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Sons・XDayシリーズコミュのSonsのテーマとは

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みなさんの考えるSonsのテーマとはなんでしょうか。
もちろんXDay、ムーンライティングのテーマも大歓迎です。

私は個人的に、”相手の不完全さを受け入れ、自分の本当に望む形でなくても相手の好意を受け取ること、それが大人になることなんだ。”というかんじかと思います。

みんなそれぞれ自分の人生を一生懸命生きてるんだ。他人のやり方を受け入れ、自分のやり方を相手が受け入れやすいようにしてやろうよ。

そんな感じかな。
うーん・・・でもウィリアムって全然そういう感じじゃないですね。とりあえず主人公のD.Dが学んだことを書いてみました。

すいません。トピックあげるの初めてでドキドキします。

コメント(18)

リアルタイムで読んでいた頃は「生きる」ってテーマを受け取りました。

Sonsをリアルタイムで読んでいた頃に父を亡くし、もがきながらも生き方を模索していくDDをみて、共感していました。
私の背負っていた問題なんて、DDとは比べ物にならないけど。

ジュニアのように死んでしまったら、何にもならないですもんね。

何度も読み返す度、色々なことを感じました。
2年ほどご無沙汰しているので、読み直してみて、感じた事があったらまた投稿します。
>にとさん
書き込みありがとうございます。
「生きる」というのは、三原さんの作品全てから受け取れる強いメッセージですよね。
あれほどの目にあってなお、あきらめず、自分の人生に立ち向かっているD.Dをみると、勇気付けられます。

「生きる」ということについて考えると、嵐の夜にセスナで湖に突っ込んだウィリアムの生に対する強い執着心を思い出します。なぜ、あの父親の子があんなことになってしまったのか・・・
父親に自分の本当の気持ちをぶつけずに、ただ、逃げて死んでしまったジュニアが許せません。死ぬよりほかにもっとやることあるだろうに、と思ってしまうのです。

にとさんはお父様を亡くされているのですね。
さぞおつらかったことと思います。
三原作品は絵空事でなく人生そのものに直結しているので、自分の人生に様々なことが起こるたび、新たに読み取るメッセージがあるように思います。

読み直されて感じたことも、是非また書いてくださいね。
テーマというのとはまた違いますが、

さっきジュニアのストーリーをハッピーエンドにするにはどういう展開にすればいいんだろうと考えていて、「あれ? ジュニアってさらに運の悪いグレアム?」とか思ってしまいました。

影響力の強い父親と、自分らしさを欠いた(常に周囲に会わせる)博愛的行動と。

自分の父親のせいで叔母が死んだと思っているグレアムと、祖母が死んだと思っているジュニア。

グレアムから友達を抜いて、ピアノの才能を無くして、さらに弟というもっと面倒な存在を足して、あの世話好きのところをもっとずれた感じにするとジュニアになるのかなーと思いました。か…かわいそう。

ジュニアはウィリアムを殺しに銃を持って書斎に行きますが、そのときにウィリアムがいなかったためにすっかり父親に敗北した気分になって戻ってしまう。
たぶん、この場面にウィリアムがいたら三原先生の技量だったらハッピーエンドにできたんだろうな、と読み返して思いました。

だけど、それがわかっててしなかったあたりに、物語の重たさを引き受ける覚悟や、新しいところに踏み込む度胸みたいなものを感じてうなってしまいました。

やっぱ「Sons」は「はみだしっ子」の先を書こうとした話なんだなって感じがして。あ、どっちが上とか下とかの話ではないですよ。

「Sons」はDDの祖父やウィリアムなど、大人を書くことに挑戦していてそこがすごく魅力的だと思います。
>いけださん
>ジュニアはウィリアムを殺しに銃を持って書斎に行きますが、そのときにウィリアムがいなかったためにすっかり父親に敗北した気分になって戻ってしまう。

そうですね。
あの時がジュニアが父親にぶつかっていった、最初で最後の瞬間だったんですね。そこにウィリアムがいなかったというのが二人の最大の不幸だった。
ウィリアムも、D.Dからジュニアが祖母の死因について疑念を抱いていたことを聞かされて逆上していましたね。

ただ、私は「Sons」と「はみだしっ子」のキャラクターを比較してみたことがないのでそこのあたりはよくわかりません。

>「Sons」はDDの祖父やウィリアムなど、大人を書くことに挑戦していてそこがすごく魅力的だと思います。

D.Dのおじいちゃんもウィリアムも、かつては誰かの息子であった、という点においてこの作品のテーマたりえるわけです。
おじいちゃんがウィリアムに言っていたセリフ
「(自分が親にやっていたことを)”やれやれとうとうやられる番が回って来てしまったか”とそう思っていればいいんだ!
なぁに!連中もいずれは同じ目にあう!」

