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2020年04月23日20:32

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公園、非3密でも要注意=「すいた時間・場所選んで」―専門家会議

■公園、非3密でも要注意=「すいた時間・場所選んで」―専門家会議
(時事通信社 - 04月23日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6058107

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新型コロナウイルスの感染が広がる中、一見すると密閉・密集・密接の「3密」に該当しない公園での感染拡大が懸念されている。政府の専門家会議は、緊急事態宣言後に多くの人が一部の公園に集まっていたと指摘。同会議のメンバーは「密閉という一つの『密』がないからといってリスクがゼロになるわけではない」と警鐘を鳴らした。

 専門家会議が22日に公表したデータによると、7都府県への緊急事態宣言発令から初の週末となった11日は、東北地方を中心に多くの人が公園を訪れた。

 事態を重視した専門家会議は、接触8割減に向け提言した日常生活の指針「10のポイント」で公園を取り上げた。「ジョギングは少人数で」「公園はすいた時間、場所を選ぶ」ことを訴えた。

 同会議メンバーの西浦博北海道大教授(理論疫学)は22日の記者会見で、「屋外での散歩は、近くに人がいない限りは問題ない。ただ、公園内の人口密度が高くなり、2メートル以内にたくさんの人が集まって長い時間を過ごせば本末転倒だ」と注意を促した。 
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状況は、専門家会議がいう事は正しいという前提で誰もが話し始めた。当たり前の話をするのに、専門家会議の指摘など必要ない。人のいない空間では感染濃度は低い、だから安全性が高い。これは専門家の話を聞くまでもなく当たり前。

たとえ公園であっても、人の数が増えれば感染濃度は上がる。そのぶん、感染率は高くなる。しかし、こういうのは比較の問題であって、完全な安全というものはない。坂本龍馬の手紙にも風呂場できんたまつめわりと書かれている。屋外で、どれくらいの人が集まった場合には危険であるか、屋内でどのような状況が危険かは、幾つかの知見はあるが、決定的なルールは専門家も含めて誰もしらない。

だから発生源となった場所は危険とマークを付けてゆくが、その説明が出来る人はいない。ライブハウス、カラオケボックス、バーなどが危険というのは経験則である。これらは会話の発生、興奮度、空調の問題があって、感染の経路は吐いた空気のどれくらいを吸い込むかで決まると言ってよい。それに、手に接触した濃厚な部分を取り入れるかだ。

だからライブハウスが危険なのに、満員電車がクラスターになっていない理由は誰も説明できない。しかし、今の知見では危険である、だから電車は控えようという話になった。もちろんニューヨークでは地下鉄がクラスターかした。だが、それは東京の通勤電車や新幹線がクラスター源にならなかった理由を説明しない。

当たり前すぎるが、新幹線よりも強力な密閉空間は考えられなかった。だから全国にすぐに蔓延すると考えるのは当然だった。しかし現実は違う。だから、何か見落としがある。そういう話があらゆるところにあるから、誰もがどの行動が危険でどの行動が実は安全かは分からない。

空調設備の能力が感染率に大きく影響するのかも知れない。会話の大きさや時間が感染率に影響するかも知れない。どれだけ多くの人が集まろうが、台風の屋外がクラスター化するとは思えない。そりゃ人工呼吸すれば感染はしそうである。

だから「専門家会議」というキーワードが便利であるという結論に至る。やる理由もやらない理由も根拠に専門家会議を持ち出せば説得力が増す。これについて専門家会議にも危惧はあるだろうが、ここまできて、自分たち自身の不安を表明する訳にはいかない。信頼性の根拠を失えば、崩壊する事が分かり切っているからだ。

そしてマスコミがその部分を切り取り、また誤解と正義を煽るような売文をする。さて、公園が危険である。公園も禁止した方がいい。そういう論調を進めるような書き方をする。そして、そんな馬鹿なという人もいれば、そうしないと馬鹿が蔓延するという人もいる。

そりゃ、1ルームを世界中の人口分だけ作り、ひとりひとりをその中に閉じ込め、毎日の食事とスマホとテレビを与えておけば、ひと月もすればこの騒動は治まる。人類総ブロイラー計画である。これも回答のひとつだし、隔離政策を進めるとはこの方向に向かうのが当然である。

鳥インフルエンザの時のようにブロイラーなら鶏舎全部を処分すればいいではないか。そういう結論だって不可能ではない。危機が強まればそういう方向に向かうに決まっている。天然痘患者を差別した人々も聞けば正当な理由を言うだろう。それが隔離を合法化した。もちろん、今も幾つかの病気は隔離の対象である。当たり前である。

問題は、専門家集団も、一市民もこれ以外の方法を知らない事だ。ワクチンの開発、特効薬の開発、効果的な治療方法なども見つかりつつあるが、恐怖を抑え込むには、そういう方法しかない。そしてその答えがもし見つからなければ?

恐怖に打ち勝つ事は不可能である。専門家集団は、それに対抗するおそらく唯一の存在で、まさか、ここが張りぼてであるなどと誰も信じたくない。当たり前すぎる話だが、問題の核は医療にはない。社会学である。医療を刀として手に持ち、疫病に立ち向かう。それしかない、というのが、全体像であろう。

病気に対する対処は、まず体がもつ免疫システム。新鮮な空気、汚染されていない水。つぎに食物による栄養素と体力。可能ならよく効く薬剤。そして医療的対応となる。

社会的には感染を防止するか、または計画的に免疫を獲得するための施策。必要なら全体で協力するのが望ましいが、それを支える経済の崩壊は避けなければならない。もし経済が崩壊したら何人死ぬのか、それと医療崩壊による死者は何人か、この数字は常に天秤にかけておく必要がある。純粋にこれは人数の問題である。

また高度に発達した国家集合として、国家間の争いと協調がある。この中には、その後の世界でイニシアティブをとるための働きかけも含まれる。経済的にどの国家も衰退するから、先に経済的復興を果たした国家が有望だし、ここで、多くの国に人道的であろうが、戦略的であろうが、より多くの援助を市民が理解する形で行っておく事は重要である。

たとえば中国製のマスクが made in china であるなら、これを世界中に配る事は、戦後の世界で made in china のステータスが全く変わるだろう。パンデミックの悪いイメージを持たれるかも知れないし、世界を救った絶対的な信頼のブランドになるかも知れない。

世界中の人々の口にどの国の名がどういう場面で使われてきたかが決定的になると思われる。情けは人の為ならずとはいう。いまは善は人の為ならず、を地で行く事が重要だろう。

とにかくマスコミのニュースにはよくよく注意する事だ。ほとんど全てに偏見と差別と拒絶を加速化する内容が含まれる。なぜなら報道の内容とは関係なく、刺激するような内容のものしかニュースにしないからだ。刺激に対する人のリアクションは様々である。すべての人が同じ反応をするものはニュースの価値が低いとシャノンの法則にも確か書いてあった。

医療従事者への差別が報道されている。多くの人はいけない事だと考えるだろう。だが、一部の人は確かに医療従事者は危険だと同意するだろう。注意を喚起する事は、正義だと信じる。それが感染のリスクを減らすことになるからだ。

善もまた難しい。

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