年賀ハガキなんて、郵便制度を国民に定着させようとした明治政府の仕組んだ政策であって、そんな政府のやり口に乗っかってはいかん、と父は、いかにも昔の革命的マルクス主義者らしいことをのたまっていたが、要は、本人がめんどくさくて書きたくないだけである。彼は、山に行っていい写真が取れたときだけは、年賀はがきを出す。年賀はがきを作るから山の写真を見たいのに、PCに写真を表示させる方法がわからぬ、と言っては、いちいち娘を呼び出し、そして、さかんに、今年はいい写真がない!という。来年は、山にもっと連れていけ、という明白な要求である。
そして、結局年賀はがきは、作られない。
今年も、そんな季節になった。
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