mixiユーザー(id:67555457)

2021年06月05日23:26

128 view

神様、ホトケ様、お客様

日本は、 八百万の神様がいるという実に不思議な国。

これについて、いろいろな本を読んだことあったんだけど

そもそも、世界的に神様の化身は動物の”熊”だったらしい。

韓国語のコム=熊
アイヌ語のカムイ=神=熊
ケルトのアーサー=熊

日本の紀伊半島にある”熊野” あの熊野古道の熊野。

日本の第一天皇の神武天皇が九州から

大和に王権をたてようとしたんだけど

熊野の場所であやしい気に襲われ軍隊が意識が

なくなったことから、熊の仕業と思われた。


熊野は別名で、第一天皇が大和に来て、王の座を得る際、

熊野の森林を通って大和に辿り着いたことから、

”神”の”野(坂の意)”とも呼ばれ”神”⇒”熊”

そっから熊野になったという逸話もあるとか・・・。


ということで、

いわゆる日本人のホトケさんってのは

とにかく”熊”だった。

というか・・・・

目に見えないもの得体のしれないもの。

それをあえて目に見える形にした結果が”熊”。


じゃ、なんでホトケさんっていうか?

ホトケ=”仏”=ブツ

そのころ、インドから

”ブッタ” 仏教が流れて

”ブッタ”の中国語の当て字が”仏”

ブツとは呼ばずに、ホトケ。


ここからややこしい。

”ブツ”と”ホト”が同じ意味であるが、ケだけが違う。

ケは、もののけのけ、つまり得体のしれない”気”

その意味が込められホトケって日本語が出来たという。


そのあたりで、ホトケさんという

日本の頭の中にある得体のしれないものが

熊から仏像に切り替わるのだけど

もともと、仏教を伝えに来たとき

今でいう仏像を持って伝えにきた

もんだから、日本人はこれはブッタじゃないだろ!

ただの木造の像だろって、仏像=仏=仏教を拒んだ。


でも、だんだんホトケさんを崇拝する際に、

なにか実体めいた熊以外のものがないと、

なんとも虚しくなってきた。


なので、しかたなく仏の像を作るようになって、

人はそれをやっと拝むようになった。


実際、仏教のもとのインドでも最初に作られたのは、

仏像でなく仏像の椅子だけだったそう。

椅子に座る目に見えないものを人々は拝んでいた。


そこから仏像の存在によって今度は、

逆にそこに各地のいろんな仏さんを

詰め込むようになって崇拝した。

七福神もそう、あれはもとはインドの神様だったら、

動物だったり、中国の神様がモデル。


こんな感じで、日本の八百万の神様は、

そんな日本人のホトケさんに対する豊かな心が

作り上げた神様たちだった、その昔は。


今や日本は豊かな環境に侵されてきて

同時に豊かな心を失いつつある。

仏像に収まっていた神々は、人に乗り移った。

せめて、トイレで止まっていればよかったが、

お客様という人間に乗り移り、人間は勘違いし、

拝んでいたもののけが拝めと叫ぶようになった。


いつか、人間は初詣にお賽銭を投げて

「お客様は神様だぞ、願いを叶えろや〜」

「賽銭入れただろう〜」

なんていう風物詩が来てしまうのだろうか?


最近は、賽銭箱が電子マネーに対応してきた。

いっそのこと、どの店も賽銭箱のレジにしたら

少しは、お客様の都合の良いその神様、ホトケ様は

元の鞘に帰ることができるんじゃないかな。


■硬貨を投げる「あごマスク客」に店員が「私、奴隷じゃない」 弁当屋「カスハラ」騒動の意味
(弁護士ドットコム - 06月05日 10:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=6543872
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する