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2019年11月14日21:35

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11月国立劇場/古典と新作の間で。通し狂言「嬢景清」

19年11月国立劇場/「孤高勇士嬢景清」と「嬢景清八嶋日記」の比較


俊寛か、景清か


「孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)」という外題は、吉右衛門主演の今回の歌舞伎興行のために新たにつけられた。「大仏殿万代石楚(だいぶつでんばんだいのいしずえ)」と「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」を踏まえて、新作された。古典の演目を骨格に、新作歌舞伎で肉付けをした、という格好になっている。主役の吉右衛門は、一世一代の景清を演じる心算ではないか、と見た。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、三幕目「手越宿花菱屋の場」、四幕目「日向嶋浜辺の場」、「日向灘海上の場」。

今回の主な配役は、次の通り。悪七兵衛景清(吉右衛門)、源頼朝と花菱屋長(ちょう)の二役(歌六)、景清娘・糸滝(雀右衛門)、花菱屋女房・おくま(東蔵)、肝煎・左治太夫(又五郎)ほか。

今回のこの劇評のポイントは、二つの比較論である。
1) 歌舞伎「孤高勇士嬢景清」と人形浄瑠璃「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」。さらに、古典歌舞伎と新作歌舞伎「日向嶋景清」。新作歌舞伎の外題は「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」と、読む。
2) どちらが良いか? 俊寛か、景清か。

平家の武将・悪七兵衛景清は、平家滅亡後も、源氏の大将・源頼朝の命を付け狙い続けたと伝えられる人物。勇士を慕う京の清水坂の遊女や熱田神宮の姫のことも含めて、「景清伝説」として、能楽など様々な芸能の素材として好まれ、「景清もの」という系統のジャンルを残した。定説に従うならば、「景清もの」には、ふたつの系統がある、と言われる。幸若舞の「景清」(室町時代成立)の系統。景清が拝眉した頼朝の面前で両目を突き、源氏への復讐を断念する、というストーリーを残す。この系統の作品では、近松門左衛門原作の「出世景清」、文耕堂・長谷川千四合作の「壇浦兜軍記」など。

もう一つの系統は、謡曲「景清」(作者不詳)の系統。盲目となり、日向に流れ着いた景清が、はるばると訪ねてきた娘の父親を思う心に打たれる、というストーリーを残す。この系統の作品では、元禄から享保年間に活躍した松本治太夫の古浄瑠璃「鎌倉袖日記」(初演未詳)などがある、という。この二つの系統を集大成したのが、「大仏殿万代石楚(だいぶつでんばんだいのいしずえ)」。1725(享保10)年大坂豊竹座初演。この演目の主要な場面は、「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」に、そのまま採り入れられた。中でも、「日向嶋(ひゅうがじま)」は、時代浄瑠璃の大曲となった。歌舞伎では、寛政期以降、「日向嶋」を下敷きにした改作がいくつも試みられた。

古典の「嬢景清八嶋日記」は、人形浄瑠璃では、9年前、10年2月国立劇場で観て以来、19年9月の国立劇場の観劇で、2回目。歌舞伎では、今回の国立劇場が初見。

さて、「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」は、1764(明和元)年、大坂・豊竹座の初演。全五段の時代物。「嬢景清八嶋日記」の主人公は、平家の残党、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)で、景清は、源頼朝暗殺を企てながら、失敗をした。投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、頼朝の面前で自ら己の両目を小刀で突いて、えぐり、盲目の身になり、今の宮崎県の日向嶋(ひゅうがじま)に流れ着いている。いわば、囚われのスパイのような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実際、離島暮らしにもめげず景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、きちんと供養をしている。源氏への強烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身の上だ。

私が観た人形浄瑠璃の場面構成は、「花菱屋の段」、「日向嶋の段」。主筋の「日向嶋の段」の前に「花菱屋の段」が付せられて、身売りする娘をクローズアップする。「嬢景清八嶋日記」が原型の演出。2回ともこの形式で上演されたものを観た。

