mixiユーザー(id:12410478)

2019年02月28日08:42

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なぜ、不祥事は連続して起きるのだろう。暫定的な解答。

昔から不思議であったところです。

千葉大のリンゼイさん事件とロリコン男の誘拐。
昭和大医学部の、タイ人風俗嬢殺人事件と、今回の事件。

どうして連続するのでしょう。
普通に考えると、身近で不祥事が起こったら、「オレも気を付けよう」となり、不祥事は抑制されるはずです。ところが、現実は、そうではない。
もちろん、千葉大や昭和大の教育が悪いわけではありません。入試が、変な奴を吸い寄せるシステムになっているかというと、そんなわけはありません。

強制性交罪は、改正により親告罪ではなくなっています。
今までは被害者と示談して、大金を払えば告訴は免れましたが、それがなくなりました。もちろん、「処罰を望んでいない」と被害者が言えば量刑には反映されますが、有罪判決は覆りません。親が金持ちだとしても、刑を軽くするために大金を支払うということになりますが、懲役五年以上です。心神耗弱や自首などの特別な理由がないわけですから、素人目ですが、三年以内に抑えて執行猶予を付けるのは、難しそうです。
今までの医道審議会の記録をみると。この件は、免許取り消ししかないケースです。(執行猶予の有無にかかわらず、有罪の時点で、アウト。)
そのあたりは、当事者である医師がよく知っているはずですが。

うまく言えませんが、人間の意識と関係することだと思います。
凶事は、それを意識することが凶事のきっかけとなるのではないでしょうか。意識すると、そのことに向かって、人は前進してしまうと。

たとえば、幸徳大逆事件は、関係者が(というより、幸徳のような関係していない人間も)死刑になり、大々的に報道されました。ところが、その後、見せしめになったどころか、似た事件が次々と起きています。

若いころ、現実とは何かについて考えたことがあります。
「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ 5−27)
本当にそうではないか…ということです。

悪いことをしたとします。わかりやすく、ナイフで人を刺したとしましょう。
自分にとって、現実に起きていることは、ナイフの感触や返り血の肌触り…でしょう。それをまざまざとイメージしたとしたら、殺してなくても人殺しと同じことです。

そこを、沢庵は、『不動智神妙録』にて
「物に心が染み止まるによって、染ますな、止まらすな、我が身へ求め返せ。(中略)蓮の泥に染まぬが如くなれ。」
私に訳すと、
「対象に心がしみ込んで停止してしまうから、染まらせるな、止まらせるな、自分の身に想念を返せ、(中略)蓮が泥に染まらぬようにせよ」
と述べています。

想念に囚われないようにすること。これが大切ですね。
犯罪などとは縁がありませんが、自分が失敗するというイメージを持ったとしてもそれに囚われないことは、しみじみと大切だと思います。



■睡眠薬飲ませ女性乱暴=容疑で医師ら2人逮捕−警視庁
(時事通信社 - 02月27日 14:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5515931
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