かつて子供だった大人の含蓄のある言葉ですね。
おじいちゃんはXdayでもとても印象に残る言葉を言っていました。
(D.Dの援助を断って)
「人はみんな言い訳をもっている。わしのはこうだ。
”自分の始末はいつも自分でやってきた”」(うろ覚えです)

キャラクターの人となりを、わずかなセリフで表現することができる三原先生は本当にすごいです。
テーマは、と問われると重層的にいろんなものが織り込まれているとは思うんですけど、「親と子のあいだで引き継がれ、繰り返される葛藤、その個人的な転回点」
その「点」に達するまでの必要欠くべからざる葛藤の叙述。

う〜ん。我ながらわかりにくい・・・
すみません。自分にしかわからないような文章を書いてしまいました。

この物語のクライマックスはDDが実の父から「僕の息子だよ。」と、本当の意味での「存在の深い承認」を得る場面のように私には思えるのです。
「自分はこんなにも俺の息子だ、と言ってもらいたがっていたのだ」(うろ覚え)とDDが心でつぶやき、納得するシーンが「Sons」という長い長い物語のすべてのエピソードが流れ込む「一点」のようにかんじられるのですが。
どうでしょう?
こんばんは。

ひさびさに最初のほうを読み直してみたのですが、あれ11歳から始まるんですね。
私はなんとなく14歳だと勘違いしてました…。少女マンガの少年主人公は14歳が多いから〜。(「地球へ…」のジョミー、「ポーの一族」のエドガー、言わずとしれたグレアム&アンジー等々)
小五であのプレッシャーの日々…。つらい話ですね。

「Sons」のテーマ…。
いろいろな主題を読み取れるけど、大人になるための通過儀礼というのがひとつにあるのでは。父殺しの話が出てくるし。(物語では大人になるための通過儀礼として、親殺しがよく使われる)
単行本の最後に「DDがいかにして事勿れ主義者になったかを書く予定だった」みたいなことを作者自身が書いてますし。

「はみだしっ子」のラストは、幸福を選び取るために悲しみや憎しみをやり過ごせるフェル・ブラウン(大人)に、過去の憎しみや悲しみから解放されないグレアム(中二病)が完敗する話だと思っているのですが、「Sons」のDDの物語に置いてもこの大人観が踏襲されているように感じます。

「心の中の死んだ土地」を抱えながらも、折り合いをつけて生きていくことを学んだDD。いつまでもばあちゃんに頼れるわけじゃないんだと知って、いつのまにか誰かにとってのばあちゃん役を引き受けるDD。

ウィリアムが妻子とうまくいかなかったように、おとうちゃんとおかあちゃんがDDの苦悩を受け止められなかったように、大人だって完璧じゃない。けど、とりあえずカエルのままでいいからとりあえず生きていようよ、という話なのでは、と。

卑近な表現でアレですが、DDの物語としての「Sons」はそういう通過儀礼の物語だと思ってます。

ジュニアとウィリアムはお互いが無愛想不器用すぎて通過儀礼し損ねたんだなー、なんて。

ちょっと今日眠いのでここまでで止めときます。
後日もう少しレスするかもしれません…。
妖精の元締めさん、フロルさんのレスを拝見していて、繰り返していく物語という側面が大きいのだなと思いました。

作中でDDが進化のたとえを繰り返しますが、「経験を積み重ねていったはずなのに進化できないジレンマ」というのはどの息子達もが共通して持っている感情のように感じられます。

DDが「ぼくの息子だよ」と頭を捕まれるシーンはどきっとしますね。あそこでDDと読者の目が合うように演出しているところが憎い!DDの感情がこっちに飛び込んでくるように感じられます。
「はみだしっこ」の4人組もまた、親からの承認を得られていない子どもたちだし、DDもそう。ウィリアムはたしかおやじがアル中でまさにアダルトチルドレン設定。(子どもらしい子どもである事が許されずに大人年齢になっている)そのウィリアムの息子たちもウィリアムから承認をしてもらっていない。

で、全員拗ねてる。

そんな感じがするんです。
「よしよし、おまえはいい子だ」って言ってくれなきゃ、「ボク、ここからうごかないもんね。」
みたいな。

そんなものがたりなのかな〜、と今の私は受け止めています。
あくまでも、今の私、というところがミソですが。
いろんな立場のいろんな年齢の人が読んで、それぞれにずっしりとしたものが受け取れる、すごい物語だと思います。
フロルさんの書き込みを見て、ハッとしたんですが

