日本は、 八百万の神様がいるという実に不思議な国。
これについて、いろいろな本を読んだことあったんだけど
そもそも、世界的に神様の化身は動物の”熊”だったらしい。
韓国語のコム=熊
アイヌ語のカムイ=神=熊
ケルトのアーサー=熊
日本の紀伊半島にある”熊野” あの熊野古道の熊野。
日本の第一天皇の神武天皇が九州から
大和に王権をたてようとしたんだけど
熊野の場所であやしい気に襲われ軍隊が意識が
なくなったことから、熊の仕業と思われた。
熊野は別名で、第一天皇が大和に来て、王の座を得る際、
熊野の森林を通って大和に辿り着いたことから、
”神”の”野(坂の意)”とも呼ばれ”神”⇒”熊”
そっから熊野になったという逸話もあるとか・・・。
ということで、
いわゆる日本人のホトケさんってのは
とにかく”熊”だった。
というか・・・・
目に見えないもの得体のしれないもの。
それをあえて目に見える形にした結果が”熊”。
じゃ、なんでホトケさんっていうか?
ホトケ=”仏”=ブツ
そのころ、インドから
”ブッタ” 仏教が流れて
”ブッタ”の中国語の当て字が”仏”
ブツとは呼ばずに、ホトケ。
ここからややこしい。
”ブツ”と”ホト”が同じ意味であるが、ケだけが違う。
ケは、もののけのけ、つまり得体のしれない”気”
その意味が込められホトケって日本語が出来たという。
そのあたりで、ホトケさんという
日本の頭の中にある得体のしれないものが
熊から仏像に切り替わるのだけど
もともと、仏教を伝えに来たとき
今でいう仏像を持って伝えにきた
もんだから、日本人はこれはブッタじゃないだろ!
ただの木造の像だろって、仏像=仏=仏教を拒んだ。
でも、だんだんホトケさんを崇拝する際に、
なにか実体めいた熊以外のものがないと、
なんとも虚しくなってきた。
なので、しかたなく仏の像を作るようになって、
人はそれをやっと拝むようになった。
実際、仏教のもとのインドでも最初に作られたのは、
仏像でなく仏像の椅子だけだったそう。
椅子に座る目に見えないものを人々は拝んでいた。
そこから仏像の存在によって今度は、
逆にそこに各地のいろんな仏さんを
詰め込むようになって崇拝した。
七福神もそう、あれはもとはインドの神様だったら、
動物だったり、中国の神様がモデル。
こんな感じで、日本の八百万の神様は、
そんな日本人のホトケさんに対する豊かな心が
作り上げた神様たちだった、その昔は。
今や日本は豊かな環境に侵されてきて
同時に豊かな心を失いつつある。
仏像に収まっていた神々は、人に乗り移った。
せめて、トイレで止まっていればよかったが、
お客様という人間に乗り移り、人間は勘違いし、
拝んでいたもののけが拝めと叫ぶようになった。
いつか、人間は初詣にお賽銭を投げて
「お客様は神様だぞ、願いを叶えろや〜」
「賽銭入れただろう〜」
なんていう風物詩が来てしまうのだろうか?
最近は、賽銭箱が電子マネーに対応してきた。
いっそのこと、どの店も賽銭箱のレジにしたら
少しは、お客様の都合の良いその神様、ホトケ様は
元の鞘に帰ることができるんじゃないかな。
■硬貨を投げる「あごマスク客」に店員が「私、奴隷じゃない」 弁当屋「カスハラ」騒動の意味
(弁護士ドットコム - 06月05日 10:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=6543872
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