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夢野久作 コミュの【作品別】「瓶詰の地獄」

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はじめまして芽

似たようなトピックが2つほどあったのですが、考察専用のトピックとして改めてたててもよろしいでしょうか?

みなさんの考察をきかせていただけたらうれしいです

よろしくおねがいします

コメント(5)

自分なりの回答を載せますね。

世間では執筆順は3→2→1説が有力のようですが、それだと現実的な問題の矛盾(瓶の同時発見の件、鉛筆の残量の件)が解消しきれない。全てばらばらの執筆者、あるいは2、3が太郎とアヤコ、1は他の男女の手記だったという説もありますが、この説は個人的に好みません。
なので私は現実的な問題の矛盾が生じない1→2→3説で説明してみようと思います。
1→2→3説だと一見物語の時系列に矛盾が生じますが、これは「3つの瓶全てに執筆者の妄想が含まれている」と仮定したら、一例として以下のような説明が可能になります。

禁忌を犯し、狂乱していく太郎が虚実を織り混ぜて第1(懺悔)、第2(罪の否定)の瓶を執筆。
しかし鉛筆はじきになくなり、残す瓶もあと一本しかない。虚実の世界に逃げられなくなった太郎は、禁忌の証である妹、イチカワアヤコを殺害した後、さらに虚言まみれの第3の瓶(全ての罪を無かったことにしてほしい理想世界)を執筆。
1→2→3のメモ書きになるにつれて文字がだんだん稚拙になっていくのは、3→2→1説で言われているように子供が成長過程で聖書の文字を学んでいったからではない。聖書の世界を失ってだんだんと狂乱の世界に落ちていったから。
3本の瓶は同時に流れ着いて発見されたと冒頭の公文書にある。よって、最後のメモを執筆後、救いを失って狂い果てた太郎が自らと共に3本の妄想世界を抱いて海へと身投げする…とまぁ、可能性の一例を挙げるとこんな感じでしょうか。1の懺悔はアヤ子が書き、2,3の罪の否定は太郎が書いた、と考えることもできるかもしれません。

以下詳細。

第1の瓶:文章の内容から時系列的に考えて、1より前の出来事である2で「鉛筆が無くなりかけていますから、もうあまり長く書かれません」という表現がある。
このことから長文である1を2より後に書くことは不可能。よって、1は2より先に書かれたものであり、両親が船で助けに来たこの場面は「私」の虚言であり妄想。
この手紙を書いている『私』が、書かれた時点で存在していることだけは事実。

第2の瓶:先に書いた第1の瓶で禁忌を犯したため自殺する表現がある。よって、禁忌はすでに起こっているのにもかかわらず、回想録の文末で「悪魔の誘惑(いざない)に負ける」前であるかのような表現をしているのは太郎の虚言であり、妄想。実際は聖書を焼いたのちに禁忌を犯してしまったのだと推測する。
この手紙を書いている『太郎』が、書かれた時点で存在していることは事実。

第3の瓶:文末の連名、市川太郎は全て漢字なのに対し、イチカワアヤコの名前が全て片仮名という違和感。第二の瓶で「アヤ子」だった表記が第三の瓶で「イチカワアヤコ」に変化している。さらに「兄ダイ」という表現。ここでも兄は漢字、妹はカタカナ。妹は「die(死亡)」。第三の瓶の時点でアヤコは死んでいると推測する。にもかかわらず、「ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。」とあとに続く。よって、片仮名で表現されている文はすべて虚言。
この手紙を書いている『市川太郎』が、書かれた時点で存在していることだけは事実。


孤島に流れ着いた兄妹。そこでの2人だけの暮らしは楽園のよう。3本の瓶を使えば助けを求めることもできるが、それは現実の世界にもどることにもなる。兄妹は楽園世界に留まることを選び現実世界から目をそらす。

月日は流れ、兄妹の成長の影に身を潜めていた悪魔。その誘いにとうとう負けてしまう時が来る。

第1の瓶では禁忌を犯したことを認めて懺悔しようとしたが、心の底からは認めきれなかったため名前を公言することは避けた。

第2の瓶では禁忌を犯したこと自体を否定する虚実を織り混ぜた回想録を記し

さらに禁忌の証である妹をも否定、殺害。

第3の瓶では全ての罪をなかったことにするため、楽園にいたころの世界に戻ろうとするが、心はついに狂い果てそれも叶わず。

最後の救いを求めて3本の瓶と共に海へと消える。
自分は1→2→3で読んでます
ロアルド・ダールやモーリス・ルヴェルのようなシンプルなブラックユーモア小説として

矛盾は適当に流してました
・「鉛筆がなくなりかけているからあまり長く書かれない」
→第一の手紙は第二の手紙に比べれば短い文なのでギリギリ書けた
・同時に漂着した
→同時に発見されたことは確かだが同時に漂着したとは書いていない
「よほど以前に漂着致したるものらしく」とあるので同時に漂着したと決めつけることは出来ない
・カタカナのイチカワアヤコ
→第三の手紙の「イチカワアヤコ」はアヤ子自身に書かせたため
(自分にも妹がいるので同じ経験があります)

成る程。
つい先ほど瓶詰地獄を読み終わりましたが、みなさんの推測を読み更に考えさせられました。

もういっぺん読んでみます。

私は1=2=3説を提唱します。(書いた順番という意味では1→2→3でしょう。)
3つの手紙は犯しorこれから犯す罪(近親相姦)を懺悔し自らを断罪すると虚言を書き記し事実を隠蔽しようとした証拠だと私は推測します。
二人で信仰ではなく愛と欲に溺れる道を市川太郎は選び3つの手紙を書いたのでしょう。

鉛筆の件はイベント毎に書いていては鉛筆の消耗を考慮することはできませんが時間をおかずに纏めて書けば文字数や鉛筆の長さを考慮して書く事は十分可能でしょう。
特に第二の手紙の後半についてはどうにも自分の身に起こった事の説明というよりも嘆き悲しみ、遠まわしな自己弁護、第三者による救済の渇望などに多少の説明を加えた様な文面であり区切りをつけようと思えばつけられる文面です。
第三の手紙がカタカナで書かれているのは第二の手紙の内容と合わせて3→2→1の順で書いた様に思考を誘導するためのブラフでしょう。
そしてこれらを同時に海に投げた事を暗喩するための同時且つそう距離の離れていない所で3つの瓶が発見されたと作者は書いたのだと想像します。
これが両者の共通認識かは不明ですが少なくとも市川太郎は神=世界であり社会であり世間であると認識しそれら全てを偽ることにしたのでしょう。
両者の共通認識かは不明というのは3つ全ての文面を市川太郎が考え書いたと推測している以上市川アヤ子の心情が一切不明となる為です。
市川アヤ子も市川太郎を愛していたのかも性的な感情を兄に対して抱いていたのかは第二の手紙の市川アヤ子の台詞を除きあくまでも市川太郎の主観であり全てが闇の中。

これが私の解釈です。

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