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岸本葉子コミュの岸本さんの年譜

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1961年6月26日 鎌倉市笹目に生まれる。本名下田昌子。父は学者の家の七人きょうだいの末子、大正十二年生まれの三十八歳、公務員。母信(のぶ)は大正十四年、九州の武雄に医師の子として生まれ、姉一人、兄四人の末子、胎内にある時父が没し、祖母に育てられる、三十六歳。二人の結婚はおそらく四年前の1957年。三歳上の姉一人。
1974年 13歳 中学校入学。父と姉の確執。
1975年 14歳 企業勤めになっていた父、失業。林芙美子『放浪記』に読み耽る。
1977年 16歳 姉、大学入学し、家を出る。引っ越し。神奈川県立湘南高校入学。

1980年 19歳 この頃、父は家にいなかった。東京大学教養学部文科三類入学。座間市のアパートに住む。同級生と交際を始める。
1982年 21歳 教養学部教養学科進学。
1983年 22歳 のち『クリスタルはきらいよ』に描かれる就職活動、第一志望のNHKに落とされる。
1984年 23歳 3月、東京大学教養学部教養学科卒業。春休み、自発的に就職体験記を書く。4月、東邦生命保険入社。恋人は商社員となる。調布の社宅に住む。
1985年 24歳 狛江市に住む。5月末、『クリスタルはきらいよ』泰流社より刊行(1)。10月、武蔵野市、西荻窪のアパートに住む。 
1986年 25歳 8月、『クリスタルはきらいよ』、筒井ともみ脚本、麻生祐未主演で『冷たい夏−女子大生就職活動日記』としてドラマ化、フジテレビ系で放映。同月8日、退社。9月1日、離日し、北京外国語学院に留学。駐在員の男と知り合い恋愛関係となる。この年、姉に長男はらだしんご生まれる。
1987年 26歳 4月「機内食の悩み」を『広告批評』に寄稿(『近ごろの無常』所収)。5月「世界の方程式」を『世界』に寄稿(『近ごろの無常』所収)。同月8日、共同通信特派員辺見秀逸(のちの辺見庸)がスパイ容疑で国外退去を命じられる事件が起こる。6月、『朝日ジャーナル』に「「週に一回はディスコを踊る」中国人学生」を寄稿。駐在員からプロポーズされる。7月、帰国、パートタイムの事務職に就く。時給八百円。元の恋人と別れる。8月、「遅れてきたヒッピーたち」を『広告批評』に寄稿(『近ごろの無常』所収)。10月、病気にかかり、退職。
1988年 27歳 5月「就職活動」について『朝日ジャーナル』に寄稿(『近ごろの無常』所収)。初夏、台湾旅行。姉に次男生まれる。元の恋人、結婚。駐在員との関係も自然消滅。
1989年 28歳 1月から2月まで、再び台湾旅行。収入確保に怯える日々。4月、「迷える女子学生」を『朝日ジャーナル』に寄稿。10月、『微熱の島 台湾』を凱風社より刊行(2)。
1990年 29歳 この年、結婚を焦る。2月、『なまいき始め』を日之出出版より刊行(3)。3月から91年1月まで『東京タイムズ』に「今夜もパジャマトーク」を連載。12月、『ボーダーを歩く』をコスモの本より刊行(4)。
1991年 30歳 5月、『さよならニナーダ−サハリンに残された人々』を凱風社より刊行(5)、北方領土取材記事を『文藝春秋』に発表。三十歳を前にして保険に入る。
8月、『今夜もパジャマトーク』をファラオ出版より刊行(6)、『わたしの旅はアジアから』を文藝春秋より刊行(7)。
1992年 31歳 この年、新しい恋人できるが、長続きせず。1月「島歌といっしょに東シナ海を」を『朝日ジャーナル』に寄稿。2月、インドネシア・ルポを『サンサーラ』に寄稿。5月、『禁じられた島へ−国後・色丹への旅』を凱風社より刊行(8)。8月、千田夏光らと『婦人公論』で従軍慰安婦問題座談会、エッセイ「北京にゴミはない」を『Voice』に寄稿。9月、『女が結婚したいと思うわけ』を大和出版より刊行(9)。10月、「サハリン残留女性の長すぎた戦後」を『婦人公論』に寄稿。同月から93年10月まで『ダ・カーポ』にエッセイ連載(『近ごろの無常』所収)。10月、両親、立川の公営団地に転居。11月、「無性に結婚を想う年」を『婦人公論』に寄稿。12月、「夜中の指輪」を『ノーサイド』に寄稿。スコットランドへ取材旅行。
1993年 32歳 1月から3月まで『北海道新聞』にエッセイ連載(『近ごろの無常』所収)。この頃、エイズ検査を受ける。バスに撥ねられ、全治二週間。3月、水野麻里、島村麻里との鼎談「究極の「いい男」って誰?」を『潮』に掲載。5月「下が正しい?」を『思想の科学』「フェミニズムってなに?」特集号に寄稿(『近ごろの無常』所収)。貯金、五百万足らず。智乃花のファン。
