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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのドラえもん

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ドラえもんは、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』を原作とする、テレビアニメである。本項では1973年に放映された日本テレビ版テレビアニメについて記述する。

1973年4月1日〜9月30日、日本テレビ系列日本テレビ、日本テレビ動画制作/全26回
「旧ドラ」と呼ばれる。1973年4月1日に「出た!! ドラえもんの巻」を第一話として始まった。漫画版に大胆なストーリーアレンジを加えたり、幻のキャラクター、ガチャ子が登場したりする。日曜夜7時からの30分番組というゴールデンタイムの放送にも関わらず、当時の裏番組に、視聴率が高かったアップダウンクイズ(毎日放送制作、NET系列)やマジンガーZ(フジテレビ系列)。そして三波伸介の「減点パパコーナー」が人気だったお笑いオンステージ(NHK)、のちの映画転校生と同じ原作をアレンジした子供向けSFドラマへんしん!ポンポコ玉(TBS制作、朝日放送系列)等という強力な番組があり、人気が今一つであったものの、それでも続投の予定があった模様。しかし、2クール終了間際に制作会社の社長が辞任して会社が消滅、同年9月30日の「さようならドラえもんの巻」を最終話とし、半年で終了になった。更には製作した日本テレビ動画が本作製作直後に解散したためフィルムの権利が不明となった。当時のスタッフによるホームページには、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず廃棄処分され、当時のスタッフが個人的に所有しているもの以外現存しない事が明らかにされている。

原作者である藤子が自分の原作と明らかに異なる雰囲気を持った本作を好ましく思っていなかった事や、藤子プロが、大ヒット番組となったテレビ朝日版放送開始後は、本作に関する一切の記述等を最低限のものを残して露出させない方針を示したため、再放送はテレビ朝日版放映が始まる1979年までの5年余りの間に数度あったのみで、以後一切再放送はされていない。

このような事実上の封印措置と、制作会社の消滅という事象が重なり、状況で現在はネガはもとよりコピーポジフィルム保管先も不明(散逸しスタッフが所持しているものもあるが事実として、廃棄されたものも多い)といえる状況であり、情報が極端に少なく、事実上幻の作品とも言える(オフィシャル側が、大山のぶ代らを初代声優陣としているのは、このためとも思われる。また日本テレビ版でジャイアンを演じ、シンエイ版でスネ夫を演じた肝付兼太は前者を白黒作品と勘違いしている)。

このように現在この作品をソフトメディアや再放送などで視聴することは極めて困難な状態であるが、ラッシュフィルム及び本編フィルムのうち数本は、先述の元スタッフが個人的に保管していた。現在これらはファンクラブの集いなどで上映されているので、ファン集会に参加することで視聴することが可能である。なお、2005年秋頃からネット上で出回り始めたオープニング映像は、このフィルムを保持していた元スタッフが、パスワード制のホームページで公開していたものが無断で転載され、流出したものである。

現在放送中の第2作に比べて色指定のコントラストが穏やかであった。これは、当時のアニメが一度32mmフィルムで撮影し、その後、16mmコピーポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は、直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。

最終回ではドラえもんは未来に帰り、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わる(過去に3本描かれたドラえもん最終回のうち、2番目に発表された話のアニメ化だが、このエピソードは単行本未収録。なお最終回が3本あるのは学年各誌に連載していたため。なお、学年誌は、「読者が進級する毎年3月号が最終回で、新読者が読み始める4月号が第1話」という約束事があり、3本の「ドラえもんの最終回」もこの法則に則って描かれた物語であるため、実際には連載は終了していない)。

現在でも入手可能な唯一の旧ドラ関係物品は主題歌CD(コロムビアミュージックエンタテインメントより発売中の、当時のアニメ主題歌オムニバス集に収録されている)のみである。また、当時のアニメ映像は個人的に録画し流通したもの以外残っていない。

この日本テレビ版ドラえもんを制作した日本テレビ動画は、日本テレビ系列で放映されたこともあって日本テレビ放送網の関連会社のようなイメージをもたれるだろうが、実際には日本テレビとは無関係の会社で、かつては東京テレビ動画という社名であったようである。

以上のように現在では、テレビ朝日版が唯一のアニメ版とされることが多いために、ドラえもんの初代声優は大山のぶ代とされているが、フジテレビ「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」内でドラえもんに関するトリビアの補足の中で「野沢雅子がドラえもんの声優をやっていた」と紹介された際、日本テレビ時代を知らない視聴者からテレビ朝日に問い合わせが来たという逸話もある。この時、ドラえもんが日本テレビで放送されたことを初めて知った者も多い(但しこの時、「初代は野沢雅子」と誤った内容で放送されてしまった。下記にもあるように、初代は富田耕生で、野沢は2代目)。

