ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

暦、二十四節気を定期配信コミュの季節のお便り「七福神」その4です。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
━━「七福神」その4━━布袋和尚・吉祥天(女)・猩々━━

7☆『布袋和尚(ほていおしょう)』大量を象徴

◇弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身といわれ、中国唐の時代末期の明州(浙江省)に実在したとされる禅僧「布袋(ほてい)」のこと。本来の名前は「釈契此(しゃくかいし)」ですが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称です。

◇功徳:人格形成・富貴繁栄。

◇太鼓腹の肥満体で寺に住むわけでもなく、生涯定住せず処々を泊まり歩いたといわれています。
大きな袋を背負い、僧侶であるにもかかわらず、生臭いものでも構わず施しを受けてその少しを袋に入れて残していたと言われています。

雪の中で横になっていても、布袋の身体の上だけは雪が積もっていなかったとか、人の吉凶を言い当てたとかいう逸話が伝えられています。残された偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の化身なのだと広まったといわれています。

布袋の最期も不思議で、仙人の尸解(しかい:しかばねのこと)に類しています。
埋葬されたにもかかわらず、後になって他の場所で見かけられたと言われています。没後早いうちに、布袋の図像を描く習慣が中国の江南地方で行われていたという記録もあります。

中国では、その後、弥勒仏の姿は、日本の布袋の姿となり、寺院の主要な仏堂の本尊に弥勒仏として安置されるのが通例となりました。

日本では黄檗宗(おうばくしゅう:禅宗のひとつ)に属す。肩に掛けた大きな袋は「堪忍袋」で、寛容で度量の大きいことを表しています。吉凶の判断にすぐれ、未来を予知する才能に長けていたといわれています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

番外☆『吉祥天』『吉祥天女』

◇インドの吉祥(幸福)を司る女神。サンスクリット語(梵語)で「マハー・シュリー」または「シュリー・マハー・デーヴィー」と呼ばれ、三大主神の一人「ヴィシュヌ」の妃「ラクシュミー・シュリ」の別名、または「シヴァ」の妃という説もあります。

シュリー・マハー・デーヴィーとは「大いなる幸運」の意。海の泡から蓮華を持って誕生したといわれています。

◇「摩訶室利(まかしり)」、「室利摩訶堤毘(しりまかでいび)」などと音写される。

◇吉祥とは、繁栄・幸運の意。吉祥天女は、幸福・美・富を顕す神とされ、美女の代表としての尊敬を集める。密教においては「功徳天」ともいわれる。

◇吉祥天は、人々の中に入って、ともに苦しみ、ともに喜びます。

◇功徳:家内安全 罪障消滅 財宝金銭 商売繁盛 富貴繁栄 国土安穏



◇インド神話では、父:徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)、母:訶利帝(かりてい:鬼神母神)。三大主神の一人ヴィシュヌの妃である「ラクシュミー」の別名。愛欲神「カーマ」の母。

◇仏教では、毘沙門天(クペーラ)の妹あるいは妃とされています。また、鬼子母神の娘という説も。釈尊(しゃくそん:ブッタ)とともに過去世において修行し、人々を救うために福徳自在の神となってこの世に現れたものなので、この天女を供養すれば福徳が授けられる、といわれていました。

◇密教では、毘沙門天(びしゃもんてん)の妻で、北方に住すとされています。また、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)の眷属(けんぞく)とか、宝生如来(ほうしょうにょらい)の分身という説もあり。これを礼拝するものは貧窮や全ての不祥事がなくなり、富貴財宝が得られ、幸福になれるといいます。

◇十返舎一九(じっぺんしゃいっく*江戸時代の作家)の話では、インドの神様「大黒天」が日本に帰化して大国主命(おおくにぬしのみこと)となり、その娘が吉祥天で、吉祥天を嫁にもらったのが福助ということになっています。


いろいろな説がある『吉祥天』ですが、容貌は、天女中の白眉。始めは母に似て始末におえぬ娘でしたが、釈尊に感化されて福音を支配しているらしい。

蓮華の華が一万本咲いている池で、左手に香炉を持ち池に入って華を一本摘むごとに真言を唱える。これを一万回繰り返すと吉祥天女が表れ、願いを叶えてくれるのだとか。

日本では、主に貴族階級に崇拝され、多数の吉祥天像が作られました。

吉祥天の姿形の多くは、一面二臂(いちめんにひ:顔ひとつにに腕が二つ)・冠に瓔珞(ようらく)のかざりを付け、如意宝珠(にょいほうじゅ)※を持つ例が多い。左手には如意宝珠を
持ち、右手は施無畏(せむい)の印※を結んでいます。

