後の歴史書には2021年の日本がどのように書かれるのか興味深いところである。
「金と利権にまみれたオリンピックの開催に固執した菅義偉政権により、東京オリンピックが新型コロナウィルスの変異株の感染拡大の中無謀にも開催され、世界各国から選手団が来日し、首都圏を中心にあらゆる変異株の感染が爆発し、日本社会崩壊を加速度的にはやめた。日本は無謀な戦争に突き進んだ戦前の歴史、さらには日本で起きた感染症の歴史から何も学ばなかった愚かな民族であった。」
このように記述されるのであろうか?
新型コロナの流行してから何冊か、感染症の歴史に触れた本を読んだが、どれもピンと来なかった。
そして、今回この本を図書館で入手して読んだ。
磯田道史著『感染症の日本史』である。
この書評については新聞では産経新聞のがネットにあったので紹介する。
こちら
↓
https://www-sankei-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.sankei.com/life/amp/200926/lif2009260007-a.html?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16201406875478&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Flife%2Fnews%2F200926%2Flif2009260007-n1.html
この著者は2010年には森田芳光監督で映画化された『武士の家計簿』の著者であり、憲さんも一目おく歴史学者である。
参考
↓
【磯田道史】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E7%94%B0%E9%81%93%E5%8F%B2
この先生、この著書ではじめて知ったが「歴史人口学」の泰斗(たいと)慶應大学名誉教授で先年鬼籍に入られた速水融(はやみあきら)氏のお弟子さんだったらしい。
歴史人口学は歴史書を読んでいると見かけるキーワードであり、憲さんも注目していたが、まだ速水先生の著作は読んだことがない。
何でも、江戸時代の「宗門改帳」をもとに生誕・死亡や結婚などのデータを積み重ねる方法によりその時代の人口動態から経済を読み解く方法である。
ちなみに、速水先生は経済学部の先生であるが、磯田さんは文学部史学科であったがお弟子さんになられて研究したそうでありその辺りの経緯が最終章に書かれており興味深い。
速水先生は、晩年に大正期に大流行したスペイン風邪の感染症を歴史人口学を駆使して分析をして、『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』を著したそうである。
この著作により、当時のスペイン風邪の具体的な感染経路やクラスター発生のメカニズムを明らかにした画期的な著作であったことを弟子である著者自身が熱く語っている。
今回の『感染症の日本史』も師匠譲りの「歴史人口学」も駆使?して現在進行形の新型コロナウィルス感染症への「傾向と対策」を歴史学の観点から提言しているものである。
ところでこの間、憲さん冒頭にも書いたが、医者が書いた本を何冊か、そして新聞やテレビでも医者の書いている文章や発言を聞いたが、いま一つピンと来なかった。
確かに、医者は文章を書いて人に伝えるのが仕事ではないからかも知れないし、また、憲さんと「歴史学」の親和性が高いからかも知れないが、今回のこの著作が憲さんにとっては新型コロナウィルス対策について一番しっくり来て分かりやすい提言であったことは間違いない。
この先生、江戸時代の武士の研究が専門らしいのだが、今回の著書を読む限り医学にも造詣が深く「文系だから理系のことはわからない〜!」などとのたまう文系のエセインテリ学者とは違い、大変現在の新型コロナ禍のパンデミックにおける貴重な提言となっていて頼もしかった。
そして、この本を読んで憲さんが特に再確認したことは「現代に比べ、江戸時代の方がよっぽどマシだった!」ということである。
その例として挙げられているのが米沢藩上杉家の「名君」の誉高い上杉鷹山(ようざん)(治憲はるのり)である。
鷹山は寛政7年(1795)年に米沢藩を襲った痘瘡(そうとう・天然痘)流行の際にその名君ぶりを遺憾なく発揮している。
参考
↓
