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2018年10月05日11:19

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10月歌舞伎座・夜 勘九郎・七之助兄弟と「仁左衛門の助六」

18年10月歌舞伎座(夜/「宮島のだんまり」「吉野山」「助六曲輪初花桜」)


助六を演じないまま亡くなった勘三郎


10月歌舞伎座夜の部のハイライトは、まず、「助六」である。今回、この劇評は、「助六」から始める。今回は、仁左衛門の助六で、外題が「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」となっている。仁左衛門が、助六を演じるのは、9年ぶり、歌舞伎座では、仁左衛門襲名披露興行以来になるので、20年ぶりのことだ。私は、この襲名披露の歌舞伎座の舞台を観ている。

「助六もの」(総称的に使う外題は「助六由縁江戸桜」。本来は、成田屋独自の外題)は、今回で、私は、10回目の拝見となる。私が観た助六、実は曽我五郎は、團十郎(4)、新之助時代を含めて、海老蔵(4)、そして、仁左衛門(今回含めて、2)。歌舞伎座の上演記録を見ても、成田屋のふたりが圧倒的に多い。まもなく終わる平成期では、合計25回上演のうち、團十郎が9回、新之助時代を含めて海老蔵が8回。孝夫時代を含めて仁左衛門が6回。菊五郎、三津五郎となる。

今回の主な配役。揚巻(七之助。抜擢の初役)、意休(歌六)、助六らの母・満江(玉三郎。初役だ)、白酒売新兵衛、助六の兄・実は曽我十郎(勘九郎)、通人の里曉(彌十郎)、若衆の艶之丞(片岡亀蔵)、くわんぺら門兵衛(又五郎)ほか。鬘をつけた裃後見として松之助が支えている。

仁左衛門は、「助六をこの歳で勤められることもありがたいですし、(私としても)今回が集大成のつもりです」と話している、という。

十八代目勘三郎は、助六を演じることなく亡くなってしまった。父親の十七代目勘三郎は、本興行で、6回助六を演じている(上演時の外題は、「助六曲輪菊」)が、息子の十八代目は、一度も助六を演じなかった。「助六」に出演している場合は、白酒売新兵衛、実は曽我十郎、通人の里曉、福山かつぎなど。このうち、白酒売新兵衛、実は曽我十郎、通人の里曉の舞台などを私は歌舞伎座で観ている。建て替えとなる歌舞伎座が、閉場になる直前。10年4月、旧・歌舞伎座興行の最終月、「さよなら歌舞伎座」の舞台。通人の退場の花道の場面。新・歌舞伎座開場を期待したアドリブの科白が場内で受けていたが、勘三郎は新・歌舞伎座開場を待たずに12年12月に亡くなってしまった。歌舞伎座の建て替えによる閉場期間は、10年5月から、13年3月末までだった。勘三郎の死から4カ月後だった。勘三郎はいずれ、助六は自分も演じると思っていたことだろう。演じたかっただろうな。永遠に見ることができない十八代目勘三郎の助六。

仁左衛門の話に耳を傾けよう。筋書の楽屋インタビューで仁左衛門は、「助六」を十七代目勘三郎から学んだ、という。また、十八代目勘三郎からは、(生前)助六を「教えてほしい」と乞われていた、ともいう。

「初演では、十七代目のおじさまに教えていただき、その後、十八代目に、自分が助六をやる時には教えてよと言われていましたが、実現できず残念です」。私が「彼に『私より東京の人から教わったほうがいいんじゃない?』と言ったら、『兄ちゃん(仁左衛門)に教えてほしいんだ』と、勘三郎は言っていた」、という。「(その実現できなかった思いを勘九郎君につなげたい。)勘九郎君には、(今回の舞台で)私の『助六』を傍で見ていて欲しいですし、(大和屋さんの指導の下、)七之助君は『揚巻役者』になって欲しいと思います。(「助六」コンビとしての)ふたりに対する期待ですね」」と語っていた、という。仁左衛門は、今回含めて7回、助六を演じているが、このうち、今回を除く6回は、すべて玉三郎の揚巻を相手にしている。玉三郎以外の揚巻と共演するのは、今回の七之助が初めてだ。

ならば、我々も、仁左衛門型「助六」の勘九郎・七之助兄弟への継承に期待しよう。今回、勘九郎は、白酒売新兵衛、実は曽我五郎で出演し、仁左衛門の助六を同じ舞台の傍で見ている。仁左衛門を相手に揚巻を演じる弟の七之助をも見ている。勘九郎がいつの日か、こうした体験を踏まえて、十九代目勘三郎を襲名し、七之助の揚巻を相手に、仁左衛門・玉三郎の指導を踏まえて、さらに勘三郎の名跡の下、助六を演じる日も来ることだろう。体調管理をしっかりやって、元気で、その舞台を観ることができると良いな、と思っている観客も多いことだろう。