歌舞伎の今回の場面構成は、すでに紹介したように、以下の通り。
序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、三幕目「手越宿花菱屋の場」、四幕目「日向嶋浜辺の場」、「日向灘海上の場」。

つまり、序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、四幕目後半の「日向灘海上の場」が、付け加えられて、上演された。

序幕「鎌倉大倉御所の場」。鎌倉大倉御所は、源平合戦で平家に討ち勝った源頼朝(歌六)が政権を打ち立てた御所。頼朝は、仏教の教えを守ることが、政権運営の基礎という信念を持っている。平家に焼き討ちされた東大寺大仏殿の再興を図ることが、当面の最大の政治課題と心得ている。近江の武将・三保谷四郎(歌昇)は、合戦で得た平家の重宝を頼朝に献上するために参上してきた。頼朝は、平家の武将・悪七兵衛景清が所持する「痣丸の名剣」を持ってきたかと問う。景清とは、兜の錣が引き千切られるほどの対決をしたが、痣丸を入手できなかったと詫びる。しかも、景清の生死は不明で、いずれ頼朝の命を狙いに現れるかもしれないから、ご注意を、と言う。

二幕目「南都東大寺大仏供養の場」。奈良の東大寺。大仏殿と本尊の盧舎那仏が再建され、きょうは、落成供養が執り行われる予定だ。頼朝が鎌倉から参着した。やがて、読経が始まる頃、興福寺の法師と名乗る男が、僧兵の警護を破って、頼朝に接近してくる。頼朝も、太っ腹なのか、法師に直々の対面を許す。法師は「一門の仇」と攻撃の姿勢を示すが、頼朝は法師こそ「景清」と見抜く。
「平家滅亡は、清盛の悪政ゆえ。自分が仇呼ばわりされるいわれはない」と反駁する。頼朝が自分の源氏の白旗を景清に渡すと、景清(吉右衛門)は白旗を切り裂き、平重盛の「仇を討った」、と涙を流す。頼朝は景清の忠義を称え、源氏への仕官を勧めるが、景清は差添(さしぞえ。小刀)で自らの両目を突く。頼朝の仁心には感謝するが、頼朝の姿を見れば、恨みの心が浮き上がってくる、という。二君に見えず。武士の手本と頼朝は景清を称えるが、景清は、気持ちを引きちぎるようにして、痣丸を手に放浪の旅に出てしまう。

三幕目「手越宿花菱屋の場」。人形浄瑠璃も歌舞伎も、ほぼ同じ内容。駿河の手越(てごし)宿の遊女屋「花菱屋」が、舞台。肝煎り(女衒)の左治太夫(又五郎)が、愛らしい娘・糸滝(雀右衛門)を花菱屋に連れて来る。花菱屋の主人・長(歌六)と女房・おくま(東蔵)をからませて、悲劇の前の、「ちゃり場(喜劇)」が、演じられる。特に、計算高く、人使いの荒い花菱屋女房は、秀逸のキャラクターだと思う。見逃せないポイントだろう。東蔵も好演。日向(今の宮崎県)に流されている盲目の父親を救うために、糸滝は、身を売りたいという。世話になっていた老婆(乳母)が急死して、孤独になってしまったので、身を売った金を持ち、九州まで父親に逢いに行きたいという娘のために、花菱屋の夫婦、店の遊女たち、遣り手婆、針子、飯炊き女、下男までが、娘に餞別を与える場面が、笑いを誘う。肝煎り(女衒)の左治太夫も娘に同行することになる。

四幕目「日向嶋浜辺の場」。花道には、浪布が敷き詰められている。まず、幕が開くと、浅黄幕が、舞台全面を被っている。人形浄瑠璃なら「松門独り閉じて、年月を送り……」と、置浄瑠璃。「切場」(クライマックス)となる場面。「春や昔の春ならん」、幕の振り落しで、舞台中央の、大海原の浜辺に貧相な蓆がけの小屋。無人の舞台。歌舞伎も、浅黄幕の振り落し。険しい崖下に蓆がけの小屋。やがて、上手から景清(吉右衛門)登場。