【天然痘】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%84%B6%E7%97%98#:~:text=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E7%95%8C%E3%81%A7%E3%81%AF%E4%B8%80%E8%88%AC%E3%81%AB%E7%97%98%E7%98%A1,50%25%E3%81%A8%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E3%81%AB%E9%AB%98%E3%81%84%E3%80%82
【上杉鷹山】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%B2%BB%E6%86%B2
鷹山は感染流行の際、次から次へと患者や困窮者の支援策を打ち出している。
以下、本書の引用。
まず打ち出したのは、生活が成り立たない者がいれば申し出なさい、という指示でした。(中略)鷹山は「生活困窮者の洗い出し」から着手したのです。(中略)鷹山は、本当に困っている人に支援を届けようとしました。続いて、一ヶ月後にまた、「疱瘡(ほうそう)流行のため、重ねてお手当てを出します」と繰り返しています。
また、家族全員が罹患し、看病する者がいなくなってしまう事態も想定し、「首尾よく回復するように、常に見回って、隣近所で助け合うように」と、家庭看護の“崩壊”が起きないように心を砕いています。
さらには、江戸から天然痘専門の医者も呼び寄せて、対策チームの指揮を執らせました。医学リテラシーの高い米沢藩らしい先進性です。
(中略)
加えて、こうした施策を進めていることが知られているのは「まだ城下町だけで、遠方には伝えられていない」と、遠隔地域の領民にも目を配っています。
以上、引用終わり。
(´Д`)=*ハァ〜
どこかの国のボンクラ総理に聞かせてやりたい話ですな!
そして、先生は続けます。
このとき、鷹山は、「御国民治療」という言い方をしています。「国民」、つまり大切な藩の領民は、必要な医療を受けなくてはならないという強い意思に基づいて、次々に手を打ちました。
(´Д`)=*ハァ〜
どこかの国の病人や老人から医療費をふんだくる野蛮な国家とは大違いですな!
参考
↓
コロナのさなか自公が高齢者の医療費負担を2倍にする法案を強行採決へ! 厚労委でコロナ対策の議論より医療削減優先する異常
https://lite-ra.com/i/2021/05/post-5877.html
さらに、鷹山はもうひとつ大きな教訓を遺しています。と先生は続ける。
鷹山は、これだけ手を尽くしたにもかかわらず、多くの領民が死んだのを悔やみ、〈去年、痘瘡流行、国民夭折につき、年始御儀式を略殺す〉と、翌年の正月の祝賀をやめました。そして、被害の規模を詳細にきちんと記録に残しています。「江戸の名君」と呼ばれるような為政者は、これほどの気持ちで、民の命に向き合っていました。
憲さん、これを読んで不覚にも落涙してしまいました。
現在のこれだけ医療が発達した現在においても、その政治の貧困により何人もの人が感染症で死んでいく悔しさと、このような民の命に真剣に向き合った「名君」がいた「封建時代」と呼ばれた「江戸時代」がかの薩長の連中に蹂躙され、破壊され、今なお貶められていることへの怒りでです。
菅は、100年に一度と言われる、もはや人とウイルスの戦争状態のコロナ禍のなか、出来もしないスポーツの狂乱騒ぎをまだ追求しようとしているのです。
今のボンクラ宰相菅と名君上杉鷹山を比べるのも憚(はばか)られますが、このような立派な人物が今の為政者であればと悔やまずにはいられません。
そして、先生もこうまとめています。
以下、引用。
感染症流行時の「生活支援」「医療支援」は国民にとして当然、享受してよい権利(=国民療治)です。国民は税金をそのために払っています。観光キャンペーンに兆単位の税金を使いながら、コロナ患者を看る看護師の困窮に無策もしくは、「遅策」なのは問題ではないでしょうか。医療現場の自己犠牲に頼るパンデミック対策であってはなりません。
古文書を読んでいると、「江戸時代の我々より後退していないか」と鷹山に叱られているような気がします。
以上、引用終わり。
まさにその通りである。
しかし、菅は「コロナ患者を看る看護師の困窮に無策」どころか、看護師500人を五輪に派遣しろ!医者を五輪にボランティアで派遣しろ!などと狂気じみた政治を行っているのだ!