贅言1);成田屋の「助六」の外題は「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」だが、仁左衛門が「助六」を上演する時は「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)」、菊五郎が上演する時は「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」、三津五郎が上演する時は「助六桜(の)二重帯(すけろくさくらのふたえおび)」という外題を使う。

贅言2);閑話休題で、ついでながら。稲荷鮨と海苔巻きの「助六寿司」というネーミングは、助六よりも揚巻優先。稲荷鮨(あげ)と海苔巻き(まき)が、語源。揚巻を間接話法で忍ばせながら、相手役の助六の名前を直接話法で表示する。この辺りが、江戸っぽい美学。

私は、今回、20年ぶりに仁左衛門の「助六曲輪初花桜」を観たわけだが、「助六由縁江戸桜」と、「助六曲輪初花桜」が、その劇的構造を大きく異にしているわけではない。それぞれ、独自の外題をつけて演じている以上、家の藝としての工夫はいろいろあるのだろうが、私の印象では、仁左衛門の「助六曲輪初花桜」は、成田屋と違って、河東節を使わずに、長唄を使っている。仁左衛門の持つ上方味が、江戸の男伊達・助六に團十郎のオーラとは、一味違う味付けとなっているように感じられたことなどか。仁左衛門の十七代目勘三郎への恩返し、十八代目への友情、勘九郎・七之助兄弟への継承、歌舞伎界の歴史の断面の一つ(世代交代)を見るような舞台だった。七之助の揚巻は、キリッとしていて良かったと思う。特に、意休が持っていた刀が、探していた「友切丸」と判った後、三浦屋の中へ戻る意休。意休の帰り道を襲おうと待ち伏せのために、先に花道へ消えて行く助六。花道の引っ込み。これで閉幕と思って、場内は、帰り支度で、ざわつき始める。ひとり、本舞台に残った七之助の揚巻は、舞台中央に移動した後、客席に背を向けて衣装を広げ、左斜め後方に振り向く姿勢をとり、顔を見せながら静止のポーズをとる。暫くすると、そこへ、上手から定式幕が閉まり始めてくる。この瞬間が、本当の「助六」の閉幕となるわけだが、席を立ち始め、わさわさしている観客たちは、どれだけが、この七之助の美しい姿を観ていることだろうか。


「助六」の演劇構造


「江戸桜」も「初花桜」も「菊」も、「助六」の演劇構造は、大きくは違わない。構造分析、題して、「スケロク・オペレーション」とは、何か。それは、トリック・スター(助六)の宝刀奪還作戦。横恋慕の三角関係。伊達男の扮装も、曽我五郎の隈取りに、この男の性根を露見させている。

1)美男美女、悪人の「三角関係」(横恋慕)。少年(助六)・やや年上の女(揚巻)と年寄りの大人(意休)の三角関係の物語。

江戸歌舞伎の特徴、「荒事」の代表作の一つ。江戸歌舞伎の華・荒事は、荒々しいエネルギー、稚気を表現する。江戸っ子の意気を示す、江戸のスーパースター・助六は、子どもっぽい。餓鬼(少年)なのだ。助六の隈は、「むきみ」隈=蛤のむき身の舌に似ているので、こう名付けられた。実は、曽我五郎を示す。五郎も、隈取りは、むきみ隈。敵(かたき)討ちを果たして、亡くなる英雄の隈より、助六は、やや細め。宝刀奪還という志を秘めた洒落男・傾(かぶ)く男・伊達男。紫の鉢巻き(左巻きの病巻と違って、右巻き)などの扮装、衣装、持ち物など、当時の江戸のオシャレの「粋(すい)」を体現している。色彩・様式美など歌舞伎の美学が、横溢。実質的な荒事の創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。しかし、そういう華やかさのなかにも、じっと、凝視すれば、粘着質的に敵を付け狙う曽我五郎の性根を見て取ることが出来る。

助六の所作は、「大げさ」が、売り物。稚気をいっぱい含んだ助六が、本来の助六の姿だろう。大人・髭の意休に対する餓鬼の助六という構図を見逃さない。間に挟むのは、助六にとって、年上の女性(大人というより、少女に近いかも知れない。特に、意休から見れば、少女だろう)・花魁(遊女)の揚巻。情夫(まぶ)の少年の助六に対する愛情ぶりが、真情溢れて、「姉さんの深情け」を見落とさないように。「突っ張った少年と姉さんだが、世間的には、少女に近い花魁というカップル」対金持ちで「年寄りの大人」の、三角関係の物語。今風に言えば、意休のセクハラ、パワハラだろう。

