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リハビリ学生留年組!!(^_^;)コミュのレポートの書き方

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http://www.kuhs.ac.jp/ishii-HP/toppage.htm

レポートの書き方


(一般目標)

科学を学ぶ学生に求められるレポート・論文の書き方を修得できる。

(学習目標)

1.学校では、実習・実験の評価を受けるために、その内容を記述したレポートや論文の提出が求められ、その内容をもとに、実習・実験の評価を受けることが理解できる。
2.したがって、学生にとってのレポート・論文は、日記や手紙などの日常の文章とは基本的に異なり、読む側への説得力のある科学的論理性のある文章が求められることが理解できる。
3.科学的論理性のあるレポート・論文には、基本的な書き方・技術があり、書く側の努力によってそれらの能力は改善することが理解できる。
4.学生にとってのレポート・論文の内容・構成は、実習・実験の観察結果を事実として正確に記載し、さらに文献等の検討結果をまとめたのち、それを受けて、各自の考察を展開する必要があることが理解できる。
5.レポート・論文を書くということは、科学的考察方法・自己表現技術・コミュニケーション技術を習得する最も有効な方法であることが理解できる。
6.


はじめに


問題1:学生が書く教官へ提出するためのレポート・論文は、日常の手紙や国語の時間などによく書いた作文・感想文と、どこがどう違うのか。考えてみよう。

高校の授業と違い、大学・専門学校では、レポートの提出が求められることが多い。医学部など自然科学系の学部では、実験・実習がある場合は、その評価・成績は、通常、その内容・結果について書いたレポートを通じて行われる。主旨が曖昧であったり、何をいっているのか分からないレポートでは問題であるし、第一、そのようなレポートを通じて評価を受けることは、書いた学生本人にとって不利益この上ない。
 もちろん、卒業後においても、論文・学会発表など、科学者としての研究成果の発表はもちろん、臨床医療においても、症例検討会での報告・発表、手術サマリ、退院総括、紹介状など、毎日のように報告書類を書き、発表または連絡に用いなければならない。それら報告書類を通じて、収集した情報・判断・行動した結果から、考察を展開し、それを表現して伝達し、相手を理解させるまた説得するという過程が要求される。そこには、まさに科学人としての思考・行動過程である。
 したがって、医学を学ぶ学生は、科学的論理性のあるレポートを書く能力およびその涵養が求められる。 しかし、高校までの作文教育は、文学として芸術的な文章を書くことを目標としているのかもしれない。そこで、ここでは、大学に入学したばかりの医学生を念頭にいれて、レポートとはどんなものか、大学生に求められる、科学的論理性のあるレポートの書き方、その最小限のことをまとめてみようと考えている。


書くことは考えること


まとまりのない手紙をもらったり、口下手な人の話を聞くのも、それぞれ、人間味の感じられる、心温まるエピソードといえる。手紙や作文などでは、思いつくままに書く方が人柄が伝わるなど、かえって効果的な手法ともいえ、そういう意味では、科学的論理性のある文章や話というのは、無味乾燥なものである。
 レポート・論文を書くと言うことは、大学生自身にとってどんな意味があるのか。実は、単に成績のため、単位をとるためではない、もっと深い・有意義な目的がある。  実習・実験の結果や文献検討から、自分独自の考察、主張、ストーリーをより良く、読む側に伝えることは、結果を受けて、考察を明確に示していく演繹過程を学ぶことができ、これは、科学を実践する姿勢として大学生の行動規範として求められることであり、それを学ぶ有力な方法である。「書くことを通じて考える」ということである。また、自己実現技術、コミュニケーション能力の涵養につながる。
これまでの入試問題のように正解があるという性質のものではなく、レポートに正解はないが、単なる感想文ではなく、自分の主張を読者に説得して、納得してもらうために書くのであり、事実とそれに基づく考察の文章である。自ずから科学的論理性が必要となる。