”親からの承認を得られていない”ことで先に進めない子供たち

というのが、三原さんの物語の根本にあるのかと思いました。


少し話がずれてしまうかもしれませんが・・・
私は今一歳の娘を育児中でして、育児書をたくさん読んでいるんですが、その中にこういう内容がありました。

乳幼児期に、親から全面的に受け入れられなかった子供は成長してから社会に適応できないで、反社会的な行動にでてしまう。社会に適応するためには、まず自らが全面的に受け入れられたという経験が必要で、それはいくつになってもまずそこからやり直さなければ、決して先には進めない。どのくらい受け入れてやればいいのか、というと”本人が満足するまで”である。
中学生だろうが、高校生だろうが、本人が抱っこして欲しいといえば抱っこしてやらねばならないし、抱きしめて欲しいと言えば抱きしめてやらねばならない。本人がして欲しいと言わなくなるまでやってやらねばならない。
人間はまず母性的なもので満たされて、初めて次の段階(父性、社会的規範やしつけに類する事柄)に進めるので、もう大きいんだから、と先に進ませようとしても、決して進めない。

というようなことが書いてありました。

マギーはジュニアを受け入れられなかったんだろうか。
いや、マギーにはその余力がなかったということでしょうか。
DDはお母ちゃんやおばあちゃんから受け入れられていたと思うのですが・・・だからお母ちゃんには逆らえなかったのでは。

ただ、DDはお母ちゃんの受け入れが”条件付き”であることに気が付いていて、ぶつけられないイライラを抱えることになったのかなぁ。

河合隼雄のことばなんですが。
「うちの子はいい子」←母性原理
「いい子はうちの子」←父性原理
簡単に言えばそういうことなんだそうです。

DDはだれにとっても「生まれてきてくれてよかった」といってもらえない存在として設定されています。そして、DDの出生に関しては、みんなが本人に隠していてるわけだから、2重に否定されてるような、念入りな存在の否定があるように思えます。
DDに出生のときの事情を話せないでいるということは、
お母ちゃんにしても、お父ちゃんにしても彼を祝福されずに生まれてきた子、と捉えているんだと思います。
いくら二人が愛情深く彼を育ててきたとしても、隠されているということは、DDにとって、無条件の承認ではないのだろうと思うのです。
はじめっからDDを孫として育ててたら、「孫として承認されたDD」として、もうちょっともつれずにいけたんじゃないかな、と感じます。

だから彼は唯一自分を承認してくれる本当の父親に会わずにはいられなかったのじゃないでしょうか。
で、フォルナーのばあちゃんがすごくえらくて、DDのためにその道筋が閉じられたものにならないよう、配慮してくれているんですねぇ。

そうしてようやっと、DDは関係性の海に漕ぎだせます、みたいなお話という気がします。
そして、ウイリアムがちゃあんとDDの再生産をしてて、今度はDDがフォルナーのばあちゃん役をしてあげるのかなあ、とか。
>DDの出生に関しては、みんなが本人に隠していてるわけだから、2重に否定されてるような、念入りな存在の否定があるように思えます。
DDに出生のときの事情を話せないでいるということは、
お母ちゃんにしても、お父ちゃんにしても彼を祝福されずに生まれてきた子、と捉えているんだと思います。

な、なるほど〜
すごくよくわかります。
自分の存在を否定されるほどつらいことってないですもんね。
私は自分で「条件付き」と書いておきながら、どんな条件がついてるんだかわからなくて、書き込んでからしばらく悩んでいました。

ウィリアムがDDの再生産をする、というのは・・・あ、アイダの子供ダニエルのことですね!

話がどんどんずれていってしまうんですが、どんなに残酷なことでもやはり真実というのは必要なんだなぁ、と思う次第です。
おとうちゃん、おかあちゃんは本当のことを知っているにも関わらず、”知らない触れない話さない”でやり過ごそうとしていて、DDは自分の存在そのものを”やり過ごされている”のをしっかり感じているわけです。こういうことをはっきり認識して読むと、つらくてたまらない。

どんな出生であってもそれが自分の人生の土台で、そこからどうするかは自分次第のはずなのに、周りの間違った配慮から、まるであり地獄のような土台に家を建てさせられているような感じです。

フロルさん、説明ありがとうございます。
>妖精の元締めさん

違っていたらすみません。それは色つきの四コマが載ってるあの本でしょうか?(タイトル忘れました…)あの本「よく出来てるなあ」と思っていたので。立ち読みしかしていないのですが。三原順の作品はマギーに限らず母親たちの存在が希薄ですね。エイダしかりお母ちゃんしかり母親の愛情が空回りするように書いてあるような…。


>フロルさん

河合隼雄さん亡くなられましたね。
こんなところでなんですがご冥福をお祈りします。
「孫として承認されたDD」。たしかにそれならばあちゃんに頼らなくていいかも。レスを拝見していてスティンの承認を得たDDだから「カエルでいいのならいくらでも歩けるぞ!」と言えるのかなーと思いました。
ちょっととりとめもなく、書かせてくださいね。