また、現在一部日本テレビ系列局で、テレビ朝日版を放送している局もいくつかある。

初期OP
http://www.youtube.com/watch?v=G4p_g31VEwA&eurl=

ドラえもん:富田耕生→野沢雅子(富田は、のび太の海底鬼岩城でポセイドンの声を、野沢は、のび太の宇宙漂流記でログの声を担当) 
野比のび太:太田淑子(太田は後にシンエイ版でセワシの声を担当)
しずか:恵比寿まさ子
ジャイアン:肝付兼太(肝付は後にシンエイ版でスネ夫の声を担当)
スネ夫:八代駿
のび太のママ:小原乃梨子(小原は後にシンエイ版でのび太の声を担当)
のび太のパパ:村越伊知郎
スネ夫のママ:高橋和枝(高橋は後にシンエイ版で黄色いドラえもんの声を担当)
ガチャ子:堀絢子
セワシ:山本圭子
我成(がなり)先生:加藤修(現:治)→雨森雅司(加藤は後にシンエイ版でも先生の声を担当)
ボタコ:野沢雅子
デブ子:つかせのりこ
ジャマ子:吉田理保子


漫画の連載開始から3年後の1973年にアニメ化し日本テレビ系列で日曜夜7時枠で放送されたが、裏番組に視聴率的に押され、わずか半年で終了してしまった。それから6年後の1979年に再アニメ化しテレビ朝日系列で放送され、徐々に視聴率も上昇し、今や人気アニメとなった。再アニメ化から26周年を迎えた2005年にリニューアルし、キャスト・スタッフが大幅変更された。本項では1979年から放映されたテレビ朝日版について記述する。

概要
1979年4月2日に月曜〜土曜の10分番組としてテレビ朝日(関東ローカル)で放送開始。その後、1979年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された(後の朝日放送制作のアニメ枠に当たる)。制作はシンエイ動画。

なお、前述の当初関東ローカル放送だった10分帯番組は、1979年10月1日より北海道テレビおよび静岡けんみんテレビ(現・静岡朝日テレビ)でも放送を開始し、九州朝日放送など数局では1980年春より放送を開始した。

日本テレビ版終了以降の『ドラえもん』の映像化権は、自動的に日本テレビ動画から東京ムービーへと移動していた。そして1976年に東京ムービーの下請けをしていたAプロダクションがシンエイ動画として独立した際に記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権をシンエイ動画へと譲渡。しかし、日本テレビ版の作品が事実上の失敗に終わっていた事もあり、テレビ放送にこぎ着けるまでにはかなりの苦労があったらしく、殆どのテレビ局がこの作品の再アニメ化に難色を示したという。

この作品の第1話は最初からドラえもんが登場している『夢の町ノビタランド』からスタートし、まるで日本テレビ版の続編を意識した様な形がとられている。尚、ドラえもんが初めてのび太の前に現れたエピソード『未来の国からはるばると』は、翌年の正月の特番として放送された。

短編をアニメ化し毎週放送した。途中からは原作にないオリジナル作品もつくられるようになった。年に数回、1時間から2時間、大晦日には3時間ほどの特番があり、中編のアニメ化や、短編の再放送、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。

アニメでは、のび太の家の住所がはっきりと映ったことがある。

「ぼくドラえもんです」や「ふふふ」をはじめとしたドラえもんの声が個性的で、声優をつとめた大山のぶ代は度々テレビなどに出演しドラえもんの声を披露した。

音楽を担当した菊池俊輔は主題歌・挿入歌のほか、20年以上にわたってテレビシリーズと劇場版のBGMを手がけた。CDとして商品化されたのは、ごく一部の楽曲のみである。

一回に放送する話の数は1984年まで3話だったが同年以降は2話(これに伴い、1話6分→1話10分へ)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月までは1話だけが新作で他は再放送である(ただし、87年後期や93年前期は2話とも新作を流していたときがあった。)。なお、30分バージョンが日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分はすべて10分バージョンの再放送であった。

1980年1月1日のスペシャルでは、「タイムマシンでお正月」という原作にはない脚本だけによる話が初めて放送された。 レギュラー放送でテレビオリジナルの作品が放送されるのは、1991年10月11日放送の「ラッキー砂時計」が最初。