問題1の答え:
1.明確な論旨が、きちんとした論理展開で記述されていて、説得力があること
2.そのために必要なことが全て記載されており、また、余分なことは記載されていないこと
3.人の意見や研究成果と自分の意見や研究成果を区別して記載していること
4.関連資料・文献にきちんとあたり、紹介していること
他にもあるかも。



レポートを書くための訓練


文章を書くには、文才が必要とよく言われるが、自動車の運転で例をとると、自動車レースのF-1のレーサーになるためには、天賦の才能が必要と考えられるが、買い物に行くためのドライブのために求められる自動車運転技術は、訓練することにより、だれもが習得することができる。つまり、後者は、単なる技術であり、技術は訓練によって鍛えることができる。
同様に、詩や小説のような芸術作品を書くためには天賦の才能が求められることは間違いないが、芸術作品とは異なり、報告のためのレポート・論文には、自己実現、コミュニケーションの媒体として価値がある。大学生にとって、日常の買い物のための運転技術と同様のもので、ということは、天賦の才能がなくとも、技術として、各人が努力・経験を重ねて、それを磨きあげていくことができる。
つまり、レポートの完成度は、レポート作成の経験量にある程度反映される。たくさん書くべきである。また、多数の論文著作などに積極的に触れ、目標にしたい文章の構成や修辞をまねた文章を書く練習も効果的である。そして、書いた物を的確に評価を受けて、さらに自分の技術を磨き上げるのである。

論理的誤りの例
この薬剤によるこの疾患への効果を説明した報告は今のところない。したがって、この薬剤にはこの疾患への効果が全くないと言える。
すでにアメリカでは、このような医療制度は時代遅れになっている。したがって、日本でもはやく取りやめるべきである。


レポートに求められる外形的条件


レポート用紙は、A4サイズのものとする。提出書類が複数枚数にわたる場合は、左肩をステープルで綴じること。 はずれやすいクリップや折っただけでは綴じているとは言わない。
ワードプロセッサーを使用するほうが、推敲も容易で、誤字も防ぎやすく(誤変換・消去忘れ等が発生する危険があるが)、読みやすい文章が容易に印刷されることから推奨する。ディスプレイ・モニタの画面の上で考える習慣をつけることは、社会に出てからも優位である。科学的考察力・自己表現技術を学ぶ上で、文章の推敲は必須である。しかし、紙に印刷してから推敲する過程を必ず経てから最終版とすること。
しかし、肉筆での記載を否定するわけではない。要は、書面の形にして眺めたときに、読みやすいかどうかである。そのために、ワードプロセッサーでも肉筆でも、文字の大きさ・フォントのほか、周囲の余白や文字送りと行間隔の関係にも、慎重な注意が必要である。
肉筆の場合、必ず、下書きをして、少なくとも1回は読み直し、その後清書すること。読む側に正しく情報伝達ができるよう、正式な楷書体で書くべきである。独自の形態をした崩し文字は、正式な楷書体ではなく、読む側に読むことを強いるもので独善的といえる。鉛筆書きは論外とされる。


語法・話法について


用語・文字については、誤用に注意し、正しい意味を確認してから使用すべきであり、必ず辞書を引いて用いること。実は、我々は、単語の意味について勝手な思いこみ・記憶違いが意外に多いもので、注意が必要である。
同じ意味で複数の単語がある場合は、もっとも平易な単語を選択するべきである。正しく伝えるためには、積極的に専門用語を用いるべきであるが、それは、専門用語というものが、その意味を正確に規定されているからであることを知っておいて欲しい。その意味を確認せず、それらの専門用語を用いることは、科学的文章としてのレポートの価値を、逆におとしめる。
話法では、である調とです・ます調とでは、どちらでもよいが、混用しないことが求められる。
時間話法については、実習・実験を通じての結果・経験したことを記載するときは、過去形で、それを受けての考察の展開は、現在形で記載することとなっている。


表現等について


レポートには、以下の項目に該当する部分がなければならない。1.表題、2.作成者に関する情報、3.要約(短いレポートでは必要ない)、4.内容本体、5.謝辞その他、6.参考文献