1994年 33歳 この頃、朝のテレビにレギュラー出演。4月から97年3月までインタビュー「岸本葉子のWALKING&TALKING」を『総合社会保障』に連載。8月、『やっぱり、ひとりが楽でいい!?』を講談社より刊行(10)。9月、『近ごろの無常』をマガジンハウスより刊行(11)。10月、『なまいき始め』講談社文庫(文庫1)。11月から96年4月まで「日々是好日?」を『日本ベニアタイムス』に連載(『30前後、やや美人』所収)。
1995年 34歳 1月、『留守電のもんだい』をPHP研究所より刊行(12)。同月から96年6月まで「ヒト科ヒトの生態」を『サンパワー』に連載(『30前後、やや美人』所収)。4月『それでもしたい!? 結婚』(『女が結婚したいと思うわけ』)講談社文庫(文庫2)、同月から96年4月まで「人のフリ見て・・・」を『週刊読売』に連載(『30前後、やや美人』所収)。
1996年 35歳 1月、書評を『週刊朝日』に寄稿。2月、『自分で自分を楽しませる知的な生活』を講談社より刊行(13)。4月、『30前後、やや美人』を読売新聞社より刊行(14)。5月『微熱の島 台湾・新版』を凱風社より刊行。6月、『旅はお肌の曲がり角』を実業之日本社より刊行(15)。8月、群ようことの対談「どうにもアジアは癖になる」を『波』に掲載。9月、『夕方、ハルピン駅で』をNTT出版より刊行(16)。10月『微熱の島 台湾』朝日文庫(文庫3)。12月『よい旅を、アジア』講談社文庫より刊行(文庫4)
1997年 36歳 4月、『家にいるのが何より好き』を文藝春秋より刊行(17)。7月、「山登り初挑戦の巻」を『本の話』に発表、奥谷礼子との対談「ヒマな女ほどよくいびる」を『婦人公論』に掲載。8月『やっぱり、ひとりが楽でいい』講談社+α文庫(文庫5)、座談会「香港の魅力と魔力」を『潮』に掲載。10月から99年6月まで関川夏央、池内紀との「鼎談書評」を『本の話』に連載。12月、『三十女のおいしい暮らし』を講談社より刊行(18)。
1998年 37歳 1月、田原総一朗、石井苗子との「井戸端会議 夕刊廃止論」を『婦人公論』に掲載。この頃、吉祥寺にマンションを購入。4月『幸せな朝寝坊』(『近ごろの無常』改題)文春文庫(文庫6)、5月『アジア発、東へ西へ』講談社文庫より刊行(文庫7)、『異国の見える旅』(『ボーダーを歩く』改題)小学館文庫より刊行(文庫8)、同月から2000年3月まで『中学教育』にエッセイを連載(『もうすぐ私も四十歳』所収)、同月から2001年2月まで『パンプキン』にエッセイを連載(『若くなくても、いいじゃない』所収)。7月「ブータン旅行記」を『婦人公論』に寄稿。8月、『つかず離れず、猫と私』を文藝春秋より刊行(19)。10月、座談会「いま30代の女性は元気」を『月刊百科』に掲載。11月、『家もいいけど旅も好き』を河出書房新社より刊行(20)。11日、母死去、七十三歳。この頃、『週刊朝日』『週刊文春』で不定期に書評を書く(『恋もいいけど本も好き』所収)。
1999年 38歳 1月、『結婚しても、しなくても』をマガジンハウスより刊行(21)、『本はいつでも友だちだった』をポプラ社より刊行(22)。2月『お金のいらない快適生活入門』(『自分で自分を楽しませる知的な生活』改題)講談社+α文庫(文庫9)。4月、『ふわっとブータン、こんにちは』をNTT出版より刊行(23)。5月、「気がつけば、ひとり上手」を『婦人公論』に寄稿。6月『旅はお肌の曲がり角』講談社文庫(文庫10)。8月から01年3月まで『小説現代』に書評エッセイ連載(『本棚からボタ餅』所収)。
2000年 39歳 1月、『30前後、やや美人』文春文庫(文庫11)。2月、「シンプルライフの手本」を『ちくま』に寄稿(『もうすぐ私も四十歳』所収)。4月、『ちょっとのお金で気分快適な生活術』を講談社+α新書より刊行(24)。同月から02年4月まで『日経WOMAN』に「岸本葉子と渡辺葉の往復エッセイ 人生の妙薬」を連載。5月、『マンション買って部屋づくり』を文藝春秋より刊行(25)。6月、取材旅行でイタリアへ。『恋もいいけど本も好き』を講談社より刊行(26)、『もうすぐ私も四十歳』を小学館より刊行(27)。8月、『私の居場所はここにある』をマガジンハウスより刊行(28)。9月、「軍手と文庫本」を『本の旅人』に寄稿(『本棚からボタ餅』所収)。10月『三十過ぎたら楽しくなった』(『三十女のおいしい暮らし』改題)講談社文庫(文庫12)、11月、鹿島茂との対談「ちょっとHな仮説と蘊蓄」を『本の話』に掲載、『読売新聞』にコラム連載、「小欲に生きよう」を『婦人公論』に寄稿。12月、横田濱夫との共著『ひとり暮らしの人生設計』を新潮OH!文庫より刊行(29)、『実用書の食べ方』を晶文社より刊行(30)、「いつだって女性は元気」を『よみがえる』に連載(時期不詳)。
