有名な「悪人正機」の部分です。
【本文】
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
しかるを、世のひとつねにいわく、
悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。
この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆえは、自力作善のひとは、
ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、
弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、
真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、
生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、
悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。
【私感】
法蔵菩薩(阿彌陀佛)は、「みんなを救いたい」と願ったのです。
ただ、自力で善行ができる人は、阿彌陀佛に頼らなくてもいいと思っていて、
善行ができない人(=悪人)は、阿彌陀佛に頼るしかないのです。
だから阿彌陀佛の願いの本意は「悪人」を救うことであったと・・・
ここの最後は「云々」ではなくて、「仰せそうらいき」です。
実はこの言葉は法然上人が言った言葉で、
それを親鸞が「(法然上人が)仰せそうらいき」と語っていたものです。
未だに学校では、この悪人正機を親鸞の思想だとして教えていますけどね。
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