表題
表題は重要である。表題は与えられる場合もあるが、作成者の主旨のエッセンスを興味を引きつけるような表題として表すことも重要である。魅力ある題にすると、読者の興味を刺激でき、読む意欲をかきたてることができる。 (もちろん、その表題に応じた魅力的な内容でないと、読む意欲は持続しない)

作成者の個人情報(学部学科、学生番号、氏名、科目・課題 等)
要約(短いレポートでは必要ない) 長いレポートでは要約を記載するべきである。小さな山なら登るのに地図は要らないが 、通常、登山でも知らない街でも、地図を持たずでは、全容がつかめず、踏破することが困難となる。あえて、このような試練を求める方もいるかもしれないが、学生のレポートを読む教官は、このような試練を通常求めていない。レポート全体を概観でき、かつ、読む者への魅力のあるものがよい。


内容本体


要約のあとの内容本体には、ストーリィにそった、4つの大きな部分がある「起」、「承」、「転」、「結」である。これら4つの項目・部分は互いに関連し、論理の飛躍があってはならない。ある問題提起に対して、どうやって自分の結論に至ったかを、読む者に納得してもらうために、論理的でなければならないからである。
「起」にあたる出だしは、このレポートで何が言いたい(主張したい)のかを、目標規定文として通常1〜2行で書く。これから述べる内容の論理展開を概観して、自分の主張したいことを数行にまとめて書くのである。このレポート全体の論理の展開のガイドラインといえる。 「承」この問題について、これまでどんな考えがあったか、主に先人達の成果からの情報の部分である。この問題に関して色々な情報を区別することなく公平に(自分に都合のよい情報ばかりを取り上げないで)扱う視点が重要である。つまり、客観性が求められる。
次に「転」、自分の考えを論理的に転回(展開)していく。
最後に、別のパラグラフとして、「結」の部分、まとめ・結語を配置する。
レポートが長くなる場合は、該当する各項目・部分には、章として表題を、そこで述べていることを的確に表現するようにつける。


思考過程がわかるように記載する


その問題をなぜ取り上げたか、どんな動機で取り上げたか。なぜ興味を持ったか。その問題の重要性は? 背景は? それに対し、自分は、どのように取り上げ、どのように攻略しようとしたのか。先人達はどうだったか。 結果として、どのようなことが得られたのか。それをどのように解釈するのか。
以上のことを書けばいいのであるが、それに加えて、それに対する自分の考察を記載する。それがレポートを書く目的である。 得られた結果・情報は、自分が求めていたことか。あるいは、まだ足りないのか。先人達の成果との整合性はどうか。
自分自身が実験したり、調査したり、関連資料を読んで得た情報をそのまま書いても十分ではない。それらを材料に、自分の中で組み立て直すことにより、例え、その考えが不備であっても、また、未熟であっても、独自性(originality)という強みが表れてくるし、第一、originalityがないものをどれだけたくさん書いても、そのことにどんな価値があると言えるだろうか。

問題:以下の文章について、どこに論理的誤りがあるか、考えてみよう
この刺激を培養細胞に与えることにより、このような形態変化が現れた。したがって、この疾患患者の細胞によくみられるこのような形態変化は、この刺激によるものであることが証明された
問題の答え:刺激と観察結果という時間軸の関係については問題がない。しかし、それだけをもって、因果関係を証明したことにはならない。


