mixiユーザー(id:2902804)

2019年03月21日09:33

69 view

《使徒書の御言葉》その105「キリストの体はさまざまな部分から織りなされています」

《使徒書の御言葉》その105「キリストの体はさまざまな部分から織りなされています」

一コリント12:18 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。12:19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。

※「体」には、目、口、耳、手、足といった「部分」があります。「部分」がすべてあってはじめて「体」が成立するということではなく、一人一人の体にはさまざまな「部分」があると言う意味です。どのような「部分」があるかは、人によって異なることでしょう。さて、教会全体を「体」にたとえるならば、教会にも「部分」があります。ある部分と他の部分は異なるものです。ある人と他の人は行動も考えも異なります。けれどもそれらの部分の働きによって、教会という働き、イエス・キリストの働きが成り立っています。「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えない」(12:21)のです。教会はキリストの体であり、キリストの体は、同じ言動の人の集積ではなく、異なる言動の人びとがたがいに織りなす「組織」なのです。

今週の祈り「神さま、すべてをあなたにお委ねいたします。わたしたちもできるだけ考え、できるだけやってみますが、あるところからさきは、あなたにお委ねいたします。神さま、どうぞ、あなたが導いてください。わたしたちのかたくなな思いではなく、あなたが吹いてくださる、しなやかな聖霊の風がわたしたちの歩みを促してくださいますように。神さま、わたしたちの中から悪いものを追い出してくださり、あなたの霊の実りで満たしてください。朝を来たらせてください。そのときまでは、月と星がわたしたちを照らしてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン」

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する