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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュの11PM

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日本テレビ系列で1965年11月8日から1990年3月30日まで放送された深夜番組である。正式名称は『WIDE SHOW 11PM』。開始当初は、新聞のテレビ欄には『11P・M』と記載されていた。午後のことを「PM」(post meridiem)と呼ぶ概念がまだ薄かった時代の話である。


番組概要

毎週月・水・金曜日は日本テレビ、火・木曜日はよみうりテレビが制作。日本テレビでは大橋巨泉、愛川欽也、よみうりテレビは藤本義一(作家)が主に司会を担当し、お色気から硬派な社会問題、金曜日には週末情報の色合いを強め、釣りや麻雀のコーナーを放送した。当初は今日の出来事(NNN最終版ニュース。当時はストレートニュース仕立てだった)を挿入した。
現在では「お色気番組の元祖」的なイメージが持たれる11PMであるが、ごく初期(白黒の時代)は山崎英祐週刊読売編集長が司会の、時事問題についての考察を述べる番組であった。勿論お色気など無く、現在で言うところのNHK「視点・論点」のようなジャンルであったが、視聴率が全く取れなかった(詳細は後述)。
シルエットのラインダンサーが踊るアニメーションをバックにスキャットによる軽快なオープニングテーマ、エンディングテーマは共に三保敬太郎の即興作曲によるもの。2000年には新たなアレンジによるロングバージョンを加えたCDが発売されているが、三曲合わせた演奏時間が二分足らずという極めて短いCDとなっている。
(※後に第1回を録画した白黒フィルムが発見されているがこの時のオープニング・エンディングアニメーションはシルエットとのラインダンサー〜タイトルへ続く部分がよく知られている女性の裸体→11PMをかたどった星座ではなく別のものだった。これを見るとよく知られているものは2代目のものであることがわかる。また23:15スタートの時代にはタイトルロゴに「+15」、23:20スタートの時代にはタイトルロゴに「+20」が付加されていた)

当初は時事ネタ主体のワイドショーで、途中に月曜から金曜日までの全曜日で放送されるミニコーナーを挿入するスタイルであった。その後、各曜日が独立した形式に変化するが、おおむね東京のマガジン形式を採っていたのに対して、大阪はトークショーとドキュメンタリー主体であった。また、大阪担当の木曜日は時折ネット局各社との共同制作となり、藤本等司会者が日本各地に出張して放送された(内容は大抵が「○○県の風俗」となっていたが、ここで言う「風俗」はどちらかといえば「民俗」に近い、真面目な物が多かった)。
基本的にはローカルセールス枠だったが、サントリーやトヨタ自動車などの生コマーシャルも挿入されていた。大阪・よみうりテレビ制作分では必ずバーテンダー役の野村頻紹が登場し、藤本義一に「今日のお酒はこれです」とサントリーのウイスキーを持ってきていた。なお、後期村野武憲と吉田照美が司会を担当した金曜イレブン(日本テレビ制作)ではこの役を大仁田厚(当時・全日本プロレス)がやっていた事がある。トヨタ自動車のコマーシャルは、実際はコマーシャル前のアイキャッチで、カバーガールがトヨタ車に寄り添いポーズを決めるといった物であった。
新聞などの番組欄には、その放映時期の大半の時期にサブタイトルがついていた(その直前の時間帯のきょうの出来事は、企画ニュース枠が常設されていなかったことなどから、当時サブタイトルがなかった)。内容は性的なものを連想させる惹句が多く、視聴者を期待させた。お色気番組の元祖とも呼ばれるが、時には性的なものと程遠い内容のこともあった。例外として、大橋巨泉が担当した金曜イレブンと所ジョージが担当した水曜イレブンはいずれもお色気色が一切無かった。
節目ごとに「○○周年記念祭」のスペシャルがあり、巨泉・愛川・藤本の3人やレギュラー出演者が一堂に会した。過去に、8周年・10周年・15周年・20周年に行われた。司会は徳光和夫で、「11回忌法要スペシャル」でも会場の司会進行をしている。
まれに月曜日・金曜日のプロ野球・巨人戦ナイター中継が編成都合上ゴールデン枠での生中継が出来ないことがあったこと、また1980年代に開催された北海道遠征は平日のデーゲームで開催されたことから、その場合「11PMナイター」と称して録画ダイジェスト中継が行われた。またゴルフの日本プロゴルフ選手権大会開催日も予選ラウンド2日間を録画中継したことがある(これはEXテレビでも同じだった)。


