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2021年06月30日19:45

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愛する子供に捧げたモノ

モノの価値を探究している者としては

むむっと、ほっとけない記事。


そもそも無駄なモノというのはなく、

この記事は、行為に対して言ってるので

“教材“が無駄でなく、“新しい教材を買う行為“が

正しい言い方なのではと思う。


そうでもないと、見えないところで、

子どもために怪我しないようにとか

使いやすいようにとか、それなりに考えて

遅くまで機械を動かして、作っている人たちも

この世には実在するから、その教材は存在する。


それを無駄と言っちゃ、泣いちゃうよ、

切ないよ、それを作っている人たちは。

需要があるないの話と無駄の話はまた違う。


教材に罪はない。

無駄というなら、無駄にしてるのは人だ。

この記事が伝えたい本質は

きっと、そんな部分のはずだと祈りたい。


あの日、あの時、

愛する我が子のために買った、

たくさんの新品の教材。

たくさんのオモチャ。


やがて、子供は成長して、

使われなくなってゆくモノたち。

その行為はすべて無駄だったのか?


新品を手にした子供の笑顔、

オモチャを前に駄々をこねた泣顔。


そんなモノが生む想い出を想像し

愛する子供に捧げたモノたちは

どんなモノであれ、無駄ではなかったと

思ってもバチは当たらないとは思うけど。


私は、末っ子だったので

おさがりではない新品の道具は

めっちゃ喜んでた記憶ばかり。


無駄となりうる教材たちも

親の愛情表現の一つと思えたら、

少しは、笑えるのだろうか

もしくは、泣いてしまうのだろうか。


いずれにせよ、

子供のために、もっと笑おう。

子供のために、もっと泣いてみよう。


きっと、きっと、その分、

いつか大人になった子供たちは

たくさん笑ってくれるでしょう。

たくさん泣いてくれるでしょう。

愛情をくれた父、母のために。


そう、信じてみましょうよ。

そう、願って見守りましょうよ。

愛する子供に捧げたモノと共に。


■算数セットや彫刻刀など買ったのにほとんど使わない教材。無駄なのでは?
(ママスタジアム - 06月29日 23:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=6573342
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