もう何年前になるだろうか、暑い夏の日、父は体調がかなり悪くなり検査をした結果、腸に大きな腫瘍が発見されました。緊急に切除しないと危ないという医者の判断により、直ぐ国立がんセンターへ入院。MRI、CTスキャンと検査を行いS字結腸にこぶし大の腫瘍を確認、直腸より離れているので人工肛門になることはないということで手術しました。
実際に開腹してみると珍しいがん細胞で米粒より小さい腫瘍が直腸にビッシリと張り付いていました。命が危険との判断した執刀医師は肛門ごと切除しました。手術が終了して人工肛門が取り付けられた自分の姿を見た父は落ち込んでしまい、母はうつ病を患いました。
執刀医師と直接会い話をしたところ、さらに癌は肺と肝臓に転移しており肝臓はまだもつとは思いますが、肺は長年のタバコの影響で随分弱っており今年いっぱいでしょうと告げられました。癌の転移の告知については、家族ともめましたが、私の強い意思により騙すような事をしては父が疑心暗鬼になるのですべてを話して一緒に闘おうと本人に告げた。
肺がもたず今年いっぱいの命とお聞きしていましたが、10年前、家族でヘビースモーカーだった父にタバコをやめさせたのが功を奏して、正月を迎え、父の誕生日を家族で祝うことができ、花見まで一緒にできました。父にとって今年の花見は格別なものだったのだと思います。咲いている桜の花をじっくりと黙って見ていました。
去年までは、酒を飲んで語り合うだけで桜など見ていなかった父なのだが、今年は、桜を見るのもこれで見納めかもしれないと感じたのだと思います。父は幼少の頃から石原莞爾将軍の身の回りの世話をして将軍をこよなく愛していた。その石原莞爾平和思想件協会の総会へ最後の力を振り絞り出席できた事は本望だと思います。
ベットについた父は最期まで石原莞爾の生涯を語っていた、死の間際、父の心に去来したものは若き頃の石原莞爾将軍をリヤカーに乗せて東京裁判へ曳く己の姿だったかもしれません。父は石原莞爾将軍の下に参り、恒久平和の夢を実現することでしょう。だが、地上に残された我々家族はあっという間のことで悔いだけが残ってしまいました。
父の死を思い出して、憂鬱になってばかりいました。大切な人との辛い別れは、考えても仕方がないとわかっていますが、ふと思い出してしまい、嫌な気持ちになります。ショックな出来事などは忘れようと思っても、忘れられるものではありません。 忘れなくてはいけないと自分に言い聞かせるのは逆効果でした。それは無理があるからです。
思い出したっていいじゃないかと考えたほうが、気が楽なのは確かでした。過ぎた出来事でいろいろ考え憂鬱になるのに気がついたら、考えてどうすると自問してみました。自分を責めたり、人のせいにして何になる、過去の嫌な出来事など考えるだけ無駄だと思うことにしたのです。
ふと思い出して辛い気持ちになっても、早めに気づいて考えるのをストップして方向転換できればいいのです。今を大切にするために、この辛い出来事を考えるのをやめようとストップして、何かいいことを考えようと方向転換できれば私と同じ経験をしている方も少しは前向きになれるのではないでしょうか。
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