助ける」と
 ささやかれる神のかすかな声を聞き取るのです。
 退けられたら、むきになって自分を主張しないことです。
 「虫けらのヤコブ」に美しい意味が感じられるだけで充分ではないでしょう
か。皆川誠著「心のデボーション」
---


わたしは「わたしはある」という者である。 出エジプト3:14

        有りて有る者

 時計を壊す人がいます。自分の時計をていねいに分解し部品の山にしてしま
うのです。家中の時計を分解し、それが終わると時計を買い込んで分解を続け
ます。
 彼が探しているのは、時の中に生きる自分です。しかし、いくつ時計を分解
しても、そこに時の意味は見えません。
 時の問題は私たちを「われは有りて有る者なり」と言われる神に導きます。
「わたしは有る(存在する)」と言われる方のみが、人を「存在に至らせる」
ことができるのです。皆川誠著「心のデボーション」
---


 あなたがたは、私が空腹であったとき、わたしに食べ物を与え、
マタイ25:35

        扉の外

 ボンベイで飢餓についての会議が開かれた時、マザー・テレサはその扉の前
で飢えて死にかけている一人の男の人を見つけます。
 マザー・テレサはその人を抱きかかえ、家に連れて帰りますが、彼はそこで
息を引き取ってしまったそうです。
 愛を通して世界の現実を見据える人は、扉の外に身を置きます。
 しかし、私たちは扉の内にいて愛について議論したり、感動したりしていな
いでしょうか。声も挙げずに餓死しようとする人は、私たちの隣にもいるので
す。皆川誠著「心のデボーション」
---


 知恵ある者の静かなことばは愚かな者の間の支配者の叫びよりは、よく聞か
れる。 伝道9:17

        本音との対話

 本音というものは簡単になくなりませんし、またなくすべきでもありません。
 だからといって、本音をむき出しにしたのでは人を傷つけてしまいます。
 本音との内的な対話を重ねていくことが大切です。
 「知恵ある者」は、祈りの中で本音との対話を重ね「静かなことば」で愛を
語るので、聞くものは慰められます。
 しかし、「愚かな者の間の支配者」は、祈りを知らず、傷ついた心で本音を
叫ぶので、聞くものは耳をふさぐのです。
皆川誠著「心のデボーション」
---

コメント(13)

こわれた器

茶道では、かけた茶碗を修理して景色として楽しむという話を聞いた事があります

自分の傷も、自分の歴史として、主が最善とする為に起きた事として

大事にしていきたいものです

答えが優等生かな?

私は、自分が、こわれた器で良かったと思いつつあります
 BOOさん、
コメント、ありがとうございます。

>> こわれた器で良かったと思いつつあります

 すごいです。
 ボクもそう思えるように
なりたいです。



 今日は私のデボーションの冊子を
作っていました。BOOさんのコメントを
参考にさせていただいた文章も
あります。ありがとうございます(^^)
 あと四隅を切り揃えて本は
完成です。

 文章は未完成ですから、読まれた人が、
自由に作り変えたり、別の
デボーションの文章を
作ってくださるといいのだ〜と思います。

 

 

 

 
  【虫けらのヤコブ】

 ちょうど、ヨハネ伝10章27節「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」(新共同訳)という聖句について思いをめぐらしていたときに、虫けらのヤコブよ、というよびかけに出会いました。

 近視であるといわれる羊にとって、羊飼いの声を聞き分けることは群れからはぐれず自己の生存を保つために極めて大切なことです。

  >「虫けらのヤコブ」の耳だけが、「恐れるな、わたしはあなたを助ける」  とささやかれる神のかすかな声を聞き取るのです。

 しかり、アーメンです。自己の弱点や小ささの自覚、これらがかえって神の声を聞き分ける上で好都合だとしたら・・実に福音ですネ。

 アダマーさん、
コメント、ありがとうございます。

>> 自己の弱点や小ささの自覚

 そうですね、そう思います。
有限性とか、限界とかですね。

 もし人が万能で永遠に生きるとしたら、
神の声など聴かないよね(^_^;


 そういえば、深い井戸の落ちて
抜けだせなくなっていた人を見つけて、
井戸の底まで降りてきてくださったのが
キリストとかいう寓話を読んだ記憶があります。

 似たような仏教説話もあるかも
しれません。
【こわれた器】

自分がこわれた器なのに、
こわれた器をいらないと言ってしまうのが、
私。こわれた器の私でしょう。

 迷ヨンさん、
コメント、ありがとうございます。

>> 自分がこわれた器なのに、
>> こわれた器をいらないと言ってしまうのが、
>> 私。こわれた器の私でしょう。

 うーん、何となく
わかります。そういうときってあるよね。
だから頑張れるのかもしれませんね(^_^;

 こわれた器だと気づいておられる
というか、ご自身をしっかり見つめておられるのが
すごいと思います。

 こわれた器が尊いとどこかで
思っておられるようにも感じられました。
 

 こわれていない器の人って
おられるのだろうか?

 

 

 
たまりん☆さん。
こんにちはぁ。

>こわれていない器の人って
おられるのだろうか?

おそらく、気が付いていないだけなんでしょうねぇ。
私は昔は気が付いていない人でした。
神様に出会って、気付かされました。
気付かないほうが楽だと思った時期もありましたが、
とりあえず今は気付きました。
だから、次は、寄り添う練習が必要みたい。
それが愛かしら。揺れるハート
 迷ヨンさん、
コメント、ありがとうございます。

>> それが愛かしら

 そう思います。
 自分を探し、
自分を見つけ、自分に寄り添うことが
最初だと思います(^^)


 自分を知ることは大切だよね、
それがないと(自分不在で、
相手はいるけれど、
自分自身は何処だ、自分って何だ?って状態で)
他人に振り回されるかもしれない。
 って、私の先日の日記の話題でした。。


 自分を愛さない人(自分に寄り添えない人)は
他人に愛されようと(他人に寄り添われようと、
つまり、甘えようと)します、
 そして満たされないと愚痴がでる、そんなようなことを
田中先生が言っていた。
そのとおりだと思います(^_^;

 
【有りて有る者】

分かるようで分からない感じ^^;
 迷ヨンさん、
コメント、ありがとうございます。

>> 分かるようで分からない感じ^^;

 そうですね(^^)
以下は私の勝手な解釈です。
 この人は(無意識にですが)自分自身を過去や未来の中に
探しているのかな〜。

 自分というのは
今ここにいる自分しかない。
 それ以外の自分は幻だ。
 その自分と出会うには神と出会うしかない
という意味かな〜?

 皆川先生の文章は
なかなか深くてむつかしいですね(^^;

 
 
【扉の外】
神の家族として、教会の中にだけいるのではなくて、
外へ出て行きなさいということかなぁ。
【本音との対話】
>またなくすべきでもありません。
なんとなく慰められましたハート達(複数ハート)

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