パラグラフについて


1つの文章が1つの段落だけであることは特別で、一般にはおかしい。というのは、論理性のある文章というものは、論理を展開するために、それぞれ役割を持ったいくつかの部分で構成されてなければならないからである。少なくとも、最後には、別の段落として、まとめの部分が必要であろう。
文章の各部分の1つ1つのまとまりをパラグラフと言う。これは、日本語の「段落」に相当するが、日本語では段落という言葉は「改行」と同じ意味にも使われるので、ここでは混同をさけるために、パラグラフという言葉を使うことにする。
パラグラフを作る要領をおぽえておくと、レポートを書くときも討論をするときもたいへん有用である。パラグラフは、文字を下げて(インデント)書き出し、眺めたときに始まりをわかりやすくする。
大事なことは、主題はパラグラフで展開されている中心的な考えのことで、そのパラグラフに含まれているすべての情報の要約とも言える。したがって、主題に要約できないような考えがパラクラフに入っていることはできない。主題はパラグラフの中で完全に展開され、説明されてなけれぱならない。読者がパラグラフを読んで、疑問を持つようではいけないのである。 1つのパラグラフの中では、主に1つの対象について述べ、別の対象が話題となれば、パラグラフを変えるべきである。終わりのパラグラフは、「まとめ、結語」として構成することが必須である。つまり、文章というのは、複数のパラグラフの構成体と言え、文章全体の論理構成は、バラグラフの配列で構成されていることとなる。


材料を箇条書きにする


全体構成を考えることなく、ただ漫然と書き始めていないだろうか。レポートを実際に書き始める前に、レポート全体の論理構成を考えてみる必要がある。書いていく順序、説明する順序、考えをつめる順序。読む者を自然と納得させる、論理性・ストーリー性を持たせることが重要である。
レポート全体にわたる、論理構成・考えがまとまったら、必要な項目を列挙してならべてみる。通常、必要な項目について、1つ以上のパラグラフで構成するので、パラグラフを並べる感じで進めることとなる。
次に、各パラグラフの内容の検討を始める。 鍵になることを箇条書きにしてみる。論理展開に矛盾があれば、どんなに美辞麗句を連ねても、その矛盾は消えず、論旨が曖昧になるだけである。パラグラフの主題、言い換えれば、そのパラグラフを書く理由・目的が、そのパラグラフに含まれる情報を制限し限定する。なんでも書けばよいというわけではない。よけいな材料は除外する必要がある。主題はそのパラグラフに含まれる情報を制限することになるので、主題に関する論理を展開させ得ない情報は除外し、展開させる情報のみを厳選する。
たとえば、「この件に関して去年発表されたアメリカのある大学の研究グループによる否定的な成果」ということを、あるパラグラフの主題にすると、書き手は、アメリカのある大学について詳しく書く必要はあまりない。あくまで「アメリカのある大学の研究グループの成果」について書かなければならない。そして、「去年発表された成果」のうちのどれを書いてもよいというわけではなく、「この件に関して否定的な成果」について書くことが求められる。このように、このパラグラフには「去年発表されたアメリカのある大学の研究グループによる否定的な成果」に関するもの以外の情報は含まれていてはいけないのである。


パラグラフの例


以下に実例をあげて、パラグラフの構成を説明する。
In Japan it is not unusual for parents to pay most of the living costs for their children until they graduate from university and start to work. Yet although their rent, food and tuition are paid, many students still insist on getting part time jobs, failing to see the opportunities that a work-free student life affords them. For example, students can spend their free time learning or researching topics of interest beyond their general education. One student I know has been studying English in a conversation school, while two others belong to an archeology club and recently came back from a dig. University is usually our last opportunity to study, and so it is a shame to waste a lot of time doing part-time work unnecessarily.
このパラグラフは全部で5つの文からなっている。1つめが、このパラグラフで述べたいテーマの規定文である。つぎに、その内容を説明する文で受けている。3番目と4番目の文は、テーマを補強するための例示である。そして最後の文で、もう一度主張を繰り返している。
このように、そのパラグラフによって主張したいことを最初に明確に書き、次にそれを説明・補強し、最後に繰り返す感じで締めくくるという形式が、通常よくみられる


INTRODUCTION


「出だし(イントロダクションあるいはオープニング)」は非常に重要である。「出だし」の役割は、読む側の注意を引くことにある。うまく読者の注意を引いたら、少なくともそれを維持するチャンスがある。あまり型にはまったかたくるしい調子ではいけないが、かといって、あまりくだけすぎてもいけない。

よくないレポートの例: (どこがよくないか指摘できますか)
生物学実験実習レポート
今回の実習で、まず驚いたのは、9時開始であるのに、9時前から準備が必要であったことだ。今後、大学で医学を学ぶにあたって、よい心構え、態度を養うことができた実習であった。先生方に感謝したい。生物学実験自体は、たいしたことはなく、・・・・(以下省略)