代表的な企画

海外ロケ
当初は小島や巨泉があまり知られていない海外(主にヨーロッパ)を旅して紹介するものだったが、かたせや秋川などの女性アシスタントのグラビアシーンも取り入れられた。また、ロケ地の夕陽の映像を必ず撮影していき、そのシーンを紹介したコーナーもあった。
趣味企画
ゴルフ、ボウリング、フィッシングなど当時はあまり知られていなかった趣味を紹介していた。また、「麻雀実践教室」というコーナーもあり、麻雀番組の走りとなっていた。ハウス食品とのタイアップによる「イレブンクッキング」のコーナーもあった。いずれも金曜日の名物企画である。
イレブンダービー
競馬に見立てた双六ゲーム。一般視聴者が電話で参加し1対1で競われた。いろは順のイ〜ヌ×1〜10の数字に構成されたパネル100枚の中から交互に1枚づつ選び、書かれた数字分だけ進む。但し、マイナスも隠れており、選んでしまった場合は数字分だけ戻らなくてはならない。先にゴールした視聴者が勝ちとなった。金曜日のみ。ちなみにスーパークイズスペシャルに巨泉がゲストで出てきたとき、巨泉の司会で、番組出場者が参加する形にしてこの企画の復活版が行なわれたことがある。
異色対談
違う世界の大物著名人に、予備知識なしで対談するという企画。林家三平とオノ・ヨーコ、輪島功一と金子光晴、竹村健一と五味康祐など様々な対談があった。
巨泉・考えるシリーズ
月曜イレブンの名物企画。お色気企画が多い中で、硬派な社会問題を特集した。「沖縄で君は何を見たか」など数々の社会問題を取り上げ、1972年5月9日に第9回ギャラクシー賞・放送批評家賞を受賞した。
久里洋二のミニミニアニメーション
1966年から1982年まで、月曜イレブンのコーナーとして800本近いアニメが放送されていた。
イレブンルーレット
1986年4月から9月まで、所ジョージが担当した水曜イレブンで放送。この番組自体、セットが巨大なルーレットとなっており、電話による視聴者参加形式でルーレットゲームを行った。
TIME GANG(タイム・ギャング)
1980年代半ばの火曜イレブンでは、構成に東京同様のマガジン形式を採り入れ、特に「TIME GANG」のサブタイトルを付けて放送した。司会進行は羽川英樹(当時・よみうりテレビアナウンサー)とタージンが務め、藤本義一はまとめ役に回った。(ただし、バーテンダー役の野村頻紹との掛け合い生CMは引き続き放送した。)後述する「秘湯の旅」はこのタイムギャングの一コーナーである。
秘湯の旅
火曜イレブンの名物企画。「うさぎちゃん」と呼ばれた女性リポーターが全裸に近い状態で、数々の温泉を紹介した。
裸の報告書シリーズ
故・ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」のテーマ曲で始まる月曜イレブンのお色気企画。主にいそのえいたろう(風俗ライター)やカルーセル麻紀がリポーターを務め、トルコ風呂(現・ソープランド)などの性風俗産業の取材を行い、裏文化の仕掛け人の紹介をした。
紅白ストリップ合戦
全国から人気ストリップ嬢が集合し、紅白形式に分かれ、艶技を披露する年末恒例企画。1974年12月30日には、11PM史上最高視聴率をマークした。


