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クリシュナムルティコミュの「見るものは見られるものだ」

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「見るものは見られるものだ」

Kの講話や日記に、繰り返し出て来るこの言葉は
Kの哲学の神髄のように思えます。
最もシンプルで、最も難解な教えかもしれません。

「あなたは世界だ、世界はあなたなのだ」
「知るものは、知られるものだ」
様々なバリエーションがあります。

いったいどういう意味でしょう。
あなたの考えを御聞かせ下さい。

コメント(347)

「見るものは見られるもの」というのは
思考者の幻想性を指しているだけのものと思っていたけれど、
認識そのものを知る道理でもあるんですね。

「認識された現象によって認識が成立している」
と道元も云っている。

> 308 こよさん
「見るものは見られるものだ」という洞察は、
主体と客体、自己と非自己、見るものと見られるもののあいだに
どんな境界もない、というシンプルな事実を示していると思います。

ここから先は、こよさんと見解が違うかもしれません。
ケン・ウィルバー「無境界」から引用します。
以下の文章で「原初の境界」とは自己と非自己の境界をさしています。
宇宙意識や至高のアイデンティティと呼ばれる概念を、
彼は「統一意識」と呼んでいます。
_______________________________________

無境界の自覚である統一意識のなかでは、自己感覚が拡大し、かって非自己と思われていたあらゆるものがそこに含まれる。アイデンティティ感覚が全宇宙すなわちあらゆる世界に移行し、高次も低次も、顕在も非顕在も、聖も俗も含まれるのである。もちろん、自己と宇宙を分離させる原初の境界をまちがって実在するととらえているかぎり、これは実現されない。だが、原初の境界が幻想であることが理解されれば、すべてが自己感覚に含まれるようになる。もはや自分自身の外には何もなくなり、境界を設けられなくなってしまうのである。このように、原初の境界を看破しさえすれば、統一意識という感覚はそれほどかけはなれたものではなくなってくる。

原初の境界を探すとは、体験と感覚から切り離された分離した自己、分離した体験者と感覚者を注意深く探ることである。そして、この「自己」を注意深く探っても、それを見いだすことはできない、とわたしは示唆しているのだ。統一意識のおもな障害となっているのは、自らを個別の自己とする感覚である。となると、それを探し、見いだせないということは、同時に統一意識そのものをかいま見ることになる。仏教の偉大な賢者パドマ・サンバーヴァのことばに耳を傾けてみよう。「探求者自身を探し、見出せないときには、そこで探求の目的が果たされる。そして、同時に探求そのものも終わる」
_______________________________________

どう思いますか。
>龍さん

長いメールありがとうございます!感激っすうれしい顔

こんな生活してるのはふつーじゃないとか、自分を通しての考えだけなわけで、事実がそこにあるだけなんですよね。

実際やるべきなのは部屋の片付け。っていうのはわかってるんだけど衝撃



突然ですが私、今夜世界が変わったんです。

2年ほど前、学校で話しかけられて、すかれてるようなかんじのコがいて。

だけど私は全然人から好かれるようなことはなく、最近でもたくさんの人が離れていったし、いつも差別やいじめの対象だったし、部屋もぐちゃぐちゃで中身ないから、「買被られてる!」って思って、遊んだりするのもしなかったんです。

がっかりされて離れていくのがただただこわかったのです。

そんなこんなで、そのコが卒業する去年、「卒業式に来てね」って言われてたのに、行かなくて。

最近自分の卒業式でチラとそのコを見て、にらまれた?ような気がして。


怒ってると思いました。


だけど、ここで何もしなかったら一生後悔すると思って、メアドもわからなくなってたけど、人づてに↑のようなことをmail toしたんです。

何日も返事はなくて、やっぱ遅いかがく〜(落胆した顔)遠く離れた県外だし向こうも自分の生活でいっぱいいっぱいで忙しかろうし、まーしょうがない そんなもんさ

って思ってたんだけど、今日mail toがあって


内容は、自分こそ私が思ってるような人じゃない、私のことはすてきだと思うよって。
卒業式来てたの!?って(気付いてなかったんかい!)ただ、会いたかったすごい会いたかった!って。


このコからしたら、たくさんすきな人たちがいて、私に対する気持ちもなんでもないものだと思う。


だけど私はそんなこと、すきな人から言われたことないっていう。感じたことはなかったから、凄く凄く涙がたくさん出ました泣き顔

よく「自信を持って!」て言われてきたけど、見た目能力ほめられても、全然自信なんてつかなかった。

おとこに追いかけられることもあったけど、その人のこと認められなかったし、性欲に突き動かされてるだけだと思って、自分の価値はあんまり感じられなかった(おとこは見た目次第だと思う)。