2)「宝刀奪還と敵討ちの物語」。「三角関係」の裏に隠されている。

助六が、意休に喧嘩を仕掛けるのは、仇討のための「刀改め=源氏の宝刀・友切丸という刀探し」の意図がある。助六が、曽我五郎で、白酒売が、曽我十郎という、兄弟。鬚の意休、実は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。友切丸を取り戻すために、助六は、三浦屋の、後の場面で意休を殺す。意休は、歌舞伎の衣装のなかでも、特に重い衣装を着ている(実は、揚巻の衣装も重い。40キロあるという)。それだけに、憎まれ役として、あまり動かずに、姿勢を正し続けるだけでも、大変そう。白酒売は、助六の兄で、滑稽感を巧く出し、弟の助六の荒事が光るように、江戸和事の味わいを出しながら、兄の曽我十郎としての気合いも、滲ませる必要がある。「股潜り」という遊び(これも、「刀改め」作戦のひとつ)。最後に、母親が出て来て、兄弟の「刀改め」が、たしなめられる場面があるが、まさに、叱られた餓鬼たちである。

3)吉原の風俗活写。「助六」は、作者不詳の名作だが、ストーリーより、舞台の見た目を重視する芝居である。絵画的な一幕の場面が、「三浦屋格子先の場」なのである。

* 傍役たちのおかしみの味わい

見た目を重視する芝居の、多彩な傍役たちの魅力:歌舞伎の典型的な配役が、ほとんど見ることができるので、歌舞伎の構造が判る。白酒売の滑稽さ。意休の手下たち=滑稽な、くわんぺら門兵衛、朝顔仙平(当時人気のあった「朝顔煎餅」のコマーシャル。鬘や隈=朝顔を図案化した趣向に注目)。通人(洒落の人)・里暁は、笑わせて、場内の雰囲気をやわらげる。特に、里暁は、アドリブ(捨て科白)の、巧拙で、舞台の出来の印象さえ異なって来る大事な役どころ。毎回、どういうアドリブが登場するか、お見逃しなく。粋な「福山かつぎ」。注文を受けて、饂飩を配達する人。吉原で暮らす町の人の代表格。若衆、あるいは、国侍。庶民の一芝居が、おもしろい。昔は、出前に来た人を、舞台に引っ張り込んだというエピソードも、伝えられているが、本当か。ここも、注目。若衆・艶之丞(片岡亀蔵)役は、成田屋型では、お上りさんで、不器用な国侍の役回り。白酒売・助六の兄弟との駆け引きにも、注目。

* 「助六」は、吉原の風俗を描く芝居

吉原という遊郭の「花魁道中」の華やかさは、ほかの演目でも、出て来る。「助六」の特徴は、遊女屋の店先、つまり吉原という街そのものが、副主人公になっている。いろんな人たちが通ることで、遊郭の話だが、遊郭内にとどまらずに、店先から、周辺の地域社会が、垣間見えるおもしろさがある。奥深さがある。新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、貴重な空間になる。三浦屋で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で働く人、通う人などが、出て、来る。

多様な町の人たちを演じる役者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、300年前の江戸の風俗が、細部に宿っている。例えば、助六の花道の出で、なくてはならないものは、大きな蛇の目傘。傘を持たずに助六が出て来たら、芝居にならないだろう。それほど大事な傘。黒と白のモノトーンが、なんとも粋だ。
紫の鉢巻き、黒羽二重の小袖、鮫鞘の一本差し、背中から帯に挿した尺八、印籠などは、どの助六も同じだろう。

このほか、助六の舞台には、提灯、染め物、塗り物、半纏、刀、煙管、珊瑚や鼈甲の櫛、笄など、江戸趣味に溢れる小物がいろいろ登場する。歌舞伎の演目の中でも、本筋とは違うが、地域社会が見える演目は、数が少ないので、貴重。何百年という時空を越えて、タイムカプセルに入っている風俗情報に直に触れられるのは、「助六」の大きな特徴である。


夢の歌舞伎、歌舞伎の夢


さて、最後に十八代目勘三郎に戻ろう。捨て科白(アドリブ)をたっぷり言う時間のある通人役の勘三郎が、6年前に言った科白。役者の気持ちだけでなく、観客の気持ちも代弁して、花道で言っていた科白を最後に記録しておこう。

「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

「さようなら」は、そのまま、十八代目の遺言になっているようで、6年経っても、悲しい。しかし、「新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう」は、勘九郎・七之助兄弟へ引き継がれている役者の思い。そして、私たち、観客の思い。夢の歌舞伎、歌舞伎の夢。


