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暦、二十四節気を定期配信コミュの8月22日「一遍聖人忌」です。

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■8月22日「一遍聖人忌」■
鎌倉時代中期の僧「一遍:いっぺん」は、時宗の開祖。幼名・松寿丸。俗名・河野時氏(通秀、通尚)。一遍は房号で、法諱は「智真:ちしん」。「一遍上人:いっぺんしょうにん」、「遊行上人:ゆぎょうしょうにん」、「捨聖:すてひじり」と尊称されます。私諡号は「円照大師」、昭和15年(1940)国家より「証誠大師」号を贈られました。
 
延応元年(1239)伊予国の豪族・別府通広の第二子として、愛媛県松山市道後温泉の辺りで生まれました。当時は、平治の乱、源平の合戦、承久の乱と戦が続き、また、天変地異や飢饉なども重なっていた時代でした。有力氏族であった本家の河野氏は、承久3年(1221)「承久の乱」で京方につき、祖父の河野通信は陸奥国に配流されるなどして没落。一遍が生まれた頃には、かつての勢いを失っていました。
 
10歳の時に母と死別、父の勧めで「天台宗継教寺」で出家。法名は随縁。13歳の時に大宰府に移り、法然の孫弟子・聖達に、10年にわたり浄土宗西山義を学びます。この時の法名は智真。
 
信濃の善光寺、伊予国の窪寺、岩屋、摂津国の四天王寺、紀伊国の高野山などを転々としながら修行に励み、「南無阿弥陀仏」と書いた「念仏札」を配っていました。この札を手にすれば、誰でも阿弥陀仏のはからいで極楽浄土に往生できるといいます。
 
ある時、ある僧から己の不信心を理由に念仏札の受け取りを断られます。大いに悩んだ末「熊野権現澄誠殿」に参籠し、熊野権現から「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配るべし」との夢想の口伝を感得。この頃から「一遍」と名乗り、念仏札に「決定(けちじょう)往生・六十万人」と追記するようになりました。これを後に「時宗」開宗の時としています。
 
一遍は弘安2年(1279)善光寺で最初の「踊り念仏」を始めました。踊り念仏とは「どんな人間でもありのままで救われるという喜び」を踊りに表現したもの。これが、盆踊りの起源です。
 
「聖:ひじり」とは、日本において諸国を回遊した仏教僧のことをいいます。「日知り」の意。太陽の司祭者・呪術者を指した呼び方で、仏教伝来後は「聖」の字をあてて学徳の高い僧を呼ぶようになりました。
 
平安時代中期に末法思想が広まると、それに伴い浄土教を普及する僧(念仏僧)たちが現れ、寺院に定住せず深山の草案に住んだり遍歴しながら修行する半僧半俗の存在でした。
 
聖は学僧で、寺院の経済を支える禅徒の立場にありました。寺院から離れた別所と呼ばれるところに集住し活動の拠点としました。高野山にある高野別所に住む念仏聖は、高野聖と呼ばれました。
 
平安後期の「源空」は、延暦寺黒谷別所の念仏聖で、その弟子の「親鸞」と併せて「聖人:しょうにん」と呼ばれました。鎌倉時代中期の「一遍」は、諸国を遊行しながら念仏を広め「捨聖:すてひじり」と呼ばれました。
 
国宝「一遍聖絵」(一遍上人絵伝)は、一遍の生涯を伝えます。正応2年(1289)9月9日(新暦8月22日)没。於:摂津観音堂。51歳。
 
時宗総本山
◇藤沢山無量光院「清浄光寺」(しょうじょうこうじ)
◇通称「遊行寺」
◇神奈川県藤沢市西富1−8−1
◇JR「藤沢駅」徒歩15分
◇清浄光寺HP:http://www.jishu.or.jp/

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