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暦、二十四節気を定期配信コミュの季節のお便り「端午」です。

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■「端午」━━━━━━━━━━━━━━5月5日■
 
「端午」(たんご)は五節句の一つで、旧暦5月5日の称呼。男子の節句。

旧暦では、午の月は5月にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午」といいました。午(ご)は五(ご)と同音で同じ。つまり「月の初めの午の日」のことをいい、毎月上旬の5日の意もあります。

これを節句として祝っていたものが、のちに「5」が重なる5日が端午の節句の日になったものとも。同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。

端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされていま
す。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行われます。蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。

日本には平安時代に伝わり、貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。男子のいる家では、鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子供の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のこと。

端午の日に「粽・ちまき」や「柏餅・かしわもち」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人・屈原の命日(5月5日)に彼を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽(ちまき)を投げ入れて供養したことが始まりです。また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものがちまきの由来とされます。

「柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。また、中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。

日本では古くから5月を悪月(あしげつ)・物忌み月とし、「さつき忌み」と称して、田植えの始まる頃、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祭るという行事がありました。田植えをする早乙女は、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、端午はもともと女性の節句だったもの。宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉・くすだま」(薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜りました。

5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国伝来の「端午の節句」が一緒になったものなのですね。

やがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となっていきました。立身出世を願い、鯉のぼりや武者人形など、強さを表すものを飾るようになりました。

現在5月5日は「こどもの日」として国民の祝日になっています。

「こどもの日」は、男子の健やかな成長を祝い、祈る日本の風習で、五節句の一つとして「端午の節句」とも呼ばれます。そもそも旧暦5月5日に祝われたものが、今日の日本では新暦5月5日に行われています。旧暦や月遅れの6月5日に行われる地域もあります。

■「鯉幟・こいのぼり」━━━━━━━━━━━━■

鯉幟とは、端午の節句(旧暦5月5日)までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世を願って庭先に飾られたものが始まりです。風になびかせる吹流しを、鯉の形に模して作ったものです。

中国の古くからの伝説で、中国の大河「黄河」の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうとしましたが、鯉だけが登りきり、鯉は姿を変え「竜」になることが出来たと伝えられています。

鯉の滝登りに因んで、我が子の立身出世を願い、また男子の生まれたことを天に伝え、加護を願うという意味が込められています
菖蒲と尚武を掛けてこの日を大切にする風習は、江戸時代には幕府の重要な式日となりました。城には、たくさんの幟、刀、兜などを飾り、盛大に祝いました。

五色吹流しの「五色」は、陰陽五行思想の方位五色を現しています。
東=緑、
南=赤、
中央=黄、
西=白、
北=黒。
※因みに、7月7日七夕の時の「五色の短冊」も同じ意味です。

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