エピソード

企画段階では、月曜から金曜まで全て日本テレビが制作する予定であった。それに対し当時の日本テレビの労働組合が「ただでさえ働かせ過ぎなのに、俺たちをこれ以上働かせる気か!!」(当時日テレ内部では社員の労働超過が問題になっていた)と猛反発。一時は番組の制作が危ぶまれたが、会社側が「日本テレビ制作は月・水・金曜の週3日とし、火曜と木曜はよみうりテレビに制作を委託する」という妥協案を出し、これを組合側が受け入れて無事番組が制作された。
当初は、時事問題などを硬派に放送するお堅いニュースショーであったが、放送開始当初は全く視聴率が取れなかった。日本テレビが助け舟を出すべく大橋巨泉のところに出演依頼を出した際、「こんな番組やってたんじゃ、世間の支持なんかとれませんよ。何ならボクが変えてやるよ」と言ったことから、番組は当初とコンセプトを180度転換。巨泉は「やりたいことをやる」と主張。麻雀やゴルフ、釣りなど趣味をそっくりそのまま放送するスタイルを日本テレビに持ち込んだ。このことが視聴者に受け、またお色気もあることからお父さんが夜更かしして観る番組となり、大人気となった。
番組リニューアル当初はバニーガールの女性アシスタントが番組を盛り上げたが、青少年に悪影響を及ぼすという理由でPTAからのクレームも付いたといわれている。その他、生放送であったために、大阪イレブンを中心に放送してはいけない箇所が流れてしまうことも多く(1960年代後半から1970年代初頭にかけて大阪イレブンのレギュラーとして出演していたストリッパーの初代一条さゆり(故人)は今で言うところのアンダーヘアを見せるまで脱ぐ「全スト」を売りにしていたためこういう事態が起きていた)、また、大阪イレブンの企画「秘湯の旅」では、リポーターが全裸で雪の中に飛び込むなどの描写もあり、スタッフが警察から出頭要請を受けることも多かった。しかし、スタッフ達も「11PM」には自信を持っているため、出頭ではなく「喧嘩をしに行く」感覚だったという(朝丘雪路の談)。
1975年に日本共産党の宮本顕治中央委員会委員長(当時)から「ポルノ番組だ」と非難された。当時は大阪イレブンを中心に上記通りお色気コーナーが多かったが、スタッフは上記にある通り番組に自信を持っているため、非難にも耳を貸さず堂々とエロ一直線を突っ走っていったという。
明石家さんまが、大阪イレブンのコーナーでテレビデビューをしている。「落語家の成人式」という副題で、「SEXの四十八手以外に知っている技は?」という質問に「逆さ十文字落としでぇーす!!!!」と答えて司会の藤本義一から「テレビで言って良い事と悪い事があるぐらい覚えておきなさい!」と叱責された。なお、この時落語家でありながら赤のタキシード姿で出演したのは、師匠・笑福亭松之助の入れ知恵による。ちなみにコーナー司会は、海原千里(現・上沼恵美子)・万里が担当していた。
人気フォークバンドのザ・フォーク・クルセダーズが大阪イレブンの出演を最後に解散したことも有名。番組のエンディングはいつものスキャットの曲ではなく、「かなしくてやりきれない」を全員で合唱してエンディングを締めくくった(報道STATIONのフォーク・クルセダーズの特集でもその映像が紹介されていた)。
名古屋テレビ(メーテレ・NBN)が一時期水曜日を日本テレビと隔週で担当したことがある。また、月一回の割合で木曜日のよみうりテレビ制作分も共同制作を行い、更に土曜日の増枠で毎週土曜イレブンを制作担当した。1973年、名古屋テレビはクロスネットの解消で制作を撤退しネットも打ち切り。代わりに中京テレビが土曜イレブンを短期間ながら制作担当した。
第一次オイルショックによる電力節減の一環として、1974年1月7日以降在京5局での深夜放送が中止されることになり、日本テレビの対応が注目されたが、「24:30を限度とする」とされたこともあり、11PMについては現状維持のまま放送が継続された(一方裏番組としてTBSで23:30〜24:30に放送されていた「ぎんざナイトナイト」は24:00までに短縮。またNETテレビでこの週から「23時ショー」に代わりスタートした「スタジオ23」は元々23:00〜23:50の放送だったため影響は無かった)。しかし在阪4局で「1月14日から24時以降の放送中止」の申し合わせがされたため、よみうりテレビのみ24:00で11PMの放送が打ち切られた。その際24:00直前に飛び降りポイントが設けられた。大阪イレブンについては24:00以降はよみうりテレビでの放送はしないものの日本テレビ及びネット局向けに制作・配信された。在阪4局の申し合わせはその後24:50に緩和されたため、5月27日からは通常の放送に戻った。第二次オイルショックの際もやはり省エネ政策の一環で深夜放送が自粛されたが(1980年〜1982年)24:45終了が一つの目安とされたこともあり、この番組への影響はなかった。