古怪な歌舞伎味「宮島のだんまり」


「宮島のだんまり」は、今回で4回目。主な配役は、傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎:澤村藤十郎、時蔵、福助、そして今回の扇雀。平清盛:彦三郎時代の楽善、左團次、歌六、そして今回の弥十郎。畠山重忠:歌昇時代の又五郎、彦三郎時代の楽善、錦之助、そして今回は、河津三郎役の萬次郎。大江広元:正之助時代の権十郎、歌昇時代の又五郎(2)、そして今回は、錦之助。

「だんまり」は、江戸歌舞伎の顔見世狂言のメニューとして、安永年間(1772ー81)に初代中村仲蔵(「仮名手本忠臣蔵」五段目の定九郎を工夫した役者)らが確立したと言われる演出の形態。およそ100年後に明治維新を迎えるという時期で、幕藩体制も、低落に向かい始めた時期という閉塞感が、滲む。

場所:山中の神社、時刻:丑の時(午前1時から3時)、登場人物:山賊、六部、巡礼など、要するに得体の知れない人物、状況:暗闇のなかでの、宝物の奪い合いなどという、様式性の強い設定で、グロテスクな化粧・衣装、凄みを込めた音楽、大間な所作などを売り物にする。芝居の、今後の展開を予兆するような舞台、いわば、映画の予告編のようなもの。本編は、近日公開というわけだ。また、顔見世興行とのかかわりで言えば、顔見世狂言は、当該芝居小屋の、向う1年間の、最初の舞台として、契約した出演役者を紹介するもので、その意味で、後に、一幕ものとして独立した「御目見得だんまり」は、顔見世独特の役割を担い、興行の初めに、新たな座組を披露するために、一座の中核になる役者を紹介する演目として、いわば、1年間の予告編であり、雑誌で言えば、カラフルなグラビアページの役割を果たすと言える。

「宮島のだんまり」は、初演時の外題「増補兜軍記」が示すように、「兜軍記」の世界をベースにしている。主役は、遊君・阿古屋、実は、菊王丸であった。山中を海辺の宮島・厳島神社に設定して、一工夫している。ストーリ−は、他愛無い。10数人が、平家の巻物(一巻)を争奪する様を、極彩色の絵巻のような「だんまり」というパントマイムで見せるという趣向。今回は、13人参加。

定式幕が引かれ、開幕となるのに、浅葱幕に大海原を描いた浪幕が舞台全面を覆っている。荒事らしく、大薩摩も幕前で、演じられる。やがて、浪幕の振り落としの後、傾城・浮舟、実は盗賊袈裟太郎(扇雀。初役)、広元(錦之助)、三郎(萬次郎)の3人が、中央からセリ上がりという趣向で、舞台は、端(はな)っから古色蒼然という愉しさ。黒幕をバックにした宮島は、真っ暗闇。やがて、舞台の上手、下手から、立役、女形、双方4人ずつ(弾正=吉之丞、五郎=歌昇、景久=巳之助、奴団平=隼人、典侍の局=高麗蔵、祇王=種之助、おたき=歌女之丞、照姫=鶴松)出て来て、合わせて11人による「だんまり(暗闘)」となる。闘いは、浮舟が所持している一巻争奪戦だが、だんまり特有の、ゆるりとした、各人の大間な所作が、古色をさらに蒼然とさせる。特に、「蛇籠(じゃかご)」と呼ばれる独特の動きで、複数の人たちが、前の人を引き止める心で、繋がる。これは、筒型に編んだ竹籠に石を詰めて河川の土木工事に使う「蛇籠」の形を連想した古人が、名付けた。「蛇籠」というネーミングは、竹の籠が、目合(まぐわ)う蛇体からの連想なのだろうが、古人の想像力は、豊饒だ。そういえば、水道の「蛇口」も、あれを「蛇の口」というのも、良く考えれば、凄い発想ではないか。

天紅(巻終えた手紙の天地のうち、「天」の部分を紅の付いた唇で挟むことで、キスマークをつける愛情表現)の「恋文」ような、一巻を取り戻した傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎の扇雀は、妖術を使って、大きな石灯籠のなかに姿を隠す。暗闘のうちに、さらに、さらに、悪七兵衛景清(片岡亀蔵)、平清盛(彌十郎)のふたりが加わり、総勢13人となる。辺りで、暗闘のなか、長い赤い布が、力者の手で舞台上手から下手に拡げられて行く。平家の赤旗である。だんまりの役者たちが、長い布を手に取って、横に繋がって行く。やがて、舞台の背景は、黒幕が落とされて、夜が明け、宮島の朝の遠見へと変わる。彌十郎の清盛が、三段に乗り、大見得。それにあわせて、一同、絵面の見得をするうちに、幕。

