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2020年12月08日16:59

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中・高時代のワシは・・・

少し前に
人が人に対して抱く反応は
「好き」か 「なんとも思っていない」かの
二通りなのだと書いたサ。

それはそれでいいのだと今でも思っている。

もしこれを線で表現するとしたなら
「好き」というのは山を表す線で表現できると思う。

それに対して「なんとも思っていない」は
何の起伏もない水平線だ。

好きの程度にもいろいろあって
「好きで好きでたまらない」から 「かなり好き」
「少し好き」 「やや好き」 「もしかしたら好きかも・・」
などとあるだろう・・

もしこれを線で表すなら
突出した高い山から
だんだんなだらかになっていき
そして最後はフラットな水平線につながっていくサ〜

ワシは昨日 実は同じ中学の同級生にも
美しいプロポーションをもった女生徒が居たことを書いた。

当時の男女というものは同じ教室に居たとしても
親しく言葉を交わし合うということなどなかった。
男子と女子は別々じゃった。
じゃから美しいと認めていても いっぱい言葉を交わして
仲良くなりたい。 近しくなりたいなどとは思わなかった。
じゃから卒業するまで何にもなかった。

ただし 美しいと思った人を 「好き」とは思っていたやもしれん
でも忘れていたんじゃよ・・・

高校になるとものすごく好きと思える人が現れた。
ワシの方は好きで好きでたまらなくて
その自分の思いに苦しんでいたのじゃけれど
対象の女生徒はたぶん「なんとも思っていない」であった。

今なら好きになった人が現れたならば
近づいてゆき、言葉を交わし、親しくなる努力をするのだが、
当時のワシは言葉を交わすことが出来るとさえ思わなかった。
仲良くなれる。仲良くなりたいとさえ思わなかった。
じゃから
キスしてみたい 抱きしめてみたいなど思ったことさえなかった。
ワシにとっては聖女さまみたいな存在だったのかもしれん。

その後学生の間ワシには好きな人は現れなかった。
たぶん誰でも良いというものではないようだ。

ワシが己に恋愛ごとを解禁したのは21歳で
社会人になってからであった。
ワシこういうところはきっちりしてるねん。
責任が取れるようにならなきゃだめだと思っていたのじゃろうよ。

それからは 性欲を満載した恋愛ごとを繰り返しながら
今に至るのである・・・

何を言いたかったといえば
中学・高校の学生時代は
好意をもっていたとしても お付き合いしたい
お付き合いできるなどとは微塵も思っていなかったということなんじゃ。

こんなワシでも
ブログを覗いてくれるFBのお友達の中に
中学の同級生が幾人かいるのじゃよ

ブログを覗くということは
ワシのことを「なんとも思っていない」ではない
ということになるのではないか・・・

すると そうか ワシでもよかったということじゃな・・・

なんか希望が湧いてきたかも・・・

でもワシなど出がらしのお茶みたいなもんじゃからのぉ〜
もう絞っても何も出てこないかも知れんのじゃよ

ただし治療の腕だけは
ぴか一で
日々益々磨かれて
進化しているのである・・・










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