歴代司会者

山崎英祐(初代司会者・当時「週刊読売」編集長。日本テレビ発月・水・金曜日担当、1965.11〜1966.3)
小島正雄(月・水曜日担当、1966.4〜1968.1、1968年1月に急逝)
三木鮎郎(水曜日担当、1968.1〜1973.12)
大橋巨泉(当初金曜日担当(1966.4〜1985.9)、のち月曜日を兼務(1968.1〜1985.3))
愛川欽也(水曜日担当、1974.1〜1986.3)
今野雄二(水曜日サブ司会)
藤本義一(よみうりテレビ発火・木曜日担当、1965.11〜1990.3)
黒沢久雄(名古屋テレビ発土曜担当、1972.4〜1973.3)
朝丘雪路(金曜アシスタント、1966〜1982.5)
松岡きっこ(月曜アシスタント、1968〜1985.3)
ジューン・アダムス(水曜アシスタント、1968~1969)
秋川リサ(水曜アシスタント、1974.1〜1977.12)
かたせ梨乃(水曜アシスタント、1978.1〜1981.12)
朝倉匠子(水曜アシスタント、1982.1〜1986.3)
安藤孝子(火・木曜初代アシスタント、1965.11〜1969)
市川靖子(火・木曜2代目アシスタント、1969〜1970)
笹田泉(火・木曜3代目アシスタント、1970〜1971)
真理アンヌ(火・木曜4代目アシスタント、1971〜1976)
岸じゅんこ(火・木曜5代目アシスタント、1976〜1977)
多田千香(火・木曜6代目アシスタント、1977〜1978)
東てる美(火・木曜7代目アシスタント、1978)
横山エミー(火・木曜8代目アシスタント、1978〜1979)
テレサ野田(火・木曜9代目アシスタント、1979〜1980)
秋本圭子(火・木曜10代目アシスタント、1980,4〜1981,3)
松居一代(火・木曜11代目アシスタント、1981,4〜1985,3)


