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2020年12月27日20:47

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今週の「麒麟がくる」

今日はいよいよたま役の芦田愛菜ちゃんが子役から交代して初登場。
以前に大河ドラマに出た時は子役で、交代される側だったのにね。
愛菜ちゃんは子役時代はめっちゃかわいくて、最近また出始めた時に劣化したように感じたけど、ごく最近はまた昔の子役時代の可愛さとは別の意味で可愛くなってきました。
前にも書いたけど、光秀の娘は四人いたのに、このドラマでは二人だけ。結局歴史的有名人でないと存在が抹殺されてしまうんですね。

ちなみに、芦田愛菜ちゃん演じるたまが「細川ガラシャ婦人」になるのは、つまり洗礼を受けるのはもっとずっとあと、本能寺の変も終わって秀吉が関白となり、そして伴天連追放令も出たそのあとです。
そう、このドラマでは描かれることはないでしょう。そこに行く前にたぶんドラマは終わってしまうでしょうから。

そういえば、光秀の重臣として有名で、後の徳川三代将軍家光の乳母となる春日局の父である斎藤利三がなんで出てこないのだろうと思っていたら、やっと今日出てきました。
これからの活躍に期待します。

今日は、イエズス会の司祭も登場しました。
あれは誰なのだろうと思いましたが、OPのキャスト一覧には名前も配役も出ませんでした。
この時点でのイエズス会の日本総布教長はカブラル師で、彼はこの時期普段は豊後の大分にいましたが、ちょうど今日の回の天正二年に都に来て信長と会ったといういう記録があります。
だから、今日出てきた司祭のうちの一人がカブラル師である可能性は高いです。でも、カブラル師なら眼鏡をかけていたはずなのですが。
(当時の日本にはまだ眼鏡がなく、人々はこのカブラル師の眼鏡を非常に珍しがったと記録されています)
あるいは都布教区長のオルガンティーノ師とフロイス師かもしれません。
いずれにせよこの三人のうちの二人だと思われます。
そして信長は彼らを「神の教えを伝えるために来た」といいましたが、時代考証アウトです。
当時のキリスト教では日本語で「神」という言葉は使っていません。天地の創造主、全能の御父を日本語でどう表現するか、最初に日本に来たザビエル氏がまず悩みました。
最初に採用したのは「大日」という訳語でした。
しかし、どうもしっくりこないということで、ポルトガル語出上を表す「デウス」で通すことにしました。
ですから、この時代のキリスト教は神ではなく『デウス様』とお呼びしていました。
キリスト教が神という言葉を使うようになったのは、明治になってからです。
当時のキリスト教にとって「神・仏(Kami Fotoque)は日本の神社や寺に祭られている神や仏を意味しました。
また、中国での福音宣教に赴いたリッチ師は、中国語では『天主』と訳しました。

さて、その斎藤利三のことや三淵の処遇のことで光秀は大胆にも信長に意見します。
もしこれが司馬遼太郎が描く信長なら「うぬは予にものを教える気かっ!」っと激高して、光秀に殴る蹴るの暴行を加えたでしょう。
でも、このドラマの新しい信長像では、一時はけんか別れみたいになりましたが実に人情ある信長で、結局はすぐに笑い合う仲に復活しました。
そうなると、本能寺の変の理由が怨恨説ではあり得なくなり、どういった説を採るのかますます謎になりました。
今有力な長曾我部説か(でもこれは、ドラマとしてはあまりおもしろくない)、あるいは最新の明国出兵阻止説か……。

光秀の洋装、我われ現代人の目から見れば結構似合っていてかっこいいと思いましたが、当時の人にとってはおかしかったのでしょうかね?
そういえばこの光秀役の長谷川博己という役者さんは最近CMで見かけますが、普通時代劇でだけ見慣れた役者さんがほかの番組で現代人の普段の姿で出てくると違和感を感じたりするのですが、この長谷川さんは現代人の格好で見ても光秀そのもので違和感ないですね。
このあいだはこの長谷川三のCMが流れた後すぐに引き続き流れた別のCMに出ている人がどこかで見たことがある気がして誰だかわからなくて悩んで、やっとわかりました。
義昭役の滝藤賢一でした。この人の場合、現代人の格好になると誰だかすぐに思い出せなかったのです。
でも、この二本のCMが続けて、連続で流れたというのはおもしろかったです。
(具体的には「docomo」と「CCI」のCM)

実際は信長の方こそ洋装していたという記録がありますけどね。

最後の「紀行」に出てきた伏見の御香宮神社は、幕末の鳥羽伏見の戦いのときには薩摩藩の本陣が置かれたところです。

さて、本当ならもう最終回のはずの「麒麟がくる」ですが、コロナで中断した影響で、もう少し放送は続くようです。
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