京都・山城には、極楽浄土の世界「浄瑠璃寺」があります。左手を与願印(よがんいん)、右手には如意宝珠(にゅいほうじゅ)を持ち、蓮華座に立つ吉祥天女像は、唐の貴婦人の服装で、顔は胡粉(ごふん:おしろい)で白く塗る瓜実顔、切れ長の眼、おちょぼ口。原色の華麗な衣装と絶世の美女ぶりで名高く、美と幸福の女神。
衣は雲型の文様でまとめられているという珍しいものもあるらしく鎌倉時代の作によく見られる。

奈良時代の吉祥天像は、吉祥悔過の本尊とされ、吉祥天に懺悔して五穀豊穣を祈願する国家行事が行われていました。

「日本霊異記」には、聖武天皇の御代に、信濃の国の信者が、和泉の国の血淳(ちぬ)の山寺にある吉祥天像を見て「吉祥天のように美しい女を我にたまえ」と願ったところ、吉祥天と交わる夢を見たという話が納められています。

奈良・薬師寺の吉祥天画像は、奈良時代(天平時代)の作といわれ、彩色された宝冠や天衣をまとい容姿端麗な像で、右手に施無畏印、左手に如意宝珠※を載せるその姿は、雲に乗るさまを表した傑作として有名。富と豊穣をもたらす美の女神として信仰されています。


・・豆知識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「宝珠(ほうじゅ)」は、仏教用語。正確には如意宝珠(にょいほうじゅ)と言う。仏の象徴で「何でも願いが叶う不思議な玉」の意。

「印(いん)」とは印相・印契ともいわれ、諸仏諸菩薩の内証(さとり)・本誓を示す形のことで、手や指や持物で示すサインのこと。

「施無畏印(せむいいん)」とは、右手を開いて掌を外に向けて肩の高さに上げる形で、畏れなきを施すということ。「こわがることはありません」という意味。

「与願印(よがんいん)」とは、左手を開いたまま垂れ、掌を外向きにした形(立像)、または膝の上に掌を上向きにした
形(坐像)で、願いを与えるということ。「あなたの願いをかなえてあげましょう!」というサインなのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

吉祥天は、通常は七福神には入っていません。七福神が定まる前は、福禄寿のかわりに入れられることもありました。また、寿老人に替わって吉祥天が入っている場合もあります。


ちなみに、武蔵野市吉祥寺の名前の由来は、吉祥天とは直接関係ありません。1657年(明暦3年)の江戸大火、翌年の1658年(万治元年)に再び江戸大火(吉祥寺大火)で、当時、水道橋北側にあった「吉祥寺という寺」や門前町が焼失。
二度の大火で住む家を失った人々に提供されたのが、現在の武蔵野辺りで、「吉祥寺」という町名の始まりなんだそうです。吉祥寺という寺院は武蔵野には古今ありませんでした。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

番外☆『猩々』

◇猩々(しょうじょう)は、中国の伝説上の動物。人語を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で、酒を好む。また、オラウータンの和名のひとつ。

日本では、七福神の一人として寿老人の変わりに入れられていた時代もあります。愛知県の豊明市には、猩猩祭り(しょうじょうまつり)という行事があります。

◇切能『猩々』は、酒の功徳をたたえて猩々という生き物が舞う、めでたい曲です。

◇戦国時代の『荀子(じゅんし)』という書物には、猩々という生き物は、二足歩行し、体毛が無く、ほとんど人のようであるが、ただ、礼節をわきまえていないところだけが人と違うとある。人はその肉をスープにしたり焼いたりして食べるらしい。猩々のくちびるは美味とか。

はたして、猩々は一体どんな生き物なのかというと、まるでわかりません。猩々は宮崎駿のアニメ『もののけ姫』にも登場します。訳のわからない事を言いながら、石を投げつけてくる猿に似た動物です。

オラウータンの和名として猩猩なので、チンパンジーを黒猩猩、ゴリラを大猩猩としました。この表記は、中国語でも同様です。
また、ショウジョウバエは、酒に誘引される性質から、猩猩になぞらえて名づけられたそうです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

***編集後記***

いかがでしたか?今回は調べものが沢山あって参りました。
それにしても七福神は中国、日本に限らず東洋に根ざした庶民信仰の最たるものです。七福神の神様の名前ぐらい読めるようにしましょう。えっ誰ですか・・・布袋様を「ふたいさま」とか「ふぶくろさま」なあんて言っているのは!「ほていさま」ですよ。




コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

暦、二十四節気を定期配信 更新情報

暦、二十四節気を定期配信のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング