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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのピンクレディー

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ピンク・レディーは、1970年代後半、日本で最も人気のあった歌手、アイドルユニット。多くの楽曲を阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。

ミー(現: 未唯、本名: 根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身 )とケイ(現: 増田惠子、本名: 桑木啓子(旧姓: 増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身 )の2人組。



来歴
常葉高校(現・常葉学園高校)卒業後の1976年8月26日にシングル『ペッパー警部』で歌手デビュー。中学、高校時代に同級生だった二人は”クッキー”というデュオを組み歌手を目指していた。デビューのきっかけとなった『スター誕生!』出演時は、二人おそろいのオーバーオールを着用し、素朴な雰囲気を醸し出していたのである。

しかし、増田恵子(ケイ)は素朴な田舎っぽいイメージはオーディションに受かるための作戦で、歌って踊れる歌手を目指していたといっている。当時のテレビ局関係者には素朴な田舎娘だったとの印象が今でも強いらしく、フォーク歌手を目指していたと語られることが多い。

しかし歌手デビューに際し、全く異なるキャラクターに変身させられることになった。手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装。リズムやビートを強調した曲調。大胆に太ももを開いたりする激しくセクシーなダンス。郊外の田園風景が似合う素朴な二人組が、アメリカのショー歌手も顔負けの派手な歌謡デュオになったのである。ちなみにピンク・レディーとは有名なカクテルの名前に由来する。

同様の歌手としては1970年代前半に人気を博した山本リンダなどの前例もあるが(ちなみに山本の曲も阿久悠・都倉俊一コンビ作が多い)、山本などが“大人の女”の色気を売りにし背景に夜の闇を感じさせたのに対し、ピンク・レディーは夏の浜辺のような明るく健康的なムードなのが対照的だった。デビュー直後にはキワモノ的な見方もされたが、まずは当時の子供たちが振り付けを熱心に覚えて真似をし始めた。

そのため山本リンダに代表されるかつてのセクシー歌手とは対照的に、老若男女に幅広く人気を獲得することに成功。レコードが大ヒットするだけではなく、自転車や文房具などさまざまなキャラクターグッズが販売され、総合的に巨大な経済効果が発生することになった。1970年代前半の人気アイドル天地真理を超え、時代を象徴するスーパーアイドルになったと言える。1978年のブロマイドの年間売上成績でも人気No.1に輝いた。 また『サウスポー』のように、男女の恋愛を直接のテーマとしていない曲も、当時の歌謡曲には見られない特徴的なものだった。

2年ほど早くデビューしていたキャンディーズと比較されることが多いが、キャンディーズは基本的に同世代の青年男性に支持されており、古典的なアイドルだったと言える。一方でピンクレディーは小学生女児など女性にも非常に人気があり、男女両性から人気を得ていたのが対照的である。レコード売り上げなどはピンクレディーの方が圧勝していた。

オリコンで連続9曲1位、5曲連続ミリオンセラー(オリコン)、10曲連続ミリオンセラー(出荷)は、当時の新記録。シングル首位獲得週数63の記録は現在もまだ破られていない。(2005年現在)

人気としては1977年〜1978年が絶頂期と言えるだろう。人気ロックグループサザンオールスターズのデビュー曲『勝手にシンドバッド』は、沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』のもじりであることは有名(それ以前に『8時だヨ!全員集合』で志村けんが「勝手にシンドバッド」というギャグを披露しており、サザンは志村をパクったとも言える)。両曲とも1977年の大ヒット曲であり、この時期のピンク・レディーがいかに巨大な存在だったかを物語っている。『渚のシンドバッド』は歌詞に「セクシー」という言葉が登場するが、これは日本のメジャーな歌謡史上で初めて「SEX」という言葉が使用された例だとされている。それでいて歌全体に淫靡なムードが漂わない辺りが、ピンク・レディーというグループの独特な個性だったと言えるだろう。

当時フィーバーやアパッチなど、ピンク・レディーの亜流といえる歌謡グループが複数登場したのも人気を物語るエピソードである。余談だがアパッチには荻野目慶子・洋子姉妹の上の姉が在籍していたと言われる(慶子は次女、洋子は三女)。

ただし人気絶頂の時期に『NHK紅白歌合戦』出場を辞退して日本テレビ系の裏番組に出演したり、アメリカに進出して日本のマーケットを留守にしたりしたことが、結果として人気に悪影響を与えてしまった。当時の『紅白歌合戦』は文字通りの国民的お化け番組であり、ピンク・レディーが出演した裏番組は惨敗する結果になった上、NHKとの関係にも遺恨が残ったと言われる。

アイドル歌手では一般的なことだが、活動方針やイメージ戦略などはピンク・レディー本人(ミーとケイ)が立案しているのではなく、所属事務所など周囲の関係者が行っていた。ミーとケイは、デビュー当時は寝る間もないほど仕事をさせられていたため、自分たちの人気度が全く分からなかったと言われる。爆発的な人気が出た後には、前述の紅白辞退やアメリカ進出で負の遺産を背負い込まされることになり、自らの意志とは別の次元で悲劇的な運命に翻弄されることになった。

1979年頃から人気は急速に下り坂になり、1980年頃にはすっかり過去の人気者扱いになっていた。そして1981年、雨の後楽園球場で解散コンサートを開催するに至る。活動期間は4年半強。

現在は、それぞれ女優やタレントとして活動している。また、「愛のエプロン」では、未唯・増田双方とも抜群の料理テクニックを披露している。

二人でテレビ出演するときは、増田はピンクの衣装・未唯はブルーの衣装で登場することが多い。これは現役時代から現在に至るまで見られ、増田自身がピンクの衣装が大好きであるということも大きく影響している。


略歴
1971年、中学2年の時、ケイがミーの在学する中学校に転校し、演劇部に入ったことで2人が知り合う。
1973年、ヤマハミュージックスクールに通い始める。
1974年、結成。元々は「クッキー」というフォークユニットだった。
1976年、日本テレビの「スター誕生!」にて合格、デビュー。
1977年〜1978年、日清食品日清焼そばU.F.O.のテレビCMに起用される。
1978年、「UFO」で日本レコード大賞受賞、「サウスポー」で日本歌謡大賞受賞。
1981年、解散。
1984年、再結成。
1990年、再々結成。
1996年から1997年にかけて、再々々結成。
2002年、パチンコ「CRピンクレディー」(大一商会)が当時過去最大の売り上げを誇ったほど大ヒット。後の再々々々結成へのきっかけとなる。
2003年、再々々々結成。同年から2年間限定で、「PINK LADY TYPHOON〜AGAIN〜」と題した全国ツアーを実施する。
2004年音楽番組ミュージックフェアにて平成の国民的アイドルモーニング娘。と夢の国民的アイドル同士の共演が実現した。ただし未唯はハローモーニングの初回にゲスト出演している。
2005年、コンサートツアー終了とともに活動に終止符を打つ。今後の再結成の予定はない。
2006年、女性グループのオリコン一位曲数最多記録をモーニング娘に破られる



シングル曲
ペッパー警部(1976/8/26)
阿久悠は、曲名をドクターペッパーより引用してる。『007 死ぬのは奴らだ』と『007 黄金銃を持つ男』に出てくるペッパー保安官(後に警部)とは関係ないもよう。大胆に股を開く振り付けは当初は下品とマスコミ関係者に不評であった。B面の乾杯お嬢さんも人気であり、B面はキャンディーズを意識した楽曲でもあった。オリコン枚数60万枚、出荷枚数105万枚。2006年には、中国人デュエット「西遊妹妹」が中国語バージョンでカバーした。
S・O・S(1976/11/25)
テスト盤のイントロにはモールス信号が入っており、ラジオでは一時期放送を自粛した局もあった。LPバージョンは通常販売盤もモールス信号が入っている。初のオリコン1位。B面のピンクの林檎も比較的人気であった。現在の再結成ツアーでもB面のリクエストNo.1である。
カルメン'77(1977/3/10)
この曲あたりから激しい振り付けが増えてゆき、さらなるインパクトがつけられた。
渚のシンドバッド(1977/6/10)
初のオリコン上におけるミリオンヒット。
ウォンテッド(指名手配)(1977/9/5)
簡単な振り付けが子供たちの間に広まり、振り付けの真似がはやるきっかけとなる。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がライヴで演奏したこともある。
UFO(1977/12/5)
オリコン枚数155万枚、出荷枚数195万枚。ピンク・レディー最大のヒット曲(オリコン枚数、出荷枚数共に)。
サウスポー(1978/3/26)
当時まだ珍しかった「オリコン初登場1位」を達成。歌詞中には同時代のスターであった王貞治をイメージした打者が登場する。→参照
モンスター(1978/6/25)
出だしから「ワハハハ・・・」という不気味な悪魔の声に、二人が「キャー!」と叫ぶイントロが話題に。
透明人間(1978/9/9)
三角ブラとホットパンツを基調としたシースルーの衣装が話題に。B面は飛べ!孫悟空の主題歌「スーパーモンキー孫悟空」。
カメレオン・アーミー(1978/12/5)
オリコンにおいて、初登場88位→翌週1位という珍記録達成。正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため。
ジパング(1979/3/9)
デビュー曲以来続いた出荷枚数の連続100万枚突破記録、「S・O・S」以来続いたオリコン連続1位記録が途切れる。
ピンク・タイフーン(In The Navy)(1979/5/1)
ヴィレッジ・ピープルの「In The Navy」をカヴァー。
波乗りパイレーツ(1979/7/5)
B面の「USA吹き込み版」は、ビーチ・ボーイズがコーラスに参加した意欲作。
KISS IN THE DARK(1979/9/5)
全米デビューシングル。ビルボード誌の「HOT 100」で37位にランクインした。
マンデー・モナリザ・クラブ(1979/9/9)
売り上げこそいまいちだったが曲の完成度の高さはファンの間で定評がある。
DO YOUR BEST(1979/12/5)
愛・GIRI GIRI(1980/3/5)
世界英雄史(1980/5/21)
うたかた(1980/9/21)
リメンバー(フェーム)(1980/12/5)
ラスト・プリテンダー(1981/1/21)
OH!(1981/3/5)
以上22曲