本論


ここでは読者の関心をつなぐよう努力する。話すときは同じことを繰り返すことが許されており、効果的かつ場合によっては必要でさえあるが、レポートで全く同じ記載を繰り返すことは許されない。
接続詞に慎重な配慮をする。「次に、」などという簡単な接続詞を安易に繰り返すと、話が羅列的で平面的な印象になり単調となる。立体的な文章となるよう、各文やパラグラフ間の論理的な関係を明確に示すような言葉でつなぐようにすると、表現力が高まる。
読者の注意をそらすような言葉を用いない。たとえば、「これはあまり重要ではないが、」とか「つまらぬことだが、」など、否定的な表現で書き始めることは避ける。 (重要でないことや、つまらぬことを記載するわけではないだろう)
記述に際しては、否定的な内容を先行させず、レポートの持っている積極的・肯定的な面をまず主張して、その限界を示すものとして、後半以降に否定的な事項について触れる。しかし、否定的なこと・不足な内容については、科学的思考過程の結果としての客観性を担保することにもなり、必要な限り正確に記述するべきである


考察


実習・実験のレポートといえども、体験したことだけでなく、文献・資料を読むことは必要である。自分の持っている経験・集めた情報から出発して、自分のたてた推測・推定が、論理的正当性を持つかどうかを考えるのである。考察とは、その経過を書くものである。
その場合、事実と自分の意見を区別して記載することが最も重要である。他人の論文・文献を読むことであなたが得たことは、あなた自身のさらなる考察によってより新しい生命が与えられないかぎり、あなたのものとして読者には受け入れられないのである(独創性)。 独創性のためには、また、客観性を担保するためにも、文献などで調べたこと、他人が言っていたことと、自分の意見とを明確に区別できるように記載する必要がある。資料をそのまま写して、さも自分の意見のように記載してはいけない。自分で検索した参考文献等の記載内容からの記述と、自分の考えとを明確に区別して記載することが、科学的論理性のある文章となる。
また、客観的事実を記載する文章の中に、自分の意見を紛れ込ませるような、読む者に誤解を与えるような書き方はいけない。あくまでも、読む側が、あなたの提示する客観的事実とあなたの意見を区別できるように記載するのである。この点、英語などと比較して日本語は、主語が明確でないように書けるので、論理性が弱いと言われるゆえんであるが、慎重な注意をすることによりカバーできる。
問題2: 以下の文章について、どこに論理的誤りがあるか、考えてみよう
私の友人のある外科医は、彼の妻と知り合って1週間でプロポーズした。このように、外科医には、一般的に言って、早い決断ができる資質が求められる。
問題2の答え:一例をもって、一般化することには無理があろう。「外科医には早い決断ができる資質が求められる」ことを述べるために適切な例示であろうか。




結語(ENDING)


エンディングでは、読者に記憶しておいてもらいたいメッセージを印象的に配置して終わる。出だしとエンディングを結びつけるのも効果的である。「エンディング」で再確認させるのである。

よくないレポートの例: (どこがよくないか指摘できますか)
**実験実習レポート
(前半省略)
・・・。以上のような結果の検討から、このようなストレス刺激が患者の症状の発現に大きな影響を与えているものと思われた。

まとめ
今回の実習を通して学んだことを忘れずに、これからも知識を吸収し、よい医師となるように、学んでいきたいと考えています。 (以上)


いいレポートを書くために


レポートが完成した時点から、黙読3回、音読2回程度は、自分で読み直してみるほか、一晩おいて翌日見直すことも意外と効果がある。漫然と読むのではなく、批判的に読む訓練を重ねる。また、自分の文章を他人に読んでもらったり、読み聞かせて意見や批評を受けることも効果的である。
パソコンで書いた場合は、モニタで推敲するだけでなく、一度は印刷をして、推敲すると、気づかなかったミスの発見につながる。

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