母親としての自分を振り返ってみると、子どもがまだ小さかったころは、とにかく我が子がかわいくてかわいくてたまらなかったです。
「ああ!なんで愛くるしい顔をしているんだろう!!」「あああっ!!なんておりこうさんなのっっ!!!!」
といった具合で、自分の子はヨソの子の何倍も可愛くて賢いように見えたものです。
私はどちらかというと、母性は薄いタイプだと思っていたのですが(赤ん坊ををみて「かわいい」と言う人の気持ちがよくわからなかった。他の人が赤ん坊を見て「可愛いわね〜」というのを聞くと内心「そ、そう?」と思ったりしていました。)、生んでみたらそうでもなかった。(笑)遺伝子の中にセットされていたプログラムのスイッチが入ったような感じでした。
たぶんそんなふうに、成長の早い段階で、盲目的ともいえるような愛情を受け取っているということは、とても大切なのだろうと思うのです。

人は成長するにつれて、さまざまに思い悩み、易々と自己否定に陥ったりします。そんなときに、「おまえがおまえであることは、わたしたちにとって大変に値打ちのあるものだ。」という受け入れられ体験が、自分を再度受け入れて落ち着いていくための必要条件のような気がしています。

とりとめもなく書いたので、ほんとにぴんぼけな文章になってしまいましたが。あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

あと、親自身の母性の脱皮、みたいなものが親、子、双方の成長にとって必要だろうなあ、と言う気がしています。
子どもをいくらか客観的に見れるようになることとか、(思ったほどのべっぴんにはならなんだナ、と世間の基準でみれるようになるとか)、自分とは別人なんだと思い知るとか。

>妖精の元締めさん
「事実を知っている」ことと、「真実を知る」ということは、主観的なレベルにおいて、おおいにちがうことなんでしょうね。
DDは決して語られる事のない自分の出生の秘密を知っている。
「事実」についてはとっくに知っているし、その事に関して、おとうちゃんやおかあちゃんがどういう受け止め方をしているかも感じ取っているわけです。(彼らが自分に隠しているということによって)でも、ほんとうの父親であるスティンが、自分をどう受け止めているのかというピースが欠けているため、気持ち悪くて前進できなかったんでしょうね。

>いけださん
「カエルでいいのならいくらでも歩けるぞ!」
ああ・・・いいですね。このことば。
親でありながら、娘でもある私としては、思いっきり母にぶつけてみたい台詞です。
「ええねん、アタシはカエルやねん!!カエルのまんまで、げしげし行くねん!!」とか。←妄想カタルシス
あ、「カエルでいいのなら〜」のセリフはスティンに会う前でした…。
やってしまった…。

カエルはロージーのおかげで出てくる言葉なんですよね。
”特別な男の子”ではなくて、”特別な仲間”ではあったけれど、この言葉でDDがいかに救われたかうかがうことができます。

昨日忙しいのにSonsをついついまた読みかえしてしまい、貴重な一時間が飛んでいってしまいました泣き顔

>いけださん
>色つき4コマ漫画
えー!なんていう本でしょう?
私がうろ覚え引用したのは「子どもへのまなざし」(佐々木正美)です。
確かに、三原さんの作品は母親が弱いですね。なぜでしょう。

>フロルさん
>成長の早い段階で、盲目的ともいえるような愛情を受け取っているということは、とても大切なのだろうと思うのです。
そうですね。人生の先輩のお言葉はとても参考になります。
うちは今、我が子が可愛くてたまらない時期(?)です。
わがままも甘えもおいたも、「この可愛い子は、しょうがないねぇ」ですんでしまいますあせあせ
あー、福音館のですね。本屋で働いていた頃売ってました。そういう内容なんですか。なるほどです。

「子育てハッピーアドバイス」明橋大二・一万年堂出版です。今日本屋で見直してきたら別に4コマではありませんでした…。タイトル通りの本なんですけど、「手伝おうか?」っていう父親に対して「手伝おうかっていうのは子育てが母親のものであるって前提に立ってるから出る言葉なんだよー!」ってつっこんでたりと、なかなか面白かったです。

しかし知ったかぶりがトリプルで…!!お恥ずかしいです。

フロルさんに重複してしまいますが

だれかに認めてもらえることで、生きられる、生きていける
ってことじゃないでしょうか?

だから認めてもらえなかった長男は自殺し
次男は研究室にこもったのではないでしょうか?
りーちさん

認めてもらえる=生きることができると書いてしまうとちょっと残酷かな…という感じもします。認めてもらえずとも生きていこうとする人たちもいるし。でも、認めてもらえることがどれだけ力になるかというのは大事なことですよね。

ウィリアムはジュニアやケビンを認めていなかったわけじゃないんですよね。小説家になりたいというジュニアに編集者を紹介してあげようと思っていたし。ただ、愛情がチラリズムすぎて伝わらなかった…という。

ウィリアムはかつて愛情で失敗しているので、うまく息子達に接することができなかったんでしょうが。

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