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暦、二十四節気を定期配信コミュの11月19日「一茶忌」です。

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■11月19日「一茶忌」■
 
「小林一茶」(こばやしいっさ)は、江戸時代を代表する俳諧師の一人で、本名は小林弥太郎。信濃の北部(長野県)の貧農の長男として生まれ、3歳の時に生母を失い、8歳で継母を迎えます。その継母に馴染めず江戸へ奉公に出され、奉公先を転々としながら25歳の時「二六庵小林竹阿」に師事し俳諧を学びます。

29歳で故郷に帰り「寛政三年紀行」を書きます。翌年から俳諧の修行の為、近畿・四国・九州を歴遊。様々な俳人と交流し、句集「たびしうゐ」「さらば笠」を出版。

39歳の時、再び帰省し病気の父を看病しますが、1ヶ月後に死去。以後、遺産相続で継母と12年間も争うことに…。一茶は再び江戸に戻り、俳諧の宗匠を務めながら遺産相続権の主張を続けました。

50歳で再度故郷に帰り、翌年にようやく遺産相続が和解。翌々年28歳のキクを妻に迎え、3男1女をもうけますが、何れも幼くして亡くしています。
 
妻キクも痛風がもとで37歳の若さで生涯を閉じます。2番目の妻を迎えますが2ヶ月で離婚。3番目の妻・ヤオとの間に1女・ヤタをもうけますが、一茶の死後に産まれ、明治まで生きて一茶の血脈を後世に伝えました。因みに、真田幸村研究の第一人者として知られる小林計一郎は一茶の子孫です。

文政10年(1827)6月1日、大火に遭い母屋を失います。焼け残った土蔵で生活をする一茶は、その年の11月19日その土蔵の中で65歳の生涯を閉じました。家庭的に恵まれない一茶でしたが、北信濃の門人を訪ねて俳句指導や出版活動を行い、俗語・方言を交えながら屈折した感情に基づく独自の作風を示しました。
 
句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」など、2万句にもおよぶ俳句を残しています。一茶記念館では、この日一茶を偲んで、法要・俳句大会・そば会などが行われま
す。

一茶記念館
◇長野県上水内郡信濃町柏原2437−2
◇JR「長野駅」から信越線「黒姫駅」徒歩5分
◇上信越自動車道「信濃町IC」3分

◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇
日本人なら一度は一茶の句を耳にしたことがあるでしょう。200年近い歳月が流れていますがいまだに色あせない俳句は時代を超えて伝わっています。一部には英訳されて海外に伝わっています。
せちがない世相ですが、変わらぬものを味わってみることも心のゆとりです。とはいえ日に日に朝夕が冷え込むようになってきました。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆写敬白

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