一度アニメ化した話を再びアニメ化または映画化(リメイク)した話がある。初のリメイクは、1985年放送の「オオカミ一家を救え!!」。以下に例を示す。

「オオカミ一家」(1979年放送)と「オオカミ一家を救え!!」(1985年放送)
「どくさいスイッチ」(1979年放送)と「のび太は独裁者!?」(1995年放送)
「タイムふろしき」(1979年放送)と「とんだタイムふろしき」(1996年放送)
「ドロン葉」(1980年放送)と「泣くな、ベソ!!」(1987年放送)
「おばあちゃんのおもいで」(1979年放送)と「おばあちゃん大好き」(1986年放送)と映画「おばあちゃんのおもいで」(2000年劇場公開)
「ぼくの生まれた日」(1979年放送)と「のび太誕生」(1989年放送)と映画「ぼくの生まれた日」(2002年劇場公開)
「森は生きている」 (1980年放送)と「森は呼んでいる」(1991年放送)
「うつつまくら」(1980年放送)と「うつつ枕で天才少年」(1992年放送)
「のらイヌたちを救え!!」(1980年放送)と「のら犬「イチ」の国」(1987年放送)と映画「のび太のワンニャン時空伝」(2004年劇場公開)
「まどけしききりかえ機」(1980年放送)と「あの窓にさようなら」(1986年放送)
「雪山のロマンス」(1981年放送)と「雪山のプレゼント」(1989年放送)
「帰ってきたドラえもん」(1981年放送)と映画「帰ってきたドラえもん」(1998年劇場公開)
「のび太の結婚式?!」(1981年放送)と映画「のび太の結婚前夜」(1999年劇場公開)
「魔女っ子しずかちゃん」(1981年放送)と「魔法使いしずかちゃん」(2005年3月4日放送)
「ドラえもんに休日を 」(1985年放送)と「ドラえもんに休日を?!」(2005年3月18日放送)
「南海の大冒険」(1991年放送)と映画「のび太の南海大冒険」(1998年劇場公開)
大山のぶ代ら旧声優陣5人の最初のドラえもん(テレビ朝日版)のアフレコ作品はパイロットフイルムの「勉強べやのつりぼり」、一番最後のアフレコ作品は「ドラえもんに休日を?!」である。「勉強べやのつりぼり」はリニューアル後の新声優陣でも最初のアフレコ作品となった。旧声優陣のドラえもんは全1787話制作された。「気球で世界一周を」(1988年4月5日放送)のように特番用のために作られた話も数えれば、1814話に達する。

なお、このパイロットフィルム作成の際、しずかちゃんの呼び方に対して、原作ではほとんどの場合「しずちゃん」であるのに対し、声優陣から「音にすると響きが悪い」という意見が出され、以降、旧声優陣の間はすべて「しずかちゃん」で統一されていた。

2005年3月までの日本における最高視聴率は1983年2月11日、「オンボロ旅館をたてなおせ」「テストロボット」「鏡の中の世界」の回で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。しかし少子化などの影響で視聴率は年々低下する傾向にあり、日本テレビ系列ほかの『ぐるぐるナインティナイン』などに視聴者を奪われたこともあって、2000年代に入ってからは10%台前半で推移している。

東南アジアにおいては視聴率が70%を超えることもざらにあるという(朝日新聞1998年10月2日夕刊の木村純一プロデューサーの発言による)。

1979年放映スタートから1話6分時代は各話終了後に、ドラえもん1人が登場する(のび太登場の時もある)5秒程度の声なし、音はBGMのみのアイキャッチと思われるミニアニメがあった。

1992年3月4日に水曜特バン!で放送された、「春一番!日本一のアニメ祭り」にて、ドラえもんのキャラクターらが、「21エモン」「おぼっちゃまくん」などのキャラクターとトークする番組が放送された。これは、製作会社の枠をこえて製作されたアニメ特番だった。この回ではドラえもんの中から1話「ぼく、失恋しちゃった」(1982年10月22日放送)が放送された。 また、この企画は翌年も放送され、1993年3月3日には「クレヨンしんちゃん」「セーラームーン」「クッキングパパ」などのキャラクターが集まり、このときは花見形式でトークする内容だった。この回でもドラえもんの中からは「3月の雪」(1982年3月5日放送)が放送され、VTR終了後にこの話に感銘した荒岩一味から手作りの差し入れを他のキャラクター達に渡している。


放送時間
1979年4月8日 - 1980年3月30日
日曜日8:30-9:00
当初この時間に放送されたが、当時はまだ週休1日制で日曜日の起床時間が遅い家庭が多かったが、日曜の朝に高視聴率アニメ番組が登場し、子どもが挙って見るようになった為、親からTV局に対する苦情が殺到した。その為、翌年より1時間繰り下げて放送される事になったエピソードがある。
1980年4月6日 - 1981年9月27日
日曜日9:30-10:00
『ドラえもん』が金曜日に移行した後は、放送枠は忍者ハットリくん・パーマン(新版)・オバケのQ太郎(新版)に引き継がれた。
1981年10月2日 - 1987年10月9日
金曜日19:00-19:30
1987年10月23日 - 1989年3月31日
金曜日18:50-19:20(後続のニュースシャトルの影響)
1989年4月14日 -
金曜日19:00-19:30
このほか、テレビ朝日など一部の局では初期に10分間の帯番組が放送された。

帯番組(1979年4月2日 - 1981年9月23日)
土曜日18:50 - 19:00
全国ネットの野球中継による放送休止の例は、他のアニメ番組と比較して極めて少ない。これはこの番組の後に放送されているミュージックステーションが生放送であるため、天候によって左右されるプロ野球中継を編成しにくいと思われる。但し、天候に左右されない世界水泳や、サッカー日本代表親善試合が編成される時は休止となる。また、近年は、改編期にカラオケ特番や、クレヨンしんちゃんスペシャルが組まれる事が多くなり、改編期は2〜3週連続で休止になることもある。

OP色々
http://www.youtube.com/watch?v=9ykZUhypBLA

http://www.youtube.com/watch?v=vPWoHfbGUzo

http://www.youtube.com/watch?v=KA5xBadZMEI&mode=related&search=

コメント(2)

ドラえもんが大好きです⌒∇⌒/

長い文調べて書いてお疲れ様。。。

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