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コメント(4)

 (少し編集していますが)。
問答形式の著書からの引用です。

現在の権力に対抗する少数派は、どうしても、強いまとまりがなければならない。
そう考えがちだ。だから団結という言葉が生まれる。
その団結力を守るために、どうしても内部を権力的に支配する。
権威的にまとめようとする。
自分たちが少数派であればあるほど、強い団結で対抗しようとする。
だから権力に対抗する組織は現実的に革命を起こす場合には、より権力・権威的になる。
権力自体を否定しなければいけないのに。
例えば、非暴力運動のように。
現実的に新しい体制を作りえないが、
向かうべき方向を示し、自らがどれだけ権力に屈しないかをたしかめることができる。

 
そうだな、正直にいうと神はもう信じていない。
神は死んだ。科学によって殺されたのだと思う。
だが、その狂気から覚めて思うよ。
狂い続けていたほうが良かったんじゃないかってね。
神が死んでも、人間の中に狂い続けたい気持ちがある限り宗教は死なない。
西洋でいえば、イエスが発明した画期的な神が曲解されたまま死んだ後・・・。
気まぐれな神々をあがめ、官僚的で無責任な倫理に沿い、
違う部族を差別し、凶暴さを向ける・・・古代の宗教を探し求めるのさ。
愛国心は、宗教でも狂気でも、集団ごとの精神疾患でもないと思われてる。
誇りを失い、劣等感の塊になり、絶望する人々は、人工的な狂気による集団治療を求める。
攻撃性を他に向け、他民族を蔑視し、
自分自身の生い立ちや人生の中でこびりついた無力感を、麻痺させようとする。
いまも、反発したいだけの感情の矛先に、その妄想を利用する人々がいる。
 

ぼくたちは、一つの組織だけに属しているように感じている。
そして組織なしには自分がないように思う。その逆に、自分たちなしには、組織はありえないとは思わないんだ。
そして、組織を、有機体のように考えてしまう。組織が生きて行動するかのようにね。
しかし、組織の意思なんてない。
一人一人の人間しか、意志も、感情も持たないものなのさ。
一人一人の人間が行動しなければ、組織だけが自分で行動することはない。
組織の意思とか行動と呼ばれるものは擬人化していているだけのことなんだ。
実を言えば、誰かの意思なのだ。
一人一人は理想も目的も持ちうるけれど、組織にはない。
それなのに個人がいつのまにか、組織の原理のために、自分が犠牲になってしまってもいいと考えてしまう。
いや、組織の名のもとに、お前は犠牲になれと、要求もされる。
「くるいきちがい考」より


精神病者をとじこめておけ、という欲求は実に根強いもんだ。
それもあたりまえ、多くの人たちは、とじこめておかなければならぬものを、
クルッタものと呼びかえているだけなんだから。
だが、精神科の医者をしてきたぼくは、
こうしておそれられた人たちと暮らしてきたわけだけれど、
暴力によっておびやかされたことは、ほとんどない。
むしろ、暴力に対するおそれの方が、現実に必要な程度を越えて、
異常に肥大してしまっているように感じるほどさ。
ぼくたち、過程という「見たて」をもっていて見るものは
一般の人たちより広い範囲まで拡大して病気を見ようとするのだがね、
そのように見た方がおそれの感情を肥大させないですむようだ。
――確かに、ぼくたちが、クルッタ人間を前にした時、
まず感じるのは、強い警戒心なんだな。
同情心などよりも、まずおそれなんだな。そのことは、たしかですよ。

 
病気として、自分をとらえたものは、それを解決するために、
病気の前の状態にもどるわけにはいかないということさ。
自我の確立のために、一歩、前に出なければならない。
神経症の人間は、自分が平均でない、ふつうでないことを悩む。
だが、そのうちに人間いろいろあるんだ、人間みな同じじゃない、
と認識するようになる。
つまり自分は、他人とくらべてちがっていることを悩むべきではない。
自分がこうあるべきだと思われるものとの差を悩むべきだ、と考えるようになる。
すると、悩みは少なくなる。
もちろん、自分を進歩させようとすれば、悩みはなくならない。
だが、悩んで当然なのだと考えるのだから、あえて悩もうとする。
病気は、人間を悩みで押しつぶす一面もあればそうした悩みをとおして
成長させる要素も持っているんだよ。
病気のあるものは、生まれいずる悩みのようなものなんだ。

 
平均にひたって、自分には問題そのものがないことにした人たちは、
平均から逸脱したものを憎む。
他人と画一化しようと努力する。
自分のような人間にしようとする。
自分のようでない人間に、いちじるしく不寛容だ。
その人たちが、クルッテイルと、ぼくはいわないよ。
しかし、その人たちは、画一化されない人間をクルッテイルと見なす。
ぼくとしては、そういう人の多い社会を、なんとか、
もう少し寛容な人間の多い社会にしたいとは思っているわけだよ。

 

 私たちの社会では、愛という言葉が大変に好きのようです。
この言葉に、いったい一生の間どれだけめぐりあうことでしょう。
しかし、愛という言葉は好きでも、自分が愛することはきらいのようです。
そして、人が愛するのを見るのもきらいなようです。
 愛というものは、破壊的であり、腐蝕的であるからです。
愛が道徳的秩序に対立するものであることぐらい、
わかってよさそうなものですが、
愛という言葉を愛するだけ、愛という言葉を歌うだけでは、
それに気づかないのでしょう。
 私たちは、体制的な秩序の中にとじこめられています。
そして、一人一人のふれあいをはばまれているのです。
私たちの内側にある分別というものが、おのれの枠からとびだそうとするのを押えています。
そして、その分別から、私たちを解放し、私たちのまわりをとりまき、
へだてている障壁を乗り越えさせるのが、愛の衝動です。
愛は、体制的な秩序の作る枠をどれだけとびこえさせるか、
という跳躍力によってのみはからるべきなのです。
 そして、そうした破壊力や腐蝕力、跳躍力をおそれる人々は、
愛を神話の世界の中にとじこめておこうとしか考えません。

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