1985年以降

「ニュー11PM」と銘打ち、司会陣を一新。

江本孟紀(月曜担当、1985,4〜1986,3)
三枝成彰(月曜担当、1986,4〜1990,3)、後に水曜兼任(1988,4〜1990,3)
高田純次(月曜担当、1986,4〜1990,3)、後に金曜兼任(1988,4〜1990,3)
村野武憲(金曜担当、1985,10〜1988,3)
斉藤晴彦(水曜担当、1986,4〜1988,3)
所ジョージ(水曜担当、1986,4〜9)
由利徹(水曜担当、1986,4〜1987,6)
吉田照美(金曜担当(1985,10〜1988,3、1989,4〜1990,3)、水曜担当(1988,4〜1990,3)
秋野暢子(月曜アシスタント、1985,4〜1986,3)
戸川京子(金曜アシスタント、1985,10〜1990,3)
村上里佳子(月曜アシスタント、1986,4〜1988年頃)
松金よね子(水曜アシスタント、1986,10〜1987,6)
浅田美代子(水曜アシスタント、1986,10〜1987,6)
冴木杏奈(水曜アシスタント、1987,7〜1988,3)
関根勤(水曜担当(1987,7〜1988,3)、金曜担当(1988,4〜1989,3))
井森美幸(水曜アシスタント、1988,4〜1990,3)
財前直見(水曜アシスタント、1988,4〜1989,?)
鷲尾いさ子(水曜アシスタント、1989,1〜1990,3)
吉田由紀(火・木曜12代目アシスタント、1985,4〜1988,3)
池田裕子(火曜13代目アシスタント、1988,10〜1989,?)
遙洋子(木曜13代目アシスタント、1988,4〜1990,3)
浦島三和子(火曜14代目アシスタント、1989,?〜1990,3)
桂べかこ(現・桂南光)(火曜サブ司会、1988,4〜1990,3)


主なスタッフOB
井原高忠 11PMの企画者。1965年当時アメリカで放送されていた情報番組を参考に立ち上げた。
後藤達彦 初代プロデューサー。井原とともに番組立ち上げに尽力。井原が去った後は11PMを支える存在に。
横田岳夫 裏方だった大橋巨泉を司会に抜擢した功労者。金曜イレブンで釣り・ゴルフ・麻雀など遊びを番組に取り入れることにも成功。
石川一彦 後藤の後を受けた2代目プロデューサー。11PMの自由な発想を礎に「木曜スペシャル」を開始。 
菅原正豊 制作会社ハウフルス社長。「マジカル頭脳パワー」「THE夜もヒッパレ」などヒット作品多数。
赤尾健一 制作会社日企会長。「うわさのチャンネル」「お笑いスター誕生」などを演出。
景山民夫 放送作家として参加。  
矢追純一 ご存知UFO研究家。最初にUFOを取り上げたのは11PMディレクター時代。
都築忠彦 24時間テレビ 「愛は地球を救う」の生みの親。社会派名企画「巨泉・考えるシリーズ」を担当。
白岩久弥 11PM担当時は藤本義一にその演出スタイルを絶賛される。「EXテレビ」「パペポTV」でTVの新機軸を開いたが・・・。
神戸文彦 中後期の東京イレブンのエースディレクター。今も「仮装大賞」などをてがける現役ディレクター。
諏訪道彦 ディレクターとして参加。その後、東京製作局へ異動。「シティーハンター」「名探偵コナン」などの人気アニメ番組のプロデューサーとして活躍中。



11PM 11回忌法要スペシャル

1999年(平成11年)11月11日、この日の日付に11が並んだこと、また終了からおよそ満10年(数えで11年)経ったことから「11回忌法要スペシャル」が日本時間午後11:37から一夜限りで生放送され、大橋巨泉ら歴代の出演者をはじめ、有名芸能人が一堂に会した。

メイン会場の司会進行は徳光和夫で、サブ会場の司会進行は福澤朗(当時は日本テレビアナウンサー)だった。ちなみに福澤は、巨泉から「給料制か。フリーになって、ウチの事務所に来い」と突っ込まれていた。

番組開始初期(?)からの名物だったサントリーの生CMを再現した(ちなみにCMの内容は「サントリーのワインで21世紀を祝おう」だった)。

法要SPでは赤坂プリンスホテルのロイヤルホールでパーティー形式で開催され、過去の11PMの映像を振り返るトークを中心に、千堂あやかのストリップショーや爆笑問題の漫才などのイベントも行われた。

番組の最後に、巨泉、愛川、藤本の三人がトーク。日本のテレビ番組に対して苦言を呈していた。

11PM現役スタッフであった菅原正豊率いるハウフルスが制作を担当した。

飯島直子(11PMオープニング)
http://www.youtube.com/watch?v=VklF6TjwYv4

( ゚Д゚)親に怒られながらこっそり見てた記憶が・・・・

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