ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

暦、二十四節気を定期配信コミュの季節のお便り「納めの水天宮」です。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
━「納めの水天宮」━━━━━━━━━12月5日━

水天宮は古来、農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として、病難、火災などの除災招福の神として信仰されてきました。明治天皇御降誕の砌、孝明天皇が御祈誓されたことで有名です。
霊験あらたかなるを以て明治元年に禁裏御祈祷所(勅願所)とされた名社です。

今から700年程前、平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれて母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。

お仕えしていた官女の按察使局(あぜちのつぼね)も壇ノ浦で共に入水しようとしましたが、二位の尼に止められ「お前は生きて、われらの霊を慰めよ」との命を受けます。局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが水天宮の起源と伝えられています。

江戸時代には、大名には参勤交代が義務付けられていました。藩主は、領地を離れて江戸詰をしなくてはなりません。その間、水天宮にお参りができない為、第九代頼徳公は久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀りました。文政元年(1818)これが東京水天宮のはじまりです。

本来、水天宮は殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人が参拝することは出来なかったのですが、江戸の人々の信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶ちません。遂に「五の日」に限り、屋敷が開放され参拝が許されました。

人々は「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て「情けありまの水天宮」と言いました。「恐れ入りやの鬼子母神」という言葉と共に、江戸の流行語になっていました。

明治4年(1871)水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年に現在の日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所でしたが、水天宮が移ると共に商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになりました。

拝殿で神様をお呼びする「鈴」を鳴らす布地(サラシ)の鈴紐のことを「鈴乃緒(すずのお)」と呼びますが、この鈴乃緒のおさがりを妊婦が腹帯にしたところ、大変に安産だったとか。水天宮では「戌の日」に安産祈願を済ませた腹帯を「鈴乃緒」と呼んで、授与しています。戌の日には安産祈願の妊婦さんがたくさんお参りします。

納めの水天宮は、今年1年の無事を感謝する参拝者や、古いお札を納めに来る人で賑わいます。

東京水天宮◇東京都中央区日本橋蛎殻町2ー4−1
◇地下鉄日比谷線・都営浅草線「人形町駅」徒歩5分半蔵門線「水天宮駅」すぐ

全国総本宮◇福岡県久留米市瀬下町265◇JR「久留米駅」徒歩10分

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

暦、二十四節気を定期配信 更新情報

暦、二十四節気を定期配信のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング