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2022年01月20日01:39

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「笑ってる場合ですよ!」

 フジテレビ系列で1980年10月1日から1982年10月1日まで平日(毎週月曜日 - 金曜日)の12:00 - 13:00(JST)に生放送されていた帯バラエティ番組。『森田一義アワー 笑っていいとも!』の前身番組にあたります。

 当時は漫才ブームでしたがその中心となるB&Bを司会に据えていました(のちに月曜のみに)。ほかにツービートや伸介・竜助や明石家さんまなども日替わりで出演。彼らが何を言ってもやってもアルタスタジオにつめかけた観客は笑い転げていましたが、ゆいいつの例外が「東京乾電池」。「日刊乾電池ニュース」というコーナーで時事ネタのコントを演じたのですが、誰もくすりともしませんでした。会場はシーンと静まりかえっていたので、なにかの物音までをマイクが拾っていたものです。ベンガル・綾田俊樹・松金よね子らの所属メンバーと大橋恵里子が汗だくになって演じても空回りするばかり。高田純次は「土用波三四郎」の名前でピンでにこにこしながら解説のようなことをしていました。メンバーでも座長の柄本明はたしか出ていなかったと記憶しています。固定ファンを動員したかなり人気のある劇団でしたが、漫才ブームのなかにあって渋谷でのようにはいかなかったようです。

 番組内には「お笑い君こそスターだ!」というコーナーがありました。このコーナーでは毎回アマチュア、あるいはプロでもまだブレークしていない無名のお笑いタレントに門戸を開放し、全国の視聴者からの支持が一定量集まれば合格で、これを5日間勝ち抜けばグランドチャンピオンとなるというものでした。
 ここに私の二度目の大学生活での学友が出演しました。宮崎クンという英米文学科に通うかなりイケメンの男です。用意されたテーブルに白い布をかけたものの前に座り、一人で漫談をしていました。笑いもそこそことっていました。司会者から「学業のほうは?」と訊ねられると「留年です!」とやり返し、また笑いをとっていました。街を歩いていると「あの人ABABにいたよ」という声も。そうです。宮崎クンはABAB UENOでバイトをしていてあまり大学には来なくなっていたのです。「すっかり有名人になったんだな」と思いましたが、残念なことに三日目で出演は途絶えてしまいました。
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