こういう劇的状況の設定は、「俊寛」と似ている。景清の扮装も、俊寛に似ているので、どうしても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまう。「俊寛」は、1719年初演。一方、「景清」は、1764年。

見えぬ目玉の、白眼しか見せないまま、不自由な手探りで、景清は、位牌を海辺の石(浜の見立てか)の上に置き、密かに平重盛の菩提を弔う。平家の残党の矜持が感じられる。

浜の小屋にいる景清の元へ、沖から船が近づいて来る。廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘が、遊女の糸滝(雀右衛門)と名を変えて、肝煎り(女衒)の左治太夫(又五郎)に伴われて、父親の景清に逢いに来たのだ。しかし、粗末な小屋から現れた景清(吉右衛門)は、自分は、景清などではない、景清は、とうに死んだと偽り、娘を追い返して、ひとり、小屋の中に入ってしまう。頑なな景清。

困惑した糸滝らは、島の奥へ向かい、島に住む里人に出逢ったので、景清の行方を尋ねる。すると、先ほどの男が、やはり父親の景清だと知らされる。再度、小屋に訪ねて、やっと、父親との再会を果たす。「親は子に迷はねど、子は親に迷ふたな」。

しかし、苦界に身を沈めた娘の、いまの身の上を、肝煎りが、「相模の国の大百姓に嫁いだ」と嘘で固めると、景清は、怒り出す。「食らひ物に尽きたらば、なぜのたつてくたばらぬ」。糸滝は、本当のことを語らずに、結局、里人に金と真意を書き留めた手紙を入れた文箱を託して、去って行く。

この場面、船で浜に辿り着いた糸滝らが、父であることを景清に拒絶されると、浜を舞台上手に向かって歩く場面があるが、ここは、歌舞伎では、舞台が、半廻しになり、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清と知らされると、廻り舞台が逆に廻り、元の浜辺へ戻る。

この場面、歌舞伎では、「舞台半廻しで、元に戻る」、という演出になるが、廻り舞台が使えない人形浄瑠璃では、糸滝らの歩みに合わせて、小屋が、景清を入れたまま(ということは、3人の人形遣いを入れたまま)、舞台下手に「引き道具」として、引き入れられる。そして、糸滝らが小屋の戻る場面では、舞台上手に向かう途中で、ユータンをして歩む糸滝らの動きに合わせて、小屋が、再び、中央へ戻って来る。小屋が、舞台中央に安置されると、景清が、小屋掛けの筵を、正面の筵は、御簾のように上げたり、脇の筵は、「振り落し」たりして、再び、出て来る。

その後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届けてくれた事情を知る。「孝行却つて不孝の第一」と景清。景清は、「船よなう、返せ、戻れ」と声をあげ、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だった。


同じく、四幕目「日向灘海上の場」。経緯を知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視していた隠し目付の土屋郡内(鷹之資)と天野四郎(種之助)、いわば、頼朝の意を受けた諜報部員の立場の武士。彼らが、景清の娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に父親・景清の頼朝方への投降を進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、景清は、船で都に向う。この辺りは、俊寛の方に、大いに気概がある。今回の演出では、この船に、糸滝(雀右衛門)まで、同乗している。肝煎とともに先に出た小さめの舟から大きめの船に日向灘の海上で乗り換えたのであろうか。

両目を潰してまで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこそ身を売るようなことをするだろうか、という疑問が残る。俊寛の方がドラマ性でまさる、と言えよう。景清の武士のプライドと娘への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、この芝居のテーマなのだろうが……。徹底性が弱い。俊寛に比べて、景清が演じられる回数が少ない理由も、この辺にあるのではないだろうか。