2001年 40歳 1月、「三代で一世紀」を『本』に寄稿。5月、文庫書き下ろし『炊飯器とキーボード』を講談社文庫より刊行(31、文庫13)、『月刊観光』に鷲尾裕子のインタビュー「岸本葉子さんに聞く『賑わい』の魅力」掲載。同月から03年1月まで『パーソン』にエッセイ連載(『幸せまでもう一歩』所収)。6月、『月刊福祉』に「女性と社会保障」。7月『禁じられた島へ』光文社文庫(文庫14)。9月、『本棚からボタ餅』を中央公論新社より刊行(32)。10月、『若くなくても、いいじゃない』を小学館より刊行(33)。川本三郎との対談「愛につまずいている人たち」を『波』に掲載。この頃癌が発見され、手術。12月「リレーエッセイ・結婚、そして・・・/ひとりでいてもいいじゃない」を『Nursing Today 』に寄稿。
2002年 41歳 1月、『女は生きるひとのためならず』(『留守電のもんだい』改題加筆)講談社+α文庫(文庫15)、2月『女の分かれ目』(『つかず離れず、猫と私』改題)中公文庫(文庫16)、3月『家にいるのが何より好き』文春文庫(文庫17)。4月、翻訳『何もしない贅沢』(ヴェロニク・ヴィエン)を光文社より刊行。5月『家もいいけど旅も好き』講談社文庫(文庫18)、『目指せ!大人の女』をPHP研究所より刊行(34)、同月から12月まで『ノバーク』にエッセイ連載。6月、『女の底力、捨てたもんじゃない』を講談社より刊行(35)。7月『「和」の旅、ひとり旅』小学館文庫より刊行(36、文庫19)、対談「とう少平の思い出」を『婦人公論』に掲載。9月、翻訳『自分らしく生きる贅沢』(ヴェイン)を光文社より刊行、『結婚しても、しなくても』三笠書房知的生き方文庫(文庫20)、10月『マンション買って部屋づくり』文春文庫(文庫21)、11月『おしゃれ魂』光文社知恵の森文庫より刊行(文庫22)。12月、『ひとり暮らしのおいしいキッチン歳時記』をPHPエル新書より刊行(37)。
2003年 42歳 1月、「「がん」から始まる」を『学士会会報』に寄稿。3月、『幸せまでもう一歩』を中央公論新社より刊行(38)。4月、翻訳『年齢を重ねる贅沢』(ヴェイン)を光文社より刊行、渡辺葉との共著『葉と葉子のふたりごと』を清流出版より刊行(39)。7月『四十になるって、どんなこと?』講談社文庫(文庫23)、『月刊観光』に北中誠と「テレビメディアの活用」。8月『やっと居場所が見つかった』文春文庫(文庫24)、9月、『わたしのひとり暮らし手帖』を大和書房から刊行(40)。10月、石田ゆり子との対談を『本の話』に掲載、『がんから始まる』を晶文社より刊行
(41)。『月刊清流』に「からだの辞典」連載。11月、「女ひとり40歳がんになる」を『文藝春秋』に寄稿。12月、『婦人公論』で渥美雅子とがん体験について対談。
2004年 43歳 3月、『パソコン学んでe患者』を晶文社から刊行(42)。『婦人公論』に読者の闘病記の読後感を書く。4月、『歳時記を生きる』を中央公論新社から(43)、『本だから,
できること』(『本はいつでも友だちだった』改題)ポプラ社。6月、『本がなくても生きてはいける』講談社文庫(文庫25)。7月から『日本経済新聞』に連載。11月、翻訳『ファティマの幸運』(ジョーン&ジェーン・ドリアンスキー)を小学館より、内富庸介との共著『がんと心』を晶文社より刊行(44)。
2005年 44歳 1月、『文藝春秋』に「理想的な死に方」寄稿。同月から『潮』に「岸本葉子の『刺激的生活』」を連載。『本の話』に「司馬さんに流れた『時間』」を寄稿。2月、『からだの事典』を清流出版より刊行(45)、『幸せまでもう一歩』中公文庫(文庫26)。4月、『岸本葉子の暮らしとごはん』を昭文社より刊行(46)、『40前後、まだ美人?−−若くなくても、いいじゃない』(『若くなくても、いいじゃない』改題)文春文庫(文庫27)。「快適系キシモト式」を『朝日新聞』に連載。6月、『女の底力、捨てたもんじゃない』講談社文庫(文庫28)。9月、『本の話』に「欲望と数百円」を寄稿。12月、『食というレッスン』小学館文庫(文庫29)。
2006年 45歳 1月、『四十でがんになってから』を講談社より刊行(47)、『楽で元気な人になる』中公文庫(文庫30)。2月、『本』に「ゴビ砂漠のトイレ」寄稿。3月、『ぼんやり生きてはもったいない』を中央公論新社より刊行(48)。4月、『がんから始まる』文春文庫(文庫31)。6月、アンソロジー『女ひとりで想うこと シングルっていいかも』を編纂、光文社知恵の森文庫。

