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2007年07月17日04:07

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時間の存在

時間は待ってはくれない、常に流れ続けていく・・・。
普段生きている上で、あるのが当たり前になっているものほど、
尊く大切なものだという認識が人は失せている。
時間、酸素、そして両親の存在などがそうだろう。

ここでは時間について考える。
自分達はどれだけの時間を有意義に、また無駄に使ってきたのだろうか?
気付けばもう、こんな歳になってると誰もが感じたことがあると思う。
人は目に見えるものにしか意識が向かないものである。
今という瞬間は大切にするが未来の時間に対して意識を向ける事が出来ない。
どういう事かというと目に見えるもの、簡単な例をあげると信号機や電車の待ち時間などがその一つ。。
この信号、この電車を逃すと待ち時間が勿体無い。
たかだか数分〜数十分の無駄な時間を過ごすのが自分は許せないのだ。それは辿り着きたい目的地が自分の中に明確にされているからである。
時間を無駄にしたくないからこそ、満員電車にも人は自ら進んで飛び込むことができるのだ。

では、そうした一日の中での瞬間的なものではなく、自分が死ぬまでの時間を意識してみたらどうだろうか?
時間を無駄にしたくないと思う時とはハッキリとした目的意識がある時。
目的、目標、夢を明確に持たない人間は時間を大切にしていないと言ってもいい。
要するに人生の中でしっかりとした目標、ここで言う辿り着きたい場所を持っていないと家から出る必要が無い訳で赤信号、電車の待ち時間でイライラする事もない。
時間を大切にしたい、時間を無駄にしたくないという気持ちが生まれないからだ。
普段の生活では数分〜数十分の無駄な時間が許せないのに人生においては、なんのイラつきもなく平々凡々と暮らしてしまう事になる。
赤信号で「急がなくちゃ」という行動を、人生の大きな時間の中での目標に早く気付いて行動したい。

金持ちも貧乏人も与えられた時間は平等である。
なんの条件もなく自分自身が時間を有意義に使える権利を持っている。
ならば、時間を無駄に使うのは非常に勿体ない。
小さな無駄な時間を無くす事にあくせくするよりも、もっと大きな無駄な時間を無くす事を大切に考えた方がいい。
満員電車に飛び乗る度に、いつもそう考えてしまう。

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