また、未唯(当時はMIE)は「NEVER」(TBSテレビ系「不良少女と呼ばれて」主題歌。)を、増田は「すずめ」を、それぞれソロでヒットさせた。

再結成後ピンク・レディーとして「不思議LOVE」(レーベルはVAP)、再々結成後「2年目のジンクス」という新曲を発表。




再々々結成後
PINK EYED SOUL(1996/11/21) - シングルとしては不思議LOVE以降12年ぶりの新曲(レーベルはビクター)



再々々々結成後
テレビが来た日(2003/5/2) - NHK「みんなのうた」



テレビ作品
飛べ!孫悟空
ドリフターズに似せた人形が演じる人形劇。ピンク・レディーは主題歌と劇中歌を歌った。劇中歌は持ち歌の替え歌が多かった。
ピンクレディー物語 栄光の天使たち
1978年10月24日-1979年6月26日に東京12チャンネル(現: テレビ東京)で放映されたアニメ作品。全34話および前夜祭1回と総集編2本からなる。「本人達にあまりにも似ていない」と不評であったため、シリーズ途中でキャラクターデザインをやり直したという逸話がある。
ピンク百発百中
ハローピンクレディー
たまりまセブン大放送!
走れ!ピンク・レディー
UFOセブン大冒険!
ザ・チャンス!
「飛べ!孫悟空」の後番組として、放送開始からしばらくの間はピンク・レディーが司会だったが、アメリカ進出の間の代役だったはずの伊東四朗(なお、伊東の前の司会役は湯原昌幸だった)が結局そのまま司会の定位置におさまることとなった。おなじみのフレーズ"Now Get a Chance!"も、ピンク・レディー司会の時代から引き続き使われていたものである。
Pink Lady And Jeff (アメリカNBC)



ピンク・レディー公式サイト
http://www.pink-lady.info/top.html

ピンク・レディー親衛隊公式サイト
http://www.pinklady.org/



ピンクレディー UFO
http://www.youtube.com/watch?v=h36KKoz1xWU

ピンクレディー ペッパー警部
http://www.youtube.com/watch?v=X2mSKx4swV0

ピンク・タイフーン
http://www.youtube.com/watch?v=o9tj4ERZeD8

カルメン'77
http://www.youtube.com/watch?v=A8Gy9xdxhNI

KISS IN THE DARK
http://www.youtube.com/watch?v=UCAhUvlLv98

渚のシンドバッド
http://www.youtube.com/watch?v=7ZCh-6NeKfo

ピンクレディー 22年後のサウスポー
http://www.youtube.com/watch?v=4Aks1DXyezE

コメント(7)

私もピンクレディ好きでした♪
シングルレコードは今でも持ってます、
子供の頃、新曲が出ると親にねだって買ってもらっていました。
結構B面にも良い曲がありました。
そして!!
私もアニメの「ピンクレディ物語・栄光の天使たち」を
楽しみにしていました。
それを見てから習字教室へ行くのが
放送日の日課でした。
ミーちゃんて、足を広げるフリがある時、
「ガバッ」とよく広げちゃうなぁって
周りの女の子はみんなそう言っていたんですけど、
今から見ればそんなに広げていませんでした。
当時、そう見えたのは何故なのかな?と不思議です(笑)
youtubeでスタ誕時の画像もありましたが
非常に初々しいです♪
小学校の時に手に入れた「シャワラン」のCM用の下敷きが今でも実家の机の中に眠ってますw

私はミーちゃん派でした(・∀・)
>〜Leonora〜 さん

確かにそうですね、
ミーちゃんがすごく足を広げるように見えたのは
ケイちゃんの踊りの甘さからそう見えたように
私も大人になってから思いました。
スタ誕のの決戦大会(チャンピオン大会?)で歌っていた曲、
誰の歌か知らないんですが、曲自体も爽やかですよね。
ここでは関係ないですが、スタ誕の決戦大会の中森明菜も
初々しいですよ。百恵ちゃんの歌で。(笑)
>〜Leonora〜さん

今度実家に帰ったとき、探し出して写真UPしますよ。

>りさをさん

そういえば、私も「モンスター」のドーナツ盤が実家にあります。
プレイヤーがイカレてて、もう聴けないのが寂しいですね(´・ω・`)

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