コメント(7)

9月、『あれやこれやで12ヶ月』中公文庫(『歳時記を生きる』)
1980年の大学入学に際して、週刊誌のインタビューを受けて、大学に入ったら哲学書をいっぱい読みたいと話し、後になって同級生にそのことを持ち出されて恥ずかしい思いをしたこと。
生命保険会社に勤めている時に裁判所の調査官の試験を受けて筆記は合格したが、面接で落ちてしまったこと。
などもエッセイの中で明らかにされています。
これも付け加えてみてはいかがでしょう。
ありがとうございます。その週刊誌は何でしょうね。あと裁判所の話はどの本に?

文庫別冊数を出してみます。

講談社文庫 11
講談社+α文庫 3
文春文庫 7
中公文庫 4 
朝日文庫 1
小学館文庫 3
三笠書房知的生きかた文庫 1
光文社知恵の森文庫 2

 新潮、角川、ちくまはないですね。
お父さんが京大卒というのはどの本にあったでしょう。
『読む少女』角川文庫は、『本はいつでも友だちだった』(『本だから、できること』)の改題です。二度も改題したのは初めて。
「東京人」三月号で鹿島茂と熱海へ行って対談しています。ご両親の新婚旅行の写真も載っています。結婚は昭和33年のようですね。
高校時代は演劇部と文芸部に所属していました。

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