幕外、花道すっぽんから再び現れたのが、袈裟太郎として、正体を現したままの傾城・浮舟(扇雀)。ここは、「差し出し」の面明かりを使っての出。古風な味を大事にした演出が続く。盗賊と傾城という二重性(綯い交ぜ)を上半身と下半身で分けて演じるという難しさが、この役にはある。手の六法と足元の八文字が、男と女の化身の象徴だと、観客に判らせなければならないからだ。


「吉野山」狐の勘九郎に玉三郎の静御前


「吉野山」は、歌舞伎の3大演目のひとつ「義経千本桜」の一幕。「道行初音の旅」。男女の道行ものをベースにしている。富本の「幾菊蝶初音道行(いつもきくちょうはつねのみちゆき)」を清元に改めた。軍物語の件は清元の「菊鶏関初音(きくにとりせきのはつね)」を竹本にした。私は、今回で、23回目。

春爛漫の吉野山。舞台装置は、いつもより素直な感じ、単彩色の桜の絵。吉野山の奥にある川連法眼や肩を目指して、義経の連れ合い静御前(玉三郎)とその護衛役の佐藤忠信、実は源九郎狐(勘九郎)の道行の場面だ。まず、花道から静御前が、一人でやってくる。最近の玉三郎らしからぬ、オーソドックスな出だ。静御前が義経から託された「初音の鼓」を打ち鳴らすと、花道すっぽんから狐忠信が姿を見せる。本舞台にやってきた狐忠信に「待ちかねた」と静御前。ちょっと、不機嫌。狐忠信は、実は、初音の鼓に用いられている鼓の皮(狐の皮)の子どもなのだ。皮にされた親狐への慕情止み難く忠信に化けて、静御前の護衛役という主従関係を装い、「鼓に付いてきた」のだった。静御前と狐忠信のふたりの踊りでは、玉三郎の演出だろうが、いつもより、ふたりの主従関係が、くっきりと見えてくる。毅然とした「主」としての静御前。控えめに振る舞う狐忠信。それが、一つの頂点に達するのが、「女雛男雛」のポーズをとる場面だ。普段なら、大向こうから「ご両人」と声がかかるところだが、玉三郎の後方にそっと近づいてきた勘九郎は、遠慮がちに狐忠信の男雛のポーズをとった。今回は、この場面では大向こうからも、声はない。大向こうの皆さんは、さすが、判っている。

ついで、「桃にひぞりて後ろ向き」(枯れてそった葉っぱのことを江戸時代は、「ひぞり葉」、重心が定まらずにくねって回る独楽を「ひぞり独楽」と表現したという)では、静御前が持つ初音の鼓に忠信がすり寄っていく場面は、ぎこちなく、まさに、ひぞり独楽のように、くねくね、ギクシャクと「狐っぽい」所作を見せる。狐の本性が、顕れてしまう、という感じだ。この場面、勘九郎と玉三郎は、狐と人間の違いを見せつけたように思う。

勘九郎は、狐忠信は、4回目。相手役の静御前は、亀治郎、福助、七之助、そして今回は、初めての玉三郎。今回の配役は、ほかに、早見藤太が、己之助。

舞台中央の桜木とその手前の切り株に、旅の途中のふたりが保管してきた初音の鼓と着瀬長(きせなが。鎧)を組み合わせて、義経の御前という態で、忠信が屋島の合戦の様子を語り伝える。「あら物々しや夕日影」で始まる軍物語。竹本は、愛太夫と蔵太夫の2連。床の出語り。大向こうから「待ってました」と声がかかる。待っていたのは、「軍物語」の場面と愛太夫の出語りか。

鎌倉方の追っ手、早見藤太が大勢の花四天たちを引き連れて、現れる。滑稽な場面(チャリ場)、「稲荷尽くし」(?)の所作ダテ、いつものコミカルな立ち回りとなる。

今回の「吉野山」は、静御前と狐忠信の関係で、くっきりとふたつの線を引いている。「主従関係」と「狐と人間の関係」。これは、「吉野山」の原点として再確認されたように思う。勘三郎と玉三郎。ふたりの志には、古典的な歌舞伎を活き活きとした現代の演劇として再生しようという意識があったように思う。勘九郎・七之助の兄弟は、今回の先達たち、白鸚、仁左衛門、玉三郎から伝えられる、こうした志を受け止めて、これからも、この課題に取り組んでいってほしい。
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