だけど、そのコは同性ですごくカワイくて今時で遊んでて歳も離れてて、自分とはかけ離れた存在ってかんじなんだけど、学校でも閉ざしてて浮き上がってた私を否定せず認めてくれたのが、やっぱり信じられないくらい嬉しかったし、嬉しいです。


それで私の世界が今、一部分ほんとに変わってるんです。

昨夜と違う。

冷ややかな目線や笑いものではなく、自分を知る誰かがいるという感覚。

人をいいなとかすきに思う気持ちに理由なんてないですよね。

若いのもあって、そのコは凄く純粋だし繊細に見えます。そうじゃない汚いところがあっても、それは絶対良いものだなってわかるし、自分も相手にとって、良いものって思えてもらってるのかなと思ったら、世界代わります。

疑われることしかなかったから!


>みーゆいさん 龍さん
 ちち問題衝撃はまぁやわらかいだけで、なんとかなるかなとほっとした顔
 ダイエット運動に今週いっぱい毎日行くしexclamation ×2ダッシュ(走り出す様)


私はとにかく臆病で、本に観念に逃げてきました。外の世界と内、むちゃくちゃバリア張ってきました。変なやつって思われてるのも放置。人から逃げてきました。

だけど現実に勝るものはないですね。

↑のことだけじゃなく、ポケットベル、本や音楽以上に、今日接した人がすべて。明日会う人がすべて。

私が思うより人は優しいとこあるのかもしれないげっそり

その関係の中で、相手より自分がどう接するかが大事ってKは言ってましたねウインク
私も世界を構築してる一部だから、私で傷付くひともいれば涙嬉しくなるひともいるんだうれしい顔
わからなかった

ありがとうハート達(複数ハート)


ハート達(複数ハート)
> colobockle3
それはよかったハート

相手がこう思ってるに違いないって、自分の思いを投影して、
他人の優しさを拒絶してしまうってのは、ありがちなことだよね。

「現実はつねに、それについての物語よりも優しい」(バイロン・ケイティ)

そのコが遊びに来るかもしれないから、部屋片付けようね
(^-^)/
> 今まで「共時性でなかったもの」は、なかったのかと。

そうかもしれませんね。

必然と偶然、存在と非存在(不在)、主体と客体、過去と未来、生と死。
すべての概念は人間が作り出したものであり、
言葉を通さずにあるがままを見れば、どんな対立もないのですが。

事象を細分化し、複雑化し、命名し、序列をつける。
それはひたすら現実(リアリティ)から遠ざかる行為にp、思えるのです。
見るものは見られるものだ

これは自分に置き換えたときに自分を見つめるものは自分である
実践的に言うと自分を観察するのは自分であり観察しているのに自分に観察されている
そんな奇妙な感覚
外に向かえば花を見つめている自分がいて見られている花を意識するんでしょうか
やってみると不思議な感覚に陥ります
それがどうも瞑想のようなのです
「見るものは見られるものだ」というのはおそらく単純な事実の表明でしょうね。

「見ている/観察しているわたし」(いわゆる主体)と
「観察されている花」や「観察されているわたし」(対象物、客体)との
分離こそが幻想ではないかと。
Kは同一化を否定
しながら
見るものと見られる
ものが同じだと
言いますね


見るものと見るもの
が同じだという
事が事実だとしても


それを前提にして
意図的に
物を観察しようと
すれば
それはただの逃避
なのではないかと
思います


花を見ているの
ではなく、花を
自己と同一化して
いる自分の動機と
なる感情の動きを
観察する事が
必要なのかなと
思います
おそらく、クリシュナムルティが言いたかったことであろうことを、ブーバーと道元の立場から
解釈してみました。

ブーバー的解釈

相手を本当に見るなら、言葉では呼ぶことも許されない独自の生を生きる、唯一にして
かけがいのないものとして、それ以外のなにものでもないものとして見える。
それでいながら、あくまで自分は自分、相手は相手という独自性を保っている。
それでいて、比類なき一体感で結ばれている真の関係性。 <我―汝>の関係。
このとき、相手が人間であろうと動植物であろうと、また神であっても、真の触れ合いとの
相互交流の対話が可能になっている。

道元的解釈

自分というものは、本来、存在の不思議さという真理(道元にとっては無文節な「空」における
全体性)に 根ざしたものであるけれども、この現実においては、世界を自分の目を通してしか
(主観的にしか)見られ ない。
そして、人は皆そのようにしているので自分もその中のone of themとしてこの現実にいると
いうことも自分は知っている。

従って、見られるものも自分とは独立した存在に見えることになる。

けれどもこの現象は、本質的なもの(=存在の不思議の真理)の全体性が、相互依存という
関係性で 現れたものある。
いやはや、「自己」が主体としてあることを自明の前提として理解するとは!!

