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2015年09月20日10:21

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松下幸之助「耳に痛い忠言でも」




神渡良平「佐藤一斉『言志四録』を読む」(致知出版)より。

識量は知識と自ずから別なり。知識は外にありて、識量は内にあり。(言志後録210条)

見識、度量と言われるものと、知識は自ずと別物である。知識は外から来るものであるが、見識、度量は自分の内に培われるものである。(上記、現代語訳)


あるとき、松下幸之助が日本能率協会で行った講演が大変受けたので、これを単行本にしようという話が重役会にかけられた。松下幸之助のことなら反対する者はいない。とんとん拍子できまりかけたところ、末席の平取締役が手を挙げて意見を言った。

「会長の説かれた労使関係論はたしかに傾聴に値することですし、もしこれが実現すれば、理想的な労使関係が樹立されるでしょう。しかしながら、ご講演をそのまま単行本にして世に問われるのは時期尚早ではないでしょうか

理由は、会長が理想とされる労使関係についての講演内容と、松下電器の実情がいささか乖離(かいり)しており、それを読んだ読者は、ひどく裏切られたように感じるのではないかと思われるからです。これは松下電器にとってもマイナス要素です。したがってこの出版は取り止めるべきではないでしょうか」。

かく発言したのは、取締役26人中25番目でしかなかった冷機事業部長の山下俊彦である。山下の率直な意見に松下は一瞬鼻白んだが、直言をよしとして単行本化は取り止めになった。

先輩取締役をさしおいて発言する。しかも痛い忠告をするというのは勇気がいるものだが、それに耳を傾けることも度量がいることだ。松下は常々こう言った。

「戦国時代、合戦をするときには、必ず、帷幕の中から、『恐れながら・・・・』と大将に逆らってまでも意見を具申する侍がいたものだ。いまの松下電器にそういう者がいるかどうか」。

だから、山下俊彦のような男の出現は松下にはうれしかったにちがいない。

しばらくして松下は25人抜きで山下を取り立て、社長に据えるのだが、そのときの弁。

「あれは何でもズバズバとわしにものをいう男だから・・・・」
「一国争臣なければ殆(あやう)し」

と言う。争臣とは主君に直言して争う臣のことである。その争臣を社長に抜擢したのだから松下の識量も並々ならぬものがあったと言えよう。

ここで言う識量とは、見識、胆識とも言われるもので、知識が経験と修養を経て、その人の血となり肉となってでき上がるものである。知識だけでは仕事はできない。知識は見識、胆識へと変っていかなければいけない。




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