もう、うんざりである。
これなら、まだ江戸時代の米沢藩の方が百倍、いやなん万倍もまともではないだろうか?
憲さんはそう痛感した。
そして、憲さんにとってこの本で圧巻だったのはやはり冒頭でも紹介した。速水融先生の話である。
最後の章に磯田先生は「歴史人口学は『命』の学問」と章建てし、ここで先生が歴史をなぜ、そしてどう学ぶかが簡潔に書いている。
磯田先生、これをどうしても書きたかったらしい。
そして、憲さんが瞠目(どうもく)したのはその師である速水先生の唱える「速水史学」である。
ここで簡単に紹介する。
速水史学の一つの特徴が人類が通る経済発展の道筋を「二系列」で捉える考え方である。
速水先生がこれを唱えたころ、主流だったマルクス主義歴史学は「封建社会→工業化→資本主義→共産主義」という「発展段階論」であり、また、非マルクス主義的な歴史学も同じような「単線的な社会進化論」を前提としていた。
これに対し、速水史学はエジプトやインド、中国など古代文明が発達し、古代社会の経験が特徴的な社会を「第一系列」と呼び、そのような社会は古代文明の終焉とともに、“化石化”現象を起こし、ごく最近まで“冬眠状態”を続け、ようやく二十世紀、近代化の胎動を始めたが、それは、“政治優先”で、強大な権力をもった少数の指導者によって進められるのが特徴だそうである。
たしかに、中国やエジプトなどはそうである。
これに対し、「第二系列」として西欧や日本など、古代文明時代には文化らしい文化がなかったが、第一系列の社会や文化との接触により、社会が変化し「中世封建社会」が形成され、さらに経済的要因でそれらを否定し近代化がはかられていく社会であり、その特徴が「資本主義経済」と「議会制民主主義」だそうである。
なるほど、日本はまさにその典型であろう。
このような社会発展の歴史観は新鮮であるし、興味深い。
それに、憲さんはいわゆる日本の「明治維新」の評価についてはやはりマルクス主義的な歴史観である「封建社会→工業化→資本主義→共産主義」という単線的な「発展段階論」では完全には評価できず、誤っているとすら感じている。
参考
↓
憲さん随筆
憲さん随筆アーカイブス 国学者塙次郎はなぜ殺されたのか?
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-676e3e.html
これについては、憲さんにおいてさらなる研究が必要である。
そして、速水史学のもうひとつの特徴が「勤勉革命」である。
それは、西欧の「労働節約型」の産業革命 に対し、日本の江戸時代にも高い経済成長と経済の高度化が見られることを指摘し、それは「労働集約型の生産性向上」、すなわち「勤勉革命」が生じたという説である。
これは、西欧の産業革命では、労働資本比率において資本分が増加し、労働が節約される形を取った。すなわち人力を節約するために、たとえば農業では家畜を、工業では動力機関を使用する方向に変化した。一方日本の江戸期、農村における労働力としての家畜の使用は、時代が進むにつれ減っていたことを速水先生は明らかにし、すなわち労働資本比率において、江戸期の農村では資本比率分が減り、労働比率分、すなわちマンパワーが増加していったのであり、西欧の変化とは逆の動きである。このような変化にも関わらず、江戸期の農業生産は増加して行った。これは前述のように農民がより勤勉に働くようになったために起こった現象であるためであり、それを「勤勉革命」(industrious revolution) と名づけたのだ。
参考
↓
【速水融】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E6%B0%B4%E8%9E%8D
そして、日本の江戸時代は「直系家族社会」により識字率や教育水準が高く、勤勉であり、さらに「兵農分離」により都市は大きくなり、定額制の年貢なので、農村部にも富が残り、社会全体に富を蓄積しようという動機が生まれ、現在のような化石燃料を使わない「プロト工業化」すなわち農村部における手工業生産の拡大という現象により、江戸時代にはすでに「経済社会」が誕生していたというのが速水説だそうである。
参考
↓
【プロト工業化】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%8C%96#:~:text=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E5%8C%96%EF%BC%88%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%8E%E3%82%87,%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
速水史学はそれを江戸期の濃尾地方の歴史人口学により証明したそうである。
そして、磯田先生はこうまとめている。
以下、引用。
「第二系列」の日本の場合農奴は存在せず、独立自営の傾向の強い、小百姓の家族農業が自ずと盛んになり、「経済社会」が自発的にできあがりました。明治以降の日本の近代化の土台は、すでに江戸時代に培われていたわけです。こうして先生は、単に“前近代”として扱われていた「江戸時代」のイメージを大きく塗り替えました。
以上、引用終わり。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
この、フレーズ、デジャブ(既視感)だぞ?!
