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2024年04月28日20:54

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『ゴジラ-1.0』

 『シン・ゴジラ』で十分に満足していたので、しばらくゴジラを映画館で観なくてもいいと思っていた。それは本作がかなり話題になり、さらにアカデミー視覚効果賞をとっても、別に変わらなかった。

 その間、無駄にネタバレとかもくらった(話題作なのだから、仕方がないのだけど)。高雄と雪風と震電が登場すると知った時には、それはたしかに面白そうだと思ったけど、もうここまで来ると今さら見てもなあという感じすらあった。

 結局、見ることになったのは『オッペンハイマー』から連想して、日本の戦時中の核物理学者たちの群像劇、東京フォーラムこけら落とし公演の『東京原子核クラブ』を思い出したからだった。そこから、原爆映画二本立てという企画が勝手に立ち上がり、年一本も映画館へは行かないのに、『ゴジラ-1.0』と『オッペンハイマー』を立て続けに見たのだった。

 『ゴジラ-1.0』はチネチッタ川崎で見た。シネコンもある総合娯楽施設だけど大手チェーンではなく、独立系という特異な存在である。川崎駅東口にしては珍しく文化の香りのする界隈で、ラゾーナができるまでは川崎の最先端スポットだったのだろうなあと思う。なんとなく自分には上品すぎる気がしていて、ここにはほとんど足を向けてこなかった。映画を見に行くのは初めてだったけど、どうやらここでは対面でないとチケットが買えないようだった。
 もちろん、ネットで予約して発券する仕組みはあるのだけど、来場してからチケットを購入する場合は、窓口でしか買えないらしい。
 その方がいいという人も多いのだろうけど、もう自分はすっかり相手の発言を聞きとったり感情を読みとってそれに反応するのが億劫で、販売機で表示される選択肢を選んでいくのが断然に楽なのだった。なにかが衰えてしまっているせいかも知れないけど、易きに流されてはいかんと踏みとどまる気力もわかないのである。

 チケットを買うときに、さして気にもとめず「字幕」という表記のある上映を選んでしまったのだけど、これがほとんどのシーンに日本語の字幕が表示されるという代物で、鬱陶しいことこの上もなかった。聴覚障害者向けの上映ということだったのだろうか。そういうことなら、こっちが鬱陶しいぐらいは、別にどうでもいいのだけれど。

 映画は当たり前におもしろかった。ぬるいというか、甘すぎる気がするところもあるけれど、できるだけ幅広い層へ訴求したいということなら、まあ、そういうバランスかなというところに落としこんである。というか、そういうことであれば、ちゃんと踏みこんだシーンもけっこうあったと思う。

 成功の要因としては、なにより戦後すぐという時代設定の妙が挙げられる。ゴジラ映画の醍醐味といえば、やはり、怪獣が大暴れして街を破壊するシーンの迫力が外せないけれど、近作では建物が大きくなっていてゴジラがどうしても相対的に力不足気味だった。苦肉の策として、ゴジラもあわせて巨大化していたけど、なんだか不毛なインフレに付き合っているような雰囲気すらあって、閉塞感すら漂っていたのである。
 その点、敗戦直後、もはや軍備がほぼ枯渇したところへ巨大怪獣が襲いかかってくるというのは、絶望的なだけにこれ以上もないほど映画としては盛り上がる、おいしい状況といえる。はっきりいって、もうこの時点で勝っている。企画の勝利である。

 もちろん、実際には米軍という面倒くさい存在もあるのだけど、作中では娯楽作品としてその要素を少しの台詞で潔くすっぱり割愛している。
 実は、旧軍の兵器が活躍するというあたり、かつてそれなりに流行した架空戦記を思い出し、今度は勝つためにやり直したいだけなのじゃないかという危惧もあった。そうなると、ゴジラ第1作のテーマがひっくり返ってしまうわけで、キツい展開になったらしんどいなという気持ちもあったのだけど、登場人物たちが抱えている戦争の傷跡にも触れられていて、そのあたりは杞憂だった。

 主人公が生活に窮した挙句、機雷の掃海任務に志願して、そこでゴジラと再会するというシークエンスも秀逸だと思う。ないもの尽くしの状況にあって、ゴジラを水深の深い相模湾に沈めて水圧で潰そうとする作戦も、シン・ゴジラより映像として映えるし、スリルの点でもまさっていると思う。
 ダメならまた浮上させて、というのはやや冗長な気もするけど、映画として映像できっちりケリをつけなくてはいけない以上、最終的な落としどころとして間違っていないはずである。

 割と早い段階で一度は自殺攻撃を匂わせるのも、うまい処理といえる。なんせ渡辺謙もそれに抗しえなかったのだから、見ている方はどうしてもそこを意識してしまう。
 もちろん、「脱出装置もない戦闘機で」というセリフや、意味ありげな表情で震電の座席に目をやる青木崇高のシーンからして、オチは読めてしまうのだけど、そこはむしろ、わかっているゆえに安心して見れるし、ラストにも不思議な達成感があった。
 震電はプロペラが後ろにあるから、脱出装置との相性は悪いと大昔に読んだ記憶があるけれど、実際にそこのところがどうのかはちょっと気になるけれども。
 あと、作中の雪風の艦長は堀田という役名だったけど、俳優が寺内正道に似ていて、ちょっとおかしかった。

 ハリウッドでゴジラが製作されるという話を最初に聞いた時、もう日本でゴジラは作れないのだろうと思った。しかし、ハリウッドのゴジラがある意味でゴジラの呪縛から抜けられないでいる一方、日本のゴジラは再解釈によってその意味を問い直すことで、新たな展開を見せ健闘していると思う。
 こういうのも、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということなのかもしれない。

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