舞台下手奥から、先に娘たちを乗せて出発した船より、いちだんと大きな船が出て来る。船には、中央に、景清、左右に隠し目付の二人。そして近侍たち。近づきの杯のやり取りの後、船の上から、重盛の位牌などを海に投げ捨てる景清。変心した武士の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、劇的状況も、主人公のキャラクターも、「俊寛」には、及ばない、と思う。//

2005年11月・歌舞伎座で、「日向嶋景清」という外題の新作歌舞伎を観たことがある。吉右衛門がペンネームを使って、書き下ろした。今回の通し狂言「「孤高勇士嬢景清〜日向嶋〜」へ繋がっている部分が多くあると思うので、以下、参考のために掲載しておこう。

「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」は、初見。松貫四の書き下ろし作品。05年4月の四国こんぴら歌舞伎の金丸座が初演。「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」を下敷きにしている。松貫四は、吉右衛門のペンネーム。この劇評では、まず、テキスト論。次いで、役者論、最後に、大道具論という筋立てで論じてみたい。

1)テキスト論。
「嬢景清八嶋日記」の粗筋は、こうだ。平家の残党、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、源頼朝暗殺を企てながら、失敗をし、投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら己の両目をえぐり、盲目の身になり、逮敢て、日向島(ひゅうがじま)に流されている。いわば、囚われのスパイのような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実際、景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への強烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身の上だ。

そこへ、廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘の糸滝が肝煎り(女衒)に伴われて父親に逢いに来る。しかし、景清は、自分は、景清などではないと偽り、娘を追い返してしまう。しかし、娘らは、島に住む里人に出逢って、先ほどの男が、やはり父親の景清と知らされ、再度、訪ね、結局、里人に金と事情を書き留めた手紙を託して、去ってしまう。その後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届けてくれた事情を知り、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だった。それを知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視していた、いわば、諜報部員が、娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に頼朝方への投降を進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、船で都に向う景清であった。

もともと、原作の筋立てに無理があるように思う。両目を潰してまで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこそ身を売るようなことをするだろうか、という疑問である。武士のプライドと娘への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、テーマなのだろう。謡曲の「景清」を原作に無数の役者たちが、工夫をして歌舞伎の劇として、磨いて来た作品だが、しっかりした原作者がいないという戯曲としての根本的な弱さを持ち続けていると思う。それを乗り越えるのは、役者の藝というのが、演じる役者たちのプライドなのかもしれないが・・・。しかし、それでは、劇性は、弱くなる。

「日向嶋景清」も、テキストとしては、「嬢景清」の骨格をそのまま引き継いでいる。そういう根本的な弱さを残したまま、吉右衛門が、役者魂を燃焼させて、科白の一つ一つを書き下ろした。そのチャレンジ精神は、多としよう。しかし、近松門左衛門原作の「俊寛」に比べると、残念ながら、劇としての必然性が弱い。吉右衛門が、熱演すればするほど、違和感が残る。筋の展開に無理が、透けて見える。それに、過剰な演技も、吉右衛門らしくない。吉右衛門の持ち味を殺した演技に見える。こういう役柄は、吉右衛門より、兄の幸四郎向きであろう。

2)役者論。
「日向嶋浜辺の場」。無人の舞台。置き浄瑠璃。清太夫の語り。吉右衛門演じる景清は、まず、舞台上手の揚幕から出て来る。衣装、鬘、化粧などの扮装は、俊寛に似ているので、どうしても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまうという欠陥がある。舞台中央から上手よりの、浜辺の貧相な蓆がけの小屋という設定も「俊寛」と似ている。吉右衛門の演技も、俊寛を思い出させる風格を滲ませる。さはさりながら、これは、俊寛物語ではないから、違和感が、拭い切れない。不自由な手探りで、位牌を海辺の石の上に置き、採って来た梅の枝を飾り、重盛の菩提を弔う。平家滅亡の悔しさ、生き長らえている己の身のふがいなさ、景清役者の大きさの見せ所。この辺りまで、吉右衛門は、過不足なく熱演する。