あっ、そうだ!
これは、先日読んだ関良基著『日本を開国させた男、松平忠固』に書いてあったことだ!
そこには松平忠固が藩主の上田藩の養蚕について、こう書いてあった。
以下、引用
中国の最上の生糸よりも高値がつくほどの日本の上質生糸の品質の高さこそ、貿易で国内経済が破壊されることなく、独立を維持することができた原動力であった。
なぜ、品質がよかったのかといえば、江戸時代を通して、優良な蚕どうしを掛け合わせ、たゆまぬ品種改良を行ってきた庶民の努力の賜物であった。蚕の優良品種の開発は、江戸時代のバイオテクノロジーとも言える。近代資本主義以前であっても、庶民は少しでもよい品質の絹糸を生産しようと懸命に努力していた。封建制下でも技術革新へのインセンティブは確かに存在したのである。江戸時代から日本の庶民の力で蓄積され、国際的に高く評価された日本の蚕業・絹産業の技術力こそ、独立を維持し得た原動力なのだ。
(199〜200ページ)
参考
↓
憲さん随筆
「教科書の定説を疑え!日米修好通商条約は不平等条約ではなかった!−『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』を読んで」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-5f7ab1.html
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
まさに、「勤勉革命」ではないか!
奇しくも、最近読んだ系統の違う本に江戸時代について、同じ歴史観が述べられているとは!
いわゆる薩長史観のいう「江戸時代は陋習(ろうしゅう)に囚われた『夜明け前』の暗黒の社会」だというのがいかに出鱈目(でたらめ)なのかこれでもわかるであろう。
そして、磯田先生は最後のまとめでこう問題を提起している。
以下、引用
今日、中国やインドなど「第一系列(旧古代文明)」の社会が台頭し、「第二系列」の社会が生み出してきた「自由」「人権」「民主主義」「情報公開」などが富をもたらし、社会を強くするといったことは、無邪気には信じられない時代になりました。ITやAIの技術が急速に発展するなかで、“人権コスト”のかからない「第一系列」的な「権威主義的体制」の方がむしろ効率的なのではないか、とも思われてしまう状況です。「自由か管理か」という問題は、今回の新型コロナウイルス対策においても、重要なテーマのひとつとして様々に論じられています。
以上、引用終わり。
これを読んで、たまたまみたテレビで「国際弁護士」の肩書きの底の知れた薄っぺらいコメンテーターが、コロナをほぼ制圧した中国のニュースを羨ましくみながら「我々は彼らと同じ価値観になるわけにはいきませんからね。」とほぞを噛んでいたのを思い出した。
かような人物には到底新たな社会を切り開いていこうなどの発想などないのであろう。
私たちは今回のこのコロナウイルスの災禍に直面して気がついたはずである。
もう、今までの社会ではこのような危機を乗り切れないのだと!
では、これからの社会とは何か?
それは、「第一系列」でもなく、「第二系列」でもない。
その先をいく「第三の道」しかないであろう。
それが具体的にはなんなのか?
それが今や私たち一人一人に突きつけられているのだ。
感染症の歴史を調べようと借りた本であったが、憲さんの新たな歴史観に確信を持たせてくれた有意な一冊であった。
皆さんにも是非お勧めします。
どーよっ!
どーなのよっ?
※画像は本書
ログインしてコメントを確認・投稿する