いかに「自己」を小さくするか、なくしていくかが課題になっているのに!!

若干、「見るものは見られるものだ」 に対して大味な解釈になっているかと
思いますが、エクハルト・トゥーレ氏的解釈も揚げておきます。

 Thought and language create an apparent duality and a separate person where there
 is none.
 The truth is: you are not somebody who is aware of the tree, the thought, feeling, or
 experience.
 You are the awareness or consciousness in and by which those things appear.

 思考と言葉は、現象的にものを分析的に見ることにより、(本来的に)存在しない自分を
 (世界から) 分けて扱う。
 真実は、「あなた」というのは木や思考や感情、個人的体験に気づいているもの(対象を
 見る主体) ではない。
 (本来の)あなたは、それらの事柄を現象させる、(分けることのできない)気づきであり
 意識そのものである。
Zel.さんはkodekさんである

ンー、難しい(^o^)
> Zel.さん


はい、おっしゃるとおり
文章上の理解はそれほど難しくはないのですが

理解したことを身につけ実践し、それを生きることが難しい(^^ゞ

理解なしで即生きられればよろしいのですが
「ただ聞く ただ聞くことの難しさ」
ある方に頂いた言葉ですが
見るに当てはめても難しいですね
「見るものは見られるものだ」 に通じるものがあると感じております

解説をすればするほどただ見るからは外れそうで難しいですね
この書き込みも解説の一つなのですが(苦笑
クリシュナムルティの言葉は、彼の本を読んだだけでは本当に理解するのは難しく感じます。
あまり丁寧に説明してくれず、一挙に圧縮した言葉で「真理」を語るからです。

そういうことで、同じようなことを表現していた先人に訪ねるのも1つの理解方法だと思います。
言葉ではなく、言葉が指す方向にKの言いたいことがあるのですから。

以下は池田晶子的理解です。

  人はたいてい、客観的物理的な世界というのが、自分の先に存在していて、自分はあとから
  それを経験するのだと思っていますが、よく考えて見ると、そうではない。外界の虫の音を
  私が聴き、外界の星空を私が眺めているのだと思っているのですが、じつはそうではないの
  です。(略)
  事柄そのもの、純粋な経験としては、ただ音楽が鳴っている、いや、音楽が存在する、世界が
  あまねく音楽であるという、そういう経験であるはずです。(略)
  秋の夜長に私が虫の音を聴いているのではない。ただ虫が鳴いている。(私が)虫の音として
  鳴っている。私が星空を眺めているのではない。(私が)星空として存在していると、こういうこと
  になります。科学的世界観成立以前の、これが本来の世界のありようなのです。
  (『暮らしの哲学』より)
コミュが再び活発化してきたのは喜ばしいことだと思っています。

トピ主としては、この項に関する議論はほぼ出尽くしたようにも感じています。長いトピックになってしまいましたが、議論の後退や蒸し返しを避ける為にも、途中から参加された方は、かって何が話し合われたか一度読んでみることをお勧めします。

勿論、感じたことを素直に書いていただくのはかまいません。こんなことを書いたら叩かれるのではないか、というような萎縮したムードは望む所ではありません。

また、トピ立ては参加者全員に許された権利なので、
新たな問題提起もいいんじゃないでしょうか。
見るものとは「私」のことです。見られるものは対象です。
「私」は個人的な経験・記憶の集合体で、私とは観念にすぎない。
私も見られる対象の1つです。
つまり「私」はほかの対象とは別格の存在ではなく
ほかと同じ見られる対象だということです。
そしてこの「私」を中心としてものを見るとゆがめられる。
その行動は自己中心的行動となる。
私(自我)が諸悪の根源になっているということです。
のらさん、お久しぶりです。

このトピは、問いかけから始まって、沢山の方に書き込んでいただき、
言葉で表現できることの終点近くまでいったのではないかと、
個人的には考えています。

しかし、こよさんのおっしゃるように、新しい参加者や、これから議論に参加するひとが、既出のすべてのコメントに目を通すのは、容易なことではないでしょう。
新しいトピックをたてておくのもいいかもしれません。
答えは古くなっても、問いかけはいつも新しい。

では「見るものはみらえるものだ」パート2、いきます。
上げときますね

[34]からどうぞ

もしも
自戒だけにきているのでなければ

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