一艘の船が、花道から本舞台の浜に近付いて来る。背景は、大きな崖である。舞台の中央からくすんだ空間が透けて見えるという殺風景な浜だ。船には、若い娘が乗っている。景清の娘・糸滝(芝雀時代の雀右衛門)だ。肝煎りの佐治太夫(歌昇時代の又五郎)を伴っている。芝雀は、このところとみに父親の雀右衛門に似て来たように思う。竹本は、御簾を上げた床(ちょぼ)の出語りで、清太夫に加えて、愛太夫が、男と女の役を振り分けて語る。人形浄瑠璃の演出を踏襲。親子の再会。糸滝の懇願を拒絶する景清。ここまでは、良い。そして、別れ。書置の手紙を見て、身売りの真相を知り、半狂乱になる辺りから、私のうちに、違和感が吹き出して来る。理屈で、芝居を観ては駄目だろうが、理屈をこえる役者の藝がないと、それも克服できない。里人、じつは、源氏方のスパイ(隠し目付)の土屋郡内(染五郎時代の幸四郎)と天野四郎(信二郎時代の錦之助)とのやりとりで、糸滝は、実の父を知り、景清は、娘を助けるために武士(もののふ)の矜持を捨てる。

「日向灘海上の場」。舞台奥から、大きな船が直進して来る。船には、中央に、景清、左右に土屋郡内と天野四郎。そして水夫たち。船の上から、重盛の位牌と梅の枝を海に投げ入れる景清。変心した武士の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、「俊寛」には、及ばない。役者の仕どころも、殆ど無い場面。

3)大道具論。
ここは、珍しく、大道具を論じたい。まず、幕が開くと、浅黄幕。花道は、浪布が敷き詰められている。舞台は、地絣。浅黄幕が振り落とされると、「日向嶋浜辺の場」。舞台背景は、巨大な崖。中央奥に、空間。地絣が引っ張られると、舞台下手は、海。花道から船で浜に辿り着いた糸滝らふたりは、娘の父であることを景清に拒絶されると、浜を上手に歩く場面があるが、ここは、舞台が、半廻しになり、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清と知らされると、元の浜辺へ戻る。舞台半廻しで、元に戻る。先の場面で、舞台中央より上手側にあった景清の小屋は、今度は、舞台中央に位置が変わっている。同時に、巨大な崖は、舞台中央の空間が塞がれて、崖下の、閉塞感を明らかにする。小屋の蓆が、浅黄幕のように振り落とされる。戦さで別れ別れになった親子の再会の場面を盛り上げる。再会もつかの間の別れ。源氏方の郎党との立回りでは、邪魔になる小屋を黒衣が、ひとりで、上手隅に引っ張って行くからおもしろい。

「日向灘海上の場」。浜の上手を覆っていた地絣も引っ張られ、下に敷き詰めてあった浪布が見え、舞台は、全面海へ変わって行く。巨大な崖も上手、下手へ引き込まれ、また、天井に引き上げられて、という具合に、三方に引き込まれてすっかり無くなり、舞台は、大海原に早変わりする。舞台奥からは、大きな木造船が舞台前面に向けて直進して来る。竹本の3人の太夫と3人の三味線方を乗せた上手の山台も、船のように海の上を滑り出して来る(19年の今回は、浅黄幕振り落しで、海に浮かぶ山台に太夫たちと三味線方が、3組乗っている)。この辺りの大道具の展開は、素晴しい。演出家・松貫四として、照明、装置(大道具など)を初演の反省を込めて、見直したというが、このあたりの演出は、颯爽としていて、素晴しい。できれば、大きな船を出したのだから、舞台を回転させて船を横向きにするなど、もう一工夫欲しい。船を出しただけで、終わりという印象で、勿体ない。
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