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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのTBS ぴったし カン・カン (クイズ番組)

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1975年10月7日〜1986年3月18日にTBSで毎週火曜日に放送されていたトークショーを兼ねた視聴者参加クイズ番組。

番組概要
番組名は「クイズに正解(=ぴったし)したときになる鐘(=カン・カン)」からつけられている。収録は2週まとめて行われ、1週目は生放送となっていた。ちなみに火曜日の生放送(収録)直前まで、萩本欽一は自身が企画・主演を務める『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)の収録日に当たっており、『欽どこ!』収録が伸びて、生放送あわやという事態がしばしばあったという。「欽ちゃんの分まで私が両方のキャプテンをやりますよ。さぁ、欽ちゃん、遅刻しないかぁ〜!」とまるでハプニングを楽しんでるかに見える坂上二郎の張り切りぶりを聞きつけた萩本は、後に「相棒として、こんな頼もしい相棒はいない」としみじみ語っている。

企画の発端は、古くからある「古今東西ゲーム」がヒントになっている。「古今東西ゲーム」とは対戦相手がいて、司会役となる人が「古今東西、花の名前!」とお題を出せば、お互いが花の名前を競って口にするもので、途中で一度出た花の名前が出たり、途切れたりすれば負けとなるゲームで、このゲームが醸す「スピード感」と、また「花の名前」のお題を「○○さんが今日お昼食べたご飯は?」などとアレンジすることでクイズ番組として生かせないものかなど、これらは、放送局のスタッフや作家などを集めて行われていた萩本宅の新年会において、偶然に発案された。よって企画クレジットには、萩本が各企画・主演番組で用いていたペンネーム「秋房子(あき・ふさし)」の名前があがっている。放送開始当時の萩本は、55号以外の個人活動が増えてコンビのコント活動に比較的限界を感じていた頃であり、また、コント以外の新しい番組を模索しはじめていたころでもあった。発案のキッカケとなった先述の新年会に招かれていた「みんなで出よう!55号決定版!!」担当のTBSのプロデューサーは奔走し、長年“55号枠”として定着していた火曜夜7時30分枠で早速『ぴったし カン・カン』をスタートさせた。クイズ番組とはいえ、クイズならではのスリルを味わったり、肩肘張るものと言う内容ではなく、トーク(を重点に)で大いに笑ってもらおうと言うのがコンセプトである。


ルール
坂上二郎キャプテンと芸能人3人で組まれた「ぴったしチーム」と、萩本欽一キャプテンと視聴者3人で組まれた「カン・カンチーム」に分かれて、久米の出題する問題とヒントから順番に答えていく。途中で答えにつまると相手チームに解答権が移る。正解の際には通常は10点だが、一発で正解が出ると倍の20点、ラストクイズは30点で、やはり一発で正解すると倍の60点となり、勝利チームには、ゲストが「カンカンチーム」に合った賞品がプレゼントされる。しかし、「ぴったしチーム」が勝ってもキャプテンの坂上は「カンカンチーム」に対して「これは皆様にさしあげます!」と言うのがお約束だった。要するに「カンカンチーム」が負けてもプレゼントされるというものである。坂上は「ぴったしチーム」はやはり芸能人で、ギャラをもらっているので、賞品はせっかくだからいうことでの気配りであろう。さらに「カンカンチーム」にはカメラなどの参加賞もプレゼントされる。なお、後述の「一枚の写真」までは1〜2問程度モニターテレビからの出題がなされ、フィルムが自然と止まったところでクイズがスタートする。この場合後述と異なり正解の字幕スーパーは出てこない。


放送時間
放送時間は毎週火曜19:30〜20:00で、その前に放送していた1979年に始まった『ザ・チャンス!』と共に高視聴率であった。1984年10月からは『JNNニュースコープ』が20分延長されたことにともない『ザ・チャンス!』が水曜日(後に木曜日)に移動したため、10分早く19:20からの放送となった。

フジテレビ系列局でもあったテレビ山口では、もともとはほかのTBS系列局と同じ放送日時に放送されていたが、1981年10月からは、火曜ワイドスペシャルの放送日時が19:30からに繰り上がったため、放送日時を移動した。

長崎放送と南日本放送は、一時期火曜19:30〜20:00に日本テレビ系列の番組(よみうりテレビ『新・巨人の星II』・送出局=南日本放送、等。)を遅れネットしていたため、本番組が遅れネットとなった(1979年頃の長崎放送では日曜18:00〜18;30)。


エピソード
司会は当時TBSアナウンサーだった久米宏で、久米がそれまでにラジオ番組において確立して来たキャラクターやスピード感がこの番組の発想とも重なったので早速の起用となり、この番組でのスピード感と爽快感が後の人気番組『ザ・ベストテン』の司会起用の礎ともなった。
ぴったしチームの解答の最後は藤村俊二であり、ヒントに離れず面白い答えでオチが付き、大爆笑を誘っていた。カンカンチームの視聴者は登場する時やクイズに正解した際にに必ずポーズを決めるのもあった。また、「一枚の写真」というコーナーは、幼少の頃の写真から当日のゲストを当てるクイズで、正解後に登場するゲストとのギャップが話題となった。ゲスト登場後は本人にまつわる問題が出題、ゲストのこれまでの半生・珍談・奇談を紹介して、生放送という特性を生かして、当日の行動までをも問題に取り入れたことからゲストへの親近感を演出して素顔をさらけ出す、番組の名物人気コーナーとなった。ここからは正解の字幕スーパーも出る。

久米はその軽妙な司会ぶりや画面を通して視聴者に話しかけるスタイルなど親しみやすさから、この番組をきっかけに全国的な人気を得た。また「ほにゃらら」という言葉は、久米が問題を読む際「このとき思わずほにゃららと叫んでしまいました。なんと叫んだのでしょうか?」というように出題時の正解部分に使い、広く使われるようになった。「ほにゃぺけ」という言い方もあった。


主な出来事
1979年11月20日の放送で、ビデオリサーチ・関東地区調べにおける最高視聴率37.6%を記録した。
「一枚の写真」にぴったしチームの回答者である藤村俊二が出たことがあった。正解はなかなか出ず、出た後は萩本欽一は「局まで一緒にタクシーで来たのに」と叫んでいた。

番組の終焉とその後
1984年5月の久米・萩本・坂上が降板した。後継司会者を小島一慶⇒吉田照美と続きキャプテンも替わるなど、リニューアルが図られたが、それでも視聴率は伸びず、ついに1986年に10年半の歴史に幕を閉じた。
その後、1995年4月に『春の久米宏スペシャル カン・カンぴったし'95』として番組が復活した。1990年代後半にTBSの新春音楽特番では永井美奈子を司会に今田耕司、東野幸治らの解答者に和田アキ子をゲストに迎えたり、また、2000年12月30日にTBS『38時間テレビ(SAMBA・TV)』の復刻版では福留功男が司会を務め、坂上・萩本両キャプテンに加え、本家に出演した藤村俊二などの当時のレギュラー陣、スペシャルパーソナリティーのモーニング娘。のメンバーに田村亮子をゲストに迎えた。
現在は、リニューアル版として『ぴったんこカン・カン』(司会:安住紳一郎TBSアナウンサー)が放送されている。「ぴったし」時代のレギュラーの藤村俊二も出演している。

なお、この『ぴったし カン・カン』というタイトルは提供スポンサーだった日立が商標登録を行っており、司会者が小島→吉田と変わるとタイトルも『元祖・ぴったし カン・カン』と改められ、また、登録商標を意味する(R)マークが付けられたという(引き続き日立が提供していたため)。その後、95年の復活版も『カン・カンぴったし'95』となり、安住司会の番組は『ぴったんこカン・カン』となっている。


出演者

司会
初代:久米宏−1975年10月〜1984年6月
2代目:小島一慶−1984年7月〜1985年9月
3代目:吉田照美−1985年10月〜1986年3月

キャプテン
コント55号
萩本欽一
坂上二郎
両者共に、久米宏降板と同時にレギュラーを降板している。


レギュラー解答者
藤村俊二
岸ユキ
相本久美子
倉石功
平田昭彦
黒沢年雄(当時:年男)
関根勤
風見しんご、ほか(黒沢・関根・風見は坂上・萩本降板後はキャプテン役も務めた)

スポンサー
トクホン本舗(当時の正式社名は「鈴木日本堂」。現・トクホン、当初はトクホンの単独提供だった)
日立(久米宏が司会を務めた「ザ・ベストテン」の筆頭スポンサーでもあった)
花王石鹸(現・花王)
マクドナルド(最晩年のスポンサー)
カルビー(同)


(´・ω・`)YouTubeの最初の「だいじょうぶマイフレンド」って映画の曲好きだったなw
この番組はよくみてましたね、久米宏の司会しか覚えてないけどねw

コメント(2)

(* ̄▽ ̄*) 昔のメンバーが面白かったからね〜

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